8.飛竜に乗って
「これでよし、と」
セイジは、ブラストたちの滞在している宿屋で新たに借りた部屋に紙を敷き、その上に大きな魔法陣を描いた。魔力を通わせると、魔法陣が輝きはじめる。
「親愛なる精霊よ、我が呼び声に答えしものよ、契約者セイジ・アルバムが告ぐ、その姿をここに現したまえ……来てくれ、ウィズ」
「ピィ!」
呼び出されたウィズに、魔法陣の維持を頼む。
これは、セイジが作った転移魔法陣だ。起動にはセイジの魔力が、維持にも定期的に魔力の注入がが必要になる。ウィズに頼んでおけば、1周間は維持してくれるはずだ。
「これで、準備はあらかた済んだかな」
セイジが一息ついたタイミングで、コンコンと扉が叩かれる。
「セイジ、準備、終わった?」
「ああ、アリスか、今でるよ」
魔法陣以外の準備は出来ている。
戦闘用の道具と、腰に差した剣を軽く確かめて、セイジは部屋を出た。
「セイジ、遅い」
「ごめん、ブラストたちは?」
「先に、竜舎に行ってる。野宿用のテントとか、食糧も用意してくれたみたい」
「そっか、あとでお礼言っとかないとな」
「ん」
なにせ、セイジたちが持ってきたそれらの荷物は古代龍の真上から逃げた時に全部、置いてきてしまったのだ。その荷物だって、ホウの厚意で朱雀流の本部道場が用意してくれたものなのだから本当、勇者として立つ瀬がない。
ちなみに、竜舎というのは荷物を引かせるための飛竜種を飼っているところだ。頼めば、飛竜を貸してくれる。ドワーフの集落までの移動は飛竜を使う予定なのだ。
ブラストとナナの話では、古代龍の行動には一定の周期があるようだ。二人が行った二日間の観察と、聞き込みからすれば、古代龍は夜明けとともにドワーフの集落付近の岩山に現れ、ボルターム共和国に4つある飛行場と三つある共用転移魔法陣を巡回し、日付が変わる頃に再びドワーフの集落付近の岩山に現れる。転移魔法陣、飛行場、ドワーフの集落付近の岩山は結構な距離がある。特に、一番離れた位置にある飛行場と岩山の距離は80㎞あり、古代龍でも移動に1時間はかかると推測されている。
ドワーフの集落へは、その隙を狙って行く。
「つーわけで、コイツが俺様達を運んでくれるヨーゼルとミツキだ!」
「ヨッちゃんとー、ミッちゃんだよー!」
「いや、ヨーゼルはオスだ」
「じゃー、ヨーくんだねー!」
セイジとアリスが竜舎に行くと、待ってましたと言わんばかりにのいい笑顔で2体の飛竜を紹介するブラストと、その2体の飛竜の首にぶら下がって無邪気にはしゃぐナナが待っていた。
「そういう、問題?」
「その指摘は適切だけど、ちょっと遅いよアリス」
「そう? なら、あだ名はいいから、さっさと行くよー」
「またまた適切な指摘だが、その棒読みはちょっとなー」
なら、から後ろの台詞に全く感情がこもってない。もともとアリスは感情表現に乏しいのに……。
「でもまあ、アリスの言う通りだ。早く行こう」
「そだねー、じゃあアリスとセイジはミッちゃんに乗ってねー。あたしとブラストはヨーくんに乗るから」
「ダメだ! 俺様とセイジでヨーゼルに乗る!」
「え、なんでだ?」
セイジの当然の疑問に、ブラストは右拳を握りしめて高らかに宣言する。
「男は男で、女は女で固まるべきだからだ!」
…………。
…………。
…………。
「まだ、そんなこと、言ってるの?」
「大人とか言ってたけどー、その考え方の方が子供だよねー」
「ぐ……うぅ……」
きっと、旅をしていた頃からこんな調子だったのだろう。ブラストのパーティ内での立場というか、アリスやナナとの力関係が丸わかりである。
慣れているのか立ち直りの早いブラストが、ヨーゼルにつけられた騎乗用の器具に跨った。セイジはすこし逡巡したが、ミツキの方に跨った。すぐに、アリスが後ろに乗ってくる。
