小刈ダイアとハプニング
西野園達に案内されて、里見はA大学近くの小さな喫茶店にやってきた。
これはカントリー風というのだろうか、白と木目を基調とした洒落た雰囲気の店だったが、大通りから少し離れた細い路地に面しているため、他に客はいなかった。相談の内容が内容だけに、なるべく人目は避けたかったので、お誂え向きの場所である。西野園が言うには、ここの店主はこちらから呼び出さない限り奥で休憩していることが多いらしい。今日のような用件ではますます好都合ではあるが、それで商売が成り立つのかと心配になってしまった。
コーヒーを四つ注文して、早速本題に入る。
「今回の事件の被害者は、この七人です。まあ、これはマスコミが散々報道しているので、京谷さんはご存じのことと思いますが……」
渡辺 茂 27歳 サラリーマン
佐藤 良明 31歳 公務員
三浦 健 21歳 大学生
香川 沙織 23歳 フリーター
森内 誠治 35歳 自営業
深浦 亮 26歳 派遣社員
広瀬 耕平 28歳 無職
里見は、被害者七人の顔写真を見せながら一人一人名前を読み上げた。六人の男と一人の女。いずれも目立たないごく普通の一般人といった顔付きで、アマチュアとはいえ人気作家という雰囲気は全くない。もっとも、顔で作品を書くわけではないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
「被害者七人に、サイト以外の場所での接点は全くなかったようです。住んでいる地域も、関東だったり東北だったり東海だったり、バラバラです。犯人だけはこの七人とどこか接点があったのではないかと関係者を一通り洗ってみましたが、ダメでした。そもそも犯人像が全く掴めないのですよ……」
ここでコーヒーが運ばれてきた。里見はブラックのまま、熱いコーヒーを一口啜る。
「現場を見た我々の勘では、犯人は男だと思いましたね。被害者達が使用していたらしいノートパソコンは、ディスプレイの部分を除いて、現場に残されていた木製のハンマーで粉々に砕かれていました。それに、遺体は一ヶ所に折り重なるようにして集められた後、灯油をかけた上で火をつけられています。いずれも女性の体力では難しいことです。しかしそうなると辻褄の合わないことがある。つまり、ここに集まった八人は、名前や作風から察するに、六人の男性作家と二人の女性作家だというのですよ」
「なるほど……たしかに、それが事実であれば、犯人は女性ということになってしまいますね」
西野園は首を傾げて相槌をうった。
「どの作家が誰だったか、照合できているのですか?」
「いえ、どのパソコンが誰の持ち物だったかはディスプレイについた指紋からわかっているのですが、中身の方は完全に破壊されていて、さっぱりわからないのです。ただ、犯人がどの作家だったかだけは別の経路から判明しています。実はもう一つ、まだマスコミに公開していない情報があるんですよ。犯人は、自分の身代わりを用意しようとしていたようなのです」
「身代わり……とは?」
「ええ、事件の数日後に、その身代わりにされる予定だったらしい女性から情報提供がありまして。犯人は事件の数週間前に、サイト内で交流のあるユーザー……つまり自分のファンに対して、『自分は急用ができてしまったため、イベントには参加できなくなってしまった。代わりに行ってくれないか』というような文面のメッセージを送っています。ですが、このイベントでは作品を執筆しなければいけませんから、件の女性も一度は断ったそうなのです。しかし、犯人は『イベントには参加できないが作品の執筆はできる。発表されるのは小説を書こう!のサイト上だから、自宅のPCからでも可能である。貴女は現地に行って私のふりをして、執筆の際にはノートパソコンを叩いている仕草だけしてくれればいいから』と提案しました。女性は近畿地方在住の専業主婦で、交通費もバカにならないのですが、もともと今回のイベントにとても興味があったらしく、この申し出を快諾しました。が、前日の夜に急性心筋梗塞を発症してそのまま入院、連絡もできないままドタキャンする羽目になりました。これを申し出たのは『小刈ダイア』という女性作家で、こいつが犯人と見られています」
