2. 捨てる神あれば拾う神あり
「はいっ、ヨリ・クラルテは私のことです! 今仕事を探してます! 特技は算術ですけど、他のことも教えていただければ、一生懸命覚えます!」
「別に算術だけでいいよ」
白マントの男は気だるげに目を細めると、手にした紙片を口元にあてて、あくびを噛み殺すような仕草をした。
「じゃあ面接しよっか。ついてきて」
「あ……はいっ!」
後から考えれば怪しさ満載だったはずなのに、新しい土地に到着したばかりの心細さと仕事の欲しさから、ついホイホイついていってしまった。
役所の外に出ると、玄関にはえらく立派な馬車が停まっていて、白マントの経済力の高さがうかがえた。この若さで人を雇うくらいだから、お金持ちに違いない。
白マントは当然のようにコーチの扉を開き、顎でしゃくって私に先に乗るよう促した。人に命令し慣れている感じだけど、これで意外と紳士なのかもしれない。
「僕も乗るから、もっと奥まで詰めて」
「あ、はいっ! すいません!」
「それと、あまり大きな声出さないで。頭痛が酷くなる」
「……すいません……」
「何? 声小さすぎて聞こえない」
「……」
本気で言ってるのか、単に意地が悪いのかよく分からないけど、どうやら白マントはあまり機嫌が良くないらしい。それともこれが通常運転なのだろうか。
とにかくこれ以上機嫌を損ねたくないから、面接会場に着くまで大人しくしたほうがよさそうだ。たぶん、ちょっとした気まぐれで面接してくれる気になったのだと思う。
せっかくのチャンスだ。何かのきっかけで気が変わったりされたら困る。
(でも、いきなり面接かあ……この格好で大丈夫かな)
今着ている茶色いコートは、だいぶ年季が入っている上、おしゃれからほど遠い。なにしろ片道十時間以上の旅路に耐えられるよう、持っているコートの中でも一番丈夫なものを選んだから、見てくれより機能性を重視した。おかげで、乗合馬車で雑魚寝した時には、毛布代わりにもなった。
(そういえば、昨日は馬車の荷台で雑魚寝したんだった!)
隣に座る白マントに見えない角度で、手早く髪を整える。夜通し馬車に揺られて王都にやってきたばかりなので、まだ一度も櫛を通してない。肩で切りそろえた茶色の髪は面白みに欠けるものの、手櫛でも簡単に整うのが利点だ。
(それに昨日の夜から、顔も洗ってなかった……)
もう今さら取り繕っても手遅れのような気がする。せめて礼儀正しく、少しでも印象悪くならないように振る舞うしかない。そんなこと考えていると、カタンと音がして馬車が停まった。
「着いたよ。降りて」
「はいっ……こ、ここですか……?」
「そうだよ」
車窓から見えたのは、柱のように背が高く、巨大な#篝火__かがりび__#だった。めらめらと燃えて、その背後にそびえる塀をオレンジ色に照らしている。
(この塀の向こうに、お屋敷があるのか……)
ずいぶんと大きな屋敷のようだ。なんせ窓からでは、塀の一部しか見えない。
白マントは先に馬車を降りると、片方の手で扉を押さえ、もう片方の手を私に向かって差し出した。
「足元に気をつけて」
素っ気ない口調だが、やはり紳士的だ。こんなふうにエスコートされるのは生まれてはじめてだから、ドキドキしてしまう。
手を借りて地上に降り立つと、そこは橋の反対側だった。しかも跳ね橋らしく、ガタンと音を立てて水平になる瞬間を間近で見た。
「えっ、ええっ? 本当に橋……?」
「見れば分かるだろう。堀に落っこちないよう、せいぜい気をつけなよ」
白マントは面倒くさそうにそう言い放つと、さっさと橋を渡り出した。私もあわてて後に続く。一歩踏むごとにギシギシと軋むような足の裏の感触に、おっかなびっくり進んでいく。前方には白マントの羽根飾りの帽子が、持ち主の軽やかな足取りとともに、軽やかに揺れていた。その様子をながめながら橋を渡り切ると、今度は背中から唸り声のような音が追いかけてきて、文字通り飛び上がってしまった。おそるおそる後ろを振り返ると、たった今渡ったばかりの橋が、まるで退路を断つように持ち上がりはじめたところだった。
