8 実食キノコさん
ダンジョンから出るために渦に飛び込んだところ、意識を取り戻したら鳳凰閣のシンメトリーだがチグハグな建物の庭隅に転がっていた。夜はまだ朝になっていない。帰って金曜日として寝れそうだ。
侵入者に対しては何の意味もない檻を抜けて、家路を急ぐ。手には満点のキノコ。やはり現実なのだなと、独り非現実を現実に知る愉悦を噛み締めながら、誰もいないアパートへと帰る。
ただいま・・・とは決して言わない。言わないと居心地が悪くなるほど習慣化しなかったし、誰そ彼を尋ねるほどの無意味な空想に耽る趣味もなかった。ドアの開閉の音が会話を代替している、ぎぃぎぃと。
(腹減ったな・・・)
手を使うことを前提とした文明たちを抜ける労苦を背負う褒賞として菌糸の肉片をこの手に握りしめてやってきたわけだが、エモいわれぬ芳醇なその香りは鼻腔を刺激して止まなかった。死してなお続く呪い・・・さすがキノコさんだぜ。
とはいえ、木の子は生で食えるかよく知らないし、基本食えない場合や箇所もあることが多い気がするので、とりあえず見た目巨大な本シメジをフライパンでソテーして食ってみることにした。ちなみにブナシメジはシメジではない。
醤油は味が強いので、この怪しげな肉片の味を見るために塩だけで食べてみることにする。毒かもしれないだと?たとえ毒とて、キノコさんの恩義に報いるためには、恵みに感謝し、食すことが肝要である。武士道というは、死ぬことと見付けたり。結局、こんな仕事の状況だと、早く死ぬか遅く死ぬかの違いしかないのだ。会社の先輩は、子を宿した妻が1日実家に行っていて帰宅した際に、冷たくなった姿で発見された。
・・・。
気付いたら、フライパンから直接、夢中でかっこんでいた。
養殖ばかりの色白な腑抜けた日本のスーパーのきのことは別物だ。
これは神の肉だ。
単なる肉塊を宗教的に人間と信じて食べることのできるカニバリズムの極意を予感させながら、キノコさんは俺の喉をエロティカルに滑り落ちていった。
ここで、俺は不意に失神し、意識を何者かに与え、身体は引きっぱなしのせんべい布団にうまいこと落下する。