【e3m21】Salvation
ネットに繋げなくて時間が開きました。申し訳ないです。
週明けの放課後、懲りずにガレージにいた。いつもの仕事に加え、あの紫の修理、そして今日はダッドの“足”でもある。知らない人に説明すると、痛風は主に足が腫れ上がって、歩けないほどの激痛が起こるが、それ以外は健康体なのだ。
『100%オレンジジュースを持ってこいっ!』
『マックスとレキシに電話してくれっ!』
『オレの遺書が有効か確認しろっ!』
状態異常のダッドは、暇で暇でしょうがなく、ずっとマムに喚き散らしていたらしい。手を焼いた彼女が、もう仕事させた方がマシと、キャスター付きのイスに積載して、ガレージに放り出したのだ。
「Ugh! XXXX!」
痛みが走るたび、Fワードを乱発するダッド。その両足の親指付け根には、湿布が貼ってある。風が吹いても痛いらしいが、確かに赤く腫れ上がっていた。
「熱がこもってズキズキ疼いて、たまんねぇ……」
あっちこっちにウェイポイントを出すので、言われるまま移動する。タトゥ彫りの大柄な男が、小さなイスに猫背で座って、それを学生が押している姿って、はたから見てシュールだ。そんな1発ネタシミュレーターが200円で売ってそう。
「薬やペインキラーは処方してもらいました?」
「医者は嫌ぇだ……」
手に負えんわ。鹿島もさ、この仏頂面に痛風対策を説いたらしいが、馬耳東風だったろう。
「昨日ナースの小娘がいただろう?」
「ナース? ああ鹿島ですか?」
「いいことを聞いた。患部を氷で冷やせとか、心臓より高くして鬱血を防げとか。じっとしてろとも言いやがったが、そりゃ無理だ……」
だからここにいるわけで。
「ヘイ、オメェのやった仕事を見せやがれ」
「あ、はいぃ」
とっさに思い出した。カレンがやらかした旧車は黙っていよう。クラッチディスクとクラッチプレッシャープレートをやっつけ交換したので、大丈夫……のはず。けど、この人が乗ったら、すぐに違和感を察知しそうで、後々怖い。
俺が渡した修理票をペラペラ見て、しかめっ面になるダッド。いや、もともとしかめっ面だけど、その色合いが濃くなった。
「なんでぇ? エレメント交換、タイヤローテション、ブレーキパッド交換だぁ? そんなんばっかじゃねぇか」
「すいません。レベルの高い依頼は達成できないので……確認お願いします」
「しゃらくせぇ」
アドバイザー欄に次々に押印し、どんどん出庫させるダッド。作業が足にくるからだろう。あーあ、俺知らないぞ? 責任はガレージだからな?
ガレージ内に溜まっていた車が、消え失せてスッキリした。自分の大切な車を除いて。昨日カレンがぶん回したマッスルカーもあった。あいつ乱暴に扱いすぎて、リアタイヤ1本をパァにしたんだよ。
「シビーをバーストさせた小娘もいただろう?」
「は、はい……す、すいません」
「あ? ありゃ、なかなか度胸がありやがる。最初は、勝手に乗り回しやがってと怒りもしたが、レイナと同じ年で、あそこまでエンジン回して、コーナー攻め込む女はいねぇ」
ガレージ中にジムカーナみたいな音がずっとしてたからな。ダッドが気づかないわけがない。
「それに、いい目をしてやがった……あいつぁ、嫌いじゃねぇぜ」
きっと愛娘に輪を掛けた胆力の持ち主だからだろう。ダッドはそんな女性が好きなのな。よかったなカレン、宇宙海兵隊みたいな男に気に入られたぞ。
「ガキ。オメェみたいにナヨナヨしてんのが一番嫌ぇだ」
「すいません」
「ヘッ、謝るだけなら猿でもできらぁ。おい、さっさとあのエンジンクレーンに行きやがれ。クリーニングの途中だったんだ、はやくしろ」
「はい」
「オメェはオメェの仕事やりな。オレがヤメとけつっても聞かなかったんだろ?」
後ろからだと、彼の顔が見れないが、やってる事は全てお見通しのようだった。そして咎めもしなかった。その理由をわかっているからだろうか? 気まずくなって話題を変えた。
