【e6m7】七夕
辻家の自室、作務衣姿の俺は、縁側で胡座をかいていた。ぼんやりと外の庭を眺めている。関関と鳥が鳴く中、涼風に乗って、琴の音も運ばれる。俺の従姉妹が練習しているのだろう。
「意外と暇しないのな」
そうひとりごつ。ここにはパソコンがないし、いまだにスマホの紛失手続きすらやっていないので、さぞかし手持ち無沙汰になると思っていた。俺の家から本などを持ってきたが、ほとんど手をつけていない。
昨日は家族全員で、乞巧奠という古来の行事をやった。一般には七夕祭りと知られている。庭に葉薦、その上に長筵を敷いて、朱漆の机を四台も用意した。それらの机には、梨、桃、大角豆、大豆、熟瓜、茄子、薄蚫などを備えた。
「あれ用意するだけで、相当なお金と手間がかかるよな……」
準備はまだ終わらなかった。蓮房を盛り、楸の葉を一枚置き、金銀の針を各七本をさし、七つの孔に五色の糸をより合わせて貫く。また琴柱を立てた箏の琴を乗せ、香炉には空薫きを絶やさず、机の四角に黒塗りの燈台九本を立てて、燈を点じた。
『その由縁いかにと尋ぬれば、古代中国では、牽牛(彦星)は鷲座のアルタイル、織女は琴座のベガと言い、これらを擬人化して一年に一度、七月七日の夜天の川を渡って、逢瀬を楽しみ――』
辻さんが準備のそばから、色々と教えてくれた。その後、和歌や願い事を書いた五色の短冊・色紙・切紙細工を笹竹につけて庭に掲げた。夕飯には、邪気を払うため索餅と冷麺を食べた。これも習慣らしい。
「昔から年中行事がすごいんだよな……この家」
現代の日本では、もう形骸化していて、あんな風に本格的に催す家庭はどれくらいあるだろうか? もちろん七夕だけではない。雛祭りは特に力を入れてやっている。七段の――
「もし」
やをら歩いて来たのは、その従姉妹だ。俺の隣に正座する。
「琴は終わったのか?」
「今日は気が乗りませぬ……」
「ふぅん」
一雨止んで、しとど濡れている庭の草木。一陣吹けば、葉擦れと風鈴が鳴る。天を仰げば、厚い灰曇が、追ったてられるように旅立つ。また一雨きそうな雰囲気だ。
「なあ。この家に、俺の小さい頃のアルバムとかあったっけ?」
「はい。されど、いかなる仔細で?」
「いや、先輩が見たいって」
前のエピソードで、俺が彼女の家に行った時、そんなことを言ってたのを思い出した。
「心得申した。では妾より桃どのに覽擧いたしましょう」
俺の見間違いだろうか。今し方、彼女の目元口元に、陰翳がチラついた気がする。が、後はさあらぬ体に戻っていた。