【e4m2】分離精製
早めに仕上がりました。
家でぼんやりとネットニュースを見ていたら、やたらと教育関連の見出しが挙がっていた。
「高等学校の必履修科目未履修問題……?」
俺ら高校生も、大学のように卒業に必要な教科と、その単位数が定められている。しかし一部の進学校では、受験特化の教育課程が編成され、不要な教科を履修させていなかった(もしくは時数が少なかった)。無論、教育委員会に提出する文書では履修済みで、委員会でもお目こぼしである。管轄下の実績を上げるために、組織ぐるみの悪巧みだった。それをメディアがすっぱ抜いたのが、ことの発端だった。
「へぇ……結構な数の学校が槍玉に上がってるな…………あっ!」
画面をスクロールしていると、にわかに我が校の名が登ってきたのだ。
「……というわけでの」
白衣を着た定年間近の老先生が、面倒臭そうに授業を始めた。
「今日から、普通科とやることになったわい」
朝のホームルームで、急遽夕課外と延長課外の実施が告知された。校内は騒然として、不穏な空気が醸し出された。もう神殿でも立てないと、毎ターンごとに秩序が悪化して、マイナス100の折には、桜カレンが反乱を起こしそうだった。
さしあたり俺らは、化学を70時間履修することになり、今実験室のテーブルにいる。ニコニコ満天顔のメグと、無表情の小早川氏が対面していた。
「バリ嬉しか〜っ! シンと一緒やん♪」
「これ黙りんさい」
わはーっと喚くメグを、たしなめる先生。昨日までは、とっくに部活に勤しんだり帰宅したりする時間だ。不満顔がずらり並んでいる中、喜んでいるのはお前だけだよ。まあ俺も、“小早川氏との接点を増やす”ミッションが進捗しそうで、悪い気はしなかった。
「カレンはどこ?」
「あいつはB組とだって」
てか理系のA組と一緒にされたのはいいが、習熟度違うので、どう授業進めるんだろ? 連中の授業に出席した実績で、履修したことにすんのかね?
「とりあえず基礎の基礎からやろうかの。A組諸君は復習じゃぞ?」
先生は自己紹介もしないで、教科書を開けと指示する。この人ゲームで見たことあるぞ。だからホーキンス博士と呼ぶことにする。実験に失敗して爆発した白髪に、単眼鏡と口ひげが特徴だ。イスから立つのも面倒らしく、自分の手の届く範囲にしか板書しない。高校教師というより、大学教授だった。白衣のボタン掛け違えているし。
かなりいい加減な授業だが、校長より年上と思われるので、誰も口出しできないんだろう。まあ、俺はラッキーだ、こんな大雑把な先生で。ぼんやりそんなことを考えていると――
「小早川クン、ここに砂利の混じった海水がある。この混合物を、できる限り分離精製してみい」
躊躇もせず氏を指名した。多分彼女は、先生のお気に入りだな。
「さっき同じことをやらせたが、面白いのがいての。海水から砂利を捨てて、『ミッション完了!』と喚いてな」
「それきっとキャレンばい」
「だな。バカ過ぎてすぐわかる」
メグと他愛ない雑談をしている内に、小早川氏はテキパキと作業を進めていた。
まず濾紙を使って、海水から砂利を濾した。次に海水をバーナーで蒸発させて、塩を取り出した。そして、同じ海水を蒸留・冷却後に純粋な水を取り出した。一方、砂利に磁石を近づけて砂鉄を取り出す。それに塩酸を加え、検出試薬によって濃青の沈殿物を作り、それが鉄であることを証明した。また、残った砂利にも塩酸を加え、溶けた溶液をバーナーに入れて赤橙の炎色反応を示し、それがカルシウムであることを示した。
「うむうむ」
老教師は満足そうに頷いた。小早川氏は無表情だったが、彼を見て、自分もまんざらでもなさそうだった。すげぇな。これが模範解答なんだろうが、俺がやれと言われたら、脳味噌スポンジヒロインと同じになっただろう。まあ、俺は恥ずかしくて『ミッション完了!』とは喚かないが。
