浄化の刺青
ラーズさんの傷の治療が終わると、私達はその足でまっすぐ王城へ向かいました。
ロードグラムは、首都という割に長閑な町だと私は思います。その上、魔女の襲来でほとんどの住民が逃げ出していたものだから、王城へと向かう道中はまるで廃墟都市を歩いているみたいに静かで、石畳の道路を歩く私とラーズさんの足音がコツコツとよく響きました。
午後になってからずっと走り回っていたし、空には相変わらず厚い雲が垂れ込めていて、時間の感覚がいまいちよくわかりません。もう夕方ぐらいにはなっているのかな。
王城は逃げ支度をする王族やら大臣たちでごった返していたけれど、魔女の討伐に成功したこと、そしてここにいるラーズさんが救国の英雄であることを伝えると、王城内の喧騒は一転して爆発的な歓喜へと変わりました。
ラーズさんはもちろん熱狂的な歓迎を受け、なんとその日のうちにシノン王への謁見が許されたのです。
王の準備が整うまでの間、私達は……いや、正確に言うとラーズさんとオマケの私は、大臣の案内で王城内の一室に通されることになりました。
一介の僧侶に過ぎない私にとって、王城の中は未知の世界でした。壁にかけられた大きなタペストリー、煌びやかな銀の燭台、そこかしこに配置された彫像。いずれも、質素倹約を美徳とする聖シェンナ教会ではお目にかかれない代物です。柱や階段の装飾にも独特の意匠が施され、まるで王城の中だけが別世界のようでした。
目的の部屋に着くと、そこには大きなテーブルと、そのテーブルを埋め尽くすようなたくさんの御馳走が用意されていました。牛、豚、鶏……種々の肉料理と赤ワイン、それから数種類の果物。大陸の北に位置し、冬の長いシノンでは、果物は高級品の部類に入ります。
テーブルの脇には露出の多い衣装に身を包んだ艶めかしい美女が二人控えています。明らかに私とは住む世界が違う人たちです。
「さあさあ、たんとお召し上がりください」
恰幅のいいナントカ大臣が両手を広げて料理を勧めます。この人、名前はなんて言ったっけ……。いつも王様のそばにいるから顔はよく知っているのだけれど、どうしても名前が思い出せません。ついでに言うと、王様におべっかを使っているところしか見たことがないから、何が仕事をしているのかもよく存じ上げないのです。ただ、この人はシェンナ様への信仰心が全くないため、私達教会の人間を軽く見ているらしく、あまりいい印象を持っていないのは確か。
ラーズさんは、いかにも面倒くさそうな表情でテーブルにつきました。私は彼の後についてこの部屋までやってきたのですけれど……。
「おい、お前はその辺に立ってろ」
と、さっきのナントカ大臣に耳打ちされて、部屋の入り口のところに立たされていました。ああ、おなかすいた……。私だって一緒に戦ったのになあ。
「この度は、我がシノン王国を魔女の手からお救い頂き、誠にありがとうございます。本当に、何とお礼を申し上げたらよいやら……。後程謁見の間にて国王から直々にお言葉を下されるものと存じますが、それまでの間はこちらでごゆっくり戦いの疲れを癒して頂ければと存じます。ここに用意してございますのは、ほんの心ばかりのお礼の印でございますれば……」
それから大臣は料理の説明やらワインの銘柄などを滔々と自慢気に語り始めました。どれも超のつくような高級品で、私なんかは一生口にすることがなさそうな物ばかりです。
「食事だけではありません。この城にはご覧の通り、国中から集めてきた美女も取り揃えてございます。何なりとお申し付けください……」
大臣は声を潜め、意味深にラーズさんの耳元に口を寄せました。
「もちろん、夜の方も……」
いや、地声がでかすぎてこっちまで聞こえてますけど……。これには、ラーズさんも露骨に顔をしかめていました。もしかしたら、大臣の口臭が酷かったのかもしれません。
ラーズさんはちょっと唇を曲げて、それからため息をつきました。
「あのね……食事はありがたいけど、あんたの話を聞かされてるうちは落ち着かなくて食べられないんだよ。ちょっとは気を利かせてくれないか。それと、女は要らん。連れて帰ってくれ」
ラーズさんの言葉に、大臣は彼の機嫌を損ねてしまったと思ったらしく、大いに慌てていました。いい気味だわ。
「こ、これは気が利きませんで……申し訳ございません。では、すぐに……これ、お前らもだ」
大臣は女たちの尻を叩いて部屋の外へと促しました。あれ、セクハラだと思うんだけど。
「おい、そこの修道女、お前もさっさと出ろ」
そう言って、大臣は私にも顎をしゃくります。はいはい、わかってますよ……。でも、部屋を出ようとしたところで、ラーズさんがそれを制しました。
「いや、待て。サフィアは構わない。彼女も腹が減ってるだろうしな」
「は、はあ……勇者様は、この娘がお好みでございますか。少々色気が足りぬようですが、なんでしたら、夜のお相手はこの娘でも……」
大臣は私の体を上から下までねめつけるようにじろじろといやらしい眼つきで眺めまわします。それだけでも嫌悪感が湧くのですが、ちょっと、さっきの発言は聞き捨てならないぞ?