「じゃ、あたしはこっちねー」
「くっ、あっさりナナの言う通りになりがって……!」
「体重比を考えたら、ナナの言った組み合わせで、当然」
ブラストは見るからにガタイが良く、次にセイジ、アリス、ナナの順で身長も体重も減っていく。最悪の場合は積み荷を捨てて古代龍から逃げることも考えられる。その時、ヨーゼルとミツキにかかっている負荷はできるだけ同じ方がいいはずだ。
「……まぁそうだな。んじゃあ、いくぞぉ、お前らぁ」
ブラストとセイジは、手綱を握るとそこに括り付けられた赤い笛を吹いた。その音色に反応して、ヨーゼルとミツキはその大きな翼を広げて空へと舞い上がる。
飛竜は、巨大なトカゲの前足が翼に変化したような生物だ。前足が翼になっているため、強靭な後ろ脚とバランスをとるための長い尻尾を有する。そんな飛竜につける騎乗器具は、翼の動きを阻害しないように飛竜の首元につけられる。そのため大きな飛竜でも2人乗りが限界だ。それから荷物だが、これはたいていの場合、背中に背負わせる。これも翼の邪魔にならないようにするため、背中に生えた鱗の起伏に括り付ける。
これに、飛竜の頭に付ける専用の金具と手綱を含めたもの全部で飛竜の騎乗器具であり『騎竜具』と呼ばれている。この『騎竜具』は繋がっていて、いざという時に積荷に手を触れず荷物を切り離したり、考えたくはないが飛竜を見捨てる判断をした場合には、首部分だけが外れる仕組みになっている。その際は仕込まれた風魔法により安全に落下できるのだ。この風魔法は常に展開していて、手綱を握っている人は微量だが魔力を『騎竜具』に供給する必要がある。だが、そのおかげで急激な高度の変化や飛行時の風圧、飛竜にかかる負担も軽減できたりもする。
……話がそれたが、要するにこの『騎竜具』は魔法道具の一種で、他にもいくつかの魔法が仕込まれている。乗っている間は多少だが飛竜を操れるよう工夫されているのだ。
そして、その工夫の一つが手綱につけられた赤と青の二つの笛。赤い笛を吹けば「飛び上がれ」、青い笛を吹けば「着地しろ」と飛竜に命令できる。
飛び上がったヨーゼルとミツキは、あっという間に竜舎が米粒ほどになるくらいまで高く飛び上がった。翼を最大まで広げると、一気に加速する。
『わー、速ーい!』
『こら、はしゃぐなっ!』
ちなみに、こんな風にはっきりとブラストたちの声がセイジとアリスに聞こえるのも『騎竜具』の魔法だったりする。一定距離以内にある『騎竜具』同士なら通信に似た機能が使えるのである。
「それで、ブラスト。どの方角に行けばいい?」
『あーそうだったな。とりあえずついてこい!』
ブラスト達を乗せたヨーゼルを、ミツキが追いかける。『騎竜具』で飛竜を操るのは、慣れないと難しい。こればっかりは、本当に慣れ以外には表現できないものだ。セイジには何度か経験があるので問題はないし、ブラストはセイジよりも上手いみたいだが。
『さて、事前に言ってた通りあと10分くらい飛べば岩山が見えてくる。そしたら、手前から3つ目の山の裏に降りる!』
「了解!」
『んじゃ、急ぐぞ!』
ヨーゼフがさらに速度を上げる。セイジもミツキの飛行速度を上げた。
「気持ち、いいね、セイジ」
「アリスは、乗るの初めてか?」
「うんん、でも、セイジと一緒は、初めて」
「へ……」
『こらー、さらっとイチャつかないのー』
『セイジ……てめー後で覚えてろよぉおお!』
「なんて理不尽な……」
まあ、アリスの発言にその……鼓動が高まったのは確かなので、セイジに弁明の余地はない。いや、アリスにそんなつもりがないはセイジもわかってはいるのだが。
「……セイジ」
セイジの身体に回されていたアリスの手が、セイジの服をキュッと握りしめた。その手に、かすかに汗がにじんでいる。
「ど、どうした?」
まだ、何かあるのだろうか?