「何しているの、早く行くよ」
「は、はいっ……」
巨大な門には、衛兵らしき人たちが数人立ち並んでいた。彼らは白マントが通り過ぎると、ごく自然に敬礼する。そうして石垣のアーチをくぐりぬけた先の光景を目の当たりにした私は、衝撃のあまり手にした旅行鞄を足元に落っことした。
「お、お城……」
白マントは歩みを止めて私に向き直ると、両手を腰に当て『もういい加減にしろ』言わんばかりに私をにらみつけた。
「だから、見れば分かるだろう?」
お城はとても大きくて、とても広かった。うっかりはぐれると確実に迷子になるだろう。そして不審者として衛兵に捕らえられ、弁明しても聞き入れてもらえず、最悪牢屋に入れられてしまうかもしれない。
(とんでもないところに来てしまった……)
とにかく白マントとはぐれないよう必死についていく。あちらは背が高いから、それに比例して歩幅もだいぶ違う。長い足でスタスタと、私がついてきていることすら確認せず突き進んでいく。庭と建物がまざったような、奇妙な廊下をだいぶ歩いたけど、左右に何度も曲がったせいで、もはや入口の方角すら分からなくなったしまった。
こうしてお互いしばらく無言で歩いていたが、やがて大きく立派な扉の前にたどり着いた。そこはちょうど廊下の奥の突き当りで、これ以上は進みようがなかった。
白マントは躊躇なく扉を開くと、颯爽とした足取りで部屋の中へ入っていった。
「なにしてるの。早く入りなよ」
「はいっ……おじゃま、します」
部屋には明かりがともっていた。天井が高く、三方に小さな出窓があるが、外はとっぷりと暮れてしまっているので、どんな景色が見えるのか不明だ。室内は全体的に落ち着いた色合いでまとめられているけど、置かれている調度品はどれも華奢で繊細だから、きっと高価な物に違いない。
「……さて、まずはシェルベルン国の王都グランダールについて説明しよう」
部屋に通されるなり、おもむろにそう言われ、私は少々、いやだいぶ面食らった。
(なにこの人、マイペースすぎる……)
私の当惑をよそに、白マントは王都について淡々と説明をはじめた。
「グランダールは城壁に囲まれた、いわゆる城塞都市だ。歴史ある古い街とはいえ、商業エリアは繁華街として常に変革が進められ、また新興住宅地は次々と開拓されている。また街中には複数のギルドを配置してある為、王都に住む人々は魔物に脅かされることなく安心して暮らしていける。それに昔と比べて、治安もかなり改善され……」
ところでこのまま説明は続くのだろうか。先ほどから部屋の真ん中に立ったままだが、部屋の中には椅子が見当たらない。
(なにこれ、王都の面接ってみんなこういう感じなの?)
少々不安になってきた頃、白マントがふと説明を止めた。不思議に思って、知らず知らずのうちに床に落としていた視線を持ち上げえると、ぼそりと小さな声がした。
「暑い」
そう言って、白マントは唐突にトレードマークの白マントをポイと脱ぎ捨てた。あれは誰が拾うのだろう……もしかして私だろうか。
「なんだ、なぜそんな顔で僕を見る?」
「えっ」
これはもしかして、試されているのかもしれない。私はあわててマントを拾い上げると、声を掛けようとして相手の名前を聞いてなかったことに気づいた。
「ええと……お名前をうかがっても構わないでしょうか」
すると目の前に立つ男は、白マントの次に羽根飾りの帽子を外して、またもや床にポイっと投げた。絹糸のように輝くプラチナブロンドの髪に、切れ長のキツイ紫の瞳があらわになる。顎と鼻筋が細くて少し意地悪そうだが、整った美しい顔立ちだ。これは間違いなく美形の部類だろう。
「ルイーズ・シェルベルン。この国の第一王子で、現職の勇者だ」
「は……」
本当は『はじめまして』と言うつもりだったのに、言葉が続かなかった。名前と王子ってとこまでは理解できたけど、現職の勇者ってどういう意味だ。
(勇者って、自己申告するものなの? それとも聞き間違いかな……いや待って、王子ってとこも聞き間違いじゃないよね?)
