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フューネラル  作者: 浦登 みっひ
『迷える魔女にくちづけを』 作者:小刈ダイア ジャンル:ハイファンタジー 
7/49

脱出

 謁見の間には、既に多くの大臣が集まっていました。

 外はすっかり暗くなっていて、本来ならば皆もう家に帰って休んでいる時間のはず。国王に招集されたのか、それともラーズさんの姿見たさに集まったのか。広間の天井から吊り下げられたシャンデリアの明かりは広い謁見の間を隈無く照らすにはやや心許なく、壁際に少し目を逸らせると、そこには仄暗い闇がどんよりと沈殿しているのでした。

 石造りの王城の空気はひんやりと冷えこみ、天井が高くて広い謁見の間は、護衛の騎士まで含めれば数十人もの人間が集まっているにも関わらず、どこかしんみりとしていました。まるで、まだそこかしこに魔女の冷気がこびりついているみたいに。

 入り口から真っ直ぐに伸びる赤い絨毯。その両脇に並ぶ大臣達。よく見ると、その末席には大司教さまの姿がありました。


 大司教さまは私の姿を見るなり手招きをし、自分の隣に並ぶよう合図を送ってきます。ラーズさんもそれに気付いたらしく、従うよう目配せを送ってきたので、私は大人しく大司教さまの隣に立ちました。せっかくの機会だから、もう少し近くで国王の姿を見てみたかったのだけれど。


 ラーズさんはそのまま国王の前まで歩いて行きます。玉座は謁見の間の一番奥、数段の階段を昇った先にあって、豪奢な礼装に身を包んだ国王が鎮座していました。

 シノン国王は先王の一人息子で、幼い頃からそれはそれは大事に育てられたそうです。そのためか、もう齢四十を越え、立派な口髭をたくわえているにも関わらず、どこか線の細い印象がありました。だから追従ばかりのろくでもない大臣を重用してしまうのだ、と大司教さまはよく漏らしています。


 ラーズさんは玉座の階段の前で足を止め、そのまま国王を見上げました。たしか本当はあそこで跪かなければいけないはずなんですけれど、救国の英雄の無礼を咎める者は誰もいません。


「ラーズ・ゼフロス殿、と申したか。そなたが魔女を打ち払ってくれたそうだな?」

「ああ」

「そなたがいなければ、わが国もセレニア王国のように魔女に食いものにされていたやもしれぬ。国を代表して、礼を述べさせてもらおう」

「礼なら要らん」


 国王の感謝の言葉に対して、ラーズさんは頭を下げることすらせず、ぶっきらぼうな返事をするばかりでした。彼のあまりにも不遜な態度に、その場にいた重臣たちがにわかに色めき立ちます。見ている私もハラハラしているのですが、ラーズさんはてんで気にしていない様子。


 国王は両手を上げてどよめきを鎮めました。


「ラーズ殿は剛の者ゆえ、礼儀がわからずとも無理はない。ところでラーズ殿、お主は仕官を考えたことはないか? 魔女を倒した功に報いることができるだけの役職を与えようと思うのだが、いかがか」

「ない。仕官の話なら時間の無駄だぜ。俺はまだ他の魔女と戦うために旅をしなければならないからな」

「……し、しかし、シノンの将軍という肩書を持って魔女と戦うという選択肢もあるだろう。我々なら貴殿のために広い屋敷も財産も用意して……」

「くどいな。そうして後々他国に恩を売ろうという魂胆だろう? 悪いが俺は人の指図に従うのが大嫌いなんだ。どうしてもというなら、そこの……」


 ラーズさんは振り返ってこちらを見ました。


「サフィア・プラナスという僧侶に報いてやってくれ。彼女は俺の傷を癒してくれたからな」


 私がいなければ負けていた、とは意地でも言いたくないみたい。


「しかしラーズ殿、それでは……」


 国王は困り顔で私とラーズさんの顔を見比べます。周りの大臣たちも、国王の提案をにべもなく退けたラーズさんの傍若無人ぶりに驚いているらしく、互いに顔を見合わせながらひそひそと何か囁き交わしていました。


