【e6m38】新枕交わす
とりあえず今夜できる後片付けをし、旧車に大量の箱などを詰め込むと、叔父さんは早くも返却に出かけた。雛人形の俗信と同じく、早く片付けないと娘の嫁入りが遅れるらしい。そして辻さん本人も、せっせと梱包に精を出していた。
「しかし、今日ぐらい一番風呂に入ればよかったのに」
というのも、普段から自身の後に俺が入るのは恥ずかしいと言っているからな。
その時、辻さんが俺の部屋に入ってきた。薄紫の衣短をゆったりと着崩して、湯上がりの顔は艶かしい。常田先輩は、“(ෆ`꒳´ෆ) まいちゃんっ! まいちゃんっ! まいちゃんっ!”と、強烈に甘ったるい香りで主張するが、辻さんの白檀の香りは、たとえ先輩が側にいても、奥しかしく差し入ってくる。
「おつかれ」
彼女は軽く頷くと、円座を引き出し、俺に櫛をつと差し出す。
「少しばかり、かしらけずりたも」
と、俺に後ろを向けて正座する。照り映える烏羽玉の黒髪は、一本一本はか細いながらも、なよ竹のようにしなやかで腰がある。螺鈿が施された櫛を通しても、ギチギチ差し止まることはなく、もつれを梳きほぐしながら端まで通る。
「枝毛は切りたも」
小さな鋏を渡された。髪の束を取ってみると、手触りは繻子のように滑らかで、スルスルとこぼれ落ちる。もとより髪質は最高なんだ。枝毛や縮毛なんかはほとんど見つからない。それっぽいのをいくらか切って終わる。
「なあ。俺、お前にお祝儀贈ってなかったわ。今度でいいか?」
「はて? 既に承っておりますが?」
「え?」
「さにつらふ いもきるゆびの くれなひの ひもはきれずに さきにほふかな」
「……」
急に恥ずかしさがこみ上げてきた。それは、俺が考えた下手歌で、あの屏風に書きつけられたものだった。なんで空覚えしてんですかねぇ?
「お言葉は月並みにあるものから――」
辻さんはそこで言葉を切って、そのまま後ろの俺に身体を預けてきた。白檀の香りが一層濃くなる。思わず覆い包むように彼女を抱き籠めてしまう。それでも嫌がる気色はない。頭まで預けて来ると、解き下げ髪に、俺の鼻先が突っ込む。
どれだけ時間が経過しただろう。お互い無言で、時計の秒針の音すら聞こえる。いつかの夜中と同じく、外でホトトギスがキョキョと鳴こうが、辻さんは動きもしなかった。よく耳立てると――
「すぅ……すぅ……」
こう安らかな寝息が聴こえてくる。さてどうしようか? 彼女は最軽量ヒロインなんで、ストレングスの低い俺でも、抱えて部屋まで持っていくのは造作ない。けど、今日まで疲れたことだろう。もう俺の布団に寝せてやるか。普段は浅寝で、寝ボケることなくパッと起きるのだが、どうやら深く寝入っているらしい。
「で……俺はどこで寝ようか?」
というのも、自分の布団は辻さんに占領され、その他の場所では、インタラクトして“寝る”コマンドが出ない。そうなると、起床時間までずっとこのままだ。
もうさ、一緒に寝るか。どうせ“寝る”コマンド実行したら、マジで朝まで寝るだけだからな。絶対にロマンスシーンなんか発生しない。
確認【就寝します。よろしいですか?】
rア はい
いいえ
後は、辻さんの隣に横たわり、画面が暗転するだけだった。
とりあえずここまでで終わりです。またしばらくお待ちください。