【e6m33】一族
或る日の夕ざり。作務衣姿の俺は縁側に座り居て、うちわを仰いでぼんやりしていた。目前の庭は、造園業者の手が入り、裳着の日に合わせて、咲きにほふ花などが植えられていた。
「あちぃな……」
日は隠れたとはいえど、真晝の暑さいまだに漂う。辻さんの部屋様より索〻とそよ風と琴の音が届く。あれは余程の念入りだ。既に一刻ほど練習を続けている。
今日は学校を休み、日舞や琴の先生も呼び、式目を通したそうだ。昨晩は式場となる客間で、模擬実演も行った。本番と同じ時間帯に、繰り返し練習する徹底ぶり。
『音の通りは如何に? 光の具合は如何に?』
音の通らぬと聞けば、襖を取り外した。また光の照り映えぬと見れば、照明器具を変えた。叔父さんが客座からビデオ撮影し、それを観た従姉妹があれこれ物言いを付ける。俺が偶然すれ違った際、2度目の手伝いを提案すると――
『わ殿が心しらひ、信うれしうございますが』
と口元綻びるものの、やんわり拒否された。加えて、それとは別に彼女はこう続けた。
『1つ聞き給うてほしうことござりまして……』
当日の装束を着装して練習する日には、実家へ帰ってくれ、と。今見らるるは、“げに事苦し”らしい。この様子から、マジで失敗できないと痛感した俺は、危険因子であるカレンのぐずり対策として、鹿島に連絡した。
『うん。のぞみちゃんから聞いている。武器とかはちゃんと没収して、つきっきりで隣にいるから』
彼女をはじめとして、他のヒロインにも正式な招待状が届いている。それらは辻さんが、水茎の尻を口に咥え、濃き墨で一人一人気持ちを綴った文だ。俺には手渡しだった。
『一緒に住んでいるなら、別にいいのに……』
『他ならぬ宮どのを、なでふ無きにやはなす?』
手習い書き散らしたる様にて見苦しうございますが、と一言断っていたが、甚だ工楷の書だった。多分俺が本気で丁寧に書いても、彼女の寝落ちしながら書く字より下手だろう。
「おお、婿どの乎。そこにあるか」
その時、ここに歩いてきたのは叔父さん。俺の隣に座った。
「どうですか? 準備は?」
「輓近、遑〻としておったが、今や少しく腰を下す遑ができた」
だろうな。引っ越しでもするのかと思うぐらい、古めかしい箱などが、離れに搬入されていたから。辻さん言うには本家からの借り物らしい。
「あなた? 今お帰りで。麦茶でも? して物の数は揃いましたか?」
「おお、ありがたい。それよ、理由は知らぬが、不足の懸盤は天井裏に押し込めてあった。少々ガタつきがあるが、使用に不足はなかろうて」
「じゃ、後で拭き上げないといけませんね」
居間から顔を出した叔母さんが、当日の話を1つ2つして、台所に行った。叔父さんは俺に顔を戻す。
「大変ですね」
「うむ。親の區〻心で、いづこに嫁に出しても恥ずかしうないよう、家政も技撃も少々嗜ませてやったが、今様の女子とは随分と異なりておる。辻家の娘として、止むを得ぬ所多かったが、果たしてのぞみは信によかったのかと、しばし思うてな」
以前、中学生の辻さんが情報科に進学したい云々の話を思い出した。やっぱり叔父さんも、少なからず悩んでいたんだな。
「いえ、娘を思い遣るお気持ちに感服しました。のぞみさんは容貌よく、能く學行に力め、交遊益附き、かたや義に従わざる者は、輒ち之を撃殺する……」
ウハハハ、と笑いだす叔父さん。
「確かに。あれは装うておるが、性逸早うて、とても大和撫子と言う能わず。我が父に似ておる。昔、便衣兵に戦友や部隊長を爆殺され、忿恚収まらぬ内に、適陣に獨り躍り込み、そのまま日本刀で十許人討ち取ってな」
