18. 戦闘
私が五個の提灯を用意し終える頃には、奥で寝ていたコンラッドさんの手当ても済み、他の皆は携帯食の腹ごしらえを終わらせていた。
「殿下は、召し上がらないのですか」
ルイーズ様は私のすぐ隣に座って、提灯の組み立て作業を興味深く眺めているだけで、先程から水分しか口にしていない。
「特に空腹は感じてない。ここに来てまだ半日も経ってないからね。体力だって有り余っている」
有り余っている、と豪語するほど元気そうには見えなかった。パーティーから直接駆けつけたせいか、灰色の上着の下は数時間前と同じ、レースのついたドレスシャツを着たままだ。しかしそれも、上着と一緒に汚れ、はみ出た袖や裾あちこち破れてしまっていた。つい先ほどまで、実際に魔物と戦っていたのだろう。
「あのう、つかぬことをうかがいますが、宰相様は殿下がこちらにいることをご存じなんですよね?」
「いや、知らせてない」
「ええっ! それは、まずいんじゃないですか」
「うるさい。それを言うなら、君だって同じだろう」
たしかに抜け出したのは同じだけど、清掃係が王宮を抜け出すのと、王子がそうするのとでは、わけがちがう。
「……ところで、なにその『殿下』って。言葉遣いもやたらかしこまって、気持ち悪い」
「え」
なんとなく皆の手前、殿下と呼んだ方がいいかと思っただけで、他意はない。言葉づかいも、特に変えたつもりはなかったのだけど。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
ルイーズ様の両手がのびて、顔をはさまれると、強引に向きを変えられた。不機嫌そうな声音のわりには、心配そうな表情を浮かべている。いや、間違いなく心配をかけてる最中だ……よく考えたら、戦う装備もせずに森へ乗り込んでしまったのだ。いくら魔除けグッズを持ってたとしても、無謀すぎる行動だろう……反省。
「殿下、ヨリ様の邪魔をしては駄目ですよ。その続きは、王宮に戻られてからにしてください」
「……リシュー、さっきから余計な発言が多いぞ」
ルイーズ様は、頰を赤らめながらリシューさんに抗議するが、私の隣から離れようとしない。たしかに少し近過ぎて、作業しにくいのは否めないのだけど、それを正直に口にするのはためらわれた。
もしかしたら、ルイーズ様も不安だったのかもしれない。戦いには慣れてるのか、どのくらい強いのか、まったく知らないからなんとも言えないけど、宰相様にも黙って行動してるのは、私よりも無謀だ。まったく、一緒に反省していただきたい……そうこう考えているうちに、魔除けの提灯の準備が整った。
「では、行こう。先ほど話した通り、僕と彼女が先を行くから、皆ついてきてくれ」
私たちはそれぞれ提灯を手に持つと、ルイーズ様の指示に従って順番に小屋を出た。
森は相変わらず月明かりは無いけど、淡く輝く足元の草花と手持ちの提灯で、歩くのに不自由さは感じない。
「夜明けまで少し間がある。明け方から活動を始める魔物もいるが、他はおそらく行動が鈍化してくる頃だから、今が一番移動しやすい」
ルイーズ様は早口で説明しながら、私の手を引いて歩き出す。革の手袋越しに感じる手の温もりが、やけに心強く感じた。
だが、その安心感も、後方からかけられたリシューさんの言葉で霧散した。
「……殿下、六時の方角から一匹、八時の方角からは二匹迫ってます!」
ルイーズ様は特に驚いた様子もなく、淡々と指示を出す。
「リシュー、六時の方は任せた。僕は残りの二匹を引き受ける……君は、これを持ってそこの茂みの中に隠れてろ」
ルイーズ様は提灯ごと私を茂みに押しやると、勢いよく駆け出した。
(え、え、何? 魔物避けの提灯あるのに、なんで魔物が出るの!?)
信じられない気持ちで、茂みの中からそっと辺りの様子をうかがう。
(うわわわ!)
そこにはルイーズ様たちの倍の高さはある、四つ足の獣のような風体をした魔物がいた。外見もだけど、動きの俊敏さにも底知れぬ恐ろしさを感じる。
ルイーズ様は軽やかな動きで、魔物を上回る速さで攻撃を繰り出す。あっという間に、二匹の魔物を地に沈めてしまった。
目の前で起こった光景に圧倒された私は、茂みの奥に引っ込むと、その場にへたり込んだ。
(つ、強い……ルイーズ様すごい……)
半ば放心状態でいると、ルイーズ様が茂みをかき分けて入ってきた。手には魔物の血がしたたり落ち、頬に飛んだ返り血がまた恐ろしくて、急時にもかかわらず引いてしまう。
「君、大丈夫か」
「は、はい……で、でも」
私は手元の提灯を見下ろして混乱する。一体何がいけなかったんだろう。この提灯は、ここの魔物に効果はないのだろうか……なんとも言えない気持ちでルイーズ様を見上げると、その横顔は驚いた様子で固まっていた。
「……これは……」
ズルズルと、何かが遠ざかる音が聞こえる。ルイーズ様の視線を追うと、先ほどまであった魔物の気配が消えていった。
「まさか魔物が自ら引いていくとは……やはりコレは、君が持たないと効果が無いのか?」
ルイーズ様は、私の手の中の提灯を見下ろして眉を寄せた。
「いえ、そんなことは」
「だが、君の元へ来た途端、魔物の気配が辺りから消えた。やはり君の存在が理由としか考えられない……とにかく今のうちに、ここを離れよう。じき夜が明ける」
「夜が……あ」
その時、ふとあの青年に言われた言葉を思い出した。
――ぐずぐずしてて夜が明けてしまったら、その明かりの意味がなくなっちゃうからね。
やはりこの提灯の効果は、夜明けとともになくなるのか。
(あ、そういえば……!)
