7. ルイーズ様
いつも不機嫌そうな殿下ばかり見てたから、あんな風に笑顔全開だと『もしや双子の兄弟がいるのでは』と勘ぐりたくなるくらい別人に見える。
(昨夜よりは元気みたいだけど……あまり無理しないで欲しいなあ)
それにしても、笑っている殿下は掛け値なしに綺麗で麗しい。紫の瞳はシャンデリアの光を集めて夜明けの空のように淡く明るく輝き、夏空の入道雲のように白いプラチナブロンドの髪は、整った細面の顔をふんわりと包んでる。まるで絵本にあった、神の御使いのようだ。王族という肩書きも相まって、あれほど大勢の人に取り囲まれてしまうのも無理もない。
殿下は、私がこんなところにいるなんて想像もつかないだろう。もし見つかったら、勝手な仕事するなと怒られるかもしれない。
(まあ殿下も忙しそうだし、気づかれないでしょ)
私は気にせずノーラさんの後を追った。ノーラさんは、縦横無尽に行き交う人の流れをはばむことなく、慣れた様子ですり抜けていく。
やがてノーラさんは足を止めると、視線を壁際のテーブルへと向けた。
「あなたは庭園側をお願いできる? 大皿はかなり重いから気をつけて」
「承知しました」
庭園へと続く窓側の長テーブルには、お花のように可愛らしいオードブルがズラリと並んでいる。ところどころ空いてる部分は、誰かが食べたのだろう。そしてテーブルの一番端のスペースには、使い終えたお皿やワイングラスが置かれていた。
「空いたお皿やグラスは、左端の出入り口の外に置いてあるワゴンに乗せておけば、キッチン担当が洗い場まで運んでくれるわ」
「はい、分かりました」
大広間にはざっと見たところ、料理のテーブルが三箇所と、使用済みのグラスを乗せるテーブルが五箇所ほどあった。庭園側は他と比べて片付ける食器が少ないようだが、それでも料理のテーブルまで侵食している。
(早くどかさないと!)
しかしこの位置は、ワゴンが待機する出入り口から最も遠いので、人の間を縫って片付けるには効率が悪い。
(庭園を通って、中央回廊から会場の入り口へ行くなら、少し遠回りだけど人混みは避けられるな……)
屋内は大勢のお客様がいて、動線が確保しにくい。それにトレーひとつに乗せられる皿やグラスの数は限りがある上、人を避けて運んでいたら余計に時間もかかる。その点、庭から運び出せば、素早く人目に触れずに運び出せるから、時短にもなるはずだ。
「ノーラさん、いっそのこと食器類は庭から運び出してはいかがでしょう。中央回廊にもワゴンを用意していただければ、キッチンへ早く運べますし」
「いいわね、それ! すぐにワゴンを用意させるわ。中央テーブルの空き皿も庭から運び出した方が良さそうね」
「それでしたら、庭園側のテーブルに運んでいただければ、私が庭を通って中央回廊まで運びます」
ノーラは心得た、という様子で頷くと、ワゴンを用意するため広間の出入り口へと引き返した。
(さてと、ワゴンが準備できるまで、先に中央テーブルの空いた皿を庭園側のテーブルへ運んでおこう)
私はさっそくトレーを使って仕事に取り掛かった。二往復ばかりしているうちに、ノーラさんが戻ってきて驚いた顔をした。
「まあ、もうこんなに運んじゃったの!」
「ええ、このトレーですけど、お皿はうまく重ねれば一気に二十枚近く運べますよ」
ノーラは「力持ちねぇ」と感心したように目を瞬いた。たしかにかなり重いけれど、これくらいの荷運びは実家の店の手伝いで慣れてるからなんでもない。
「じゃあ、私は自分の持ち場に戻りますね。さっそく庭から中央回廊へ運び出します」
「ええ、お願い。私は中央テーブルだけではなく、部屋中に散乱しているお皿やグラスを集めて、庭園側のテーブル
に纏めておくわ。きっと庭から運んだ方が早そうだから」
こうしてノーラさんと私で協力して、どんどんお皿を片づけた。すると滞っていた料理は順調に運びこまれ出す。どうやらうまく作業が流れているようでホッとした。
その間私は、せっせと庭の端の茂みを抜けて中央回廊のワゴンへ空き皿やグラスを運んだ。何往復した頃だろうか……ふいに声をかけられた。
「ちょっと、そこの君」
目の前に、大柄な男性が立ちはだかった。赤い顔に満面の笑みを浮かべているところを見ると、かなり酔っぱらっているようだ。
「ねえ君……シャンパンを2つ、向こうの東屋に運んでくれるかい?」
男性が指し示す方角は、庭園の奥だった。明かりがあちこちについているけれど、東屋は木々に隠れているのか、ここからでは確認できない。
「それでは、誰か呼びにいって参ります」
「君に、運んで欲しいんだがね」
私はトレーを見下ろした。手持ちの空きグラスを早くワゴンに運びたいが、お客さんのたってのお願いを無下にお断りするのも気が引ける。
なんと返事すればいいか困っていると、酔っ払い男はジリジリと距離を詰めてきた。なんだか怖くなって後ずさりしたその時……闇夜にまぎれて、よく通るすずやかな声が響いた。
「サイモン卿、こちらにいらしたのですか」
