表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大宮伸一は桜カレンにフラグされた。  作者: 海堂ユンイッヒ
51/212

【e2m21】メディックやめる

すいません、本当に遅れました。

「そろそろか……」

 パソコンを起動し、動画サイトにアクセスする。今日カレンが参加する、“色ぬりゲーム”の大会が、生放送されるからだ。eスポーツ同好会として、初めてまともな活動だったが、俺はずっと傍観していただけ。そもそも門外漢だから、対戦を見てもぶっちゃけ勝ち負けぐらいしかわからない。

 だが、カレンの努力が実るといいなと密かに期待していた。寝る間も惜しんで練習していたからな。ちょっとはそのベクトルを、勉強に向けたらどうだと言いたいが、ゲーマーとしては大したものだと称賛すべきだ。

 選手登壇。一部は顔を隠しているのな。もちろん奴は、そんなことを気にするタマじゃない。で、対戦相手は……小学生部門のランカーチームだぁ?


【超絶悲報】桜カレン灰燼(かいじん)に帰す【初戦敗退】


 司会がそれぞれに意気込みを聞く。

『全力で頑張ります』

『ハハハハァ〜! キッズじゃんあいつら! すぐ家に送り帰して、算数ドリルさせてやんよ!』

 そんな放言をする、お前がキッズではないか。カメラがカレンに寄ると、“かわいい”というコメントが少なからず流れた。それ本気なら、今すぐ眼科に行け。まあ珍しく着飾っているんで、誤解するのも無理ないか。“ちっぱい”のコメントも。いや無いぞ?

『シンイチィ! よく見とけコノヤロー!』

 画面越しに喚かれてドキリとした。人の名前晒すな!

 試合開始……もうね、悲惨と表現する他ない。

「家帰って数学の課題やるのは、お前だったな……」

 見苦しくもカレンは、コントローラーが壊れた、ラグかった、いつものモニターじゃなかったなど、ありとあらゆる理由をでっち上げた。PCガチ勢と鳴り物入りで参上したが、(ほま)れある笑い者になったな。あまりに露骨な負け惜しみを吐いて、もう見てられない醜態だ。

「まあ……おつかれ」

 薄々こうなると勘付いていたが、まあ相手が悪かった。動画を閉じると、部屋は無音になり、外の雨音だけが聞こえてくる。昼間なのに薄暗く、モニターの明かりだけが俺の顔を照らす。

 大きなため息1つ。もしカレンが勝ち進んでいたら、もう少し憂鬱を忘れることができたのに……。


 週明け。カレンは朝から突っ伏していた。元々昼夜逆転気味だったが、最近は(こと)に酷かった。大会は終わったとはいえ、生活リズムが戻るわけがない。

 一方、鹿島は欠席だった。

 彼女から“大丈夫”と聞いたので、それほど深刻に考えなかった。しかし欠席となると、さすがの鈍チンでも気づかないわけがない。

 今回の問題はちょっと複雑で漠然としている。なので切り分けて考えよう。

 まず、お母さんの事故は『大丈夫』、交流をポカしたのも『運悪い事が重なっただけ』と言って、それほどダメージを食らったとは思えなかった。あの時は、むしろ弟が気がかりだった。

 しかし、フクちゃんが倒れたのは、腰抜けする程のクリティカルヒット。『取り返しのつかないミスじゃない』は、ひっくり返ってしまった。

 決定打は彼の危篤(きとく)だが、果たしてそれだけだろうか? 自称“しっかり者”は、俺にそんな素ぶりを見せないが、家事や勉強もストレスになっていただろう。家族にも手を焼いていたかもしれない。家に行った時、どっちが母親かわからんかったし。

「もし……」

 フクちゃんが回復したら、鹿島の気落ちも好転するだろう。しかし、彼女は万が一のことを考えている。それこそフクちゃんのお母さんのように。あの病気を有する未成年の平均寿命は30代。つまり、長く生きる人もいれば逆もまたいる。

