表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大宮伸一は桜カレンにフラグされた。  作者: 海堂ユンイッヒ
189/212

【e6m43】不被切共

 鈍色の厚雲が天覆い、吹き荒れる風に追っ立てられる。おどろおどろしい雷も、その気配を忍ばせていた。鳥や虫は、事を予知するが如く鳴りを潜めている。

「降る前に帰ってこれてよかったな……」

 辻家はもぬけの空だった。鍵も戸も開けっぱなしで、電灯もついておらず、家中薄暗い。叔父さんのデボネアAMGもなかったし、夫婦で出かけているのか。辻さんは部屋かな? それにしても、今日は俺の教室に来なかった。まあそんな時もあるだろうと、気にも留めなかったが。

 孤独で陰鬱な雰囲気のせいなのか、俺は不安だった。生温い風が廊下を通り道として、不気味な音を立てている。

「風が強い。縁側だけ閉めておこう」

 以前心地良かったので、自室を開放していたら、畳や板張りの上に黄砂が薄ら積もって、拭きあげる羽目になったから。

 雨戸を閉じていた時、横殴りの雨がにわかに振り注いできた。急いで玄関や勝手口なども確認。けどさすがに叔父さん叔母さんの寝室には入らなかった。ゴロゴロと鳴りが近づく空模様の中、一通り見回って部屋に戻ると――

「うわっ! びっくりした……お前いたんか⁉︎」

 辻さんが正座していた。その時、窓より閃光が1つ挿し入り、彼女の神妙な面差しが(わずか)に見える。居るのなら、電気ぐらいつけようぜ……と明かりを灯す。

「今よりしばし、長雨(ながめ)になりましょうぞ、こは」

 と手前の座布団に掌を指して、俺に座るよう促す。あまりにも急なことで、固唾を飲み当惑した。理由は知らねど、これは尋常の態ではない。俺が姿勢を正してから、従姉妹の口が開く。

「先つ頃、(しょう)(ひる)暇に御辺尋ねしを、在所を(いずく)とも知らせまゐらせざりつるに、いかにしつる事ぞや?」

「は……何それ? 昼休みはずっと教室に――外出した日のこと? 飯食いに行ったんだよ」

「其は(ひと)りに非ずや?」

「ああ、先輩と」

「……ほ」

 目を瞑って、背筋を伸ばし、居ずまいを正す従姉妹。白粉を薄ら塗った顔は従容としている。されどどこか陰翳(かげり)があり、秘する心中もおいらかではないようだ。もしかして、先輩とこっそり外食に行ったのが、気に食わなかったか?

「いでや、妾をばはかるなりけり」

「はぁ? 騙したって……あのさ、いくらお前のエピソードとはいえ、単に先輩とメシ行ったぐらいで――」

「“ぐらい”? 耳にとゞまる事をもの給ふ物かな。さらば御覧ぜよ」

 鏃のまなこをやおら開き、俺を射すくめ、一枚の写真を床につと差し置く。

 鐘を突いたような衝撃が俺に走った。それは、俺らがそば屋を出た後、ゴネる先輩を宥めるため、抱き合って接吻している時だったから。鮮明に横から写っており、否定のしようがない。通りすがりの車内から撮った物であった。

 以前“立ったフラグも見事な手腕で回収”と得意顔で思ったが、実の所は最悪の形で回収したわけだ。目眩がし始める……。

「“ぐらい”とは、さも言はれたり。聞くが如くんば、『先輩、今でも気持ちは変わっていないっす』、かくなむ伺い申したが?」

 そこまで(つぶさ)に事知っているのかと、胸が早鐘を打つ。うかつ……こいつはほとんどクラスの固有スキルを見せびらかさないし、また和風の身なりから全然らしくないが、コバートオプスなんだ。自分のエピソードになったら、より俺への執着が苛烈なるなんて、わかりきったことじゃないか……。

「はて? などかは何事ものたまはせぬ。(たま)消えかへる様にあるが、これは如何に?」

「…………お前に黙って行ったのは謝る。ごめん。けどさ、なんでそこまでガチギレしてるん? 今までも、似たような事何度もあっただろ?」

「其は及ばざる論なり。宮どのは、獨り(しょう)と結んだ赤い紐を忘るるのみに非ず、贈った歌までもか? 『お前は大切だから』も今は空う聞こえますな」

 外にて雷電響きを起こす。あの指切りと和歌……俺は“ままごと”程度とばかりで、こいつもその程度だろと軽んじたのが不味かった。大切云々も、酔って覚えていないと思っていたが、確かに胸中に納めていたのだ。

(そもそも)着裳の義すら心得ぬとは、以外(もって)の他。浮き寝まで遂げて、明日を期したというのに……」

 かこち顔になることもない、泣き顔作ることもない。定めて能面の色で、道理に照らして俺をひしひしと非難するが、口の()に、隠しきれない感情が見え隠れする。俺は、絶句していて何も返すことすらできなかった。

「宮どののお心が誰のものか、今更ながら知らるる次第です」

「…………ごめん」

「かけても“松より波は越えじものを”とひたぶるに信じておりましたが、無益でかひなきことでしたな。もはやそもじを斬り捨てるのも億劫。母御父御には、(しょう)より申しておく故、辻家をとう/ \出でましてありなむ」

 “早くお出になるのがよろしい”と、随分と婉曲的な言い回しだが、“さっさと出て行け!”と言っているようなものだった。

「あ……うぅ」

『というドッキリで御座候ッ!』

 こんな風に続けと一心に縋っていたが、会話はそこで終わった。もはや辻さんにインタラクトしても、会話ログすら開けない。土下座でもするか? いや気色取らんと縋りつこうものなら、無様すぎて鼻まじろきされるのが関の山。

 もうね、彼女が見守る中、カバンなど私物をかき集めて辻家を出る他なかった。襖を閉めると、須臾(しゅゆ)も置かずに、部屋の中がワッと一面霞みわたった。蜷腸(みなわた)のか黒き髪を、畳一面に伏し散らしているのが、容易に想像つく。

 俺は雨脚強い中を、一人虚しく歩くしかなかった。身にしむる風が後ろから吹き付け、はや/ \帰れとせっつく。失意のどん底に落ちた顔を、傘で隠せるのが唯一の救いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