その後、老先生は視聴覚教材も加えて、極めて適当に授業を進めた。
「諸君は成績が気になっておろ? 試験はせにゃいかんが、ワシはレポートを重視する。内容はなんでも良い。自由に課題を見つけて考察したまえ。ただ教科書に載っとるような、つまらんことをしても評価は出さん。突飛なことでも良い、ワシが読んで興味深いものにしてくれ。期限は成績締切日前ならいつでもよい。明日から受け付けよう」
ガンッ! と同好会室のドアが蹴り開けられた。
「ったく、なんで朝夕3時間も課外があんのよっ!」
こっわ……何もしてねーのに怒り心頭だぞ。それにドアが、お前の足跡でベッコベコじゃん。
「お、今日もささみいんの?」
そう。メモに走り書きをして、早速レポートの構想をしていた。さっさと終わらせたい、ではなく、明らかに楽しんでいでいるな。
「お前の化学担当も、ホーキンス博士だろ? 厳しくなくて良かったと思えよ」
「ホーキンス? あーおじいちゃんね。そ。当たりかもしんない。もう1人の若けぇのは、受験受験で超ウザいらしいし。ってもうアンタレポートやってん?」
カレンのボリューム大の声なんて、小鳥の囀りと言わんばかりの涼しげな表情で、シャーペンを軽やかに走らせている。淡い青の高級文具で、オシャレな彼女に華を添えていた。
「レポート重視だっけ? けどテーマが自由すぎて困るー。総合じゃん」
「それな。指定されれば、それやっていればいいし。化学的で、しかも博士が読んでて面白いのか……」
「メグいいなー。車の知識で、どんだけでも書けるっしょ?」
確かに。けど彼女、英語と自動車工学以外成績悪いと言ってたな。
「アトミックトースター作ればいいかもしんない。けど、どこで放射性物質買うんだろ? シルクロード?」
「閉鎖したから無理だろ……てか、そんなの作ろうとするな」
「じゃあヨーツーバーがやってる、面白実験動画をパパッと撮影したらどう?」
「科学的探究活動しないと、先生の評価は厳しい」
俺らの雑談など、聞いてもいない風だったが、しっかり入っているのな。小早川氏は頬杖をつき、目線はメモに落として、どこか艶かしさがあった。
「なんなの、その科学的なんとかって」
「課題の設定、事前調査、仮説、調査・観察・実験の計画、および実施、結果の整理、考察、報告・発表、新たな課題の設定」
「うげぇ超面倒クセー。やっぱアトミックトースターだわ」
苦々しい顔をするカレンに対して、あえて突っ込まない小早川氏。
「科学の基礎はとても大事。貴女が言った面白実験、テーマとしてはアリなんじゃない?」
「だぁかぁらぁ、体裁を整えるのがウザいのよー。もーCT-90a並みにウザい。ってアンタ何ニヤニヤしてんのよ?」
「してねーよ」
「また人を馬鹿にして……アンタもレポート書くんですけどぉ⁉︎」
そうでした。今まで俺は、『このバカとは違う』と信じて疑わなかったが、エピソードの素行や考え方からして、『それほど違わないんじゃ? むしろ似ているんじゃ?』と疑問を抱くようになった。さっきの砂利入りの海水の分離実験が、身近な例だ。
「ちょっとささみ、アンタ知恵貸してよ」
「だな。鹿島も言ってたろ? お前のとの接点増やせって。それだと思って頼むわ」
そこで彼女は、シャーペンをそっと離して、俺らの方に顔を向けた。
「自分のアドバイスは、有料コンテンツだけど?」
俺とカレンは顔を見合わせた。『本気なん?』『知るか』そう視線でやり取りした。
「冗談よ冗談」
氏も俺らの目線会話を盗み見していたらしく、すぐに撤回した。しかし、声も顔も全然笑っていなかった。
次からは、またお馬鹿イベントが続きます。ちょっと時間をください。