「……あの、私はシェンナ様に仕えるシスターなんですよ? 夜のお相手はできかねます! その言い草は神の信徒に対してあまりに失礼ではありませんか」
「黙れ! 半人前のシスターが生意気な口を叩くでない! 勇者どのがご所望なのだ、お前は黙ってお相手すればよいのだ」
「酷い……そんな言い方ってあります? あなたはシノンの守り神であるシェンナ様の教えを何だと思ってるんですか?」
カーッと頭に血が昇ってくるのがわかりました。シェンナ様に仕えて以来、ここまで侮辱されたのは初めてです。
ラーズさんは、そんな私を底意地の悪そうな微笑で見つめています。
「ああ、俺はつるぺた好きのロリコンなんだよ。早く二人きりにしてくれないか」
すると、大臣はまた媚びるような口調に戻りました。
「おお、おお、これは、気が利かずに申し訳ありません。では、ごゆるりと……」
大臣はその巨体を縮こまらせるように一礼してから、そそくさと部屋を出ていきました。ホント、嫌なやつ……。それはそれとして、ラーズさんもさっきさらっとすごいことを口走ったような。
「ほら、サフィア、腹が減ってるんだろ? 一緒に食べようぜ」
ラーズさんは、テーブルを挟んだ向かい側にある椅子を私に勧めました。たしかに、おなかは空いてるけど。
「……あの、ラーズさん。私は、今大臣が言っていたようなことは……」
「わかってるよ。いちいち真に受けるな。いいから座れって」
何だろう、この言い方。これはこれで腹が立つ。でも、やっぱり空腹には抗えないし、彼に尋ねたいこともありましたから、私はラーズさんの指示通りに向かい合って席につきました。
山盛りになっていた大皿がいくつか空になったころ。
「……で、聞きたいことって何?」
ラーズさんは突然そう切り出しました。
「えっ?」
「聞きたいことがあるって顔に書いてあったぜ」
そうだった。彼に聞きたいことがあったのでした。私は料理に夢中ですっかりそのことを忘れていたのです。またしても、周りが見えなくなってしまう私の悪い癖が。
「君は俺にとっても命の恩人だ。答えられる範囲のことなら答えよう」
ラーズさんの眼差しが、すっと鋭くなります。言えないこともあるという意味だと、私は受け取りました。
「じゃあ、お言葉に甘えて、二つだけ。あの時ラーズさんが使っていた武器……大剣が鎖鎌に変わったりしましたよね? あれは、どういうからくりなんですか?」
「ああ、あれね……サフィアは、錬金術って知っているか?」
錬金術……その言葉には書物の中で見覚えがありました。今から百年ほど前に盛んに研究されていた学問で、鉄を金に変えることができるという触れ込みで大いに流行した。ところが、結局鉄を金に変えられなかったばかりか、提唱者の前歴が詐欺師であったことが発覚して、急激に廃れていった……たしか、歴史書にはそう書いてあったような気がします。その後、学問の中心領域はマナの発見とそれを利用した魔法へと移り変わり、現在へと至ります。
とは言っても、私達人間の使う魔法はまだ道具を使わずに火をおこせるとか、夏でも氷を作ることができるか、といった程度で、魔女がやっていたように自由自在に魔力を操るまでには至っていません。
人間よりマナの扱いに長けているエルフ族は私達よりずっと進んだ魔法文明を持っているという噂があり、魔女はエルフ族なのではないかと考える者もいます。しかし、エルフは人間と関わろうとせず、エルフの国の入口は巧妙に隠されているため、実態は謎に包まれているのです。
……っと、話が逸れた。錬金術、錬金術。
私は歴史書で読んだ錬金術に関する知識をそのままラーズさんに伝えました。
「そうだな。確かに鉄を金に変えるなんてのは嘘っぱちだった。だが、研究の中で色々な物体の構造を解明し、応用しようとしていたことは事実だ。俺は古文書を紐解き、そこに独自の研究を加えて、熱することなく自在に形を変えられる鋼を作り出した。実は、物質の構造をコントロールするという意味では魔法に通ずる部分もあるんだ。俺の武器は、その錬金術を用いて術式を記した部品を柄の部分に嵌め込むことで、多様な形に姿を変える可変武器……一応、『ヴァリブレア』とでも呼んでおこうか。大剣、鎖鎌……他にも色々」
「へえ……すごい。ラーズさんって学者なんですか? 魔法使い?」
一瞬、ラーズさんの顔にふっと陰が差したように見えました。あれ、なんだろう?