「てか、2回会っただけで落ち込むか?」

 日々接している人ならともかく、俺らはせいぜい友だちだからな。そりゃまあ……友だちの危篤に無感情なのは、酷いかもしれない。けどなぁ……この年で“死ぬ”ってのは、ぶっちゃけわからん。たとえ1日5回フラグされる男と揶揄(やゆ)されてもな。フラグというよりパーマデスだろう。

 まあ、鹿島と俺とを比較することがおこがましい。なぜなら、彼女は看護科(メディック)故に優しい……いや優しいから看護科(メディック)なのか。

 以前鹿島が話したことを思い出した。

 ホスピスの看護師による講演があって、彼女は――

『すごく考えさせられたよ』

 と感慨深げだった。『死にゆく人の心理変化を、知識として学習しているが、感情まで抑えることは難しい』とか、『患者の言葉に、何と返せばいいのかわからない』とか、『患者の死は、あたかも自分の一部を、失ったかのような感覚を抱かせる』とか言ってたな。『できることなら自分が代わってあげたいが、できない』……これお母さんの台詞まんまだ。つまり、メディックとしての職業意識が強く影響しているのだろうか?

 ちなみにその時、俺とカレンはどんな話をしてたと思う?

『マ⁉︎ 今日なん? デマじゃない?』

『マジマジ。さっき開発元(デヴ)のツイート見たからな。即開発しろよ?』

「ねぇ」

 急にリアルな声が入った。顔を上げるとカレンがいた。てか、いつの間に昼休みに? 俺ずっと考え込んでいたのか?

「なんで梢ちん休みなん?」

 親指で鹿島の空席を差す。

「さあ」

「調子悪いとか言ってたじゃん。で?」

「……『で?』って何だよ?」

 本当に感情を隠さない女だ。見る見るうちに訝しげな顔に変化した。

「あのな、鹿島は誰かと違って家を飛び出したりしねーよ。大丈夫だろ?」

「……」

 カレンは無言でパンツァーファウストを取り出して――発射キャンセルした。

「馬鹿すぎてフラグする気にもならんわ……」

 (きびす)を返し、そう台詞を残しながら食堂に去っていった。


!実績解除!【九死に一生】

 :条件:桜カレンにパンツァーファウストを発射キャンセルさせた。


 今日もコンビニで弁当などを買って、鹿島の家に向かった。途中いつもの高台を通ったが、目下の調整池には並々と水が張っていた。家々が高台の線に沿って段々と立っている。既に日は落ちているので、暖かなともし火がしてある。家族団欒だろう。鹿島の家には、それがないとわかっているので辛い。

 遠くまで見渡せるここから一望すると、家々がミニチュアに見えて、あたかも都市建設の市長の気分だ。今そんな呑気な気分には浸れないけど。

 雨は底なしというほど降る。途中、車に水しぶきを掛けられた。ついてねぇ。鹿島のアパートに来ると、駐車場にポツンと男の子が立っていた。あれは……?

「よう」

 俺を待っていた……わけじゃないな。相変わらずキツい眼差しを寄越してくる。噛みつきはしないかと、内心ビビりながらコンビニの袋を差し出す。

「ねーちゃん、いない……」

「は?」

「ねーちゃん返せ!」

 そう怒鳴ると、家の中に駆けていった……俺の袋を奪って。

「いないだぁ?」

 つまり、またヒロインを探し出すミッションか……? 雨が強まって、ゴロゴロと空が鳴りだしていた。けどなぁ、こんなことになりゃしないかと、マップを持ってきてあるんだよ。さっき買ったライト(!失われたアイテムを回収した!【フラッシュライト】)を点灯して照らした。

 鹿島の出現しそうな場所が、ゲームのようにピックアップされた。相変わらずどんな理屈か知らんがありがたい。


「ここじゃね?」

 雨の中歩き回るのは嫌だし、時間の無駄だったので、奴がいそうな場所をピンポイントで指定した。斜め降りの中、校庭の端にひっそりとたたずむプレハブ小屋、つまりeスポーツ同好会室だ。遠目だと、電気もついていない。レッドキーが隠されてある、シークレット場所をインタラクトしても何もない……ということは?