私はハッとして、首に掛けられたペンダントに手をやった。ルイーズ様たちと合流する前に出会った、不思議な青年にもらったペンダント……たしか『魔物避けのペンダント』と言っていた。
(もしかして、これのおかげなの?)
あの青年……たしかサーガと言ったか。彼はこうなることを予測して、自分にこのペンダントをくれたのだろうか。いろいろ謎な部分は多いけど、今はひたすらありがたかった。
だがその事を今ルイーズ様に説明している時間はない。このペンダントにどれほどの効果があるか分からないが、こうしている間にも魔物がやって来るかもしれないのだ。
「とにかく、私がこの提灯を持ちます。それで、他の皆さんとなるべく固まって進むというのはいかがでしょう」
「そうしよう……君とこの提灯の関連性については、王宮に戻ったら調べさせてもらう」
ルイーズ様は、すっかり提灯を持つ私のおかげだと信じこんでいた。これは訂正が必要だ……サーガのことを含めて、説明しなくてはならない。でも、それは今じゃない。
(今は、ここから脱出することだけに集中しよう)
すぐに他の皆を呼び、私を中心にして肩がぶつかりそうなくらい寄り添って歩き出した。
ケガ人に合わせてゆっくり進むので、村の入り口に着く頃には、空はすっかり明るくなっていたけれど、移動中は一度も魔物に襲われなかった。
ナイラ村では、村長さんをはじめ多くの人たちが寝ないで、私たちの帰りを待っていてくれた。
「おお皆さん、よくぞご無事で!」
出迎えてくれた村長さんは、すぐに温かい食事を用意してくれた。またケガしたコンラッドさんは、医者のロドスさんが診療所で手当てしてくれることになった。
「マッカスは?」
「すでに馬車で、王都へ運ばれました」
ルイーズ様はホッとした表情を見せた。ルイーズ様自身もいくつかケガを負っていたけど、どれも軽傷だったので大事に至らず、簡単な手当てで終わった。
一方、コンラッドさんはかなり深手を負っていた。ロドスさんによると、止血と痛み止めを処置した後、マッカスさん同様すぐに王都の病院へ連れていく必要があるそうだ。
「この先の街まで行けば、馬車が手配できるはずだ。うちの村の馬を貸すから、誰かひとっ走り街へ行って、頼んできたらどうかね?」
診療所で、ロドスさんはコンラッドさんの処置を終えると、ルイーズ様たちに向かってそう提案した。
「ならば俺が街までひとっ走り、馬車の手配をしてきますよ」
ルイーズ様同様、軽傷で済んだリシューさんが手をあげた。するとルイーズ様は、どこか不機嫌そうにぼやいた。
「僕は、そろそろ王宮に戻らなくては。姿が見えないと、周囲に不審がられてしまう……後はお前たち二人に頼んだ」
ルイーズ様が立ち上がると、リシューさんとヘインズさんは小さくうなずく。
「ええ、殿下は先に王宮へお戻りください……ロドス殿、申し訳ないが、この村で一番早い馬を二頭貸してもらえますか」
「もちろん、構わんよ」
ロドスさんは快く承諾し、さっそく私たちを厩舎まで案内してくれた。
二頭のうち一頭は、さっそくリシューさんを乗せて、朝靄の晴れない小道を走り去っていった。
残されたヘインズさんは、ルイーズ様に向かって小さく敬礼する。
「では殿下、また王都で……ヨリ殿は馬車が来るまで、村長殿の屋敷でお待ちいただけますか。できれば、少しでも仮眠を取っておいてください」
「はい、ありがとうございます」
ようやく王宮に戻れるかと思うと、なんだか感慨深い。ここに来てから丸一日も過ぎてないのに、すでに何日も経ったような気すらしていた。
ホッと胸を撫で下ろしたところだったのに、なぜかルイーズ様は憤慨したように、ヘインズさんと私の間に割って入ってきた。
「ヘインズ、何を言っている? 彼女は僕と一緒に、馬で王宮へ戻るのだぞ」
「えっ?」
「殿下?」
「何を驚いている? 当たり前だろう……この期に及んで、私のそばを離れるなんて言語道断だ」
ルイーズ様は私の腕をつかんで引き寄せると、そっと耳元でささやく。
「君に聞きたいことがある」
ゾクリと背筋に戦慄が走った。ルイーズ様の、こういう声は心臓に悪い……何を聞かれるのか、いろいろ心当たりがありすぎて怖い。
すると、私たちの様子を見ていたロドスさんは、はじめて明るい笑い声をたてた。
「これはこれは……ヨリ殿については、殿下におまかせするしかないようですな」
「どうやら、そのようですね」
ルイーズ様は開き直ったように、当然といった顔で堂々と私を抱き寄せるから驚いた。
(なにこれ、何アピール? また夜会のパートナーでもやれっていうつもり?)
ロドスさんとヘインズさんが、微笑ましそうに私たちを眺めている。しかしルイーズ様は、私にしか聞こえない声でつぶやいた。
「君には聞きたいことがたっぷりあるからな……王宮に着いたら覚悟しておけ」




