7.古代龍
「うわぁああああああああっ!!」
まずいまずいまずいまずいって!!
両手をめいいっぱいに伸ばして空中落下を楽しむアリスとは対照的に、情けなく大声を上げるセイジ。かつて有名な勇者だったセイジとはいえ、仕方ないことだろう。
「なんで、いきなり古代龍の真上に転移してるんだよ!?」
「セイジが、転移魔法を使った、から?」
「そうだけど! そういうことじゃないから!」
真下で鳥のように旋回している古代龍は、セイジ達が落下して衝突するまでにどこかへ行くことはなさそうだ。
このままでは、龍にぶつかってしまう。天災とやりあうなど、想像するだけでぞっとする。
「セイジ、転移は?」
「無理だ!」
不安定な落下中では、転移先を明確にイメージできない。セイジ1人なら無茶な転移に挑戦してもいいが、2人転移で失敗した場合は術者ではないアリスのほうに危険が及ぶ可能性が高い。
セイジが戦闘前に安全に転移できる場所を確認するのも、こうした状態に陥った時のためだ。転移魔法は強力ゆえに失敗時のリスクも大きい。失敗して空や海に単身投げ出されれば命はない。
「セイジ、なら、私に、捕まって!」
アリスが、伸ばしていた手をセイジに向けた。その手を取る。
「ごめんなさい、荷物は、諦めて」
アリスはセイジを引き寄せると、そのまま抱きしめて空中で宙を蹴った。
まるで、そこに板があるかのようにアリスはセイジを抱えて空中を蹴って空を駆ける。その速度も、光の精霊の力ほどではないがかなりの速さだ。あっという間に、古代龍との距離を離すと地面に降り立った。
「ふう、ありがとうアリス」
「ん……」
情けなく思いつつも、セイジはアリスの腕から降りる。
近くにある林の中、古代龍から隠れるには絶好の場所だ。幸い、古代龍もこちらに気づいていないのか、それとも興味がないのか追ってくる気配はなかった。
「そういえば、さっき空中を蹴ってなかった?」
「うん。水の精霊との、契約の力」
「水の精霊の?」
「大気中の水を操れる力。さっきのは、大気中の水で、蹴る方向とは逆の水流を起こして、足場にした」
そんなことまでできるのか……。
十数歳で朱雀流の複数の型を免許皆伝するほどの剣の腕、良くないものを見透かす『天眼』、5に及ぶ精霊との契約によるどんな場面にも対応できる適応力。
「やっぱり、とんでもねぇなぁ、アリス」
ガシャン、という金属の音とともに大男が木の影から現れる。
が、セイジはその気配に気づいていた。アリスの手から降りた瞬間から、腰の剣をいつでも抜けるようにしている。
「おいおい、そう警戒するなよセイジ・アルバム。俺様はあやしいもんじゃないぜ?」
「なんで俺の名前……って、勅命は世界中に公開されてるんだったか」
「それもあるがな、もともと俺様はそこの英雄さんと知り合いなのさ」
「……へ」
大男の視線の先、セイジの隣にいるアリスはむすっと顔をしかめた。だが、そのしかめっ面には確かな信頼も感じとれる。
「ブラスト、なんでこんなとこ、いる?」
「ははは、まあ、色々あってな。今は共和国に雇われてんだ」
大男……ブラストは手に持った槍と斧が合体したような巨大な武器をぐるりと回して肩に担ぐと、親指で背後を指さした。
「あいつ、絡みでな」
ブラストの後ろには、ゆっくりと遠ざかっていく古代龍がいたのだった。
「わーい、アリスだ! アリスだ! アリスだぁ!!」
共和国にある宿屋の一室に入った途端、マントを羽織った小柄な少女がアリスに抱き付いた。
「本物! ね、本物だよね!? 本物だー!」
「う、うん。ナナも元気だった?」
感動と、疑問と、確信とを込めた三回の「本物だ」を叫んだナナに、アリスはちょっと戸惑いつつも嬉しそうに抱擁を受け入れる。まるで仲の良い姉妹のようだ。
「……えーと、ブラストさん」
「ブラストでいいぞ、セイジ。お前もアリスの仲間だろ?」
「お前も……ってことはやっぱり」
「そうだぜ。俺様とナナはアリスの仲間さ、勇者時代に共に戦った……な」
ブラストは二カッと爽やかに笑って見せる。
それが合図だったかのように、アリスに抱き付いていたナナがセイジに駆け寄ってきた。
「あなたはー、セイジさんだっけ!? 今アリスと旅してるっていう元勇者さんの!」
「あ、ああ」
それにしても小柄な少女だ。歳はアリスと同じか少し下くらいだと思うが……。
「そなんだー。アリスが仲良くしてるってことは、いい人なんだね! あたしはナナ・メル二―だよ、よろしくねっ!」
「あ、うん。よろしくナナ」
元気一杯にピョンピョン跳ね回るナナ。その姿はなんというか……小動物みたいで、加護欲をそそられる。
無意識にナナの頭の上に伸ばしかけたセイジの右手は、志なかばでブラストのゴツイ指に阻まれた。
「セイジィいいい? 何をしている?」
