何処かの誰かが持っていた本
大学からの帰り道。駅前にある古本屋に行く。店の前にあるワゴンには税別であるが、一冊百円均一の文庫本が並べられていた。そこにあった、黒いカバーに金色の文字という本が目に入る。太宰治の『人間失格』だった。
僕は、その本から一旦、視線を外したが、「これって、限定カバーの本だったよな」という事を思い出し、その『人間失格』を手に取る。作品自体は気に入らなかったが、文字だけで構成されたカバーに興味を持ったのだ。
太宰の『人間失格』を最初に読んだのは高校一年生の時だった。妙な〈後味の悪さ〉だけが記憶に残った作品である。そこから感銘を受ける事はなかった。
今、住んでいるアパートに戻り、その本を手にした処、あるページが自然と開く。そこには一枚の紙が挟まっていたからだ。その紙、よく見ると、病院で出される食事の献立が書かれたものである。
そこには、「PW304-2 常食 4月1日 昼 御飯 青梗菜と帆立の炒め煮 海藻サラダ 豚汁 ふりかけ」と印刷され、エネルギー、タンパク質、炭水化物、脂質、塩分量の記載もあった。そして、病院名は記されていなかったが、この本の元・持ち主と思われる氏名は明記されている。しかし、男性とも女性とも取れる名前であった為、その性別までは判らない。
挟まっていた紙の裏面を見た時、背筋が冷たくなった。そこには、殴り書きと言っても構わない荒れた筆跡で、「死にたい! 殺せ!」と赤い文字が書かれていたからだ。
次の瞬間、その紙に記載された「PW」という文字が異常な程、気になる。
(PW……、Psychiatric Ward……、精神科病棟……、か? 嫌な本、買っちゃったな……)
次の瞬間、太宰治が書いた晩年の手帖が脳裏を掠めた。そこには殴り書きとしか思えない字が綴られていた事を思い出す。
これは市立図書館で開催された『太宰治パネル展』で見たものだが、その隣にあった『ヴィヨンの妻』の原稿として書かれた文字と見比べた時、同じ人物が書いたとは思えない程、全く別の文字だった事が印象として強く残っている。
(太宰は、いつ頃から『死』を意識する様になったんだろう?)
僕の部屋には、買い物をした時に貰ったレシートを入れておく箱があった。最終的には捨てるのだが、何故か、ここで一定期間、溜めておかないと気が済まないのだ。この箱に、『人間失格』に挟まっていた紙を入れる。どうして、そうしたのか、僕にも解らなかったが……。
翌日、その『人間失格』を大学へと持って行き、授業の空き時間にラウンジで読む。やはり、僕とは相性が悪い作品の様だ。本を読むのを止め、閉じた処で僕の友人が声を掛けて来た。
「おっ、その本、限定バージョンのカバーじゃないか! それ、欲しかったんだ、どこで買った?」
その言葉に思わず、「欲しいなら、あげるよ。つい、古本屋で衝動買いしたんだけど、『人間失格』は、好みじゃない……」と応じてしまう。何故、そう言ってしまったのか、自分でも理解していないが……。
その友人は、「タダというのも何だから、これで缶コーヒーでも飲んでくれ」と言いながら、僕に百五十円を渡し、その『人間失格』を手にして、嬉しそうにラウンジから出て行く。
一週間後。僕は駅前にある古本屋に行く。百円均一のワゴンに、先日買ったのと同じ限定カバーの『人間失格』があった。そして、思わず手に取ってしまう。同時に、あるページが自然と開く。嫌な予感がした。
案の定、そこには、病院で出される食事の献立が書かれた紙が挟まっている。記された氏名も一緒だった。
その紙の表から見ても、その裏に〈何か〉が書かれている事は直ぐに解る。但し、文字の色は黒の様だ。
裏面を見た。
「来週中には退院!」
一見、殴り書きの様に見える文字であったが、荒れた筆跡ではない。いや、喜びで踊っていると僕は感じてしまう。
もう一度、表を見ると、その日付は「6月2日」となっていた。
(きっと、二ヶ月間掛けて、病状が改善したんだろうな……)
僕は、その本を買う。そして、献立が書かれた紙があったページに、「死にたい! 殺せ!」と書かれた紙を挟み、そのまま本棚に仕舞った。
(何故、この人、同じ限定カバーの『人間失格』を二冊も持っていたのだろう?)
その疑問が解決する事は、ない筈である。
何処かの誰かが持っていた本(了)