【e3m18】Roll into another trouble
遅れました。
その週の休日、俺と小早川氏はガレージに向かっていた。約束したわけではなく、偶然に駅で出会ったのだ。突如、後ろから――
「自分も行く」
と声をかけられた。俺は単にメグに会いたかっただけだが、小早川氏もそうだろう。以後、視線も言葉も交わさず、2人で歩いている。
妙にソワソワする。最初その理由がわからずにいたが、よく彼女の姿を見れば、一目瞭然だった。初夏に合わせた水色のワンピースに、控えめなネックレスを添え、サンダルから出ている爪には、ペディキュアが塗られている。トレードマークといえる、派手なヘアクリップも健在。時折ふんわりした髪をかき上げると、イアリングがちらり。編み物のバッグをぶら下げているが、ウェルロッドが入っているのだろう。制服では感じられない、うら若き乙女らしさがあった。
以前、教師に付け回されたコンビニを通り過ぎる。すると、顔をまっすぐ据えたままの氏が、独り言でも言うように話しかけてくる。
「ねえ」
「ん?」
「貴方、なにか言われた?」
「は?」
「ここで一悶着あったことよ」
「ここで? ああ……」
彼女の言葉には、省略や跳躍が多少含まれている。だから、記憶を遡る必要があり、また論理も補わないといけない。
「担任から怪しまれたぐらいかぁ? 寝坊とすっとぼけたけど」
「そう」
「そっちは?」
「同じ。けど自分は気が向いた時に登校するから」
重役出勤か、そりゃいいご身分で。
ガレージ敷地内に入ると、ある車に釘付けになった。キャリアカーに載っているあれ……。ギラついた紫と、ベシャベシャになったリア。あの事故車じゃないか! それから醸し出される、嫌な予感をひしひしと受けていると、小早川氏の歩みが遅くなった。その顔は、そこはかとなく険しい。
「?」
俺が何も気づいていないと理解したのだろう。彼女は、掌を俺の胸に当てて、制止させた。
「WHY in the name of all the holy did they do that!」
メグの声が、半開きの扉から漏れてくる。いや漏れてくると言うより、あぶれ出てくると評した方がいい。状況はわからない。わからないが、憤懣が濃く含まれている。
「なん言いよっと! いつもんダットと違うやん! なしてそげんそらごつに黙っとっと⁉︎ ぐらぐらすー! あんだけサービスばして、こげんか仕打ちとかわけわからん! ウチが1発食らしたる!」
カレンの速射砲に似た感情をぶっ放すと、メグは程なくガレージからズンズン大股で出てきた。俺らと目が合った。恥ずかしさの余りにプイとして、そのまま走り出した。気まずい所に鉢合わせした。
「ミーガン」
小早川氏の声は、虚しく消え去った。そして、彼女が家に入るまで見送る他なかった。視線を戻すと、ダッドが入口の柱に寄りかかってタバコを吹かしていた。ストーリー的に、もう彼に話しかけるしかなかった。
「あ……おはようございます。ミーガンさ――」
「帰れ」
膠にもない返事だ。これさ、もうモブキャラのように同じ台詞しか吐かないので、何回語りかけても無駄だろう。下手したら敵対状態になって、襲いかかってくるかもしれん。
「はぁ……帰ろか」
がっくり肩を落として、そう小早川氏に伝える。彼女も余計なお節介はしたくなかろうて。
「社長」
違った。彼女はしっかりダッドを捉えていた。対する彼も、目の前の小娘を認識している。酷いな、俺には目も合わせないのに。
「ミーガン、どうしたの?」
「家の問題だ。帰ってくれ」
「……わかった」
一拍置き、あっさり承認。この2人、言葉を交わす仲なのな。お互い関心がないようだけど。
「その代わり来月のリースは、延長しない」
ダッドの色が豹変した。
「そ、そいつぁ困る!」
「自分の家族は困らない。さよなら」
踵を返してさっさと帰る氏の前に、立ちはだかるダッド。なんか、今までの頑固一徹のイメージが崩れていく。
「お嬢! ただでさえ店仕舞いの危機なのに、んなこと言われても……」
「この辺り、ディーラーがたくさんあるじゃない。今から見に行く。どいて」
「わ、わかった。わかったから勘弁……」
やりとりから察するに、小早川家はガレージの顧客だろうか? 流石の頑固者も、実入りが悪くなるのには、堪えるのだろう。ダッドは、頭をボリボリ掻き、訥々と切り出した。
「実ァ、さっき変なスーツがやってきやがって……」
彼は口下手なので、時事が流転したり、感情が入りすぎたりする。加えて家業の揉め事なので、当然口調も重い。顔も苦々しく、シワが余計深く見え、老けたように見えた。
「え? 裁判⁉︎」
要は、あの事故車のオーナーが、メイヤーズを訴訟するかもしれない。“変なスーツ”とは、弁護士だそうだ。
「けど、どこにも訴えられる咎はないでしょう?」
あの紫には、低予算の中、俺とメグが中古パーツを探し、できる限りのメンテを施した。当然、最終チェックはダッドの責任で出庫させた。
「あの馬鹿げたキャンバーだ。あれが事故原因と言ってやがる」
「けど、あれは元からですよね?」
あの時、ダッドは『ニュートラルに戻しとけ』と勧めた。しかしメグは、『一度痛い目に合えばいい』と、頑なに主張していた。実はそれには続きがあって、ダッドがオークションから帰った後、自らキャンバー角をニュートラルに戻したのだ。それに腹立てたメグが、再度おもいっきり鬼キャンに仕立てて、オーナーに返したわけだ。
