21. 種明かし
メイドさんたちの足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなっても、私はその場からしばらく動けなかった。
(私が、ルイーズ様の、お妃候補……?)
頭の混乱して、グルグル回っていて思考がうまくまとまらない。ふと脳裏によみがえったのは、園遊会で第一隊長のゲネルさんにささやかれた言葉だった。
(勇者代理のお嬢さん、ご存知ですか? 現国王陛下は、当時ご自分の勇者代理だった方を、お嫁さんに迎えたんですよ)
よろけた体を、柱に手をついて支える。
(まさか、冗談でしょ。そんなこと不可能だ。身分だって詐称してるし、ただの清掃員だし、相手は雇用主だし……そうだ、今回だって単なる噂に違いない)
これまでだって、変な噂が立ったものだ。その主たる原因は、故意に噂を作り出した宰相様にあるが。
(ということは、今回の件もわざと宰相様が?)
今度は何の企みがあって、こんな話を捏造したのだろう。是非とも理由を聞かなくては。
自室へ戻る途中だったけど、予定を変更して執務室へと向かうことにした。先ほど寒さで震えていた体は、今や興奮気味のせいか、完全に温まり復活していた。
執務室をノックすると、すぐに中から入室を許可する声が聞こえた。
「……おや、あなたでしたか」
予想通り、執務室には書類を手にした宰相様が机に向かっていた。私の姿を見てもさして驚いた様子もなく、まるでここに来ることを予想していたみたいだった。
宰相様は、私の頭のてっぺんからつま先まですばやく目を走らせると、薄く笑って目を細めた。
「まるで春の妖精が舞い降りたかと思いましたよ」
「おかしな冗談はやめてもらっていいですか。真面目なお話があります」
「よろしい、では……そのような薄着をして、風邪など引かないように。先に着替えてから、こちらへ来ることは考えなかったのですか」
いつもの宰相様の口ぶりに、私は少しだけ落ち着きを取り戻すことができたが、気持ちはまだおさまりそうもない。ずかずかと部屋を横切って、勝手に宰相様の隣の椅子を引くと、ドカリと勢いよく腰を下ろした。
宰相様は、私の剣幕にも動じることなく、書類を置いて背もたれに体を預けると、ゆったりと足を組みかえた。
「あなたが話したいことは、おおかた予想がついてます。ルイーズ様の妃候補についてでしょう」
あっさりと言い当てられ、面食らってしまうとともに、なんだかムカムカしてきた。
「……今度はどういう理由で、あんなデマを流したんですか」
「デマ、とは?」
宰相様は眉をひそめると、私の顔をジッと見つめてきた。負けじと見つめ返すと、ふいと視線をそらされてしまった。
「簡潔に言いましょう。あなたはこの度、正式にルイーズ王子殿下の妃候補となりました」
私は目を見開き、それからガバッと立ち上がった。その時ドレスの裾を踏みつけてしまい、危うく倒れかけたところを、とっさに伸びた宰相様の腕に支えられてなんとか倒れずにすんだ。
「ドレス姿の時は、立ち居振舞いに気をつけてください。ま、そのうち慣れるでしょうけど」
「慣れるんですか私!? というか今のお話って冗談ですよね?」
「冗談ではありません。その証拠に、あなたが今寝起きしている部屋は、未来の王太子妃殿下の為に設えた居室です」
「なっ……!」
だからあんなに豪華な内装だったのか。ぼんやりしてるうちに、とんでもない部屋に入れられてしまった。
「冗談ですよね?」
「冗談ですますわけないでしょう。我々が、どれだけこの日を待ち望んでいたと思ってるんですか」
宰相様はやれやれの言わんばかりに、うんざりしたような表情を浮かべた。
「宰相様……そもそも私は仕事をする為に、この王宮に雇われたんですよね?」
「妃殿下にも公務があります。立派な職業ですよ」
「なっ……そ、そんな雇用条件じゃなかったと思いますけど!?」
「分かりませんか。状況は変わったのです」
私はあきれて、開いた口が塞がらなかった。乱暴というか、めちゃくちゃな理屈としか思えない。
「ここまでの道のりは、決して容易ではありませんでした」
宰相様は「まあお座りなさい」と言って、ゆっくりと語り出した。
「ルイーズ様は、幼い頃から利発で何事においても優秀な、まさに文武両道を地で行く方です。しかし自立心旺盛ゆえに、己の能力を過信し過ぎるきらいがある。まあ若さゆえ、ある程度はしかたないでしょう」
「はあ……」
「一方、我々は長年に渡って、ルイーズ様の妃候補を密かに選抜してきました。血筋はもちろん、未来のシェルベルン王妃としての資質を備える、聡明な姫でなければなりません」
そこで私は、すかさず横槍を入れさせてもらった。
「あのー、その王妃の条件って、私には何ひとつ当てはまりませんよね?」
私のもっともな指摘に対し、宰相様は軽く眉を持ち上げただけだ。
「問題ありません。あなたの人となりは、間近で仕事を見ていた私が一番よく知ってます。当然、王宮で働く他の者と同様、身元調査も行わせてもらいました」
身元調査とか、普段あまり聞き慣れない単語が出てきたけど、なんといってもここは王宮だ。普通の職場とはわけが違う。王族のそばで仕事するなら、従業員の身元くらい調べても不思議じゃない。
ただ私の身元にも職務経歴にも、なにも後ろ暗いところはない代わりに、特筆すべきものは何もない。スキルも特技も学歴も極めて凡庸で、特殊能力なんてものもない。
