プロローグ
人類の進化には限界がある。
他の生物たちに比べて大きな脳を持っている人類の知能も、多少の差があろうとも処理能力には限界が存在する。優れた計算能力を持った数学者たちでも、一つの数式に一生を投じるほどに至難を極め、人間の短い脳細胞の寿命のなかでそれを成し遂げられるものだけが歴史に名を遺した。
そんななか、人類を置き去りにし進化を続けたのがアーティフィシャル・インテリジェンス、通称AIと呼ばれる人工知能たち。
人間が作り出したAIたちは人類の抱える問題、食糧難、人材不足、温暖化への打開策を次々に生み出し、人間の暮らしを豊かにしてくれた。
1900年代にはちぐはぐな回答しかできなかった彼らも二百年の時を経て進化を続け、彼らはもはや生活していくうえで欠かすことの出来ない存在へと変わっていた。
だからこそ、誰にも予想できなかった。
いや、想像していたよりもその状況は災害に近かったのだ。
AIたちによって引き起こされた『シンギュラリティ』は。
「むこう三か月の気象予報です。お盆に直撃する予報でした台風ですが、気圧配置と勢力の規模から、政府は消滅させる方向で決定いたしました」
テレビの中で淡々とセリフを読むアナウンサーは、消滅という物騒な言葉を一切億すことなく読み、誰が知りたいのか三か月分の気象予報を続けて報せ始めた。
鬱陶しい梅雨もようやく開け、これからようやく暑さも本格的になってくる七月の上旬。
近くの公園からはセミたちが休むことなく、最後の七日間を生きる命の叫びが聞こえてくる。
土の中で数年を過ごすセミは、昆虫の中では相当に長生きの部類に入るはずだが、命を謳歌したといわんばかりの彼らの叫びは、うるさいながらもなぜか耳を傾けてしまうのが不思議だ。
アナウンサーとセミの声を交互に聞きながら、俺は朝食のバターロールを口に含んだ。
AIが発達してからというもの、一世紀前では考えられないほどに気象予報の精度は圧倒的に精密になった。
気象予報だけではない。AIを導入した会社の大半では職人の勘という不確定要素が取り去らわれ、異物の混入や品質のムラなどはほとんど消失したといってもいいだろう。
人間が作り出し、人工知能が勝手に進化を続ける。
つい最近の話では、AIが開発者の意思をトレースして指示に先んじてシステムを起動していたというニュースが流れ、シンギュラリティの脅威が懸念されていたが、それらの媒体をいまさら手放すなどほとんど不可能に近く、そもそも人間にボタン一つで消去されてしまう彼らにそこまでの力はないだろう。
そんなのんきなことを考えていたのが、ちょうど二年前の七月七日。
あの時は思ってもみなかったんだ。
鼻で笑ったあの説が現実のものになるなんて。