「電気ぐらいつけろよ」

 暗い中、鹿島はパイプ椅子に座ってうなだれていた。黄ばんだ蛍光灯がチカチカと点滅しながら、遅々として輝きを取り戻す。

「なんでここに?」

「主人公なんで」

 つゆほど思ってもいない冗談を放っても、なんら反応はない。スベりましたか……。

「弟、声変わりしてたな」

「うん」

「雨の中、お前を待ってたぞ。『姉ちゃんを返せ』だと」

「あの子、私を大宮くんに取られそうと思ってるから」

 鹿島のポニーテールと向き合って会話する。その顔は見ていないが想像に難くない。

「あのさ、思い詰めてることがあったら吐き出してくれ。そりゃフクちゃんの回復はできないけど」

 調べたが、看護師や葬儀師など職務上、人の死に接する人は、“職業的悲しさ”によって燃え尽き症候群に陥るらしい。いわんや、鹿島はお母さんも倒れ、“私的な悲しさも”経験している。

「ううん大丈夫。ちょっと疲れているだけ」

「いや、だいぶ疲れている。ごめんな、気づかなくて」

「本当に大丈夫」

 俺は机を周って、鹿島の正面に座った。眠たげな瞳は下向きで焦点が虚ろ、髪は寝癖がわずかに残っている。登校しようという意思はあったんだろう、今日欠席したのに制服だ。

「本当か? 今食欲ないだろ? 寝れないだろ? ダルいだろ? 不安な気持ちに圧倒されそうだろ?」

 彼女は何も言い返せなかった。ブルズアイだろう。そう思うと、彼女を責め立てるようで申し訳なくなった。なので話題を変える。

「フクちゃん、気管切開したってよ」

「ウソ⁉︎」

 終始俺に拒否感があったが、ここで初めて食いついた。まろく変形した瞳は、今まっすぐと俺を見据えている。正直、この話を今すべきかはわからない。しかし、いつかは彼女も知るはずだ。

「病院行ってさ、本人には会えなかったけど、お母さんと話した」

「それで?」

「意識は戻ったけど、要注意だと。空けた穴から換気するから、SPO2は安定するらしい」

「声出ないんだ……」

 彼女はまだ本職ではないが、俺より知識はうんとある。なので、彼がどうなっているのか簡単に想像できる。その先も。多分、“穴を塞げば声は出るが、SPO2があれほど下がったので、今後医師はそうすることはない”とでも考えているのでは?

「私、メディックなのにっ……! フクちゃんに何もできないなんて……とんだ“しっかり者”だよっ!」

 唐突な悪いニュースによって、感情が揺さぶられたのか、ついに古い机をポツポツと濡らし始めた。塩辛い雨漏りだ。鹿島やい……しっかり者が何とかするレベルじゃないぞ? ただ口には出さなかった。彼女はヒロイン唯一の“しっかり者メディック”であることを、矜持(きょうじ)としているからだ。

「家事もダメ、お母さんもきちんと指導できない、秀太も言うこと聞かない、交流も上手くいかない、そしてフクちゃんまで……もう嫌っ!」

「そんなやけに――」

「大宮くんもこんな駄目ディック呆れるよね? そうだよね?」

 口元を歪ませ、自嘲的に笑った。こんな顔今まで見たことない。

「もう……こんなのいらない、これもいらない、これも……メディックやめるっ!」

 蘇生注射、ヘルスパック、アドレナリンを次々と机に並べたかと思うと、傘も持たずに部室から駆け出した! 驚いた。最も良識のあるヒロインが、そんな突飛な行動に出るなんて……。慌てて戸口まで追うが、信じられない程の濃霧と雨で、もう視界から消えていた。