「ミーガンさん、どうしてます?」
「ああ? 知らねえな。部屋にいるかもわからねぇ」
「……」
「鬱ぎ込むのも構わねぇが、限度がある。いい加減仕事に戻ってもらわねぇと。けど、年頃の娘にどうすればいいのかわかんねぇ。いつもなら減らず口叩いてりゃよかったけど、あんなになっちまったらな。オレはマリーンと機械いじりしかしてねぇんで……」
柄にもなく弱気だった。
「ガキ、ちょっとこっちに来い……オメェはレイナのお気に入りらしいな? そうなんだろ?」
最初の自己紹介の時、メグは言った。まあ、出まかせのホラだが。
「あいつぁよ、もう一人前のメカニックだ。必要な手ほどきは、ほとんど身につけちまってる。だから、今回のことも克服できるだろう……だがよ、今はちっとばっかり自信を失ってやがる」
「……」
「オメェがレイナを支えてやれ。本来なら、ワイフがやるべきだろうが、あいつぁ弁護士と折衝で頭抱えてやがる。きっと奴もオメェに期待している」
「ええ、やってみます」
「なんでぇ? その平然としたツラはよぉ? 頼りになるのかならねぇのか、わかんねぇ野郎だ……」
とりあえず、ダッドから依頼を持ちかけられた。ヒロインの救済は、俺のエピソードミッションだから、当然拒否する理由はない。そうしないと先に進めないからな。もう3回目なんで、時期も要領もわかってきた。
しかし、その依頼主が保護者となると、責任を感じるな。カレンの時は、発見するのが目的で、説得までは期待されていなかったから。
「ただし――」
「え?」
「レイナに手ェ出すなよ?」
そうするつもりは露ほどもないが、ネイルガンで釘を刺された気分だった……。
「やっぱ来たね」
正面の海を見据えたまま、メグは切り出した。
「俺は主人公らしいのよ。だからお前のいる場所はわかるんだ。んなことはどうでもいい、そろそろ心配でね」
そう、今回もマップを開いてヒロインの場所を探し当てたのだ。どんな理屈か知らんが、役に立つ機能だよな。
「サンクス。もうダイジョーブ」
そういうものの、端正な横顔を見るに、とても大丈夫とは思えない。
「あんね、マムと一緒に相手ん事務所まで行ったと。訴訟は取り下げになった。示談になったけん、もう心配せんでよか」
「え? そりゃよかったじゃん」
「話聞いとるやろーけど、あん紫やっぱ任意保険掛けとらんやった。事故被害者に医療費が払えん。やけん、ウチが直接見舞金を出す条件で和解ばする」
「……それで納得してんの?」
「しとるわけなかろーもん。どげん考えても腹たつ。ばってんくさ、泣き寝入りする人ば思うと、無下にできん。あんバカップルの無い袖ば振らせるこつできんし、下手したら行方くらますやろ。金ん無かモンは、よう変なこつすっけんね」
「支払い能力なくても、工面する術はあるだろ?」
「うん。やけんあんカップルも、月々に少額賠償する。でもくさ、よー考えたら、ダッドがニュートラルにしたつに、我ば張って鬼キャンに戻したつがいかんやった。やけんウチの責任たい。そう考えるなら、自分の貯金が治療費に当てられるのも納得できるー。ガレージも大ごとにならんし、それに越したことはなか」
「え……自腹切ったの⁉︎」
「うん」
マムの説得もガレージのお金も突っぱねたのだろう。本来なら保護者の責任になるのだろうが、ダッドはメグを一人前として扱っていた。直接そう言ったわけではなさそうだが、もう彼女も内心理解していたのだろう。
彼女の自己決定に、俺は当然口出しできない。だけど、メグが割を食って万事解決したようで、モヤモヤが晴れなかった。
「あーあ! せっかくコツコツ貯めとったんが、パァんなったー」
それを吹っ飛ばすように、快活な声を出す。そして、やっとこっちを向いた。無理やり作る笑顔が痛々しい。