「なるほど。解釈が難しいですね。でも、その『小刈ダイア』が犯人だとすると、その身代わりの女性がイベントに参加できないことを犯人は事前に知り得なかったはずである。なのに現場にいた。それはつまり、これが計画的な犯行で、犯人は最初からそこにいた作家と身代わりの女性を殺すつもりで現場にいた可能性がある……そういうことでしょうか」
里見は改めて、西野園の頭の切れに感心した。
「ええ、ええ、その通りです。犯人の当初の計画では、その女性を身代わりに立てることで集団自殺に見せかけるつもりだったと推測されます。しかし、身代わりの女性が不在のままイベントは何の変更もなく行われ、サイトには八人分の作品が発表されている。結局犯人自身がイベントに参加したのか、或いは、犯人から他の参加者に、現地には行けないが作品は発表できると事前に連絡があったのか……その辺りは、何しろ当事者が全員死んでいますし、手がかりも全く残されていませんから、確かめようがありませんが」
「いや、犯人はその身代わりの女性がいないことを知らなくても現場にいた人間だった、という可能性はあるんじゃないですか?」
これは瀬名の意見だ。
「つまり、そのコテージのオーナーとか、隣のコテージにいた宿泊客の中に犯人がいて、こっそり様子を窺いながら犯行に及ぶチャンスを待っていた可能性です」
「それは我々も考えました。しかし、オーナーも隣のコテージの宿泊客も死亡推定時刻付近のアリバイは完璧で、どうしようもありませんでした。それに、消火器を持ったオーナーが駆けつけるより先に、何者かが外から現場に足を踏み入れた痕跡はありません。それに、犯人は実際に作品を執筆して投稿しているのですよ。オーナーや宿泊客が犯人だとしたら、周りに人目のある中で」
「隣のコテージの宿泊客が全員グルだった可能性は?」
「いや……それも考えづらいですな。隣のコテージに泊まっていたのは女子大生のグループ五人で、一応調べてはみましたが、特に不審なところはありませんでした」
「ふむ……」
瀬名は顎をさすりながら再び考え込む。
「そういえば、犯人と被害者たちはどうやってそのコテージまで行ったんですか? 冬場の山中から徒歩で遠くまで逃げることはほぼ不可能なのでは……」
この質問は西野園だ。
「ええ、コテージまでの移動手段に関しては、レンタカーを利用したようです。一般的なワゴン車ですな。しかし、ワゴン車は事件の後も現場に置き去りになっていて、逃走には使用されていません」
「妙ですね……普通に考えれば、レンタカーで現場を離れてから、どこかで乗り捨ててしまえばいいようなものですが……徒歩で雪山を下りるなんて考えづらいですね。レンタカーを手配したのは誰なんですか?」
「大学生の三浦だったそうです。一番早くF県に到着した三浦が市内でレンタカーを借り、新幹線の駅前で他の参加者を待って合流し、そのままコテージへ向かったようですな。今回殺害された七人のうち、無職の広瀬以外は全員運転免許証を所持していました。コテージの予約には『志井武雄』というペンネームが使われていて、声の雰囲気から男性らしかったとオーナーは証言しましたが、誰が予約をとったのかまでは確認できませんでした」
「なるほど……」
「……あの、密室のトリックとかは全然わかりませんけど、犯人が身代わりの女性を用意しようとした理由なら、少しわかる気がします」
ここまでずっと無言で話を聞いていた京谷が、おずおずと口を開く。
「あの日集まった八人のうち、六人が男性作家で二人が女性作家というお話でしたけど、作家の性別なんてなかなかわからないものですよ。積極的に顔出ししている人なら別ですが、そうでない場合、名前や作風から推測しているだけで、外れていることも珍しくない。本人の全く意図しないところで、読者が勝手にイメージを膨らませていることもあると思うんです」
「……ほう。つまり、どういうことでしょう?」
「つまり、『小刈ダイア』は女性作家だと思われている男性作家だった。そして、周りのイメージを壊したくないから、女性の身代わりを立てようとした……っていうのは、どうでしょう?」
