【e3m16】ドリームレベル
やっと消去分まで書き直しました。何度も補足していて遅くなりました。
「失礼しました……」
放課後、ほうほうの態で職員室を後にした。
やっっっと書類が通った……。もうね、嫌がらせのように訂正を食らった。誤字脱字はまあ理解できる。だが字が汚いとか、ここは1字分開けるとか、しょーもないこだわりにゲンナリした。たかが内部文書に、何故あそこまで時間を無駄にするのか? もうね、教師の形式主義に――
「あ、出てきた」
頭の中が不平不満で一杯になっていた所、馴染みの声が聞こえた。ふと顔を上げると、栗色ボブヘアーの女子が、廊下の隅で待っていた。目立たない場所だ。俺もお前同様、大手を振って歩けなくなったよ。今後、教師は訝しげな目で睨みつけ、疑惑メーターを徐々に貯めるかもな。
「どうだったん? あーだこーだ重箱の隅つつかれて、書き直しでしょ?」
「さすが経験者だな、ご察しの通り。けど終わった」
「そっか、お疲れー」
こいつから労いの言葉を頂戴するなんて、珍しいこともあるもんだ。
「あのさ、今から付き合わない?」
俺とカレンは、繁華街の大型家電量販店にいた。もちろん、PCパーツコーナーだ。
「どれにしよっかな〜?」
と目を皿にして見ているのは、ゲーミングモニター。同じ製品で3画面揃えるつもりだ。今までお古の1画面を繋げていていたが、『大きさも色合いも全然違う』と、時々不満を漏らしていた。ついに決断するか、贅沢な奴よ。
「なあ、3画面にするのはいいが、それだけグラボの能力食うんだぞ? わかってんのか?」
「あのグラボ買った」
「マジッ⁉︎」
振り返らず、さらっとのたまいやがる。エピソード1で、地元PCショップのショーケースに顔ベタ付けして、物欲しそうにしてた、あのVoodoo RS Arcane Magicをか? もはや型番すら省かれたウルトラハイエンドモデルで、開発コードネームは、“貧乏人はコンシューマ機でやってろ”と揶揄られてる奴をか⁉︎
「うん。そしたらさ、ゲーム頻繁にブラックアウトして、電源まで買う羽目になったけど」
呆れた。普通そこまで高い買い物すると、物欲は鎮火するものだ。しかし、鎮るどころか延焼してやがる。この馬鹿のことだ、きっとゲーミングモニターの広告に煽られて、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
「パネルってさ、TNTとIPSとVAがあんじゃん? FPSゲーマーはTNTなんしょ?」
それ火薬だろ……。
「その中でも、リフレッシュレートが高いのがヌルヌルなのよね。ネイティブ240hzとか」
「対戦やるならな」
「大きさは?」
「3つ並べる奴に言ってもしょうがないが、24インチ」
「なんで? 同じ解像度なら大きいのが有利じゃん?」
「目とモニターの距離を考えろ。27以上は視野に収まらん」
「首回せばいーじゃん」
「回せば反対が死角になるわけで」
「アハハ、相変わらず頭堅ーい」
軽く嘲笑される。チッ、人のアドバイスをバカにするなら、最初から聞くな!
「ねーこの反応速度って何の? GtG? 高い方がいいの?」
「知らねーよ、自分でググれ」
「何コイツ、勝手に不貞腐れてウザすぎ……なになに? 画面が黒白黒と変化するときの時間が、どーたらこーたらで、あ〜メンドくさ! ゲーミングモニターは全部1msだからいーや」
相変わらず頭が弱いな……こう口に出せば、場所も弁えずにフラグされるので、心の中にしまっておく。
「あ、4Kモニター。すげぇ、マジ綺麗……」
「お前のグラボ、こういうのに向いてるんじゃね?」
最近のハイエンドグラボは、フルHDより4K向けだからな。この展示用モニターの精緻な解像度、豊かな色合いは、確かに目を見張るものがある。しかし、それを動かしているパソコン、特にグラボの性能が低いようで、フレームレートが出せていない。シングルプレイヤーモードで遊ぶなら許容できるが、マルチの対戦だったら耐えられんな。
「今度このモニターもねだってみよう」
親父さん、あまり娘を甘やかすとダメですよ? その後、カレンは24インチ・240hzリフレッシュレートのゲーミングモニターを3台購入した。あの外部切り替えスイッチは良さげだ。輝度や色合いのプロファイルを保存して、1発で切り替えるんだろ?
「配達は結構です。持って帰ります」
「えっ⁉︎」
俺と店員さんは、同時に声を上げた。
「なによぅ? 明日とか明後日とか待てるわけないじゃん? アタシ1台持つから、アンタ2台ね?」
カレェン……当たり前のように俺は荷持ちかよ? 連れてこられた理由はこれですね?