要は親娘の意地の張り合いだが、納品・請求明細書には“サスペンション角の調整”と記載しており、オーナーはそこをメイヤーズの瑕疵として突いたのだ。事故責任の一部に、メイヤーズも含まれると。
「言いがかりにしても酷すぎる。けどなんでまた……?」
「通常あの手の輩は、任意保険に入ってねぇ。大方、事故被害者に充当する医療費を狙っての賭けだろう。けっ、『違法改造を世に問うか考えている』と、ワイフに抜かしたそうだ」
まさにメグの言う『ぐらぐらすー』だ! 自らの失態に、メイヤーズを巻き込みやがって……! 別に恩を着せるつもりはないが、仇で返してきやがった。
「詳しい事はわからねぇ。オレァ裏にいたからよ」
弁護士には、マムが対応したらしい。そして今彼女は、詳細を聞くために相手の法律事務所に出向いている。メグとダッドがガレージにいて良かったよ。その場にいたら、逆上して殴りかかっていただろう。
「もう十分だろ? 帰ってくれ。電話鳴ってる」
小早川氏をちらりと見ると、小さく頷いた。俺も十分事情がわかったので、満足した。
「失礼します」
慰めもかけれないのが悔しかった。事実、なにも力添えできないからな。敷地を出る前、今一度ダッドを見ると、ちょうどタバコを靴でもみ消して、ガレージに消えていく所だった。背中がうなだれていて、やけにもの寂しげだった。
「ねぇ」
「ん?」
「今の話、自分にはよくわからない。説明が要る」
苦笑い。俺は内情を知っていたから、理解できたが、部外者の氏にはてんでだろう。ダッドが、その辺配慮をして喋っていたわけじゃないし。
「どこから話したらいいかね?」
「ネガキャン」
そこか。こんなオシャレ女子には、定めて退屈なトピックだろう。
「えっと、車を正面から見て、タイヤが“ハ”の字の角度なるように、サスペンションを調整するんだよ……あ、あんな感じ」
偶然、後輪をネガキャンにしているセダンが通りかかったので、彼女に示してやる。
「あれじゃ走行に不安定じゃない」
「だろ? 本来タイヤと道路の接地面はハガキ1枚分で、角度をつけるとさらに小さくなる。ガレージに、例の事故車あったろ? アレはもっと酷くてね」
「ふうん……」
「そもそもネガティブにする理由なんだが、車が曲がる時、コーナーの外側に強い遠心力がかかって車体が沈みこむのだが……ってつまらんだろこんな話?」
「全然」
いつもなら茫漠と、目も合わせず、話も聞いているかわからん氏だ。けどこの話題に関しては、俺を見据えて、続きを待っていた。
「こんな話、大丈夫」
大丈夫どころじゃない。大好物って顔している。そういえばA組って理系だったな。俺の家を半壊した爆弾を、すぐに識別したしな……。それから、簡単にコーナにおける車の挙動と荷重移動を説明した。彼女は、簡単に理解した態だった。悔しいな。俺はさ、何度も本を読んで、やっとわかったような感じになっているのに。
「結局、どう事故ったのかは知らん。多分コーナー曲がり損ねているんだろうけど。オーナーは、行き過ぎたキャンバー角が原因とみているらしい」
「……じゃ施工前の証明があればいい?」
「ダメだね。あの車、元々記録簿とか無かったし。それに、最終的にメグが調整しているし。それが絶対原因じゃない、とはいえない」
そもそも事故は、運転者の責任だ。けど、あちらさんにとっては、“レース用にメンテしてくれ”と依頼した結果こうなったので、責任の一部を擦り付けてくる旨なのだ。俺は判例を知らないが、社会通念上、オーナーが裁判で勝てる見込みは小さいと思う。ダッドが言うように、医療費をせしめる1つの賭けだろう。
「違法改造を世に問うか考えている……ね」
「要は脅しだな」
「なら、争えばいい」
「別の悪材料があるから、係争になるとまずい」
「?」
それは、“メグが働いている”という公然の秘密だ。ただ、公に嗅ぎつけられるとまずい。労働監査が入って大ごとになると、店の信用は失墜だ。たかが“家業を手伝っていた”が、“無資格の未成年が労働させられていた”になってしまう。最悪ネットに拡散すれば、2度と消せない。
そうなれば、取引相手も御用沙汰のガレージと縁切りだろう。誰だって、悪評立つ会社と関わりたくないもんだ。
「それにさ、あの車のメンテには、俺も関与したんだよ」
こんな結果になろうとは、つくづく恨めしい。
だからマムは足繁く出張し、事情を説明した。一方職員室は、今までお目こぼしだったメグの就労を、俺もろとも罰した。あの時は、やたら無用な処置と腹を立てたが、今となっては、その敏感なリスク察知能力に舌を巻くばかりだ。何か起こった場合にも、教育的指導や文書の準備は既に終えているから。
弁護士とオーナーが、この秘密を知ってるとは思えない。だが係争中に、もしも俺らの無資格就労を察知した場合、キャンバー角より、こちらも争点を据えて責め立てるだろう。
「どうする?」
「どうもこうも、これはメイヤー家の問題だからな。俺らがおこがましく言える立場じゃないだろ?」
子どもの浅知恵でなんとかなる問題じゃない。なにかしてやりたい気持ちはあるが、何もできそうになかった。唯一できることは、黙って事の推移を見守ることだった。
「静観するしかねぇな……」
重い足取りを続けている内に、駅に着いた。
「自分、あっちだから」
「おう」
簡単に言葉を交わし、お互いさっていく。氏は2つ向こうのプラットフォームに現れた。しかし、もう目も合わせてくれなかった。他人だった。
今回も読んでくれてありがとうございました。