「国王陛下、私に考えがございます。発言してもよろしいでしょうか」


 ざわめきをかき消すように、聞き慣れた声が響き渡ります。声の出所は私のすぐ隣。つまり、他ならぬ大司教さまでした。


「うむ、大司教、申してみよ」

「では、僭越ながら申し上げます。勇者殿はこれからまた魔女を倒すための旅を続けると仰る。しかしながら、わが国としては勇者殿との縁を保っておきたい。そこで、いかがでしょうか、ここに居りますサフィアを勇者殿に同行させるというのは」


 え、ええっ、私?


「おお、大司教どの、それはよいお考えですな!」


 大司教さまの意見に追従したのは、さっき私にとても失礼なことを言った、あのいけすかないナントカ大臣でした。


「どうやら勇者殿もあの修道女をお気に召している様子でございます。傷を癒したのも何かの縁でございましょうし、あの者を随行させることで我が国の威光も届きましょう」

「このサフィアは、若いながらも法力の才には非凡なものがございます。必ずや勇者殿の助けとなりましょう。或いは、我が聖シェンナ教の名を広めてくれるやもしれませぬ。この大司教からも、是非ご同行をお許し願いたい」


「だめだ」


 ラーズさんはたった三文字で二人の進言を全否定しました。


「魔女との戦いは危険だ。女を連れて歩くわけにはいかない」


 私がいなかったら負けてたくせに、っていうか私の意見を全く無視した状態で話が進んでいるんですけど!


 大臣とラーズさんの間で板挟みになった国王は、また困り果てたような表情でラーズさんと大臣、大司教さまを交互に見くらべました。


「勇者殿の意向も大事であるが、大司教と財務大臣の申すことも至極尤もである。どうだろう、今日のところはひとまずここまでにして、勇者殿もゆっくり休みながら考えてみられてはいかがかな?」


 あの〜、私の意向は……?



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i



 結局、優柔不断な国王の鶴の一声によって、この日はお開きとなりました。そういえば、あのむかつく人、財務大臣だったのね……。


 その夜、ラーズさんはそのまま王城に泊まることになり、私は大聖堂近くにある自分の宿舎に戻りました。

 広い王城から帰ってくると、見慣れたはずの自分の部屋がやけに狭く感じられます。聖シェンナ教会は慢性的な資金不足で、私達門徒が住む木造の宿舎はあちこちにガタが来ていました。この部屋だって、ところどころすきま風が吹き込んでくる箇所があって、ぼろ布を張り付けたりしてどうにか応急処置をしているという有り様。あのいけすかない男が財務大臣なのだとしたら、教会に回される予算が減らされるのも合点がいきます。


 肌寒い寝床の上で膝を抱えながら考え事をしていると、魔女の氷の刃が刺さった右肩がジンジンと痛んできました。 治癒能力でもう傷口は完全に塞がっているけれど、魔力が載せられたダメージが残っているのか、まだ少し疼くような痛みが残っています。或いは、これは魔女の呪いなのかもしれません。

 傷の疼きに導かれて、思考は自然にラーズさんと魔女のことへと移ってゆきました。ロードグラムを襲撃した魔女。間近で見た魔女の冷徹な眼差し。思い出すと、今更ながら身震いがしてきます。

 そこに現れた、口の悪いナイト、ラーズさん。彼と協力して、魔女を……。


 ラーズさんと魔女の濃厚な接吻が脳裏にまざまざと甦ります。

 涙を流して長い口づけを交わす二人。まるで愛し合う恋人のように。

 彼が話してくれた内容は、いったいどこまで本当なのだろう。なんだか、肩の疼きが胸のあたりまで広がってきたような気がしました。


 こんなこと、私が気にして何になるというのか。

 彼はもうすぐ一人で旅立ってしまうかもしれないのに。

 そうしたら、もうきっと二度と会うこともない。

 彼は魔女と戦うために、また別の国へ。今回だって私がいなかったら殺されていたはずなのに、それでも彼は危険な戦いにたった一人で挑むといいます。何が彼をそこまで駆り立てるのでしょうか。少なくとも、名誉欲とか正義感とか、そういう安っぽいものではないと思う。彼は国王の御前で、将軍の地位も、それによって得られるはずの莫大な財産も拒否したのですから。


 ……ああ。またラーズさんのことを考えて……。


 と、ここで私は、王城からの帰り際、大司教さまに、後で大聖堂に来るよう言われていたのを思い出しました。ちょっと時間が経ってしまったけど、まだ大丈夫かな?