「ル、ルイーズ殿下……!」
茂みから姿を現したのは、ルイーズ殿下だった。先ほど大広間で見た、あの優雅な微笑みを浮かべて、サイモン卿と呼んだ男性と対峙する。
「先ほどから、奥方があなたを探して、あちこちの人に声をかけてますよ。そろそろ庭にも、探しに出て来られるかと……」
「そ、そうかっ、では私は戻るとしようかなっ……はっはっは」
サイモン卿があたふたとその場を去っていってしまうと、殿下は小さくため息をついて、トレーを手に呆然とする私を軽くにらんだ。
「あの男は、メイド食いで有名な男だ。なんでこんな暗がりで、二人きりでいたの」
「ち、違いますっ……私は頼まれて、片づけをしていただけで」
「それに、その恰好は何? 誰の許可を得てメイドの真似などしてる?」
殿下は不機嫌全開の顔をして、私の手からトレーを取り上げた。
「これ、どこに運ぶつもり?」
「あ……向こうの、ワゴンまで」
殿下はトレーを手に、スタスタと中央回廊へ向かって歩き出した。私はあわてて後ろについていく。
「まったく、こんな重たいもの持って、こんな暗がりを歩くなんて……木の根に足を引っかけて転んだらどうするの。まったく、危なっかしい」
「すいません……」
殿下は相当気にくわないようで『こんな』を連呼しながら文句を言い続けた。
「こんな余計なことしないで、さっさと寝ればいいのに。どうせ夕食もまだなんだろう……まったく、どうしてこんな余計な真似を……」
殿下は、カチャカチャと音を立ててワゴンにグラスを移すと、空になったトレーを「はい」と私に押し付けた。
「どうせ最後まで手伝うつもりだろう。さっさと持ち場に戻ったら?」
「すいません……」
「どうしてあやまるの」
はあっ、と殿下は焦れたようなため息をついて腕を組む。
「どうせなら、お礼を言ってよ」
「あ……ありがとう、ございます……」
殿下は「ん」と小さく言うと、庭へと引き返していく。
私はなんだか気まずくて、もう少ししてから会場へ戻ろうと、中央回廊に突っ立っていたら、なぜか殿下はクルリと方向を変えて、ズンズンと勇み足で戻ってきた。
「だから! こんなところに一人でいたら、また同じ目に合うよ!?」
「あ……」
「少しは学習しなよね」
そういって殿下は私の手首をむんず、とつかむと、庭園へ向かって歩き出した。
「あのっ、私、戻らないとっ……」
「気が変わった。君はもう部屋に戻って寝ないとダメだ。昨日だって、ろくに寝てないだろう? ノーラたちには僕から話しておくから、君はここで待ってて」
薔薇のアーチまで連れてこられた私は、強引に傍のベンチに座らされた。
「絶対に、ここから動くなよ」
「分かりました」
私は観念すると、ベンチの背もたれに寄りかかって頭上をながめた。
(あ、星形の提灯だ……綺麗だなあ)
庭を照らすのは、大小様々な星の形をした提灯だった。手すきの紙に包まれたやわらかい光は、辺り一面を幻想的に彩ってる。
(うちも、こんな提灯作るといいのになあ。町のお祭りとかでも、きっと映えて……)
そこまで考えて、頭を振った。こんなこと考えても仕方ない。自分はもう、あの家を出てきたんだ。
「お待たせ……どうしたの」
「いえ、別に何も?」
少し息を切らせた殿下が、小さな包みを抱えて戻ってきた。
「ほら、寝る前に少し食べるといい」
差し出された包みを開くと、中から焼き菓子やひと口大のサンドウィッチ、果物などが出てきた。
「えっ、これ……?」
「いいから、早く食べなよ」
殿下はベンチの隣に座ると、とまどう私に、早く食べるよう勧めてきた。
「い、いただきます」
食べ物を口に運びながら、熱くなる頬に気づかれたくなくて、うつむきがちになってしまう。ぶっきらぼうで強引だけど、殿下はとってもやさしい人だ。
無言のまま食べてても、殿下は何も言わなかった。でも不思議と気まずくならず、それどころか優しい時間にすら思えた。
やがて食べ物をすべて平らげてしまうと、名残惜しい気持ちで顔を上げる。すると予想外に近くにあった殿下の顔にびっくりした。
「あの……ありがとうございました」
「別に。大した事してないけど」
「でも、殿下がいなかったら、今頃……」
「ところでさあ」
殿下はイラついたように、私の言葉をさえぎった。どうしたのだろう。
「僕には、弟が五人いるんだよね」
「あ、そうなんですか」
いきなり話題が飛んだので、少々面食らってしまった。
「そう。つまりこの城には、僕を入れて王子が六人いることになる」
「はあ……」
私のぼんやりした相づちに焦れたのか、殿下はすくっと立ち上がると、私の正面に回って腕を組んだ。
「だから! 『殿下』だと誰の事か分かりづらいから、名前で呼べってこと」
「……」
「何、僕の名前を覚えてないの」
私は今度こそ、あっけに取られた。
「えーと、ルイーズ、様……?」
するとルイーズ様は、顔をくしゃっとさせて、先ほどの広間で見たときよりも満面の笑みを浮かべた。
「そう、それでいい。今度からそう呼ぶこと。いいね?」