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フューネラル  作者: 浦登 みっひ
七人のアマチュア作家殺人事件
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里見刑事、再び

 F県警に所属する里見刑事は、A大学の構内を歩きながら、ある人物を探していた。


 A大学は、M県の中核都市、青葉市にある国立大学で、県内では最も規模の大きい大学だ。構内には緑が溢れ、学生達が盛んに歩き回っている。県内では、いや、東北では最も格が高い大学のはずだが、道行く学生達の大部分がどうもチャラチャラと浮わついているように見えてしまうのは、自分が老いたせいか、と里見は一人ごちる。彼の目には、髪を明るく染めている若者が例外なく遊び人に映ってしまうのだ。それは偏見だよ、と娘によく叱られる。

 里見の娘も大学生である。娘が通っているのはA大学より少し格の落ちる大学だから、A大学でこの有り様なら、娘の大学はどうなっているのだろうと不安になってしまう。妻にはよく過保護だと叱られる。つまり、家では叱られてばかりの威厳のない父親なのだ。


 目的の人物には事前に連絡をとってあり、待ち合わせ場所も決めてあったのだが、予想以上に構内が広く、探すのに苦労した。学生たちに道を尋ねてみると、意外にも受け答えはしっかりしていて、先入観とは恐ろしいものだと改めて思い知らされる。仕事柄、身に染みてわかっているはずなのに、である。これから会う人物だって、傍目にはただの金持ちの令嬢にしか見えないではないか。


 彼女は学内でも有名人らしく、名前を出すと皆『ああ、あの子か』という反応を見せた。


 西野園真紀。


 確かに、一度聞いたら忘れられないような妙な名字である。この名を最初に目にしたとき、野原なのか庭園なのかはっきりせい、と心の中でツッコミを入れたことを、今でも覚えている。

 しかし、何よりも強く印象に残っているのは、その美貌である。黒く大きな瞳、すらりとした鼻梁に、少しつんと尖ったような小鼻。小さく形のよい唇。

 里見は仕事柄、人の顔を覚えるのは得意なほうであるが、美人や美男子というのは意外と際立った特徴がなくて覚えづらいものだ。だが、西野園真紀は別だった。並の女優やアイドルでは足元にも及ばないぐらい、別格の美しさなのである。


 里見が西野園真紀と出会ったのは、一昨年の夏、F県の海沿いにある別荘で起こった事件だった。西野園は、他の二人の学生と共にその別荘に招かれ、密室殺人とも思える事件に巻き込まれた。その事件を扱ったのが、他ならぬ里見であった。

 密室殺人とも『思える』事件という妙な表現にならざるを得ないのは、結局それが殺人事件として立件できるだけの物証を得られず、自殺という形で処理することになったからだ。

 しかし、崩すことは到底不可能と思えた密室のトリックに、西野園は少なくとも一つの合理的な解釈を与えてみせたのである。結局犯人を逮捕することはできなかったが、里見は、西野園の推理が正しかったのではないかと今でも思っている。



 待ち合わせ場所のロビーに着くと、三人の大学生がテーブルを囲んで談笑していた。

 輪の真ん中で微笑んでいる美しい少女。当時とは髪型も髪色も変わっていたが、その美貌ははっきりと網膜に焼き付いている。里見は一目でそれが西野園真紀だとわかった。


 やや赤みがかった髪を後ろでおだんごにまとめ、白いセーターに暗いグレーのズボン(いや、最近の若者はスキニーパンツというのか)、黒いコートとロングブーツという出で立ち。そして、その大人びたファッションがいささか浮いて見えるほどにあどけなさを残した、少女のような容貌。里見は家にある着せ替え人形を思い出した。娘が子供の頃に買い与え、今でも大事にとってあるものだ。

 少女のような容貌、という形容とは矛盾するかもしれないが、一年半ぶりに見る彼女は、当時より少し大人びた雰囲気を醸し出していた。それは決して服装のせいだけではないだろう。女はこれぐらいの年齢で一気に変わるとよく言うが、世間知らずの無垢なお嬢さんが、一人前の女性になったということだろうか。