 私は急いで大聖堂へ向かいました。


 大聖堂では、大司教さまが一人、シェンナ様の像に祈りを捧げているところでした。


「大司教さま、私です。遅くなって申し訳ありません」


 大司教さまはゆっくりとこちらを振り返りました。


「構わぬよ。少し、話をせんか……」


 大司教さまは私にとって、命の恩人であり、育ての親でもあります。幼い頃、両親に捨てられて身売りされそうになっていた私を拾って、今まで育ててくれたのです。

 私を拾ってくれた時の大司教さまはダンディでカッコいいおじさまだったけれど、教会運営の厳しさのためか、髪はすっかり白くなってしまったし、随分シワも増えました。私に法術と武道を教えてくれたのは大司教さまですが、最後に手合わせをしてからもう五年もの月日が過ぎています。

 私は大司教さまとシェンナ様の教えを忠実に守ってここまで生きてきました。だからこそ、謁見の間で大司教さまが提案した内容に、心底驚いたのです。


「さっきは突然あんな話をしてすまなかったな。サフィアが一番驚いただろう?」

「はい……なんだか私の周りで色んな話がどんどん進んでいくみたいで……」

「実はな……あれは財務大臣の入れ知恵なのだ。勇者殿が士官を断った場合の次善策として財務大臣が国王を唆し、謁見の場で儂から進言するように命じられた。この話がうまくいったら教会への予算を倍増するとな。儂は気が進まなかったのだが、国王の命とあっては従わないわけにはいかぬ。だから、勇者殿が断ってくれて心底安心しておるのだ」


 なるほど、そういうからくりがあったのね……。事情は飲み込めました。でも……。


「大司教さま、それはつまり……私がラーズさんについていけば、教会の運営が楽になる、ということなのでは?」

「いや、サフィアよ、儂はそういうつもりで話したわけではない。勘違いせんでくれ」

「でも、財務大臣は国王の前で教会への予算を倍増すると約束したんですよね?」

「サフィアや……儂はお前を実の娘と思って育ててきた。それを、たかが政治のために危険な戦いに送り出すなど……エホッ、エホッ」


 語気を強めるあまり、大司教さまは突然咳き込み始めてしまいました。ここ数年はこういうことがとみに増えてきて、そのたびに私は大司教さまのお体が心配になるのです。

 大聖堂だけは立派に整備しているけれど、地方の教会は資金難のため手付かずで荒れ放題になっているところも多い。そんな状況の中、大司教さまは聖シェンナ教の求心力を繋ぎ止めるために東奔西走しておられます。私も時折同行させてもらっているから、それがどれほど大変なことか、自分なりに理解しているつもり。もし予算が倍増されたら、大司教さまの負担は大幅に軽減されるに違いないのです。


 よし、決めた。


「……私、行きます。ラーズさんと一緒に」

「サフィア……」

「私、心の底から感謝しているんです。大司教さまとシェンナ様が助けて下さらなかったら、私はどこに売られて何をさせられていたかわかりません。教会の運営が苦しいことぐらい私も知っています。だから、もし私がその役に立てるのなら……大司教さまとシェンナ様を助けられるのなら、お役に立ちたい。行かせてください、大司教さま!」


 大司教さまは、後悔と寂しさが入り交じったような、複雑な表情を浮かべました。


「サフィア……すまぬ……お前にそこまで気を使わせていたとはな……」

「そんなに気になさらないでください、大司教さま。私、嬉しいんです。ようやく大司教さまと教会に恩返しができて」


 それに……。ふと、ラーズさんの悪戯っぽい微笑と、魔女を倒した時の涙が思い起こされました。


 はっ。そうだ!


