12. 不穏な雲行き
翌日の朝食後、執務室の掃除に向かうと、待ち構えていた宰相様に書類の束を渡された。
「王都で急遽、最新データに基づいたギルドの再編成が必要になりました。本日は掃除ではなく、こちらの仕事を進めてください」
それは三日前に渡された表計算と似たような内容だった。ただ前回よりも量が少ないとはいえ、渡された書類の束はそれなりに分厚い。
(王都のギルドだけ、と言ってもけっこう数があるもんなあ)
王都グランダールには、ギルドが二十五か所ある。うち十五か所が主に活動していて、残り十か所はその補佐を行うよう構成されていた。
(昨日、ルイーズ様とギルドの隊長さんが話していたことと、なにか関係があるんだろうな……)
ギルドのおかげで、私たちは魔物におびえることなく日々暮らしている。でも実際に戦いの話を聞いて、当たり前だと思っていた日常は、とても危ういものだと気づかされた。
(それに今回は、わざわざ隊長さんがルイーズ様に話をするくらいだから、相当強い魔物に違いない。もしくは、数が多くて人手が足りないのか……)
「どうしました、早く進めてください。急ぎなので、できれば午前中に終わらせて欲しいのです」
「あ、はい、失礼しました!」
宰相様に促され、急いで計算に取りかかる。この量なら見直し入れても、じゅうぶん午前中に終わるだろう。
だか、しばらく計算に専念し、半分ほど進んだ頃だろうか。
(あれ?)
私は計算表の数値を見比べて、首を傾げた。
「あのう、宰相様……質問が」
同じ会議テーブルで別の書類をめくっていた宰相様が顔を上げた。
「この新しいギルド編成ですけど、どうして第一から第五ギルドの総合能力値が、第六ギルドより下回っているのでしょう?」
ギルドは能力値の高い順に、第一、第二と番号が振られている。そして第一から第五までは、王都を守る主力の戦力が配備されてるはずだ……少なくとも、前回の表計算で確認した限りでは。
このままでは、王都の守りが手薄になってしまう。
(なんで? どこかのギルドに戦力を集中させる必要があるから? それって、あの国境付近の……)
表を手に首を傾げていると、書類の上に影が落ちた。顔を上げると、いつの間にか隣にやってきた宰相様の視線とぶつかった。普段から表情が読めないこの人にしては、少し人間味のある困った様子がうかがえた。
「あなたに気づかれないわけがない、と思ってはいました。それに昨日の園遊会で、ルイーズ様とゲネルの話を聞いたのでしょう?」
「……はい、申し訳ありませんでした」
「いえ、不可抗力だったのでしょう。それに聡いあなたなら、すぐに察してしまうと思いました。だから、あなたにおまかせする仕事は、私の監視下で『極秘』で行わなければならないのです」
たしかに、一時的でも王都の守りが手薄になるなんて、口外されたら大変だ。ギルドの他に国営軍は存在するけど、最後の戦争から百年以上経過してるせいかだいぶ縮小されている。つまりギルドは王都の諸外国に対する牽制にも一役買ってるわけだ。
ようするに今回の再編成は、秘匿情報の中でも群を抜いているのだ。
「私は一旦席を外しますが、昼前にこちらに顔を出しますので、それまでに仕上げておいてください」
宰相様はそう言い残して、足早に執務室を出ていった。なにかいろいろ忙しそうだ……でも余計な詮索するつもりはない。私は私のできることをやるだけ。
(とにかく急ぎだって言ってたし、早く仕上げなくては)
私があれこれ思い悩んでも、なんの生産性もないから、目の前の表計算に集中することにした。時間をかけて丁寧に計算し、二回見直し終わったタイミングで、ようやく宰相様が戻ってきた。
「終了しました」
「さすがですね……ご苦労様でした。昼食はこちらへ運ばせましょう」
「えっ、いえお気づかいなく……私はいつものように、カフェテリアへ……」
そう言って執務室の扉を開いたら、そこには普段見かけない衛兵が二人立っていた。私の姿を見て軽く会釈をするものの、道を開けようとはしない。
困惑する私の後ろから、宰相様の声がかかった。
「あきらめて、こちらで食事をしてください」
「あの、これは一体……」
「カフェテリアのデザートが気になるならば、同じものを用意させましょう」
はっきりと説明されなくても、なんとなく察した。秘密を知った私は、軽い軟禁状態に陥ってる。
「誤解のないよう言っておきますが、あなたのためでもありますから」
「えっ、私のため? てっきり情報漏洩を防ぐため、ここになんき……足止め、されたかと思いました」
「まあ、それも多少あります」
だから、余計なことは知りたくなかったんだ……私は言葉もなくうなだれた。これも不可抗力だから、あきらめるしかない。
「ただ、ことが済めば、あなたの知ってる情報は無価値になります。その後ならいつものように、カフェテリアへ行くのもいいでしょう」
「はあ……」
「食後は、私が部屋まで送ります。そこで待機しててください。ノーラを寄こすので、舞踏会の準備を済ませておくように」
宰相様の言葉に、今夜は夜会だった事を思い出した。
「さあ、どう? 苦しくない?」
「……はい、大丈夫みたいです」
下着姿の私を前に、ノーラさんの表情がパッと明るくなった。
「よかった、これで前みたいに具合は悪くならずに、夜までもつわね!」
