4. 勇者代理の初仕事
殿下の後に続いて執務室に入ると、奥の会議用テーブルで書類を広げていた宰相様が立ち上がった。
「ヨリ・クラルテ、こちらへ」
相変わらず威圧感たっぷりな視線にうながされて、隣の椅子に腰を下ろした。飴色に輝く大きなテーブルには、数字がびっしり書き込まれた書類の山がいくつも、所せましと積まれている。
「まずは、こちらをごらんなさい」
差し出された紙の束を受け取って、ざっと目を走らせた。
「えーと、表計算みたいですが……各行に名前が書かれているってことは、ひょっとしてギルドに所属している人たちの能力値ですか?」
「ええ、これはギルトメンバーの能力を数値化したものです。魔力・体力・その二つを合わせた総合力、それに加えて特技や個性を加味し、その上で算出した能力値をレベルごとに分類、各地域のギルドに見合ったメンバーが配備されるよう、毎月調整を行ってます」
改めて表をよく見てみると、ところどころ空欄があり、明らかにやりかけといった感じが否めない。
「途中まで計算してありますけど、これはもしかして宰相様が?」
「僕に決まっているだろう」
驚いて声がした方を仰ぎ見れば、不機嫌そうに腕組みする殿下の視線とぶつかった。改めてお顔を拝見したけど、なんだかお疲れのよう。
(目の下に隈ができてる……ちゃんと眠れてないのかしら)
この宮殿にやってきて日が浅いとはいえ、その間はほとんど殿下と接点がなかったから、彼がどんな生活を送っているのか謎だ。
そこで、はたと気づいたことを口にする。
「殿下がこの計算されたということは……もしや算術がお出来になるのですか?」
「当たり前だろう。僕は仮にも、現職の勇者だぞ」
「え、でも……てっきり殿下が計算苦手だから、私が雇われたものだとばかり」
すると殿下は、恐ろしい剣幕で私の両肩をがしっとつかんだ。
「馬鹿にするな」
鼻先がぶつかりそうなくらい顔を近づけられ、底冷えするような紫色の目でにらまれる。やっぱり隈がひどい。コンシーラーで隠そうとしてるけど、色が濃すぎて隠しきれてない……不機嫌さも、おそらく寝不足からくるのも大きいから心配だ。
「僕だって計算くらいできる。苦手だなんて、ひと言でも言ってないだろう。いいか、僕は幼少の頃より、勇者になるべく英才教育を受けてきたのだ。それに算術には自信があった……でも」
そこで殿下は言葉を切った。白く長いまつ毛が、まるで瀕死のモンシロチョウのように、小刻みに揺れている。これはまずいサインだ。
「いや、それはどうでもいい……とにかく僕は、勇者としての職務だけではなく、王子としての公務もある」
勇者と王子を兼務する忙しさから、あまりよく眠れてないのだろうか。
「……分かりました、殿下はご公務に集中してください。勇者の仕事は、この『勇者代理』である私が、精一杯勤めさせていただきます」
「当然だ」
「ですから、少しでも多く睡眠を取ってください」
そう付け加えると、殿下はびっくりしたように体を引いた。
「何を言っている?」
「だって目元に隈が……」
私がそう言いかけると、殿下はパッと顔をそむけた。耳から首筋にかけてみるみるうちに赤く染まっていく……色が白いからものすごく分かりやすい。
(余計なお節介だったかな……でも言わずにはいられなかったもの)
なんだか申し訳ない気持ちになって口を閉ざすと、隣に座る宰相様が「ほらごらんなさい」と、誰もが言われたくないセリフの上位であろう言葉を口にした。
「どうせ、ごまかしの化粧したって無駄だと申し上げたでしょう。あなたはもともと肌が白いのですから、厚塗りしたって、その濃い隈は隠しきれませんよ」
赤い顔して悔しそうに顔をしかめる殿下に対し、たしなめる宰相はやはり心配そうな顔をしている。殿下って、普段どんだけ忙しいんだろうか……。
「あのう、殿下のご公務って、眠れないほどスケジュールが詰まっているのでしょうか」
「当然でしょう。第一王子は外交関連の政務をメインに、治水事業を含む公共施設の視察、その他にも国王陛下の代理公務がございます。さらにここ数か月はほぼ毎晩、外交戦略の一環として、国内外の賓客を招いてのパーティーや食事会といった社交業務も連日のように続いてることもあり、なかなかまとまった休みが取れにくい状況ではありました」
ほぼ毎晩……それじゃゆっくり眠れなくて当然だ。しかも昼間は、他の仕事をしているわけだし、その上この膨大な量の表計算を勇者としてやらなきゃならないなんて無茶な話だ。それに寝不足たと計算間違いの元にもなる。
(私が雇われた理由が分かった気がするけど、なんか複雑な気持ちだなあ……)
私も実家の帳簿付けしてる頃、よく頭痛に悩まされたものだ。疲れているとこ夜更かしして、細かい数字とにらめっこしてたから無理もない。
でも私の経験なんて、王子殿下の苦労と比べたら……と、隠しきれない疲労感を漂わせてる殿下を見つめる。
「……なんだ、その哀れむような目は。パーティーなんて、ただ座ってヘラヘラ愛想振りまいているだけなんだ。疲れるわけがないだろう」
「……」
「あと僕は、同情されるのが大嫌いだ。君こそ人を哀れむ暇があったら、自分の心配しとけ。このテーブルの表計算はすべて君にやってもらう仕事だからな」
「あ、はい……存じております」
もはやどんなにすごまれても、お気の毒としか思えなくなった。
(それも失礼かな……生まれながらに背負った義務に、この人は強がりを言いながら全うしようとしてるんだから。私はただ、そのほんの一部を影ならサポートするだけ。でも少しでも、この国のために働く殿下の助けになれば、それって引いては世のため人のためとなる、素晴らしい仕事なのでは?)