ひええ……そんな話初めて知ったわ。ウチのじいちゃんは、内科医の内地勤務で軍服すら袖を通したことがないってのに。
「してな、婿どの。儂と妻は、そちに頗る感謝しておる」
「え? 感謝するのは俺の方なんですけど。三食きちんと頂いて、風呂も一番に入れさせてもらって……」
「其れ何か有らんや。此は秘語であるがの、のぞみは梅雨ゟ縁に出でて、せちにもの思へる気色であった。果てには物も喉に通らぬ始末、人目もつつまず泣き、涙露の筋がひとつふたつ横に墜つる程。親ども『何事ぞ』と問へば――」
「恋とは事も無くあるわけにいきませぬなぁ」
と、従姉妹の台詞をそっくりそのまま言いながら、叔母さんが麦茶を載せた盆を持ってきた。
「それよ。さのみはやとて、なでふこと言うぞと問へども、審にする様もなし。ただただ、月のおもしろういでたるを見て、喟然とするばかり」
「シンくんと喧嘩でもしたのと聞いても、首を横に振るばかりでね」
「らちあかぬので、此度の裳着を他日に譲るかと言へば、率爾に蘧〻然とし、厭飽の態を見せておった日舞や琴に打ち込むる有様」
「そんな中、滅多にお願いしないのぞみが、シンくんが一人寂しそうだから、家に呼んでいいかって尋ねてきてね」
「婿どの来しより、のぞみは後に復物思い至らざりき。心化粧にもあらず、狀貌囘復しておる。況や、子ども子どもした稚児でありつるが、日に夜に美しゅう色付いての」
2人はどれだけ知っているんだろうな? まさか辻さんが、俺と先輩のことを、ぺらぺら口さがなく親に話すわけがない。俺の表情を読んだのか、叔母さんがうっすら笑う。
「やっぱりあの人が恋敵なのね」
「え⁉︎」
「常田どのとか云う、其の人與?」
「ええっ⁉︎」
「のぞみが時々連れてくるのよ。よくシンくんのことで盛り上がっているようで」
盛り上がっているとはこれは如何に? そして俺と先輩の関係は、前のエピソードでもあったように、従姉妹にとって望ましくない。
「いやなに、汝を讓めるにあらず。色好みて浮名馳せるは、男の本懐。以て為すこと無かれとは言はねど、余りのぞみを爇くと、斬らるるぞ?」
いやね叔父さん、もう6回斬られてます……。自分の困り顔を察した叔母さんが察して、話題を変えてくれる。
「あなた、シンくん困るからおやめなさいな。で、確認したの?」
「おお、そうであったそうであった。してな、一首のぞみのために拵えてくれぬか、というのは耳に入っておるであろ?」
「えっ⁉︎ なんですかそれ? 和歌を作るんですか⁉︎」
「妾謂へらく、汝其れを知れり。さてはのぞみこそ愧と為して、儂をして言わせたるにござんなれ」
この前、辻さんが赤て言葉を濁したのは、このことだったか。けどまあ、自分のために一首考えてくれなんて、確かに恥ずかしくて言えないわ。
「と言っても、そんな高尚なもの作ったこともないし、作法すら知らないんですよ? ましてや大層な場に」
「いや、案ずるに及ばず。歌会にあらじ、技巧巡らす要もなし、形ばかりでよし、婿どのが外飾せざれば、のぞみも自得の意あろうて」
「けど……」
「あのね、私たちは頑張っているのぞみに応えてあげたいと思ってるの。けど、私たちが何かしてあげるより、シンくんの気持ちの方が喜ぶと思うから。どうしても苦手って言うなら、無理強いはしないけど……」
2人の熱心な目線が俺を見据える。加えて、琴の音がいまだに鳴り止まず届いてくる。そうだな、あんなマジになっているんだ。俺だけノホホンと見て終わってのも、なんだかな。それにさ、俺自身も手伝いたいって言ってじゃないか。
「笑わないでくださいよ……?」