【序章】 異界逃避行
暗く細い山道を一組の男女が走っていた。年はどちらも10代後半ぐらいだろうか。
もうどれくらい走っただろう。かなりの時間走り続けた気がする。だがそれでも歩を緩めるわけにはいかない。後方を振り返るもあるのは漆黒の闇,そしてはるか彼方に上がる火の手だけだった。少年は双眸にその光景を焼き付けると再び前を向いた。もっと先に行かねば。
その時,少女のほうが口をあけた。
「バロン,もういいから…。先に行きなさい。」
これに対するバロンと呼ばれた少年の答えは一つだった。
「嫌です。」
さらに続けて言う。
「僕はあなたの命を預けられた身だ。これを放棄してしまっては陛下や先生に顔向けできない。」
この答えを聞いて少女の方はため息をついた。
「これ以上わたしのために誰かが犠牲になるのは耐えられないのだけれど…。特にあなたには。」
「大丈夫です。死ぬ気はありませんから。」
疲れを感じさせぬ声でバロンは答えた。
「あなたを無事にトーラまで送り届けさせてもらいますよ。当然僕もいっしょに…!」
バロンが何かに気付き少女を庇いながら横に飛び込むのと,今しがた二人がいた地面が爆発するのはほぼ同時だった。
「おうおう,うまくかわすじゃねぇか。本気であてにいったんだがなぁ。」
火の玉をもてあそびながら一人の灰色の服に身を包んだ男が闇の中から浮かび上がるように出てくる。その後ろからは彼の部下とも思われる能力者たちが20人余り付き従っていた。
「お迎えに上がりましたよー,クオン嬢。」
「ずいぶんなご挨拶ね,ゲイル。城に戻る気はさらさらないからすぐにおかえりいただけると嬉しいかしら。」
クオンと呼ばれた少女が立ち上がって言うとゲイルと呼ばれた男は残念そうに頭を振った。
「精一杯の強がりですねぇ。そうおっしゃると思いましたよ。でももうあなたは今の俺にとって…。」
ゲイルはおもむろに右の掌をクオンの方に向ける。
「何物でもないんだがなぁ!」
「…!」
ゲイルの掌から火球が放たれると同時にクオンの背後にいたバロンが石棒を持って飛び出し火球を叩き消した。その勢いでゲイルめがけて石棒をふるう。だがそこに打つべき男の姿はなかった。
「しまった…!」
バロンが気づいたときはもう遅かった。
「お前が前に出てどうすんだよ。ホント頭わりぃな。あ,動いたらこの場で嬢の首折るぜ。」
ゲイルはすでにクオンを締め上げていた。
「がっ……!」
「こんな使えない従者一人しかついていかないなんて王家も落ちたなぁ。まっ,それも今日で終わるがな。」
ゲイルは部下の方に振り返った。
「おい,この木偶を連れてけ。動いたらその場で絞めていいからな。」
「はっ」
ゲイルの部下たちが近づいてくるのにバロンは動く事が出来なかった。さっきあんな啖呵を切ったばかりだというのに,もうここで終わってしまうのか。また大事なものを失うのか。なにも成すことが出いないままなのか。
色々考えるも動けない。クオンがこっちを見ている。早く逃げろと訴えかけていることはすぐにわかった。でも動けない。
「くそっ…!」
現実と信念に板挟みとなった少年からはその言葉しか出てこなかった。
「あのー。」
その時,この場にそぐわない気の抜けた言葉が飛んできた。
「お取込み中すいません。道あけてもらってもいいですか。」
奇抜な服装をした少年がそこには立っていた。