 隣には、ジャケットからズボンまで黒ずくめの一見冴えない青年と、青いニットワンピースに眼鏡をかけた、グラマーな女が座っている。

 青年の名は瀬名瞬。女の方は京谷小雨。二人とも、F県での事件の際、西野園と一緒にいた友人達である。

 瀬名は外見上の変化こそなかったが、その面差しにはどこか虚無的な陰が差したように感じられる。

 京谷は、もしかすると西野園以上に雰囲気が変わったと言えるかもしれない。髪を伸ばし、眼鏡をかけたせいもあろうが、この一年半の間にぐっと色気が出たように思う。三人は同い年のはずだが、並んでいると京谷だけは二、三歳年上に見える。社会人だと言っても違和感がないかもしれない。


 最初に里見に気付いたのは西野園だった。


「あ、里見さん! こっちこっち!」


 瀬名と京谷の二人も、こちらを振り向いて頭を下げる。


「いやあ、三人ともお揃いで。お久しぶりですね。一年半見ない間に、皆さんぐっと大人っぽくなられて」

「あら、ありがとうございます」


 西野園が、すまし顔で微笑む。里見は一年半前の彼女を記憶の中から引っ張り出し、今の彼女と比べてみた。変にコケットなところがなくなったし、表情の作り方がより洗練されたような印象を受ける。


 瀬名に椅子を勧められて、里見は同じテーブルについた。


「立派な大学ですねえ、ここは。私の地元には、こんなに広くて洒落た大学はないですよ」

「そうなんですか?」

 瀬名が答えた。

「ええ、大学も今は色々大変らしいですからね」

「ああ、そういうことなら、A大も事情は同じですよ。ロビーなんかは人目に触れるから綺麗にしてあるけど、中に入ればひどいもんです」

「ははは、なるほどね」


 軽い世間話のあとで、話を切り出したのはやはり西野園だ。

「それで、里見さん、今日わざわざこちらへいらしたご用件は……?」

「ええ、はい。実は、皆さんもテレビや新聞の報道をご覧になってご存じかと思いますが……」



 里見、いやF県警が現在抱えている厄介な事件。その概要は、以下のようなものである。


 事件が起こったのは、今から一月ほど前、正月ボケの抜けきらない一月中旬、金曜日の深夜。F県の深部、雪深い山の中だった。三棟の貸しコテージが並ぶ中、その一軒で、アマチュア作家七人が死体となって発見された。いずれも心臓と喉を刺され、即死であったと推測される。血液が付着したサバイバルナイフが現場に残されており、それが凶器と考えられている。指紋は綺麗に拭き取られていた。厄介なのは、死亡推定時刻にバラつきが見られる点である。


 犯人は死体を一か所に集め、灯油を撒いてから、死体に火をつけた。おそらく、遺体を焼くことで死亡推定時刻や死因を誤魔化そうとしたのであろう。

 だが、犯人にとって不幸なことに、コテージには火災報知器が備え付けられていたのだ。事態を察知したオーナーの男性が消火器を携えてすぐに駆けつけ、オーナーの素早い対処により、火は間もなく鎮められる。彼は事件現場となったコテージの二つ隣、自らが所有するコテージの一つで、友人たちとパーティーを開いていたのである。これもまた、犯人にとっては不幸な出来事の一つだった。オーナーが火災報知器の音を聞いたのは午前二時頃のことである。


 検死によると、胃の内容物の状態から、被害者の死亡推定時刻はおよそ午前零時前後から一時半前後という結果が出された。幅があるのは、一人だけ零時前後、つまり先に殺された遺体があるためである。また、全員の遺体からは睡眠薬の成分が検出され、犯人は被害者を眠らせた上で犯行に及んだものと見られる。


 しかし、ここで一つ目の謎にぶつかった。死亡推定時刻とされるこの時間にはまだアマチュア作家たち全員が生きており、執筆中の作品をサイト上で発表していたはずだ、というのである。


