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5. 真夜中の拾いもの(人)

 足元に転がっているのは、まぎれもなく殿下その人だった。


「大丈夫ですか、殿下!」


 ひざまずいて声をかけると、かかげたランプの光に向かって、紫色の瞳がまぶしそうに薄っすらと開いた。


「騒ぐな……大丈夫だ」

「とても大丈夫そうには見えないんですが!?」

「じゃあわざわざ聞くな……」


 殿下は弱々しい声でそう言うと、背を丸めて苦悶の表情を浮かべる。


(大変だ……これは一刻を争うかもしれない)


 急いで救援を呼ぼうと立ち上がりかけるも、スカートの裾をつかまれて引き戻されてしまった。


「誰も呼ぶな……少し飲み過ぎただけだ」

「飲み過ぎ?」

「だから、そう言ってるだろう」


 それきり殿下は口を閉ざすと同時に、目も閉じてしまった。しかし相変わらず、スカートの裾は掴んだままだ。よっぽど人を呼ばれたくないのだろう。


「……分かりました、誰も呼びませんから放してください」


 私の言葉に安心したのか、殿下はスカートを手放すと、廊下に身を投げ出した状態で動かなくなった。あとは規則正しい呼吸に合わせて、全身がわずかに起伏するだけだ。


(まさか、このままここで寝るつもり? いやいや、ダメでしょマズイでしょ……)


 助けは呼べないけど、このまま放っておくわけにはいかない。私はグッタリしている殿下の腕をつかんで自分の肩に回すと、両足を踏んばってなんとか立ち上がった。


「なに、してるんだ、君は……」

「私の部屋に運びます。そこなら誰にも見られないし、ベッドもあるからゆっくり休めます」

「だが……」


 殿下は反論しかけたけど、私は構わず引きずりながら歩き出した。細身とはいえ成人男性だし、力が抜けた人間の体は想像以上に重い。数歩進んだだけで腕が痺れ、汗が吹き出してきた。


(つ、つら……でも早く運ばないと。殿下は風邪引いたら、仕事休めるのかな……いやたぶん休めないだろうな)


 あれこれ考えていたら、急にフッと肩にかかる重さが軽くなった。よく見ると殿下が私にもたれつつも、なんとか自力で歩いている。具合が悪いところ申し訳ないけれど助かった。


「私の部屋まで、もう少しですからっ……なんとか持ちこたえてください」

「もう、ここでいい……重いだろう」

「ここはまだ廊下です。廊下で寝るのはナシです」

「しかし……」


 なにを遠慮してるのだろう。ここで放り出すことができたら、その人はかなり非道なんじゃないか? 私は汗をかきながら、必死に力と声を振り絞った。


「へ、平気ですっ……実家の提灯屋では、もっと重い荷物を、毎日運んで、鍛え、て、まし、た、から……」

「分かったから、無理に喋るな……」


 殿下もようやく観念したらしく、私の歩調に合わせて足を動かした。こうしてなんとか部屋にたどり着いた時には、予想以上に全身がバキバキになっていた。明日は間違いなく筋肉痛になるだろう。それでも殿下を一度も床に落とさず、ベッドまで運びこめたのは、我ながら偉かったと思う。


「お水、飲めそうですか」

「……」


 返事がない。とりあえず洗面所からカップを取ってくると、ベッドのサイドテーブルに常備された飲料水の瓶を引っ張り出した。


「お水……」


 ベッドに横たわる殿下を覗きこむと、おそろしく顔色が悪い。震える唇から漏れる息からは、特にアルコール臭はしない。


(これ、飲み過ぎって感じじゃないよ……!)