「クッソ。昔のゲーム並みじゃんっ……!」

 話題を変えたのを後悔した、結局自責の念に追い立ててしまったではないか。思わず、薄っぺらいドアにドンと拳をぶつける。

「俺ってバカだ。マジでバカだ……」


 独りになった俺は、部室のパイプ椅子に寄りかかり、天井を見上げた。

「思った以上に酷え」

 愚痴の1つでもこぼしてくれればと思ったが、鹿島が誰かさんみたいに不平不満を喚き散らすわけねーよな。温和でしっかり者のヒロイン、と決めつけていたのが盲点だった。彼女だって不安になるし、怒りもする。

 やはりメディックとしての自負が強い程、今回の無力感も強く、自己の存在を危うくさせたのだ。

 カレンは1回限りの助っ人で、そもそも行く必要はなかった。鹿島は緊急の用だった。一方、何かと理由つけて、病院へ行かなかった俺にその責任がある。たとえ俺が行ってたとしても、後日フクちゃんが倒れれば、やはり鹿島は落ち込んだはずだ。しかし、俺が行かなかったことでより深く傷ついた。

 コンバットソフトボールの時もそうだったな。俺もカレンも、『鹿島には言ってあるだろ』とお互い誤解して、彼女を怒らせた。

「さて、どうするかね……」

 パイプ椅子を後ろに大きく傾けると、思わずそのまま倒れこみそうになった。


「で? それから?」

 翌日、カレンに詰問された。

「いや……帰ったけど?」

「なんなの⁉︎ バカなの⁉︎ どうして追っかけないの⁉︎ もっとやることあるでしょ!」

 襟元(えりもと)を搦め捕られ、唾液(つばき)をもかけられる。

「俺に何ができるってんだ! 言ってみろ!」

「それはアンタが考えるんでしょ⁉︎ どんだけ梢ちんに世話になってるの⁉︎」

「俺だって迷惑かけたくねーよ! つか、誰が俺をフラグしまくってんだっ! あ⁉︎」

 カレンは気まずそうに顔を逸らす。

「そーよ! 梢ちんいないから、気安くフラグできないじゃん。なんとかしろっ!」

 すまん鹿島、『もうちょっと欠席してて』と思った俺を許してくれ。今までカレンの気持ちは、ゲーム大会に向いていたが、終わってから手持ち無沙汰になったな。考えると、コンバットソフトボール以後、こいつにフラグ食らってない。

 つか、前回鹿島も似たようなことを言ったな? 『カレンちゃんがいないと、こんな感じなのかぁ』だったか? カレンのフラグが、俺と鹿島の(かすがい)となっている同様、鹿島の蘇生が、俺とカレンの鎹になっているのだろう。

「なんでこうムシャクシャしなきゃいけないの⁉︎」

 知るかよ、不満はフラグ以外で解消してくれ。

「お前たち、いい加減に席に着かないと、ホームルーム始められないのだが……」

 いつの間にか、担任が教卓に立っていた。舌打ちして、カレンはのしのしと特等席に戻る。先生、お前“たち”と俺まで含めないでくれますか? 空気読まずに喚いているのは、バカレンだけです。

「そうだ。桜、大宮。ちょうどいい機会だ。プリントを渡すついでに、鹿島の様子を見てこい」


 雨こそ降っていないが、今日は終日分厚いうろこ雲で覆われていた。

「なんなの⁉︎ コイツの仕事なのに、メインヒロインのアタシまで……」

 横でブーブー文句を垂れるが、正直先生の一言は助かった。正直俺だけでは、お手上げだったからだ。アパートに着いて、インターホンを押した。当然彼女は出てこない。出てきたら俺の苦労はない。

「梢ちーん! ちょっと顔見せてー!」

 声こそ友好的だが、ドンドン叩くその力よ。加減しないと凹むぞ?

