新藤戦 Ⅲ
もうすでに戦闘は始まっている。
詩恵の名前が表示された白い点を目指して走っていた徹は、いつの間にか急接近していた赤い点を見逃さなかった。
彼の電子刃。雷槌1275はその性質上、他の電子刃と比べても圧倒的に重量がある。あまりに重たいこれを持ったまま移動するのは、盾にするものがなくなるというデメリットを含めても余りあるほどに移動には多大な負荷がかかる。
一秒でも早くたどり着きたいこの状況で相棒とは言え、さすがに煩わしい存在となってしまうだろう。
仮想体に息切れというものは存在しないはずだが、心拍数の上昇は忠実に再現され、徹は確かな息苦しさを覚えていた。
白い点はまだマップ上に消滅せずに灯っている。
まだ、詩恵は敵の誰かと戦っているということだ。
「くそ、間に合え!」
「……詩恵」
ただ一人、白の陣営で目立った動きを見せていない少女。
仲間の一人は戦闘の真っただ中、あとの二人も積極的に動き回り、戦局徐々に動かしている。
しかし、雀は電子刃を一度も起動せず、開始からずっとマップを広げて息を潜めていた。
思った以上に冷静だ。
雀はわかっていた。いま動いても詩恵は助けられないし、敵を討ち取ることも叶わないと。
雀は今、赤い点二つに睨まれるような状態で硬直している。
ずっとマップを見張っているが、この二つは全くと言っていいほど動きを見せていない。
相手もわかっているのだ。
この配置で雀が行動を起こしても、雀にまったく勝ち目がないことを。
だから雀は動くことができない。
自分の置かれた状況をしっかりと把握出来ているからこそ、ただひっそりと好機を窺っている。
これが最善。これが正しい判断だ。それはわかっている。
だからこそ、雀は悔しかった。
臆病な自分では後手に回って相手の出方を窺うことしか出来ない。もし、自分にほかの三人のような気概があれば、もう少し前のめりの判断を下すことができたのだろうか……。
「……私も、天音を守る側になりたい」
「詩恵がやられたのか……」
天音は動きを見せない白い点を目の前にして、違うポイントに意識を向けていた。
確認のために起動したマップだったが、思いのほかこの短時間で戦局は傾いてしまったようだ。
それも、かなり敵陣営よりに。
しかし、まだこの戦闘の勝敗は確定したわけではない。
どういうわけか、白と赤の点の座標はほとんど変わらないにも関わらず、二つの点は天音がマップを開いて以来一度も動いてはいない。
天音が移動していた時間はほんの数分だ。
その間に詩恵のポイントに急接近していた赤の点は状況からみてまず間違いなく黒尾だろう。
戦闘不能になってしまった場合、敵も味方も同様に明度が失せた黒色に変わる。
しかし、まだ二つの点はどちらもその明るさを保ったままで詩恵はまだ戦闘不能にはなっていないことを示している。
そして、その二つの点に接近するもう一つの白い点。
「……これは釣りか」
詩恵が黒尾を追い詰めているという状況も可能性としてないわけではない。
だが、待ちのポイントを決めてしまっていた詩恵が懐に潜り込まれているところをみるとそれは一割程度の低い可能性だろう。
そして、その釣りに徹はまんまと食いつこうとしているわけだ。
徹にはそのことに気づいて欲しいが、こんなホログラムの点に念を送ったところで仮想体の彼に届くはずもない。
「これは開始早々黒尾に引っ掻き回されているな」
黒尾の印象は良くも悪くも鉄砲玉のようだと思った。
自分がはじき返される可能性を一厘も考えず、ただ相手の腸を抉ることだけを考えて遮蔽物すらも穿ち、突貫をやめることはない。
一撃で仕留めなければ、その爪は執拗に振るわれるだろう。
天音は黒尾に遭遇した場合をすでに思考していたが、その場に自分がいないのではどんな良策も全く意味をなさない。
これはもう、天に任せるしかないのか。
「ん?」
マップを閉じようとした瞬間、とある違和感に気が付いた。
小さな動きで見逃してしまいそうだったが、もしこの小さな動きに黒尾が気づいてなかったとしたら……。
「向こうは任せておいてもいいみたいだな」
指をスライドさせ、ホログラムのマップを視界から消し去る。
代わりに黒く輝く刃を携えた電子刃が天音の手の中に納まり、天音の仮想体にプラズマのような光で反応する。
「それじゃあ、こっちも始めるとしようか」
天音は姿を隠していた車体の影から顔を出すと、素直に待ってくれていた相手に正直に感謝の言葉を伝える。
そいつは道路の真ん中に堂々と座り込み、電子刃も起動せずにどこから持ち出したのかわからないルービックキューブをかちゃかちゃといじくっていた。
真っ黒なフードをかぶった彼の表情は窺うことが出来ない。しかし、一瞬覗いた目は獲物を見据える鷹のように鋭い。
「……ふふ」
歯を見せて笑うそいつからは、負けることなんてありえない、考えにもないというような高慢さを感じた。
詩恵は悩んでいた。
もう詩恵だけの力ではこの男に矢を撃ち込むことは出来ない。
左手を失った詩恵はもう弦を引くことは出来ず、悪あがきに弓を振り回すくらいしか黒尾にダメージを与える方法は残っていない。
しかし、黒尾は少しの油断も見せず、マップと電子刃を交互に起動しながらr、もうすぐ現れるであろう徹のために飛びかかる準備を整えている。
いますぐに自決すれば、徹も冷静に判断を下し、一度引いてくれるかもしれない。
自決という言葉の意味を知ったときは理解に苦しんだが、いまは戦乱の時代を生きた先人の考えもわからなくはない。
私の存在が今、チームの総崩れを招こうとしている。
詩恵ははるか下の地面を見下ろし、ここから叩きつけられる自分の姿を想像した。
なんて惨めな姿だろう……。
頭の中で考えただけで嘔吐いてしまいそうなほどの嫌悪が鳥肌となって現れる。
戦闘不能にならなければ、あの獣を狩るチャンスもゼロではない。諦めなければ、可能性はまだ多少は残る。
だが……。
「私個人の諦めの悪さで、チームを負けさせるわけにはいかないよね」
「あ?」
さっき見たマップの情報によると徹はすでに百メートル圏内まで近づいている。
まだギリギリ間に合うはず……。
力も腕も必要ない。
ただ、ほんの少し、怖さに耐える気持ちが必要なだけ……。
黒尾が詩恵から目を離した瞬間、詩恵はほんの数センチの段差を乗り越えた。
「ごめん、あとは任せた」
自分の身体を支えるものがなにもない喪失感。自分の気持ちを殺してまで決めた気持ちの悪い覚悟。なにも成さないまま脱落してしまう不甲斐なさ。
すべてをこの小さな胸に押し込んで、詩恵は空中へと躍り出た。
「そんなこと許すわけねぇだろう!!」
はるか下に見えていた地面を遮り、詩恵の目の前に現れたのは黄色のシルエット。
ぶつかると思っていた地面は視界から掻き消え、次に詩恵の目に映ったのは清々しいほどに青い広い世界だった。
「なっ……」
なにが起こったのかまったく思考が及ばない。
誰かの否定する声が聞こえたと思った次の瞬間には、詩恵の視界は百八十度ひっくり返っていた。
「徹……」
首を捻って下を見ると、飛び降りたはずの屋上が自分の視線よりも下に見えている。
そこには彼の相棒である雷槌を構えた男が自慢の筋肉を唸らせていた。
「脱落するにはまだ早いぞ、詩恵!」