「……まあ、似たようなもんかな」
「全然、そんな風には見えなかったから……」
「どういう意味だよ、それ」
でも、この時にはもう、普段のやんちゃそうなラーズさんの顔に戻っていました。
「で、聞きたいことのもう一つは?」
「え、あ、はい。あの……どうやって魔女を倒したんですか? それに、どうして……その、魔女に、接吻を?」
あの時の二人の、濃厚な接吻。あれがディープキスっていうものなのでしょうか。今思い出しても、なんだか顔が熱くなってくるような気がします。でも、ラーズさんが魔女に対して仕掛けた攻撃は鎖鎌で動きを止めただけだったはずだし、たったそれだけであの魔女を倒したとは思えません。だから、あの接吻に何か意味があったのかもと考えたのです。
ラーズさんはニヤリと笑いました。
「質問が三つに増えたじゃないか。なんだ、やっぱりサフィアも興味あるのか?」
「ち、違いますってば! どう解釈したらそういうことになるんですか!」
思わず声が大きくなってしまいます。こっちは真面目に質問してるのに。
「ははは、わりぃ。まあ、これはなるべくなら人には話したくなかったんだがな……サフィアは命の恩人だから、特別に見せてやろう」
ラーズさんはそう言うと、べろりと舌を出しました。
「……あっ……なんですか、それ?」
ラーズさんの舌には、何かの模様が刻まれていました。円の中に細かくびっしりと隙間なく描かれた、見たことのない文字。それが魔法なのか、錬金術なのか、私にはわかりません。そして、それ以上に驚かされたのは……。
「それ、もしかして、刺青ですか?」
ラーズさんは舌をしまって答えました。
「ああ。痛かったぜ、これを彫るときは。今でも時々夢に見ることがある。いつも汗だくになって飛び起きるんだ。これを魔女の体内に直接触れさせると、魔女を浄化することができる、不思議な術式って感じかな」
体内に直接……なんてややこしい。でも、そうでもしなければ魔女を倒せないということなのかもしれません。私には難しくてわからないけれど。
しかし、そうなるとまた新たな疑問が浮上してきます。
「どうして、ラーズさんはそんな術式を知ってるんですか? それに、どうしてわざわざ舌なんかに……? 相手の体内に触れさせればいいだけなら、手や指でも良かったんじゃ……」
「まさか。これは秘術中の秘術だぞ。人目につきやすいところに彫ることはできない。当たり前だろうが」
当たり前……?
そう言われてみればそんな気も……いや、う~ん。
「でも、そんなに強力な術式なら、みんなで共有したほうが魔女と戦いやすいじゃないですか。魔女の脅威に曝されているのはシノンだけじゃないんですよ? 魔女と戦っている他の国にも教えてあげれば……」
「しつこいな……理由は簡単だ。魔女を一発で倒せる術式だぞ? 俺が独占して持っていたほうが有利じゃないか、どこに行っても優遇して貰えるんだからな。魔女と戦う理由も同じ。これで一旗上げて大儲けしたい、ただそれだけだ。見てみろよ、魔女を倒して見せただけでこの通り勇者様勇者様と崇められる。この快感は脳ミソお花畑のサフィアにはわからないだろうな。どうだ、見損なったか?」
ラーズさんはそう言って鼻を鳴らしました。
でも私は、直感的に、これは嘘だ、と感じていました。
ラーズさんはたった一人で、命を危険にさらしてまで魔女と戦っていたのです。現に、私が助けなかったら彼は魔女に殺されていた可能性が高い。そんなくだらない理由で魔女に戦いを挑んだとはどうしても思えませんでした。私、昔からこういう勘はよく当たるんです。
でもきっと……いや、絶対に、彼は本当の理由を教えてくれないでしょう。だって彼はあの時……。
「じゃあ、ラーズさん……あの時、どうして……」
「勇者様、お待たせ致しました。国王がお待ちです、どうぞ、謁見の間へ」
その時、私の質問を遮るようにさっきのナントカ大臣が現れました。ああっ、もう! タイミング悪いんだから。
それから私達は、大臣に連れられて謁見の間へと通されることになりました。大臣は私を謁見の間に入れることに難色を示したようですけれど、ラーズさんが是非にと言って譲らなかったのです。
謁見の間に入るなんて、一介の僧侶ではなかなか経験できないこと。本来ならとても光栄なことなのでしょう。でも、私の頭の中は、結局ラーズさんに一番大事な質問をしそびれてしまった口惜しさでいっぱいでした。
もしあなたの戦う理由が本当に地位や名誉のためなのだとしたら、どうしてあなたはあの時泣いていたのですか。
そして、『ティアンナ』とは何ですか、と。