だが、さっきまでのほんわかした話の流れからセイジが想像していたものとは全く違う台詞がアリスの口から飛び出した。
「マズイ、かも」
「………………え」
なにが、と聞くよりも前にセイジの知覚が、それを感知した。
影が、落ちる。一瞬にして広げられた漆黒の翼が世界に闇をもたらした。
「古代龍!!!」
さっきまで、なにもない青空が広がっていた。なのに今、その青空は圧倒的な魔力を放つ古代龍に埋め尽くされている。
『どうして! まだ、80㎞先の飛行場にいるはずなのに!!』
『騎竜具』の通信機能によってナナの悲痛な叫びがミツキに乗っているセイジ達にも伝わる。確かに、それも謎だが、もっと腑に落ちないことがある。
どうしてこんな目の前に現れるまで、接近に気がつかなかった?
古代龍は巨大だ。そしてそれ以上に、強大な魔力を常に放っている。最低でも1㎞以内に近づけば絶対にわかるはずだ。
「まさか……」
セイジの脳裏に真っ先に浮かんだのはマーラという魔王教の幹部。彼女なら、認識を攪乱できるかもしれない。
……いや、無理だ。こちらにはアリスがいる。アリスの『天眼』はマーラの認識阻害をある程度看破できるはずだ。いかにマーラでもアリスに気づかれず80㎞先から古代龍を移動させるなんてことはできない。
「セイジ、避けて!」
アリスの声で、思考の海に沈んでいたセイジの意識が浮上した。古代龍の口の中に暗い輝きが見える。それが徐々に膨らみ、やがて漏れ出すほど魔力が高まる。
ブレスが来る!
「ミツキ!!!」
セイジが手綱を引くと、ミツキが右に素早く回避する。直後、巨大な円柱型の魔力が放たれた。恐ろしいまでの密度の魔力が、空を食いつくす。『ばけもの』と化したアリスの斬撃のように空間ごと焼き尽くしていく。
ミツキはそれをなんとか躱して見せた。こんな近くに龍がいるのに、正確に指示に応えるなんて、かなり賢い飛竜だ。よく訓練もされている。
『セイジ、アリス! 無事か!』
「ブラスト……問題ない、そっちは?」
『こっちも大丈夫だ』
ヨーゼルのほうも、難を逃れたみたいだ。
『セイジ、こうなりゃとにかく岩山まで行くぞ!』
「なに、撤退じゃないのか!?」
『馬鹿、さっきみたいなの人がいる場所で撃たれたらどうすんだ!』
確かに、相手は既に臨戦態勢で逃げれば絶対追いかけてくる。
今回の作戦はそもそも古代龍にばれないことが、アイツから逃げ切ることが前提だ。ここまで接近された時点でもうまともな作戦遂行は無理だ。
『とりあえず、適当に足止めしつつ進む。とにかくアイツをまくぞ』
「…………なら、囮は俺たちがやる」
『なに!?』
セイジの囮発言に、ブラストが同意とは言えない驚嘆をあげる。
『お前の後ろにはアリスが乗ってるだろ! ドワーフの集落に向かうならお前たちだ!』
「そうだねー、アリスは行くべきだよねー」
向こうはセイジの意見にどうやら反対のようだ。耳元で聞こえるナナの声も普段の間延びしたままだが、真剣に否定しているのがわかる。
「……みみもと?」
「うん? どうしたのセイジー?」
いつの間にか、セイジの後ろに乗っているのはアリスではなくナナだった。
「……えええええええええええっ!!?」
「もう、耳元でうるさいよー。セイジも転移魔法の使い手ならわかるでしょー?」
まさか、ナナも転移魔法で……。いや、ならアリスはどこにいったんだ?