 実家にいた頃、父親が町の寄り合いの飲み会で酔っぱらった時の記憶を手繰り寄せる。泥酔した父親は、とにかく真っ赤で酒臭かった。当時の記憶と、殿下の今の状態とでは、一から十まで一致しない。


「どうしよう。もしや大変な病気なのでは……」


 体を丸めてベッドに横たわる殿下の顔色は、もはや青さを通り越して蒼白といったレベルだ。飲み過ぎたと言う割には酒の匂いが皆無で、なにか痛みをこらえるように眉間に皺を寄せている。そしてよく見ると、胃のあたりに手を当てている。


「もしかして……お腹が痛いんですか」

「……」


 無言の反応に確信を得た私は、少ない荷物を納めたチェストから湯たんぽを取り出した。下手に胃薬を飲むより、まずは温めたほうがいいだろう。


(本当は誰か呼んできたいけど……しかたない)


 騒ぎにしたくないようだから、何か事情があるのだろう。もしかしたら、はじめてじゃない可能性がある。

 簡易コンロでお湯を沸かすと、それを湯たんぽに入れる。それを柔らかいタオルを巻けば完成だ。できたてのホカホカをベッドに運ぶと、驚かないようそっと声をかけた。


「殿下、これをお腹に当ててください」

「……なんだ、これは……」


 殿下は、伏せた瞼を訝しげに持ち上げると、私が差し出した湯たんぽを物珍しそうに見つめている。こんな便利なアイテムなのに、これまで使ったことないのだろうか。


「湯たんぽです。温かくて気持ちいいですよ。お腹を温めれば、少しは痛みもマシになるかもしれません。ぜひ使ってください」


 そう言って強引に湯たんぽを殿下の腹部にねじ込んだ。弱っている殿下は、遠慮も拒絶もできないのだろう……大人しく湯たんぽを懐に抱きかかえた。


「うん……これは、いいな……」

「よかった。きっと冷えたんですね。そんな薄着で、あんな寒い廊下に転がっているからですよ」


 殿下は豪華なレースをあしらった薄いブラウスに、金ボタンが飾られた丈の長い上着を羽織っていた。ちなみに上着は窮屈そうだから、有無を言わせず脱がせた。

 それから首周りを包むスカーフのような布を取り除き、襟のボタンを外してくつろげる。今の状況を誰かに見られたら、完全に痴女と誤解されるだろう。


「ゆっくり休んでください」


 厚手の毛布を持ってきて、上に重ねる。これで今夜はしのげることを祈ろう……私はひと仕事を終えたような気持ちで、ようやく息をつくことができた。

 このまま眠るかと思いきや、殿下は再び閉じていた目を薄っすら開いた。まさか、まだどこか痛むのだろうかと身構える。


「君は、どこに寝るつもりだ……」


 かすれた声で問われ、私は拍子抜けしてしまった。


「え、そこの敷物の上で寝ますけど?」

「なんだと……そんな場所で、眠れるのか……?」


 そっちこそ、そんな状態でなに人の心配しているんだと、心の中で突っ込んでしまう。殿下の気遣いはとてもうれしいけど、今は何も心配しないで休んで欲しい。


「私なら慣れてるので大丈夫です。毛布代わりになるコートもあるし、揺れないだけ乗合馬車よりずっとマシですから、全く気になりません!」

「……最低、だな……」

「へっ……!?」


 何かの聞き間違いだろうか。たしかにコートに包まって床に寝ても平気とか、殿下のように上品な人たちにとっては考えられない感覚なのかもしれない。


「女性を、床に寝かせるなんて……僕は最低だ……」


 そう言って殿下はスゥッと意識を失うように眠ってしまった。私はやれやれと、ひと仕事終えた気分でコートを手に敷物の上に横たわった。






 それからどのくらい眠ったのだろうか。ふと目が覚めると、殿下の姿はなかった。


(あれ、まさか夢……?)


 だがコートの上に掛けられた毛布に、昨夜の出来事が現実だったことを教えてくれた。この毛布は間違いなく、殿下が掛けてくれたのだろう。

 しかも空っぽのベッドを確認すると、きちんとベッドメイクされていた。具合が悪いのに、余計な気を使わせてしまった。


(まさかと思うけど……寝てるうちに、誰か別の人が王子様を運び出したとかじゃないよね?)