「つ、つい頭をなで……そうに……」
「気持ちはわかるっ。気持ちはわかるがおさえようか? な? まだ死にたくねぇだろ?」
「あ、あはは……」
助けを求めてセイジはアリスを見たが、アリスはため息をついて首を横に振った。
「ブラストは、過保護。私もナナも、うんざりしてる」
「そーそー、いいじゃん頭なでるくらい! あたしは気にしないよー」
「いかん! いかんぞ、お前ら! いいか、男は狼だ! そしてお前たちは羊だ! 捕まれば食われる。そういうものだ。隙を見せたら食われるんだよぉ!」
うわぁ。これって、本人は善意でやってるけどお節介が過ぎて嫌われる奴だ。それに、
「……ブラストも、男」
「そーだよー、ブラストも狼じゃーん」
「ち、違うぞ! 俺様はあれだ! その、ほら、大人だから!」
「大人の方がー、性欲あって危険じゃない?」
「……ブラスト、野獣?」
「違うっ! 断じて違うぞ! 俺様は……俺様は……も、もう枯れてるから繁殖能力はないんだァあああ!」
「…………」
「…………」
この手の性に関する遠回しの注意や教訓というものは、説明する相手に正しい知識が付けばつくほど誤魔化しが効かなくなる。そうなった時、保護者に該当する者の取れる選択は二つだ。
1.その子の成長を認め、不足している知識を踏まえた注意を促す。
2.それまでの誤魔化しにさらに嘘を重ねて、押し通す。
長期的に見れば、子が受け取るすべての情報を操作することなど不可能だ。つまり、1が正解なのは明らかである。しかし、たいていの親は意地や性知識を子に伝える気恥ずかしさから2を選択してしまう。ブラストもまたその例にもれず、また、大きな地雷を踏みぬいた。
「…………その歳でー?」
「もしかして、勃起、障害?」
「な……あ……」
そもそも性知識を隠さなくてはならないという思いこそが、親のエゴなのかもしれない。
自分の想像以上の知識が子にあることを看破できず、無様にも論破されてしまった兄貴分の姿は、その仮説の正しさを示していた。
「というわけでー、撫でていいよーセイジー」
「セイジが、撫でたいなら、私でもいい」
「あ、ああ」
ここは無難に……いや、心が命じるままに2人とも撫でるべきか。
それから、右手がサラサラの長髪を、左手がちょっとクセのある柔らかな髪を、それぞれ撫でる極上の時間をセイジが味わっている間中。
うちひしがれるブラストの羨ましそうな顔が、セイジを睨んでいたのだった。
「なるほど、ドワーフの集落か」
「それはー、厄介だねー」
セイジとアリスが、ボルタームに来た目的。アリスの精霊契約の解除のためにドワーフの集落に向かっていることを話すと、ブラストとナナはあちゃーという感じで顔をしかめた。
「ドワーフの集落に、なにかあるのか?」
「まーなぁ、セイジも見ただろ? あの古代龍をよ」
古代龍……。
飛竜種に似た姿、真っ黒な鱗と翼。龍の中でも特に危険だと言われる古代龍。飛行船を運航中止に追い込んだあの龍だ。
「……まさか」
「そうだ。ドワーフの集落はヤツの行動範囲に含まれている。今は共和国によって封鎖中だ」
それは、困ったな。
アリスの契約解除には、精霊と直接会う必要がある。とすれば、古代龍と遭遇する可能性のある地区に行かなければならないことになる。
「あたしとブラストはねー、共和国に依頼されて、古代龍の生態調査を行ってるのー。可能ならその撃退もね。それで、一昨日からの2日間の調査で分かったのが古代龍の大体の行動範囲とー、巣とおぼしき場所、つまりドワーフの集落ってわけ」
よりによって巣か……。
「ま、正確にはドワーフの集落の入口がある岩山だがな」
そういえば、ドワーフたちは金属類の豊富な山の洞窟に集落を作るんだった。ドワーフ族は高度な鍛冶技術、工芸技能を持っている。金属は、彼らにとって最も重要な資源なのだ。
そして、龍もまた休眠期に地中に巨大な巣を作る。岩山などはもともと飛竜種の巣が多いのだ。龍の巣のある場所としてもおかしくない。
「それで、どうするのーアリス?」
「…………」
アリスは数秒の逡巡の後、セイジをチラリと伺った。セイジは、はっきりと頷いてみせる。
「アリスが行くなら、一緒に行くよ」
「でも、危ない」
「それでも、行く。アリスが俺の立場だったら、ついてきてくれるでしょ?」
「……ん、ありがと」
アリスが少し微笑む。
「おいおい、水臭えなぁ」
「そうだよー、アリスったらセイジとばっかり仲良くしてー!」
ブラストはセイジの肩に腕を置き、ナナはアリスに飛びついた。
「俺様達も、一緒に行くぜ」
「もともと、あたし達も古代龍を追ってるわけだしね」
「2人とも……ありがと」
「いいってことよ。んじゃ、臨時パーティ結成だな」
4人パーティ、か。
一瞬、脳裏によぎった懐かしい景色をセイジは無理矢理に振り払った。