「大司教さま、私はこれからラーズさんのところに行ってきます。善は急げ!」

「おい、サフィア! こんな夜中に……」


 私は大聖堂を飛び出して、王城へ急ぎました。

 ラーズさんの性格なら、ことが面倒になる前に早々と城を立ち去るのではないか。そう考えたからです。一緒に過ごしたのはほんの数時間ですが、一緒に戦い、話をした印象から、これは最早確信と言っていいものでした。


 門番の兵士にラーズさんの居場所を尋ねると、拍子抜けするほどあっさりと教えてもらえました。きっと、あの財務大臣から話が通っているのでしょう。城門を通ると、背後から門番の兵士たちの、


「これから勇者殿はあの子とお楽しみか。ああ〜いいなあ、勇者ともなればあんなかわいい子が向こうから寄ってくるのか」


 という会話が聞こえてきました。そんなんじゃないってのに。でも、わざわざ否定しにいく時間が惜しかったので、そのまま放っておきました。


 ラーズさんが泊まっている部屋は、三階にある、国賓級の来客をもてなすために作られた王城でも最上級の部屋。階段をいくつも駆け上がり、途中で出会った見張りの兵士に場所を確認しながら、目的の部屋に辿り着きました。息を整えながら扉をノックします。


「ラーズさん、ラーズさん……起きてますか?」


 木製の扉がコンコンと音を立てました。でも、何か感触がおかしい。もう一度ノックしてみると、なんと、扉はそのまま開いてしまったのです。


 慌てて中を確認すると、部屋は既にもぬけの殻となっていました。あの大剣も荷物も全て持ち去られていることから、ちょっと用を足すために外出しているわけではないことが窺えます。一足遅かった……!

 ラーズさんの姿が見えないことをすぐに見張りの兵士に伝えようかとも考えたけれど、城内が混乱するとかえって見つけにくくなるかもしれません。ラーズさんは見張りの兵士に見つからないように注意しながら脱出しているはずだから、私も同じようにこの城から脱出する経路を探してみれば、ラーズさんと同じ場所に行き着くはず。その方が確実ではないか。


 それから私は、見張りの兵士の目を盗み、警備の薄いルートを探して王城からの脱出を試みました。

 夜中だというのに城内にはまだ多くの兵士が残っていて、監視をくぐり抜けながら外に出られるルートは自然と限られています。突然やってきた巡回の兵士を物陰に隠れてやり過ごすこともしばしば。体を低くして階段を降り、一階に戻ってくると、上の階よりずっと多くの兵士たちが屯していました。

 さすがに正門から脱出するのは無理がありそうです。私はどこかに裏口がないかと探してみました。しかし、巡回している兵士が予想以上に多く、むやみやたらに歩き回るのは得策ではありません。なるべく人の気配のしない方向を選んで進んでいくと、王城の調理室にたどり着きました。

 夜中に食堂を利用する人間はいませんから、明かりもなく、調理室は真っ暗でした。窓もないため、月明かりが差し込むことすらありません。私は、壁に手を触れ、足元に注意を払いながら慎重に移動しました。

 ここなら人の気配は全くありません。緊張感が少し解れて、自然とため息が出ます。

 やっぱり自力でラーズさんを探すなんて無理だったんじゃないか。今すぐにでも見張りの兵士にラーズさんがいないことを伝えるべきなのではないか。いや、もしかしたら、ラーズさんの泊まる部屋が変わっただけで、それが下々の兵士にまで伝わっていなかったのでは?

 色々な考えが頭の中を駆け巡ります。思い込みだけでこんなところまで来てしまったけれど、やっぱり私の早合点だったのかもしれない。私はいつもこうだ。大司教さまにもよく叱られているじゃないの。こんなコソコソ盗賊みたいな真似までして……。

 足元にはひんやりとした空気が流れ込んできます。すっかり気分が滅入ってしまっていました。


 ……ん?

 ひんやりとした空気……?

