3. 縁故採用ですか?
王子殿下直々にスカウトされた私は、恐れ多くも宮殿に住み込みで働かせてもらえることになった。所持金が少ない身としては、下宿代の心配がいらなくなるからありがたい話だ。
(お城は古めかしくて物々しいけど、宮殿は新しくてきれいだな)
お城はシェルベルン建国当時に建てられた歴史的建造物で、王都にとってモニュメント的存在だ。その隣に建てられた宮殿は、数十年ほど前にリノベーションが施されたそうで、白亜の壁が美しい優美なたたずまいらしい……今は暗くてよく分からないけど。
そして宮殿の一角は、住み込みで働く使用人の居住エリアになっていて、私はその内の一室を与えられた。
(これは……ずいぶん立派な部屋だなあ)
案内された部屋は広々としたワンルームで、バスルームと小さなキッチンまで付いていた。内装は品よくまとめられていて、窓にかけられたカーテンがレースと二層になっていて高級感漂う。しかも備え付けの家具は、ベッドの他に小さなテーブルと二脚の椅子が用意されて、贅沢すぎる気がした。
予期せぬ高待遇にうれしさよりも驚きが勝り、なにかの間違いなのではと不審な気持ちで部屋の中を見回していたら、隣からため息混じりの静かな声が響いた。
「なにか気にいらないところでもありましたか」
「いえっ、そんな、滅相もありませんっ……すいません」
この部屋を案内してくれたレードル卿は、なんと宰相を勤めている方だ。面接の後、まるで見計らったように殿下と入れ替わりに現れたと思ったら、当然のような顔で『案内しましょう』と言われた時には驚いた。
しかし国政にたずさわるような偉いお方が、忙しいであろう政務の合間を縫って、わざわざ私に会いにきたのには理由がある。
「……そのようにビクビクしなくても、とって食べたりしませんよ。あなたは、大事な『勇者代理』殿ですからね」
なんでも勇者の影武者は『勇者代理』と呼ばれるそうだ。勇者の仕事を秘かに代行する者を指すことから、そう呼ばれるようになったと聞いた。
(えーと、つまり委託業務? 下請けみたいなもの?)
しかし存在を知る者は、宰相様をはじめとする、ほんのひと握りの関係者のみ。まさにトップシークレットだそうだ。
だから目の前にいる、この立派な御仁が、直接私の面倒をみてくれることになったのだが、なんとも恐れ多い話だ。まさかの国政トップのもとで働くことになろうとは、職にあぶれて実家を出る時には、想像もつかなかった展開だ。
「お分かりでしょうが、あなたの立場は他言無用でお願いします。勇者に関する情報も、不用意に口にしてはいけません」
「かしこまりました」
宰相様は、これで何度目になるか分からない、似たような忠告を繰り返した。ここに来る前に、誓約書にサインもさせられたのに、まだ心配のようだ。
「それからあなたには、表向き『執務室の清掃員』として働いてもらいます。当然、相応の賃金は支払います。まあ副業と思えばよろしい」
「はい、もちろんです」
なんと、同じ日に二つも仕事をもらえることになった。ナーダムで就活に苦しんだ日々が嘘のようだ。こんなうまい話があっていいのだろうか。
(いや待って、うまい話には裏があるんじゃ……)
しかも新米清掃員が、こんな立派な部屋に住むなんて、身分不相応ではないか。だんだん不安になってきた。
「あのう……表向きとはいえ、本当にお掃除だけでいいのでしょうか……何か他に、お手伝いできることがあるなら」
「余計な気は回さなくて結構です。あと言っておきますが、あなたが算術を得意とすることは、決して周囲に悟られないよう注意してください。どんなに小さくても、疑いの種は作らないに限りますからね。むしろ多少頭が足りないと思われた方がいい」
「はあ……」
宰相様はくっきりした二重の青い瞳を細めると、威圧的な視線をよこした。上背のある立派な体躯をしているので、こんな風に上から睨むように見下ろされると居心地が悪い。というか正直、怖い。宰相というよりは、将軍とか司令官とか呼んだほうがしっくりきそうだ。
「掃除も手際よく、効率よくやろうだなんて決して思わないように。あなたは私の遠縁で、コネを使いまくってこの仕事についたことにしておきます」
(つまり縁故採用みたいなものか……)
だが仕事ができない振りまでするとなると、私自身の自尊心はこの際置いとくとして、立派な宰相様の汚点になるのではないかと別の心配をしてしまいそうだ。
(仕事もらえるなら何でも構わないって飛びついちゃったけど……もしかして早まったかな)
戸惑いを隠せないまま宰相様を見上げると、さらに不安を煽るようなことを続けられた。
「また城外を出歩くのは自由ですが、常に監視されていることをお忘れなく。もし少しでもおかしな行動に出たり、この件に関わる情報を漏らそうとした場合は……どうなるかお分かりですね?」
宰相様は自分の首元で、手を横にシュッと滑らせるジェスチャーを見せた。つまり命が惜しければ余計なマネするな、という意味だろう……。
「なにか質問は?」
「いえ……別に」
別に『なんでもありません』と続けようとしたけど、緊張で喉が詰まらせて言葉が続かなかった。