 あれだけ人を呼ぶなと言ってたから、それはありえないだろう。つまり、ある程度は回復して出ていったことになる。


(ひとまず安心したわ……さて、私も仕事へ行こう)


 肩をグルグルと回してみると、予想通り筋肉痛になっていた。でもぐっすり眠れたようで、体調は悪くない。


(さて、昨日の表計算の見直ししなくちゃね……昼までに提出する約束だから、グズグズしてられないな)


 時間を確認したら、中途半端に寝坊してしまったようだ。仕方なく朝食は断念し、身支度を整えたら執務室へと直行する。


(このままじゃ、逆にいつもより早めに着いちゃうかも)


 一番乗りだろう、と扉を開くと、執務室にはすでに先客がいた。


「おや、今朝はずいぶんと早いですね」

「……宰相様こそ、お早いですね」

「私は普段通りです。よろしければこちら、召し上がりますか」


 テーブルの前には、大量のサンドウィッチや果物が積まれたワゴンがあった。


「わあ、いいんですか!? 実は寝坊しちゃって朝食食べ損ねてしまったので、お腹空いてたんです。ありがとうございます!」

「そうですか、それは結構」


 宰相様は真向かいの席に着くと、私の分の取り皿だけ用意してくれた。どうやら自分は食べるつもりは無いようだ。


「すいません、いろいろと食べ物までお気づかいいただいて」

「いえ、こちらは私からではなく、ルイーズ様からの差し入れです」


 その言葉に、サンドウィッチの皿にのばしかけた手が一瞬止まった。


(殿下から? 昨日具合悪かったのに?)


 もしかしたら、私が寝坊することは想定済みだったのかもしれない。


(なんだかんだで、寝るのが遅くなったからなあ)


 いろいろあったけど、殿下が回復したのならよかった。安心してサンドウィッチにかじりつくと、向かいの宰相様が湯気の立つ紅茶のカップを優雅に口に運びながらつぶやいた。


「まるでルイーズ様は、あなたの行動を先読みしていたかのようですね」


 宰相様の意味深な言葉に、昨夜のことがバレたのかもドキドキしたけど、それ以上は追求されなかった。素知らぬ顔でサンドウィッチを頬張りながら、あの時の殿下の様子を思い出す。たぶん、いやきっとあの姿は、誰にも見られたくなかったに違いない。


(なんだか私、殿下の心労の種ばかり作ってる気がするよ……わざとじゃないけど。不可抗力みたいなものだけど)


 殿下は強がりばかり言って、実は無理をしてるのではないか。今だって、本当は具合悪いかもしれない。


「あのう、殿下は朝食を召し上がったのでしょうか」

「なぜ、そのようなことを気にされるのです?」

「ええと、それは……いただいたサンドウィッチを食べてたら、なんとなく」


 見透かすような視線を避けながら、私はさりげなさを装ってたずねてみた。


「朝食は一日のはじまりで、大切な食事ですから。さいきんは朝食を食べない育ち盛りの若者も多いので、心配なんです」

「あなたも育ち盛りの若者でしょう。それに寝坊して、食いっぱぐれるところだった。違いますか?」


 宰相様が、軽口めいた言葉を口にした。


「ルイーズ様なら、今朝もいつも通りの朝食を済ませて、公務に向かわれましたよ」

「そうですか……それはよかった、です」


 少なくとも腹痛は治ったようだ。でもあの倒れ方は普通じゃなかったから、油断はできない。本当は直接会って確かめたいけれど、ここ数日を振り返ってみると、殿下とほとんど顔を合わせる機会がなかったことに気づいた。


(次は、いつ会えるんだろう……)


 冷めかけたカップのお茶が、なんだかやけに苦く感じた。

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