「身元を調べたのなら、なおさらお分かりでしょう。私には王太子妃なんて、そんな大層で身分不相応で非現実的な役職、とても無理ですって」
「無理は承知の上です」
宰相様は席を立つと、窓辺に近づいて外を眺める。その憂いを含む横顔は、演技でも冗談でもなさそうに見えた。
「ルイーズ様が、はじめてあなたと出会ったのは、今から五年前に遡ります……当時あなたは、この王宮で開催された算術大会に、ナーダム地区代表として参加されましたね?」
意外な過去を引っぱり出されて、私は目を瞬いた。
(それって学生時代の話だよなあ……十五歳の頃だ)
まだまだ世間知らずの子どもで、夜行馬車で寝たことと、大会中必死に問題を解いた記憶しかない。それに申し訳ないけど、ルイーズ様に出会ったとか、全然思い出せない。
「あなたは、あの大会で王都グランダール代表の強豪選手を打ち破って優勝した」
「はあ」
「そのグランダール代表が、当時十八歳のルイーズ様でした」
「え、そうだったんですか」
私は記憶の糸を必死に手繰り寄せてみたが、大会中はとにかく試合のことで頭が一杯だったので、ルイーズ様どころか参加者の誰の顔も覚えてない。
宰相様があきらめたような呆れたような、至極残念そうな表情を浮かべた。
「あなたはルイーズ様のライバルであり、憧れだったんですよ。まあ、あなたは全く意識されてなかったようですけど」
「……なんか、すいません」
「いえ、仕方ないことです。とにかくルイーズ様は、大会中にライバルのあなたに恋をした。試合後の優勝トロフィーを渡す際に、ルイーズ様からお言葉があったことを憶えてますか」
私は恐縮のあまり、体を小さくするしかなかった。悪いけど全く記憶にない。なんていっても、少ない予算で馬車に乗って遠路はるばるやってきたものだから、試合後はグッタリ疲れてしまって半分脳が眠っていたのだ。
「ルイーズ様はあなたに『近い将来、必ずまた会おう』と告げられ、あなたはそれに対して『よろこんで』と答えた」
「……はあ」
「それがルイーズ様なりのプロポーズだったようです」
「はあっ!?」
また会おうって、普通に『次の試合で会いましょう』って意味じゃないの?
「それはちょっと……さすがに気づきませんでした」
「でしょうね。我々もルイーズ様のお気持ちを察しながらも『あ、これは全く伝わってないな』と思ってました」
宰相様は沈痛な面持ちで、両こめかみを指ではさみこむように押している。
「しかしこの機会をむざむざ見逃すわけにはいかないと、我々は早急にプロジェクトチームを結成しました」
「は、はあ」
「まずはあなたの出自を、何代にも遡って徹底的に調べ上げるところから始まりました。そしてようやくあなたの母方の八代前の遠縁が、私のレードル家の遠縁と繋がりがあることを突き止めたのです。とりあえず血筋という、第一関門を突破できたので、そこから一気に計画は進みました」
え、なにそれ怖い、と素直に思った。
(宰相様の遠縁って、作り話じゃなかったんだ……)
だが、それを口に出す勇気はなかった。
「そしてさらなる調査の結果、あなたの兄ロイ・クラルテが王都に在住していると突き止めたので、第一ギルトの隊長に接触するよう密かに命じ、懇意になった後にうまく帰郷を促して、あなたを王都に向かわせる計画を持ちかけたのです」
「えええええっ!?」
私は驚きのあまり、椅子から転げ落ちた。正確に言うと、驚きのあまり椅子から立ち上がりかけて、またもやスカートの裾を踏み、今度こそつんのめってそのまま転倒してしまった。
(お兄ちゃんもこの計画に加担してたの!?)
テーブルに手を掛けて、なんとか床から這い上がると、助けようと隣にやってきた宰相様につかみかかった。
「じゃ、じゃあ……私が王都に来ることも、知ってたんですか」
「もちろん。馬車の到着時刻だって分かってました。道中、部下の一人に後をつけてさせていましたので」
「!」
宰相様はゆっくりと私の手を振りほどくと、放心状態の私を再び椅子に座らせてくれた。
「あなたが王都に到着したら、第一ギルト隊長のゲネルに保護させ、王宮へ連れてくる予定だったのに……焦ったルイーズ様が、勝手にあなたを迎えに行ってしまうから困ったものです」
そんな用意周到な計画を立ててたとほは。しかもルイーズ様が、それを壊して勝手に私を迎えに行っただと?
(あの日はたしか、王都に到着した足で役所に向かったっけ。そこでルイーズ様に声をかけられて、すぐに仕事を紹介されたんだ)
王都に辿り着いたばかりで疲れていたけど、早く求人募集が見たくて、宿にも寄らずに役所へ向かった。そこで求職者用の記入用紙を見つけたから、書きこんでボードに貼り付けたら、いきなり現れた男の人に即効取られて……それがルイーズ様だった。
『これ、君のことであってるよね?』
『はいっ、私のことです! 仕事が必要なんです……』
『じゃあ、面接しよっか。ついてきて』
(なんてこった……どうりでタイミングがよかったわけだ)
私はテーブルに両肘をつくと、頭を抱えた。
「じゃあ、もしかして、勇者代理の仕事って……」
ある仮説が頭に浮かんで、そろりと顔を上げると、腕組みする宰相様と目が合った。
「そんなもの、あるわけないでしょう。『勇者代理』なんて仕事」