ここはお城のようだから、王子がいるのは分かる。でもなぜ王子が仕事の面接をしているのか。そもそも、なぜ王子で現職の勇者が、役所の求人募集の前にいたのだろう。
「そういえば城では毎年春になると、地方の学生たちを招いて算術大会を開いていたな。君を見て思い出した。その恰好は、いかにも遠路はるばるやってきた、という風だけど?」
「はい。ナーダムから馬車で丸一日かけて、つい先ほど王都に着いたばかりです」
「ならば、その恰好は仕方ないな。気にすることない」
「はあ……恐れ入ります」
やはり仕方がない恰好だったか……しかし地味に落ち込んでいる場合ではない。今はお仕事の面接中だ。たぶん。きっとそうだと信じてる……まだ。
「さっそく本題に入ろう。君の仕事についてだ」
「は、はいっ!」
私は表情を引き締め、背筋を伸ばす。
「君には、僕の仕事をやってもらいたい」
「はい、どういった仕事でしょう」
「だから。さっき言ったと思うけど。勇者の仕事だよ」
「勇者のお仕事、ですか……」
旅の疲れが出てきたのか、なんだか頭が働かないようだ。勇者の仕事って、何?
「ギルドの管理だ」
「ギルドの、管理ですか」
「ギルドは、王都をはじめ国全土に多く存在する。特に地方では、魔物が出没しそうなエリアを重点的に配備し、状況に応じて強化や調整が必要だ。それは理解できるな」
「はい……そこまでなら」
「ギルドはすべて国営だ。そして各ギルドの構成するメンバーは、漏れなく国に雇われている、いわば国家公務員だ。その総括であり取締役が勇者……国王の嫡男がそれだ」
「え、それはつまり、あなたが……ええと恐れながら王子殿下が、勇者様であられると?」
「だから。最初にそう言っただろう。私は王子であり、現職の勇者だと」
どうやら勇者とは、会社の社長みたいなもののようだ。
「ええと、つまり私は、恐れながら殿下……勇者様のお仕事をお手伝いすればよろしいのでしょうか」
「いや君が、僕の仕事をやるんだ」
「……勇者様の、お仕事を、ですか」
「だから。何度も言ってるだろう」
しばらくお互い、無言で見つめ合っていたが、先に痺れを切らしたのは殿下の方だった。
「……勇者の仕事は、建国以来しきたりに従い、代々王家が担ってきた。勇者の仕事は多岐に渡る為、代々分業制を取ってきた。いわゆる影武者制度だ」
「影武者」
「君が担当するは、勇者の職務のうちでも肝となるギルドの管理業務。地味でやたら細かい数字を扱う作業ゆえ、君の算術スキルを存分に生かせるだろう」
「地味でやたら細かい数字……」
「各ギルドメンバーの特性や能力を数値化し、もっとも適したエリアのギルドへ配備する為だ」
その時、私はふと素朴な疑問が頭に浮かんだ。
「しかし、私でよろしいのでしょうか……王都には大学を卒業された、経理を得意とする優秀な方がたくさんいらっしゃるのでしょう」
王子は美しい細面の顔をゆがませた。
「そういう立派な大学を出るような、身元のしっかりした人間では駄目だ。僕の影武者に徹してもらう為には、君みたいな田舎から上京したばかりで、王都の人間とは何のしがらみもない人が理想的なんだ」