 私はもう一度辺りを見渡しました。でも、やっぱり窓はどこにもありません。

 今度は、床に四つん這いになって周囲を確認してみました。確かに、どこからか冷たい空気が流れ込んできているようです。周囲を手で探りながら、冷気の流れてくる方向へ進みます。

 すると、そこから数歩進んだところに床板が剥がれている部分があり、ぽっかりと人が一人潜れるぐらいの穴が空いているではありませんか!


 何故こんなところに穴が……しかも、風が流れてくるということは、この穴はきっと外に繋がっている。

 そして、ラーズさんはここから外に脱出したに違いない!


 私は迷わずその縦穴に潜り込みました。

 穴の中はとても埃っぽく、壁には蜘蛛の巣がへばりついています。でもその割に、体が蜘蛛の巣だらけになるわけでもありません。つまり、誰かがごく最近ここを通ったということ。

 縦に空いていた穴はいつの間にか横穴になり、曲がることも分岐することもなくずっと続いています。地中は完全な暗闇で距離感が全くつかめず、四つん這いで歩く手の感触だけが頼りでした。時間の感覚となるとさらに曖昧で、穴に入ってからどれだけの時間が経ったのか、全く見当がつきません。

 それでも私は諦めませんでした。もうここまで来てしまったんだもの。引き返すことなんて考えられない。


 どれぐらいの時間が経ったのでしょう。どれぐらいの距離を進んできたのでしょう。ローブにはところどころ穴が空き、手のひらと膝の皮がすりむけて、手足の感覚がなくなり始めたころ、ようやく横穴は少しずつ斜め上へと角度がついてきました。じめじめと澱んでいた空気も、心なしか、乾いた新鮮な空気に変わってきたように感じられます。

 出口は近い!

 私は最後の気力を振り絞ってがむしゃらに進みました。冷たい空気に混じって、かすかに煙の臭い。頭上を見上げると、出口がぽっかりと口を開け、どんよりと曇った夜空が広がっていました。


 出口に手をかけて、ぐいっと体を乗り出します。顔を出して辺りを見回すと、そこはもう街中ではありませんでした。鬱蒼と広がる深い森。葉はすっかり枯れ落ち、寂しげな裸木が風にさらされています。地面を埋め尽くす落ち葉がかさかさと音を立て……森の中にぽっかりと開けた場所が見えました。


 そして、その中央に佇む黒い影。

 ラーズさんはそこにテントを張り、集めた落ち葉を燃やして暖をとっているところでした。こちらに背を向けていて、まだ私には気付いていないみたい。

 よかった……。なんだか急に体から力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになりました。

 いや、まだこれからだ。ラーズさんと話をしなくちゃ。もう一度自分を奮い立たせ、足音を立てないようにそ〜っと近付きます。


「わっ!」

「うわわわわっ!?」


 ラーズさんは文字通り飛び上がって驚き、そのまま地べたに尻餅をついて座り込みました。その顔と声があまりに間抜けだったのと、髪や体いっぱいに蜘蛛の巣が絡み付いているのがおかしくて、私は思わず声を上げて笑ってしまいました。


「ぷっ……ふふふ……あっはははは!」

「さ……サフィア? どうしてここに……っつーか笑うんじゃねえ!」

「ラーズさん一人じゃ魔女にやられちゃうだろうなと思って、ついてきちゃいました」


 大司教さまのことも教会のことも、この時は全く頭に浮かびませんでした。ラーズさんと再会して、私は初めて自分の中にある新鮮な感情に気づいたのです。


 私はまたラーズさんに会いたかったんだ。


 ラーズさんは何かまだ文句を言いたそうだったけれど、擦り傷だらけの私の手足を見て諦めたようでした。


「ったく……好きにしろ!」


 立ち上がろうとするラーズさんに手を差し伸べると、彼は照れ臭そうに私の手を取りました。焚火にあたってていたせいか、彼の手はとても暖かく感じられます。


 私達の旅は、この瞬間、擦り傷だらけの手のひらと、蜘蛛の巣だらけの指から始まったのです。

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