宰相様はそんな私の様子を眺めながら、含みのある微笑を浮かべた。
「ここまできたら後には引けませんよ。賢いあなたなら分かりますよね?」
最後のセリフはまるで、どこぞの悪役とも取れる脅し文句だった……やはりいろいろ早まったかもしれない。
王族の方々が住まうシェルベルン宮殿、いわゆる王宮で清掃員として働きはじめて三日目を迎えた日のこと。
混雑したカフェテリアで昼食を取っていると、突然真向かいのテーブルから声をかけられた。
「ねえあんた、例の新入りだろ?」
料理をのせたトレーを手に、向かいの席に座った女性は、仕事中に何度か廊下ですれ違った見覚えのある顔だった。同じ水色の制服を着ているから、きっと自分と同じく清掃員の一人だろう。
「あんたについて、変な噂が出回ってるよ」
「変な噂って何ですか?」
ぶしつけな言葉につい硬い口調で返答してしまったが、相手は気にしない様子で話続けた。
「あんたがここに来た理由だよ。宰相の遠縁だけど、没落した下級貴族の娘で、貧乏のあまり婚約者にも逃げられて、頭も器量も良くないから親がかたっぱしから知り合いに泣きついてコネを使いまくった挙句、ようやくこの仕事にありつけたって噂」
「……」
つっこみどころ満載というより、つっこめないところが見当たらない。私の身の上話は尾ひれをつけまくって、どうしようもない状態まで練り込まれていた。教えてくれた同僚の女性は、興味本位丸出しで私の顔をじろじろ眺めると、満足したようににんまり笑った。
「ふうん、思ったより普通じゃないの。それに器量だって言うほど酷くないしね」
「はあ……それはどうも、ありがとうございます?」
なんとなくお礼を口にすると、なぜか大笑いされてしまった。
「あたしアデラ・オーバリっていうの。アデラでいいよ。中央棟の第一から第五廊下の担当をしているんだ。よろしくね」
「は、はいっ……私はヨリ・クラルテって言います。よろしくお願いしますっ……!」
パッと差し出された手を反射的に握ると、アデラは笑みを深くして大きく二度振ってからはなした。真っ赤な髪と顔じゅう散ったそばかすが目を引くが、それ以上に大きくてよく動く口が印象的だ。
「頭だって、そんな悪そうじゃないね。それに没落したとはいえ貴族出身って聞いてたから、もっと気取ったあいさつを返されるかと思ったわ」
アデラの言葉に、私はあわてて首を振った。
「その、うちは本当に貧乏だったので、暮らし向きも特別良かったわけじゃないんです。自分で掃除も洗濯もしましたし、ちょうちん、いえ、ちょ、調理、というか料理もしたり、とにかく」
「ああ分かった分かった。うちら一般市民と同じような暮らしぶりだったって言いたいんだろう? そんだけ働き者なら、きっと今ごろあんたの家族も、あんたがいなくなってさぞ困ってるだろうねえ!」
その言葉に、私は気づきたくないことに気づいてしまった。
(私がいなくて、家族が困っている……?)
むしろ逆だ。だって自分は厄介者の穀潰しで、家の中ですら居場所が無くなってしまったのだから。
気づいてしまったら、正直ショックだった。もちろん兄夫婦を恨む気持ちも無くは無いが、それとはまた違う。今まで自分がやってきたこおは、兄夫婦でもじゅうぶん勤まるものだったことがショックだったのだ。
自分がいなければ実家や店は回らない、私がいなくては駄目だなんて、どこかで思い上がっていたのだ。
(私の代わりなんて、いくらでもいるよね……)
自分は特別でもなんでもなく、代わりのきく人間だったなんて、そんなこと気づきたくなかった。
「やだ、あんた顔色悪いよ?」
目の前にヒラヒラと手をかざされて、ハッと我に返った。アデラが心配そうにこちらを見ている。
「あ……えっと、まだこの生活に慣れなくて。ちょっと疲れているみたいです」
ごまかし笑いを浮かべてみたけど、本当にうまく笑えているだろうか。
そんな心配をしていたら、突然自分の名前を大声で呼ばれた。
「ヨリ・クラルテはいるか!」
カフェテリア中に響き渡るその声に、驚いて椅子から転げ落ちそうになってしまった。声のした入口辺りをそっと見ると、果たしてそこには腕を組んで仁王立ちする王子殿下の姿があった。
「ヨリ・クラルテ、聞こえないのか!? 今すぐ執務室へ来い。『今朝も』執務室の掃除がまだ完了してないのに、のんびり昼飯食べている場合か!」
「は、はいっ……も、申し訳、ありません!」
私はあわてて食べかけの食事のトレーを手に立ち上がったが、食器の返却口は反対側の出口だ……どうしようと焦っていたら、向かいのアデラがそっと囁いた。
「いいから、これはあたしが片づけとくよ。後が面倒だから、さっさと殿下のとこへ行きな」
アデラは指を立てて『任せて』と合図する。そんな些細な親切にも、涙腺が緩みそうなくらい嬉しかった。
「ありがとう……!」
急いで駆けつけると、殿下は『ついてこい』と顎をしゃくって踵を返した。尊大な態度だけど、たぶんこれが彼の通常運転なのだろう。
それよりも、もっとアデラと話したかった……友達になれるといいな、とそんな淡い期待を胸に、殿下の後を追いかけた。