 そして二つ目の謎。コテージの窓はどれも内側から施錠されていたが、玄関の扉が開いており、犯人はそこから脱出したと考えられる。コテージの周囲は雪で覆われており、鳥人間でもない限りは、足跡を残さずに脱出することは不可能な状況だった。にも関わらず、そこに残されていたのは単身火元に乗り込んだ勇敢なオーナーの足跡だけで、当然あるべき犯人の足跡がどこにも残されていなかったのである。


 何故これだけ大勢のアマチュア作家がこのコテージに集まっていたのか、という疑問が当然生じるであろう。

 亡くなった七人、そして犯人と見られている一人を加えた八人は、いずれも『小説を書こう!』という小説投稿サイトで活動していたアマチュア作家である。国内最大の小説投稿サイトである『小説を書こう!』には、毎日夥しい数の作品が投稿されている。その大半はおよそ作品とも呼べないような代物だが、才能のある者は人気アマチュア作家となり、中には作品が書籍化されプロデビューを果たす者もいる。


 『小説を書こう!』の中でも、ここに集った八人は人気と実力のある作家達だった。その上、度々あった書籍化のオファーも全て断り、素性も一切明かされていない、謎の多い作家ということでも知られていた。

 そんな八人が一堂に会し、いわゆる『オフ会』をすると発表されたのは、年明け前の十二月上旬のことだった。しかもその際、ファンの投票によって与えられたテーマに沿って八人が即興で小説を書き、それを『小説を書こう!』にリアルタイムで投稿して出来映えを競い合う。その中で最も高いポイントを獲得した作品については、書籍化オファーを受ける、という。


 八人の連名で発表されたこのイベントに、『小説を書こう!』のユーザーは作者、読者を問わず色めきだち、また兼ねてから彼らに書籍化のオファーを出していた出版各社も熱視線を注いだ。

 会場は、F県の山中にあるWi-Fi完備の静かな貸しコテージ。金曜の夜から二泊三日で執筆に取り組む予定だった。テーマの公募には数千件の応募があり、ファンによる集計の結果、当日の午後十時半にテーマが『雪』と発表された。

 会場となる貸しコテージの周辺は雪に覆われており、雪をテーマにした創作にはうってつけのロケーションである。いったいどんな作品が産み出されるのか、誰もがこのイベントを固唾を飲んで見守っていた。


 作品の執筆は午後十一時から始まり、『小説を書こう!』のサイト内に次々と投稿されていった。そして午前一時半前後までは何の問題もなく作品が発表され続ける。しかし、それぞれの物語がいよいよ軌道に乗って走り出そうとしていたところで、突然ぱったりと更新が止まってしまう。

 深夜一時半。一週間の疲れがどっと押し寄せる金曜の夜である。いかに熱心なファンであっても、ぼちぼち眠気との戦いが始まる時間だ。きっと作家達も、今夜はここで一旦休み、明日の朝からまた執筆を続けることにしたのではないかと、ファンも出版社もこの時はさほど気にしていなかった。執筆は二泊三日の長丁場、休息は必要だ。

 だが、夜が明け、朝になっても作品は更新されない。何かトラブルがあったのだろうかと関係者が心配し始めたところで、朝のワイドショーから衝撃的なニュースが飛び込んできた。


『F県の山中の貸し別荘で、男女合わせて七人の遺体が発見されました。死亡が確認された七人は、小説投稿サイト「小説を書こう!」に作品を発表していたアマチュア作家と見られ、サイト内でのイベントへ参加するため貸し別荘に宿泊していた模様です。警察は、現場から姿を消したアマチュア作家『小刈ダイア』を重要参考人として……』





「……というわけなんです。おそらく、現場が密室であったこと以外は、皆さんもテレビなどの報道でご存じかと思いますが……」


 しかし、西野園と瀬名の反応は意外に鈍い。


「あ、この二人はあんまりテレビ見ないんですよ。そうそう、ワイドショーで色んなコメンテーターが好き勝手なこと言ってますね」


 と、話を繋いだのは京谷だった。西野園と瀬名は気まずそうに苦笑している。


「ごめんなさい、私と瞬は疎くって……なにか、そういう事件があったということは知っていますけれど、詳しいことはあまり……」


 事件直後はどこのテレビ局もこの事件の話で持ちきりだったのだが、テレビを見ない層の反応はこんなものだろうか。ただ、相談する立場の里見としては、事件に関して妙な先入観を持たれるよりずっといい。