「寝てんの?」

「さあ。買い物とかお見舞いかもしれん」

 隣にいるカレンの目は、俺を見ていなかった。その視線を辿っていくと……?

「……」

 ランドセルを背負った弟・秀太の姿があった。なんだ? 顔が強張っているぞ? チーターに睨まれた子鹿じゃないか。

 カレンと秀太、両者同時に駆け出す! しかしカバンを放り出した瞬間から、最高速に達する俊足(しゅんそく)に誰が逃げ切れよう? すぐ弟は首根っこを掴まれて、カレンと共に戻ってきた。

「いやー弟クンに会えてよかったー。ほら鍵ィ!」

 玄関を開けるよう催促する。何? 既に仲良いの? 初対面じゃとてもこんな脅迫はできんし。彼は命を乞うような目線を、俺に寄越した。

「誰も取って食わねーよ」

 少なくとも猛獣に反抗しない限りはな。ドアが開くなり、秀太より先にズカズカと上がり込み、鹿島の部屋の前で――

「ちょっとお邪魔するねー!」

 と事後報告。小説でさ、感嘆符は大声を出すときに使う記号なんだろうが、こいつの場合、常に人一倍の声量を吐き出す。そしてよく通る声だこと。お隣さんに聞こえるぞ。

「きったねぇ! おい弟、何なのこれ⁉︎」

 廊下を隔てて弟を責め立てた。こいつ、自分の家だというのに、上がりたくもないらしい。

「掃除はねーちゃんの仕事」

「はぁ⁉︎ そのねーちゃんがダウンしてんなら、アンタの仕事でしょーが!」

「臭いの嫌だ!」

 ははぁ。こりゃ鹿島のやつ甘やかしてるな。

「いいから掃除!」

「嫌だ! 遊ぶ約束ある!」

 カレンと距離があるのをいいことに、弟は脱兎のごとく逃げ出した。控えめに言っても極上のバカだ。靴も履かずに飛び出すチーターにかなうわけがない。すれ違う特急列車並みの風圧を受けながら、そう思った。

 耳たぶをぎゅうと摘まれ、引きずられながら弟は戻ってくる。愛想もない奴に情はわかんが、ワーキャー叫ぶ姿は痛々しい。クレームしたカレンには、報奨金と経験値が入ったに違いない。

「次逃げたら、オメーのゲーム機真っ二つだぞ?」

 青ざめた弟は、2度としませんと首を振った。カレンはマジでやるからな。


 俺もアパートに上がり込んだが、まあ酷いな。汚部屋……ではないが、鹿島が落ち込んでから何もしていないだろう。ゴミ袋を取り出し、俺と弟で片付けを開始する。

「お前、好き嫌い酷いのな」

 こう指摘され、秀太はプイとそっぽを向いた。野菜、骨がある魚、酸っぱいもの、辛いものは全て残してある。日にちが経ったものも多く、悪臭を発していた。その代わり、大量に消費された菓子。これじゃどっちが主食なのかわかんねーな。物言わない鹿島の苦労が、こういう形でわかった。

 洗濯機の脱水が終わって、ブザーがそれを知らせる。

「カレン、洗濯終わったぞ。ちょっと干してくんね?」

「自分でやれ!」

「俺が下着とか見るの、どうかと思うぞ?」

「……ちょっとコレ見てて」

 豪快にフライパンを振っていたカレンは、それを俺に預け、山のような洗濯物を取り出す。もう夕方で曇りなのだが、溜まっているのでしょうがない。

「まあ乾くっしょ……」

 とテキパキと干していく。一方、俺は野菜炒めを混ぜるだけ。文明に縁のない未開人(カレン)が調理なんて……と呆れる読者さんもいるかもしれない。本人曰く『簡単なものならできる』。カレンのお母さんが激マズらしく、仕方なく親父さんとカレンで作っている。しかし、大雑把なカレンらしいのは、計量カップ等は一切使わず、すべて目分量でテキトー。だから同じレシピでも、2度と同じ味にできない。