「シン覚えとー? ウチにくさ、あん小っちゃかジープん似合っとーて言うてくれたやん? バリ嬉しかった。ほんなこつ。ウチも好いとったし、シンに言われたけんくさ、近いうちに状態ん良かつば買うて、シンといじくり回して、一緒に山にでんBBQばしに行ったら、そら楽しかろーて考えとった」
過ぎ去った時間はもちろん、未来のそれまで潰されたようで、今まで平静を装っていた彼女の声に、潤みが滲み始めていた。
「アメリカん輸入パーツんサイトばずーっと見とって、あれは買える、これは自作とか計画上げて、カラーリング変えて、キャレンたちはトレーラーに詰め込んで……次はどこ行こか、そげんかこつば考えて、ワクワクしとったとばってん……ばってん……」
彼女は俺を見ているようで、そうではなかった。将来の楽しみが思い浮かんでは消え、思い浮かんでは消えているのだ。そして、ついに涙腺が決壊した……。
「全部オシャカやん! バリ腹立つ! あんカップルじゃなか、ウチにグラグラすっと! なしてあん時ダッドの言うこつば聞かんやったっちゃろ? バカやん!」
「そんな責めるなよ……失敗がない人はいないだろ?」
「そーやけど、やってよかミスといかんミスがあるやろ⁉︎」
俺はさ、あくまで第三者なんで実感がわかない。けど、メグは弁護士から、事故被害者の状態なんかを聞いたんだろう。あんな怪我人が出たなら、確かに“やってはいけないミス”だった。
浜辺沿いの散歩道を行き交う人の視線が、徐々に気になっていた。メグが抑えきれず声を上げているので、物見根性で立ち止まっている人もいる。撮影でもされたら、たまったもんじゃない。
「とりあえずさ、一緒にガレージ帰ろう?」
「No way! ダッドに合わせる顔んなか!」
「心配してたぞ? 『どうすればいいのかわかんねぇ』って弱音吐いてたし」
「あん堅物が、シンにそげんかこついうわけなかやろ? ダッドもあれから全然声かけてくれん。馬鹿な女だ、もう辞めちまえとでも思っとーやろ?」
「そんなわけn――」
「もうやめーシン! そげん嘘ばつくと、余計辛か! シンもほんとは呆れとるくせにぃ!」
「ちょっと待――」
「もうウチ、エンジ辞めっけん! お金とそれでケジメばつける」
「えええ⁉︎ またそれ?」
メグ、砂浜からすっと立ち上がった。これはヒロイン退出の兆しだ! 何とか連れ帰らないと。
俺はとっさに手を伸ばすが、ひらりと躱され、そのまま走り出す。俺も足を踏み出すが――
「STOP! ウチ、シンの来るのば見越して、こん砂浜に地雷ば埋めとー」
「えッ⁉︎」
「Bye」
去っていくメグを、追跡できなかった。
地雷を踏めば、フラグ確定だからな。解除にはエンジニアが必要だが、当然メグは助けてくれまい。大きく迂回するか? そうしたら、もう追いつけまい。メグに伸ばした手をだらんと下ろす。彼女の姿は小さくなり消えた。
「ミッション失敗」
「……そうっすね」
遅かれ早かれ、小早川氏が登場してくるなと予想していたが、果たしてそうだった。どんな責め句が連なるかと覚悟していたが――
「ごめん」
と、それだけだった。ポーカーフェイスなのは変わりなく、謝意がこもっているのかいないのかわからないが。
「は? 何を?」
「自分も出たかった。できなかった」
「いーよ。俺のミッションなんだし」
「自分はこんなの苦手。ずっと避けてた。ごめん」
「俺だって苦手だ。気にすんなって。それよりさ、双眼鏡かしてくんね? 持ってんだろ?」
少し首を傾げたものの、無言で渡してくれた。
それを覗き込み、あたりを見回す。こうやって設置された地雷を検知するのだ。コンバットソフトボールの時のように、Mの印字された小旗が立つはず。
「……げっ、一杯食わされた」
そらそうだ。カレンじゃあるまいし、メグが公共の場で危険物を敷設するかよ。
「ありがとよ。何もねぇわ」