なるほど、女性作家だと思われてはいたが、実際は男だったというわけか。確かにその意見ならば、犯人がわざわざ身代わりの女性を立てようとした理由に一応の説明がつくように思える。だがしかし、そうして得られるメリットは決して多くない。
イベントが始まってから犯行に至るまでの間、他の参加者に自分が女性だと思い込ませることができる。そして、身代わりの女性を殺すことで、事件後『小刈ダイア』が女性であったと思わせることができる。せいぜいその程度だ。『小刈ダイア』のイメージを守ることはできるが、犯行に関するメリットはほとんどないのではないか。とはいえ、他に合理的な説明ができるわけでもない。
「つまり、『小刈ダイア』はやはり男であると?」
「はい……どこかおかしいでしょうか?」
「いえ、大変参考になりました。京谷さんの意見は、署に持ち帰って検討してみようと思います。ありがとうございました」
すると、京谷は照れくさそうにぎこちない微笑を浮かべた。
ここで里見は、現在の警察の見解をまとめて述べることにした。
「現在我々は、死亡した七人のアマチュア作家による集団自殺か、或いは七人の中に犯人がいたか、という線で考えています。現場の状況からはそう断定せざるを得ない。が、これでは色々とおかしな点が出てきます。仮にこれが七人の作家による集団自殺だったとしてみましょう。この場合、小刈ダイアの行動の説明がつきません。小刈ダイアは集団自殺の計画を知らされていたのかどうか。知っていたとしたら、何故身代わりの女性をたてようとしたのか。死にたくないのならオフ会に参加しなければいいだけのことです。もし小刈が計画を知らなかったのだとしたら、何故他の七人が小刈の参加を許したのかが解せません。それに、被害者は睡眠薬を飲まされた上で殺されています。集団自殺を決意しているなら睡眠薬など使うでしょうか?」
口の渇きを覚えた里見は、一口コーヒーを啜ってから続ける。
「七人の中の一人、あるいは複数が殺人犯で、犯行後に自殺したと仮定してみましょう。この場合、小刈の行動は先程の京谷さんの意見の通りだと考えられます。問題は、作家が一人殺されているにも関わらず、それ以降も何事もなかったかのように作品が投稿され続けている点です。この場合殺害された被害者の作品は他の誰かが代筆したのだろうと考えられますが、犯人以外の作家は刺殺体がすぐそこに転がっている状態で執筆を続けたことになります。犯人に脅されたのでしょうか? だが、現場は陸の孤島でも何でもない。すぐ隣のコテージには人がいるのです。それに、その気になれば作品にSOSのメッセージを載せることだってできる。それに、そもそも、これでは犯人の動機が不明です。わざわざ注目を集めるイベントの際中に犯行に及んだのに、それを誇示することもなく黙って死んでいる。犯人の行動としては不可解なことだらけなのですよ。それに、どのタイミングで被害者たちに睡眠薬を飲ませたのかという問題があります。犯行に使われた睡眠薬は服用してから三十分ほどで効果が現れるものでした。しかし、最初の被害者の死亡推定時刻から他の被害者までの間には一時間ほどの開きがあります。最初の被害者が睡眠薬を飲まされ殺されたのを目の当たりにしておきながら、仮に脅されていたとしても、睡眠薬が混入された可能性のあるものを飲むでしょうか。被害者が皆同時に睡眠薬を飲まされたのだとしたら、眠らされたはずの作家の作品が投稿されていたことの説明がつきません」
ふぅ。
「また、いずれにしても事件後の小刈ダイアの行動が解せません。現場には行かず他の環境から作品を投稿していたのだとしたら、何故奴は未だに沈黙を続けているのか。それだけではない。事件がテレビで報じられたのは翌朝です。現場にいなかった小刈ダイアには事件のことを知る術がないはず。にもかかわらず、他の作家と同じタイミングで投稿をやめています。あまりに話がうますぎる。個人的には、八人目の参加者、小刈ダイアが犯人だと考える方がまだしっくり来ます。あとは密室のトリックと投稿され続けた小説の謎さえ解ければね」
里見が独断で西野園の助力を求めたのは、まさにこのためだった。
「さて、じゃあ、そろそろ本格的に、密室について考えてみましょうか」
西野園の音頭で、いよいよ密室トリックについての検討が始まる。