なんでアリスがいなくなってナナが……これじゃ転移魔法ってよりか入れ替わったみたいな……。
「もしかして、転移為替?」
「正解。まー、コレ使ってるから私自身の魔法じゃないけどねー」
ナナがフラフラと首から下げた小さな宝玉を揺らして見せる。
転移為替ってのは術者と対象の位置を入れ替える魔法だ。それから、ナナの持っている宝玉は持っている者同士を転移為替させる魔法具。お互いに契約を交わしておく必要があり特別な人同士でないと使えない魔法具だが。
「それでー、セイジが自分から囮になるってことは、アレを引き寄せてから逃げ切る算段があるんでしょー?」
「それで、俺のとこに来たのか」
「うん。アリスはドワーフの集落に行くべきだしねー。私とアリスが入れ替わって、私たちが囮、ブラストたちが岩山に向かえば問題なし! って、わけだからブラストいいよねー?」
『……好きにしろ』
『セイジを、お願い』
「任されましたー!」
呆れたようなブラストの声と、アリスのお願いに元気に返事をするとナナは懐から小さな杖を取り出した。今のところ古代龍はミツキとヨーゼルの二匹が上手くかわしている。だが、それはブラストとセイジが二匹で古代龍の動きをけん制しているからだ。
一匹が逃げるためには、もう一匹だけを追わせる必要がある。
「まずは、こっちに気を引かせるよー! 覚悟はいい?」
「おう」
ナナは立ち上がると杖を振りかざした。大気中のマナが震えてナナの周囲に渦を巻いていく。そのマナはミツキごと包み込むまで巨大になり、古代龍の周囲のマナまで巻き込んでいく。
……なんだ、この異常な収束力は!?
「天に召します我らが女神よ……空を割り地に響く、天と地を繋ぐ光を紡ぐ、投擲の凱、灼熱の螺旋、五条の稲妻を束ねて槍と為す……貫け、ブリューナク!!!」
渦を巻く膨大なマナが空へと昇り、一瞬で黒雲を生み出す。
黒雲はとぐろを巻き、その中心にマナが収束していく。マナは光へと変換され、射出された一条の光はその姿を鋭い槍へと変えて、古代龍へと突き刺さる!
凶悪な破壊の力を背に受けた古代龍は、耐えきれずに地面へと落ちた。
「……神器魔法……か?」
戦慄した声で、セイジは問いかける。ナナはふぅ……と深く息を吐くとストンとへたり込んだ。
「う、うん。流石に疲れるけどねー」
「いや、疲れるなんてくらいで撃てるもんじゃ……」
神器魔法。
その名の通り、神の武具を顕現させる魔法だ。
魔法は本来、精霊に自分と大気にあるマナを献上し行使する。簡単に言えば、まだ契約ができるまでに成長していない精霊たちにマナを使ってお願いするのが魔法だ。一番簡単な精霊との契約であるともいえる。
だが、神器魔法を含めた一部の上位魔法。古代魔法は違う。意思を持つ上位精霊や上位精霊になる一歩手前の下位精霊たちに命令することで起こさせる。
それはまさしく、神との取引。
一部の古代魔法がどうのような取引で引き起こされるのかは未だに解明されていない。ブリューナクもそのうちの一つだ。
「グ、オォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
古代魔法の直撃を受けた古代龍が、その黒い翼をはばたかせ再び空へと舞い戻る。その眼に映る怒りは、真っ直ぐにミツキを……その上に乗っているナナへと向けられていた。
なんて殺気……なんて魔力だ。しかも、ブリューナクの直撃を受けたはずの背中には傷すらみあたらない。神の持つ三本の槍の一つと言い伝えられ、貫けぬものは存在しないとされるあの古代魔法を食らって無傷なのか……。
「さ、作戦第一段階、成功だねー!」
「あ、ああ……」
「あのさ、セイジ。もう一回聞くけど、本当に逃げ切れるんだよね?」
「……まかせろ」
セイジはミツキを大きく右折させ、全速力で共和国の外を目指した。