「……それ、あげる」
「え? いらんぞ」
「自分、たくさんあるから」
マジか。スナイパーというクラス柄、いろいろ持っているのだろう。
「それに失われたアイテムでしょう? とにかく、もらって」
そうですか、じゃありがたく頂こう。
!失われたアイテムを回収した!【双眼鏡】
「じゃ、これで……」
「あ、おい」
ふんわりと毛先がカールした髪をなびかせて去ろうとしたのを、思わず呼び止めてしまった。ほとんど表情は変わらないが、キョトンとしているようにも見える。
「途中まで一緒帰らね?」
「……ええ」
対岸のビル群は電灯を灯した黒い影になり、その背景には美しいマジックアワーができていた。だが、俺はそんな風景に見惚れる気分ではなかった。当然、小早川氏と喋る気も起こらなかった。彼女も話しかけるそぶりすら見せない。ただ隣に歩いているだけ。1人で帰っても良かった? いや、誰かそばにいて欲しかった。そうしないと深刻に考えてしまうから。しかし彼女の無言の温かみも駅の改札口までで――
「自分、あっちだから」
「ああ」
目も合わせずにスタスタと別れた。結局何1つ言葉を交わさなかったが、多少救われた気がした。
結局、ダッドからの依頼は失敗となってしまった。ただゲームだと、失敗しても再挑戦が可能だ。なので――
「明日もう一度請負に行くか……」
そう決めて、帰路に着いた。
ゲーミングチェアを平らにして、蛍光灯に手の甲をかざしていた。
『ウチん手ば見てんね。傷だらけやろ? ばってんダッドは好いとーって言ってくれると』
いつだったかな? 確か……メグん家のゲストルームで、猛勉強をしていた時だ。何かの拍子で、彼女は自分の手を見せてくれた。
『グローブとスキンケアば毎日しとるとばってん、水と油に触れん日はなかけんね。ぱっくり割れると痛かし、絆創膏つけっと動きにっかし。特に冬が好かん』
メグは俺の手を取って、自分のとまじまじと見比べていた。決して酷いわけではないが、仕事上手荒れは避けられない。努力の代償というわけだ。メグは少し寂しげに笑いかけた。
『シンの方が綺麗かー。「気にすんじゃねぇ」て励ましてくれるとばってん、ウチも女子やしね』
俺を見ながらはにかんだ。俺の手は取ったままだ。あの時勢いで言ってしまったが、今更赤面してしまう。
「俺もお前の手が好きだ」
『ありがと。シンもそげん言ってくれて嬉しかー』
きれいに矯正した白い歯がちらりと見える、あの微笑みが忘れられない。俺さ、いっつも“笑顔”とか“笑う”とかの乏しい語彙でしか表現できないが、メグのことを思い出すと、必ず多種多様の笑顔が伴ってくる。元々欧米の気質があるのかもしれないけど、感情を隠さず素直に表に出すメグが羨ましいし、俺はそんな彼女が好きだ。
唐揚げパンウォーフェアで初めて会った時は、既にフレンドのように懇意に笑いかけた。
コンバットソフトで兵員輸送車を運転した時は、背筋が凍るニヤつき方だった。
ステルスミッション(笑)の時は、自信ありげに笑ってたな。
俺がガレージで転んだ時は、ボリュームマックスで大笑いした。
メンテで俺がミスを指摘した時は、慌てふためきながら笑っていた。
『Bye』
さっきこう言われた時でさえ、口元は笑っていた。目尻に“スコール”の跡筋が残ってはいたが、すぐに突発的な雨模様は消えた。実にメグらしかった。
「さて……勉強に戻るか」
チェアのリクライニングを上げ、メカニックの教本に再度向き合う。内容が頭に入っているかと問われると、ちょっと怪しいが、ほとんど読破した。ただし、ミントの香りは既に朽ち果て、既に俺の家の物として馴染んでいる。メグの落書きと“Roadmaster123”というハンドルネームだけが、彼女の所有物として主張していた。
次がラストになります。ほとんど書いているので、そんなに時間はかからないでしょう。お待ちください。