その言葉に、私は力なく笑った。なんとノーラさんが、わざわざ改良した自分のコルセットを貸してくれたのだ。
「私のお古で、ごめんなさいね。でもこの方が、ずっと締めつけが楽になる仕組みになっているの。用意したドレスもそれほど細身じゃないから、なんとか入るわ」
「何から何まで、気を使っていただいてすいません……助かります」
恐縮する私に、ノーラさんはドレスの裾を整えながら笑った。
「いいの、いいの。ところでご実家では、ドレスを着る時どうしてたの。何か工夫した下着を使ってたのかしら?」
無邪気な質問をぶつけられて、内心ギクッとした。
(たしか私は『没落した下級貴族の娘』って設定だったっけ)
没落したとはいえ、曲がりなりにも貴族だとすれば、当然ドレスを着た生活を送っていたことになる。
「えっと、その……前はもっと痩せてたし、実家にいる時はあまりコルセット使わなかったんです」
「そうなの? 最近は健康に良くないって、コルセット嫌がる若い人も増えてきたっていうから、まあ時代かしらね」
「あはは……そうですね」
本当の私は、一介の田舎娘に過ぎない。だから下着なんて、楽な木綿の下着しか着たことなかった。コルセットについては噂では耳にしたけど、はじめて着けてみて、なるほどキツいものだなあと実感した。
(ドレス着るって、重労働だな……)
ドレスを着るまでもひと苦労あった。お風呂に入れられて、爪の先まで磨かれた後、短くて硬い髪を無理やり結い上げて、さらに化粧を塗られて……そうこうしている内に、いつの間にか夕方になっていた。
「……お洒落するって、大変ですね」
ポツリとこぼすと、ノーラさんは同情するように眉を寄せた。
「そうね、私も実家にいた頃は決して好きではなかったわ。舞踏会なんていうと数日前から憂鬱になって、何度か仮病を使って欠席したこともあったくらいよ」
ノーラさんは貴族ではないが、地方の裕福な豪商の出身らしく、時折こんな風に着飾ってパーティーに出席することもままあったという。この王宮には、行儀見習いという名目でやってきて三年になるそうだけど、結婚が決まれば実家へ戻る予定らしい。
「女に生まれたからには、窮屈なドレスも仕方ないわね。どうせ避けて通れないのなら、その中でなるべく楽に、生きやすくなるよう工夫を凝らさなくちゃ。下着の改良だって、私たち女性にとっては重要なことだわ」
「本当に、その通りですね」
別に女性に限った話ではない。誰しもが制限された環境下に身を置いている。その中で、どうしたら少しでも居心地良く生きていけるよう工夫しなくては。
「私も、もっと前向きにコルセット……いえ、人生を楽しもうと思います」
「その意気よ。せっかく綺麗なドレスを着ているのだからね。それにきっとルイーズ殿下もお喜びになるわ」
最後の一言に私はドキッとして固まった。
「ヨリが殿下のパートナーに選ばれてよかったわ。なまじ身分の高い娘だと、周囲からやっかまれて苦労が絶えないと思うわ。その点、ヨリなら安心ね」
「安心?」
「だってヨリは、宰相様の遠縁でしょう? 宰相様とルイーズ殿下は従兄弟同士だから、つまりヨリは殿下の遠縁ってことになるわ」
宰相様とルイーズ様が、従弟同士? それは初耳だ……彼らの親族ならではの共通点って、何かあったりするのだろうか。
(それにしても……私が殿下の遠縁?)
「いえその、それは……」
「殿下の遠縁ってことは、王族の関係者ってことでしょ。だから下手に手を出せないわ」
「ええと……」
「殿下もそれをご承知で、ヨリをパートナーにお選びになったのだわ。ふふ……もしかしたら、本当に未来の婚約者候補になったりして?」
「まさかっ……そんなことあるわけないじゃないですか」
「そうかしら?」
そう、あるわけない。そもそも王族の関係者とか、宰相様の遠縁だとか、なにもかも前提条件から間違ってる……モヤモヤしてると、いつの間にか着替えが終わっていた。
「さ、できたわ。隣の空き部屋で、殿下がお待ちよ」
「えっ、待っててもらってたんですか!」
のん気におしゃべりしている場合じゃなかった。しかしノーラさんは「女性は殿方を待たせるものよ」と朗らかに笑っている。
(いやルイーズ様とは、そういう関係じゃないんです……単なる雇用関係しかないんです……)
心の中で反論しつつ、いそいで隣の部屋へ向かうと、ノーラが話していた通り、ルイーズ様が待ちかまえていた。
ルイーズ様は窓辺によりかかって、外を眺めていた。刺繍も豪華な長い上着に光沢のあるサッシュベルトは、まさに王子然としていて圧倒される……まあ実際本物の王子様なんだけど。
「お待たせして、すいません」
「別に、気にしなくていいよ」
ルイーズ様の視線の先を追うと、日が暮れかけた景色が広がっていた。
「……それより、君に頼みたいことがある」
「はい、何でしょう」
振り返った顔は、どこか張りつめた糸のような緊張感があった。私は自然と背筋を伸ばして向き合う。
「夜会が始まってしばらくしたら、僕は中座させてもらう」
「……抜け出すってことですか?」
「そう。周囲に気づかれないようにね」
なんで、という疑問が口に出そうになったけど、なんとか飲み込んだ。余計なことは、知らないほうがいい……たぶん。
「君には、あたかも僕が会場にいるように見せかけて、うまく立ち回って欲しい」