俄然やる気が出てきた。
私は改めて、テーブルの書類の山に目をやる。たしかに量はあるけれど、ざっと見たところどれも単純な表計算ばかり。
この程度の仕事で、王子様の貴重な睡眠時間がゴリゴリ削られるのは忍びない……そんなときこそ私の出番だ。
「お任せください殿下!」
こうして午後一杯、執務室で表計算をすることになった。借りたそろばんを片手に、黙々と表を埋めていく。
(勇者の仕事って、すっごく地味なものもあるんだなあ)
もちろんこの仕事はほんの一部で、他にもいろいろ派手?な作業もあるのだろう。なんといっても勇者だし、魔物と刃を交えるなんて想像も難くない。
ただ少なくとも、私がお手伝いできる範囲は地味の極みだ……しかし精度が求められるから気が抜けない。
「……大したものですね、もう半分以上も片付きましたか」
夕方になると、様子を見にやってきた宰相様が、なぜかお茶のワゴンを押してきた。まさかの宰相様にお茶を運ばせるなんて、と急いで席を立って支度を手伝おうとしたら、ギロリとにらまれた。
「あなたは自分の仕事に専念してください。まあ軽いものばかりですが、夕食はこれでしのいでください」
「すいません、宰相様にはいろいろお気を使わせてしまって……」
「これはルイーズ様のお心遣いです」
「えっ……殿下からの?」
驚いたことに、差し入れは王子殿下から指示されたそうだ。めちゃくちゃ忙しいはずなのに、こんな配慮までしてくれるなんてと、目頭が熱くなりそうだ。いや私も疲れてきたのかも……人の親切がやけにしみる。
「殿下って、本当にすごい方ですね」
「ええ歴代の勇者の中でも逸材だと評価が高い。本当はその仕事もこれまで通り、ルイーズ殿下自ら行うおつもりだった。でも最近ご公務が重なった為、さすがに全てお一人でこなすのが難しくなり、やむを得ずあなたの力を借りることになったのです」
「それは……私も仕事をいただけて、ありがたいお話でした」
「そうかもしれません。しかしあの方の視点は少し違う」
宰相様は、少しの間だけ言葉を切ると、ゆっくりと噛みしめるように語り出した。
「影武者……勇者代理は、表に出ない仕事です。その功績は全て、王子殿下のものとなる。おそらくルイーズ様は、ある種の罪悪感を覚えるのでしょう」
「罪悪感って……そんな、私は納得して仕事してますから」
宰相様は腕を組むと、緩く首を振った。
「あなたに対する罪悪感ではありません。仕事を全うできない自分自身に対して、です。あの方は本当は、代理勇者なんて雇うつもりなど毛頭なかったようです」
「ええっ!? ぐふっ……」
私はお茶を飲み損ねて、思いっきりむせた。ゴホゴホと汚い咳をする私を、宰相様は冷ややかに見つめている。
「あの方は幼少の頃より志が高く、真の勇者になるべく率先して英才教育を受けられてきた。誰かに頼る『勇者代理』制度などに、頼りたくなかったのでしょう」
すると私は、殿下にとってストレスの種だ。しかも頑張って成果を出せば出すほど、殿下の自尊心を傷つけてしまう。
「やる気がなくなりましたか」
「いえっ、そんなことは!」
宰相様の指摘に、私はあわてて首を振った。いかんいかん、ついネガティブ思考に陥ってしまったけど、私は必要に駆られて雇われた人材だ。その期待に応える為にも精一杯努力しよう。
「言っておきますが、雇ったからには王子にご満足いただくよう、きっちり仕事をしていただきますよ?」
「はい!」
宰相がお茶を片づけて退出してしまうと、私は書類を前にぐっと拳を握った。
(よし、まずは与えられた仕事を全力でやるぞ)
少なくともこの仕事に関しては、安心して任せてもらいたい。信頼を勝ち取ることが、今の私の目標だ。せっかく現職の勇者自らスカウトしてくれたのだから、期待に応えたい。
その後も強行軍で夜通し作業を続け、空が白む頃にようやく表計算を完成させた。
(提出前に、もう一度見直しておいたほうがよさそうだな)
単純計算とはいえ、真夜中から明け方へかけての脳の働きに、いまいち自信がない。
(少し仮眠取ってからにするかな)
書類の束を規定の書庫にしまうと、宰相様から預かったカギをしっかりとかけて部屋を後にした。
明け方とはいえ、廊下はまだ真っ暗で、手にしたランプの明かりだけが頼りだ。静まり返った廊下には、コツコツと自分の足音だけが響いている。
本当に誰もいないんだなあ、としみじみ思っていたら、何かにつまずいた。
「わわっ!」
もう少しで派手に転ぶところを、寸でのところで踏ん張った。
(な、なにコレ……人?)
手にした小さな明かりで足元をかざすと、床に人が倒れていた。それだけでも心臓が飛び上がりそうになったのに、さらに誰だか分かって、あやうく叫びそうになった。
「でで殿下!? どうしてこんなとこに……」
廊下にぐったりと横たわっていたのは、なんとルイーズ王子殿下だった。