「めっちゃ痺れた……」
対面4人掛けの座席を占領し、俺は感覚が無くなった両手を、ブルブル振った。
「アンタ壊してない? さっき改札口でめっちゃぶつけたし」
「知るかよ、自分のモニターじゃねーし。騙されて連れてこられた挙句、小間使いじゃぞんざいにもなるぜ」
「もし壊れてたらアンタの所有財産、全部質屋逝きだから……」
と前のめりにMP40を胸に突きつけた。ちょうどその時、車掌さんが通りかかった。何事かという顔だった。
「あ……アハハ、冗談で〜す」
カレンはサブマシンガンをしまって、どっかりとクッションに坐り直す。
「話は変わるけど、最近さ、eスポーツカフェができてんのよ」
へぇ。色ぬりゲームでボコられて以来、やけにおとなしいなと怪しんでいたが、そんな事に目を付けていましたか。俺はガチ勢じゃないから、そんなのは初耳だ。首都圏から離れた、こんな地方都市にあるなんて。
「近くはないんだけど、今度アンタも行ってみない?」
「…………」
カレンは、俺が無表情で何も言い返さないのが嫌いだ。決断に永遠の時間をかけるとか、どうでもいいことまで深く考えるとか、とにかくパッと決められないのがイライラする。しかし、今回は首を容易に振らない事情を知っていた。
「メグ?」
「ご名答。折角だが、そんな気になれん」
「ふーん。ヤバイの?」
コイツがどの程度知ってるかわからんが、詳らかにする必要もあるまい。
「なんとなく良くないのは知ってる。けど、問題が起こった後で会ってないので、正直わからん」
「はぁ?」
カレンは色を変えた。俺を侮蔑する顔に。
「もしかして、電話もしてない?」
「誰のせいでスマホ消えたんですかねぇ?」
「うっさい。アタシのせいで消えたかもしれないけど、あれからどんだけ時間経ってんの。手続きしてないアンタの怠慢じゃん」
確かに、そう言われればそうだ。俺に食ってかかるカレンの火口は止まらない。
「アンタさ、何もしてないんでしょ⁉︎」
「んな他人事のようn――」
「他人事じゃん! どーせ静観してるだの、事態を注視しているのだの、最もらしい理由にかこつけて、所詮は対岸の火事なんでしょ? ちょっとは人情者なったかと思ったら、またこれだ」
「カレェン……少し物を考えて口に出せ。俺がどんだけメグに世話になったと思ってんだ……」
「だったら尚更、今すぐにでも駆けつけるべきでしょ!」
腹立つわ。諸々を鑑みた結果、ちょっと今は遠慮しておこうというのに、他所から首を突っ込んで、あたかも薄情者とばかりに詰りやがって!
「あのな、その白と黒しかない極端な考えは止めろ。これはな、小早川氏とも話してそう決めたんだよ。お前には冷淡に見えるかもしれんが、俺らの静観には含みもあるから――」
「んな分別ある頭とか、持ってたまるか!」
俺の言葉を遮って喚いた。当事者のメグではなく、カレン自身が我慢できないらしい。『アタシ単細胞です』と、宣言するものだった。周りの人が驚き呆れているが、血の巡りの悪いカレンには、知ったことではない。
「ささみがそう言ったからって、アンタまでそうする必要はないっしょ⁉︎」
パンツァーファウストをぶちかまされた、そんな衝撃だった。昨日、“彼女はそれでいいとして、俺までいいのだろうか”と自問したことを、今一度食らったからだ。
彼女は、むんずと口をつぐんでいた。が、鬼をも挫ぐ目は瞋っていた。彼女の信念から湧く怒りだ。
「誰かが落ち込んだら、すぐに駆けつけてそばにいる。そんなこともしないなんて……」
実に単純な、桜カレンらしい理だった。再度反論しかけようとすると、降りる駅がアナウンスされた。カレンは、パッと気持ちを切り替えて――
「はいはい、ここまでね。さ、降りるよ」
きっぱりと、この話題を打ち止めた。
けどその後も、俺らは気持ちのわだかまりを微妙に残していた。黙々と彼女の家までモニターを運んだので、余計疲れたよ……。
「じゃな」
カレンの玄関前で2つの箱を下ろすと、さっさと家に帰ろうとした。
「ねぇ」
「あん?」
「上がってかない?」
「…………ちっとは脳細胞使って組み立てろ」
Shinichi was blasted by Karen’s Panzerfaust.