「でもうまそうだな」

 ジャージャー炒めている野菜は彩り鮮やかだし、味付けもオイスターソースを中心に砂糖やウスターソースまで使ってる。

「ソース焦げ付くから、しっかりかき混ぜて!」

 ぼんやりしていると、一喝飛んできた。夕食にはちと早かったが、ご飯と味噌汁、そして野菜炒めが弟の前に並んだ。こいつ野菜食わないんじゃ……? と脳裏によぎったが杞憂だった。味は濃ゆ目に、野菜は小さく刻んで、何より熱々で食べさせたので、ガツガツと平らげてしまった。食前に菓子を食べさせなかったのも大きい。『ご飯は味がしない』と言って、普段砂糖をかけて食べるそうだ。『お前は蟻か!』と怒鳴りつけたカレンが、“三角食べ”を教えた。

 優しい姉ちゃんの前だと反抗するが、猛獣姉ちゃんが睨みを利かせている前では、とても砂糖ご飯などできない。いわんや、作ったものを残すなんてもっての他だ。

「ねーちゃんのごはん、味しない」

 鹿島の料理は薄味なのな。それこそ病院食みたいに。母親の健康を考えているのだろうが、子どもの舌には合わんよな。

「うし、ねーちゃんに持ってけ!」

 まだ湯気立っている料理を膳に載せ、弟に運ばせた。流石のカレンも、鹿島の部屋にスワッティングするのは遠慮した。扉の外から陽気に声を掛ける。

「梢ちん、ちょっと冷蔵庫拝見して、ゲロマズ料理作ったわ。ずっとコンビニ飯じゃ飽きただろうしー。ありがた迷惑とは思うけど〜、掃除洗濯もやっちゃったー」

「……」

「ちょっと何ボケっとしてんの⁉︎ アンタも気の利いた台詞の1つや2つ言えっ!」

「また来るわ…… い゙っでぇええ!!!!」

「ぶわぁっかじゃないのアンタ! そんだけぇ⁉︎ 主人公なんだから、梢ちんが惚れるようなことを扉越しに言いなさいよ! 『鹿島、いつでも待ってるぞ……』とか『お前がいなくなって、お前の大切さに気づいたよ』とかあるでしょ⁉︎」

「ごめん、コイツうるせーからさっさ連れ帰るわ。じゃーな!」


「ほんっと甲斐性ないじゃんアンタ! 本当に主人公なの?」

 カレンの頭から湯気が出ていた。

「じゃないからだろ? 本当にそうなら、気の利いたこと言うぞ」

「結局アタシがいなきゃ、なーんもできないじゃんバァカ」

 認めたくねーがその通り。俺一人じゃ家に入ることすらしなかったよ。ましてや、扉の向こうの鹿島に話しかけることも。終始沈鬱としていたに違いない。

 以前鹿島が、カレンの為人(ひととなり)を、“その人がいるだけで、場がパッと明るくなる”と評価したが、まさにそうだ。俺は日陰者だが、コイツがいると日光に照らされる気分になる。そう、うろこ雲の隙間から日が差し込んで光芒ができる、今みたいに。

「なんか言いなさいよ」

「フクちゃんが心配だ」

「……大丈夫じゃない?」

 誉めそやして何だが、こういう無責任な発言はねーだろ。

「なんでそんなことがわかる?」

 カレンはちょっと目をそらして、もう一度言う。

「わからんけど、大丈夫でしょ」

 苦笑いを禁じ得ない。そこまで能天気だと、かえって羨ましい。ちょっとはその性格を分けて欲しいぐらいだ。まつげの長い目が、瞬いて俺を見ていた。

「何笑ってんのよぉ?」

「笑ってねーよ」

「いや、またバカにしたね今」

「だから、ねーって」

 そんなバカにした、してないの水掛け論に陥っていると、少しは鹿島の問題が解決されたように勘違いした。

次がエピソード2の最後になると思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