 だが、京谷は何か腹に据えかねるものがあるらしかった。


「テレビのコメンテーターは、ネットで小説を書いてもなかなか書籍化されないいわゆる『ワナビ』達の心の闇! とか言って、ネット上で多少人気が出てもなかなか本にならないアマチュア作家がヤケになってやらかした、みたいな論調でしたけど、彼らが書籍化のオファーを断り続けていたことは完全にスルーなんですよね。そこが納得いかなくて。しまいには、何十年も前にまぐれで芥川賞を取っただけのロートル作家が出て来て『こんなくだらないものばかり書いていても芽が出るわけがない、ちゃんとした純文学を読みなさい』なんて説教を始める始末で、なんか腹立たしくて」


 どうやら京谷は『小説を書こう!』のユーザーらしい。西野園や瀬名はどうなのだろうか。里見はあまり小説を読まない人間なので、感覚がよくわからない。


「こういう、ラノベ、というんですか……私も同僚たちもよく事情が飲み込めないんですが、この『小説を書こう!』は若者の間では人気があるんですか?」


 三人は顔を見合わせる。


「俺はあんまり見ないですね。紙の本のほうが好きですし」

「私はたまに……でも、書籍化されるような人気のある作品はほとんど読みませんね。ファンタジー色が強いものは苦手で」


 瀬名と西野園はあまり利用していないようだ。


「私は結構見てますよ。無料だし、稀に本当に面白い作品もありますから」


 やはり、このサイトに関しては京谷が最も詳しいようだ。彼女はそのまま語り始める。


「ラノベってもともとは若者向けの取っつきやすい小説という立ち位置なんですけど、実際はラノベすら読まない人が多くて。頻繁に何かしらの小説を読んでる私達三人は特殊なほうだと思いますよ」

「ほう。しかし、この『小説を書こう!』というサイトは国内でも最大の小説投稿サイトという話ですが……」

「ええ、確かに。でも、最近はいわゆる『異世界』ものがとにかくブームで、それについていけない人は他の投稿サイトに流れていったり。サイト内でもよく議論になっているんです。でも今はそれが流行だし、書籍化への近道だから。ただ、あのイベントに参加した八人は、人気作家の中でも我が道を行くタイプではありましたけど」


 なるほど、最大手のサイトであることは確かだが、内容に偏りがあるというわけか。だが、マスコミが騒いでいたような『自分の作品が評価されなくて云々』とはだいぶニュアンスが違いそうである。

 事件の背景についての情報は得られたが、里見がわざわざ隣県からここまで出向いて西野園にアポイントメントを取ったのはこのためではない。里見は、そろそろ本題を切り出すタイミングだと判断した。


「貴重なご意見、ありがとうございます。ただ、今回私が伺ったのは、事件の背景だけではなく……」

「密室、ですね」


 里見の話を先取りして、西野園が微笑む。僅かに首を傾いで微笑をたたえる彼女の姿を、里見はそのまま額に入れて部屋に飾っておきたいとさえ思った。


「先程お話を伺っていて、密室という言葉が出てきたときに、ピンと……違いますか?」

「いやはや、お見通しでしたか……そう、今回の事件にはほとほと手を焼いておりまして。マスコミで大々的に取り上げられた割には情報提供も少なく、プレッシャーばかりが強まるという有り様なんです。藁にもすがると言っては失礼かもしれませんが、西野園さんの推理力を頼ってここまできたという次第で」

「私達でお力になれるなら、喜んでお受けします。ここでは人目もありますし、よろしければ、近くの喫茶店に移動しませんか?」

シリーズ一作目『アンダンテ』以来久しぶりに里見刑事の登場です。

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