【e5m42】お嬢様モード
とりあえず書けました。シリアスシーンは苦手です。
ある日、常田先輩が午後8時半を過ぎても帰ってこなかった。心配していると、パソコンからビデオ通話が来て、他ならぬ彼女からだった。
「すいません。残業がさらに長引きそうなので、しばらく実家から通います。そちらが近いので……」
お嬢様モードの彼女は、抑揚なくそう告げた。日に日に遠ざかる関係に、俺は不安を募らせていたが、さらに隔たったわけだ。一層酷くかき乱れる心地が、いよいよ無視できなくなってきた。
『ウソでしょ⁉︎ 職場体験の学生が普通そこまでします? 何かおかしいですよね?』
そう問い詰めたところで、先輩を困らせる以外、何になろう? やはり俺が――いや先輩も我慢するしかないのだ……。
「わかりました……」
「電話は毎日欠かさないようにします。休日はそちらに帰りますから」
慰める術はその一言だった。けどこのお嬢様モードは、まさにコールセンターの口吻。落ち着いたテンポで聞き取りやすいが、どこか冷徹で事務的、以前のはっちゃけた親しみは消え失せている。もちろん先輩の芳意が、嘘であるはずがないが……。
「待ってます」
先輩が帰ってきたら、めっちゃラブラブしてやろう。お預けになってる分、きっと喜びもひとしおだ。他のヒロインが乗り込んできて、何と言おうが暴れようが気にするもんか!
俺はゲーマーなんで、季節の移ろいには疎い。エアコンの効いた自室で、フラグするかされるの日々だからな。窓の外を眺めるのは……そうだな、ダウンロード販売が普及する前だ。代理店発送の箱を積んだトラックを、今や遅しと待っていたものだ。もちろん、モニターには荷物お問い合わせシステム(配送中)が開いたまま。けど待っているのはゲームではない。
「お……?」
快晴の休日、ピンクのマッスルカーが、陽炎の中をゆっくりとやってくる。あれに常田先輩が乗っている。一目見るや否や、ウッキウキの俺は玄関の外まで駆け出した。
「こんにちは」
夏日というのに、一瞬で全身が冷たくなった。車から降りたのは、いまだにお嬢様モードの先輩。しかもバッチリメイクを決めて、他所行き用に粧し込んでいる。もし俺以外の男が見たら、色めき立つだろう。けど、他ならぬ俺だ。いろいろ察してしまい、再会の喜びが瞬時に霧散、顔は強張り、ジャガイモのように押し黙ってしまった。
「言いたいことはわかります。この口調でしょう?」
「研修担当から、そっちの方がふさわしいので、常時それでと言われてたんですか?」
「はい」
「それで、その格好からすると、会社の出事があるんですね?」
「……」
そんなつもりはなかったが、無意識に詰問の語気を醸し出していた。グサグサと言い当てられる彼女は痛々しく、目も合わせようともしない。
「わたしの歓迎会も含めたお茶会があって、そこで研修もあるんです」
「それ……絶対に行かないとダメですか?」
「わたしのために開かれるので、行かないのも失礼で……」
「……」
重苦しい空気が淀む。騒がしいアブラゼミの鳴き声が入ってくる。アメ車の電動ファンも回り始めた。カットシーンなら、俺と先輩の不穏な顔のアップが交互に切り替わっているだろうな。
「しょうがないっすね」
「本当にごめんなさい……ごきげんよう」
先輩が口を開く前、俺はすでに踵を返していた。
「なんなんだよ……俺の前ではあんな喋り方しなくていいのに」
日がな一日モヤモヤが纏綿としていた。俺のステータスにもっと徳があったら、抱きしめてキスした後、きっぷよく送り出せただろう。それで先輩も気持ちよくお茶会に行けたに違いない。
けど先輩への想いは、通り一編なく膨れ上がり、掛かり気味の感情を抑えるので精一杯だった。だから、さっきみたいに単に顔を背けた方が楽だった。先輩の沈鬱姿が、今も俺の胸内に揺曳してくる。後ろからの『本当にごめんなさい』も虚しくて……。
「また負けた……」
気を紛らわせるために、対戦マルチをやっているが、それどころではなかった。軽率なミスでずっとやられる始末。
『ザッコwww』
こんなメンタルで遊ぶのが悪いが、心ないサブヒロインにも煽られて、俺は萎え落ちた。
先輩に怒ったってしょうがない。休みさえ犠牲にして、必死に仕事に慣れようとする姿勢は、むしろ称賛すべきじゃないか? ポカをやりつつも、愛されキャラになるんじゃないかと考えていたのは、甘かったな。
「最初はリクルートスーツを着せられ、次にピンクが髪黒になり、巨乳を封じられ、喋りまで変えられてしまった……ああ、香水もか」
1つ1つ数えていく。それが社長令嬢としてふさわしいのか? 個性を消して、こ綺麗に刈り揃われたプードルよろしく振舞うのが正しいのか? くそくらえだ。
さっきの先輩、メイクで巧妙に隠していたが、面痩せしていた。髪にも艶が失われていた。慣れない仕事に、日々精神を削っている。日々一緒にいた俺だからわかる。
「我慢だ我慢。一番辛いのは先輩なんだぞ? 職場体験が終われば、全てがまた日常に戻って、くっだらないイベントの目白押しなんだ……」
そう自分に言い聞かせて、あぶれる感情をなんとか持ち堪えていた。いつ終わるのかはわからない。けど、もう終わりだろう。そうに違いない。そう信じたい。
「気分転換に、パズルゲーでも買って遊ぶか」
気ままにスチールをブラウジングしていると、とあるものが見つかった。
ストアページの概要によれば、“パズルゲームをリラックスさせて、気分を良くしてください”とあり、今まさにそうしたい。98円で、実績が3,000個も解除できる。
「お、自分が持っている画像データをパズルに使うことができるのか」
今はもう途絶えてしまった、“今日のまいちゃん”の写真を入れて、せめてもの慰みにするか……。
次の話の骨子は決まりました。休みに書く予定ですが、時間をいただきます。