気づいたら、カレンの部屋にリスポーンしていた。彼女の長机からは、すでに古いモニター2台が取っ払われていて、綺麗に拭き上げられていた。あとは新型の設置のみだった。
「じゃ、お願いね❤︎」
普段あれだけ吠え猛っているので、このまろい声と、わざとらしい笑顔には、気味悪くて仕方なかった。
ガタンガタンと、リズム良くレールの上を駆けていく。
車窓から強い夕焼けが差し込んでいる。
顔を上げると、カレンが対座していた。やけに神妙な顔つきだ。
「で? 会ったの? メグに」
「いや……」
こういうのが、クソデカため息なんだろうな。
「アンタねぇ……」
軽い失笑で言葉尻が切れた。もう口に出すのも馬鹿げているようだった。
「何度も言うがな、別にメグを他人と思っているわけじゃねーよ。むしろ逆だ。お前は何も知らねーだろうが、あいつにも家庭の事情とかあってだな?」
「何ビビってんの?」
カレンと会話が噛み合わないは、いつものことだ。しかし、心外なことを言われた。
「アタシのエピソードじゃないから、詳しいことは知らん。けど、アンタの性格からして、絶対に何かに怯えてるじゃん」
仮定に仮定を重ねた推論を、さぞ真実のように語る。
「あのな、たわ言もいい加減にしてくれ。そもそもメグだってさ、平気かもしれないのに」
「欠席してるのに、マジでそう言ってんの?」
その時、覚えのある香がほのぼのと漂ってきた。時々俺は、自身を変態じゃないかと疑う。雑多な臭いが撹拌する公共の場で、女の子の、しかも個人の香りを嗅ぎ分けるなんてよ。
通路反対側の座席だった。足組んだメグが、窓枠に頬杖ついて外を眺めていた。憂い顔だった。朱色の強い夕焼けもあって、一層酷く見受けられた。
汽笛が高らかに鳴る。電車は橋を通って、川の水面がキラキラと反射していた。
「あ……」
願ったり叶ったりの状況となり、間抜けな声を出す。
「おいっ!」
しかしメグは、俺に愛想を尽かしているのか、うんともすんとも返さない。
「メグ!」
立ち上がって行こうとするが、隣の座席で、誰かがむんずと手首を握っていた。小早川氏だった。
「これは他所の家の問題。他人は黙って見守る」
「なんだよお前っ……! 離せっ! 離してくれ!」
振りほどこうとしても、彼女の華奢な手は、手枷のようにガッチリと固定していた。
「カレン! コイツをなんとか……えっ⁉︎」
カレンが座っていた場所は、既に空だった。
電車が駅に着いた。見覚えのある駅だ。メグが鞄を抱え、席を立った。俺が手を伸ばすると、彼女はパシリと振り払った。怒っているのか、はたまた呆れているのか、目線すら合わせない。
「メグ! ごめん……マジごめん!」
去っていく彼女を目線で追う。他の乗客に混じって、乗車口から出て行ってしまった。彼女の、あのミントの香りだけを残して……。
ガバと顔を上げた。メグもカレンも小早川氏もいなかった。というか、電車の中でもなかった。
「……夢?」
顔中にねっとりと汗をかいていた。机に突っ伏していたので、腰やら首筋やらが痛い。特に小早川氏に掴まれていた、手首は特に……。その関節を軽く振る。纏わりついた力の残欠を振り払うかのように。
「ハァ……」
目覚めてしまうと、彼女の姿形は、水彩画に水を滴らした如くボワボワ薄れ消えていった。しかしな、彼女のミントの香りは、やけに生々しく今も尾を引いていた。
「?」
いや、夢じゃない。今もほのかに……⁉︎ それを辿っていくと、プリントや本、雑多なものに埋もれていたものがあった。メグから借りたメカニックの書物だった。読者諸氏は、俺をキモいと唾棄しても構わない。彼女の本を開いて、鼻に押し当てるのを我慢できなかった。
『シンのいやらしか〜』
どんな顔で言うだろう? いつもみたくあけっぴろな笑顔で? それとも蔑んで? 強烈なミントが脳天を突く。一時的、ほんの一時的ではあるが、情緒不安が離散していく。事件以来会っていないが、すごく新鮮だった。
「……メグ」
偶然開いたページに、彼女のラクガキがあった。ダッドの似顔絵だ。短髪の髭面、愛想の欠片もない目元、への字の口、戯画めいているが、確かに父の特徴を捉えている。
『何ビビってんの?』
カレンの一言を思い出す。ああ、俺は……俺は、ダッドが怖いのだろう。ただでさえ気難しく、しかも今は特に気が研げているだろう。そんな中、余計に首を突っ込むと、何を言われるかわからない。ひょっとすると、殴られるかもしれない。
ダッドの『当分は俺の店に来るな』、小早川氏の『これは他所の家の問題。他人は黙って見守る』を隠れ蓑にして、俺は縮こまっているのだ。カレンは知ってか知らずか、見抜いていたんだろうな。
もう一度本を開いて、鼻に押し付ける。しかし悲しいかな、一度慣れてしまった香りは、もうその新鮮さを失っていた。それどころか、単なる本の香りだった。メグの写真でもあれば……。これほど痛感したことはなかった。
今回も読んでくれてありがとうございました。