5.丑三つ時の攻防
一部、表現の変更。
くどい台詞や矛盾する記述を修正しました。何とぞよしなに……。
朱雀流本部道場前、深夜。
門下生の一人、ステファンは同期で親友のリクトと共に見張りをしていた。
「しかし、昨日の今日で襲撃があるのか?」
「来るんじゃないか? 敵の目的ははっきりしないけど、あのホウ師範のいる道場だぜ。敵さんもこんなこと長く続かないって思うだろ」
「それもそうだね」
朱雀流の総本山、本部道場の近所で発生している朱雀流門下生の襲撃はこの一週間で3回に及んでいる。世界で最も門下生の多い武術流派、朱雀流の総本山に闇討ちなんてとんでもない奴がいたものだ。
「それはそうとステファン、そろそろ交代の時間じゃないか?」
「ん、もうそんな時間か」
リクトに言われて、ステファンは懐中時計を取り出す。確認すると、もう深夜2時を回っていた。襲撃が起きてからというもの徐々に増やしてきた見回りと門前の見張りは、今日で12人に増えた。門下生が交代で2人1組となって警備をしている。
ステファンとリクトの組も次の組もあと5分ほどで次の組に交代だ。
「じゃあ、次の組を呼びに行こうリクト」
「…………」
「リクト?」
さっきまで話していたはずのリクトから反応が返ってこない。おかしい。ステファンがそう感じた時にはすでに、目の前に白刃が迫っていた。
「っ!!?」
紙一重で振り切られた刃を避ける。腰の刀を抜き、一歩下がって構えた。
「リクト……お前……!」
「…………」
「正気じゃ、ない……な……」
自分に真剣の刃を向けるリクトの、生気のない目を見ているうちに徐々にステファンの意識も薄くなっていく。
な、なんだよ……これ……!?
無意識にステファンは腕を上げて、刀を上段に構えていた。自分の身体が自らの支配を離れていくのがわかる。リクトを敵だと認識し、今にも打ち込もうとしている。でも、それを止められない。
やめろ……やめろ……やめ……ろ……。
振り下ろされる刀、リクトもそれに応戦する。それは、普段の稽古のように何年も積み重ねてきた動きそのものだった。普段の稽古と違うのは身体中についていく裂傷と、お互いの刃に確かに乗った殺気だけ。
悪夢のようなその手合わせから、目をそらすために、ステファンは意識を手放した。
その寸前、何の前触れもなく二人の間に現れた人影に、逃げろと叫びながら。
* * *
「白虎流剣術、虎爪雪崩!」
お互いに斬り合いを始めた門下生2人の刀を叩き落としたセイジは、木刀で首筋を一閃し2人を気絶させた。
「ふぅ……なんとか間に合った」
セイジは木刀を捨てると、腰に刺したマドレーから貰った剣に手をかけ抜き放つ。そういえば、なんどか振って手に馴染ませてはいるが実戦でこの剣を使うのは初めてだ。
まあ、問題はないだろう。それよりも……。
「出てこいよ、いるんだろ?」
セイジは周囲の状況と、転移に向いた場所を確認しつつ問いかける。
倒れている門下生の……刀に。
「ハハハ、よーくわかったねぇ!」
突如、さっきセイジが捨てた木刀が跳ね上がる。木でできているとは思えない魔力で強化された鋭い木刀が、セイジを切り裂かんと足元から襲いかかった。
が、その刃は空を斬る。僅かに上空に転移したセイジが剣を突き立て木刀を貫き地面に縫い付けた。
「流石は元最速の勇者だね」
「……もう別の刀に乗り移ったのか?」
「ううん。でもそろそろ出るよ。いつまでも刀の中にいるのも失礼だからねぇ」
木刀の中から黒い煙が立ち昇り、煙が徐々に人の形を形作っていく。完全に人になった煙は、黒い妙な服を着た少年になっていた。笑みの張り付いた、道化師と悪魔の同居した姿。
こいつは、やばい。
セイジは、ホウと相対した時とは違う悪寒に襲われた。少年から発せられる異質な気配はどちらかといえば『ばけもの』と化したアリスに近い。いや、それよりも禍々しいかもしれない……。
そんな異常な少年は、執事のように礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして、僕の名前はイブリース。魔王教、幹部司祭の一人さ。以後お見知りおきを」
「……セイジ・アルバムだ。やり合う前に、3つ質問してもいいか?」
「うん。いいよセイジ」
無邪気な笑顔を見せるイブリースは見た目は13歳くらいの少年にしか見えない。だが、いやだからこそその見た目に似つかわしくない邪悪な気配が不気味だった。
「1つ目、お前がこの襲撃事件の犯人か?」
「うん。よくわかったよねぇ……あのホウも気づかなかったのに」
「たまたまだよ」
そう、たまたまだ。
あの門下生たちの稽古中の怪我を見て、セイジは気づいたのだ。朱雀流でつけられた傷痕、目撃者がいないこと、襲撃された記憶がないこと、ホウが襲撃者に気づかなかったこと。その全てを満たすような襲撃者など存在するとは思えない。
なら、いっそ襲撃者がいないと考えたらどうだろうか。
その場合の犯人は、お互い。つまり、同士討ちということになる。ただ、操られた仲間同士が同士討ちを演じさせられていただけ。それなら、すべてに説明がつく。
朱雀流の傷痕なのは門下生がつけたから、目撃者がいないのは襲撃者がいないから、記憶がないのは操られていたから、襲撃者がいないのだからホウが気づけるわけもない。
実際に見るまで、元凶が刀の中にいるとは思わなかったが。
「2つ目、目的はなんだ?」
「うーん大司教には口止めされてるんだけど、まぁいっか。僕ね、人の経験と記憶を集めてたんだ戦闘関連の……ね」
「戦闘の、記憶と経験?」
「詳しくは秘密だけど、必要なんだよね。強者の記憶と経験がさ。で、僕が刀に入って門下生を戦わせて、それを集めてたってわけ」
「……3つ目、それは魔王教ってのと関係あるのか? いや、あるのは当然か。……魔王教ってのはなんだ?」
「ハハハ、魔王教に興味があるならセイジもどう? 歓迎するよ」
「茶化すなよ」
「ハハハッ、ごめんなさい。魔王教は精霊信仰と変わらないよ、信仰する対象が魔王ってだけでね」
魔王を……信仰?
なんだそれは?
セイジには、イブリースの言ってることがまるで理解できなかった。魔王は破壊の象徴だ。人類の共通の敵だ。それを憎むことはあっても信仰などするような対象じゃない。
「ハハ、セイジの考えてることはわかるよ。魔王は敵だ、憎むべき対象だ、なのにどうして信仰するんだ? でしょう」
「…………」
「でもさ、それって世界の常識だよ? 魔王のこと、セイジは本当に理解してる?」
なにを言ってるんだ?
こいつは、なにを言ってるんだ?
セイジが混乱すればするほど、イブリースは楽しそうに話を続けていく。
「セイジ、魔王って本当に悪者だと思う?」
「そんなの……」
「実際に世界中を破壊しまくってるじゃないかって? でも、そうしなくちゃ世界がダメになっちゃうかもしれないよ?」
「は?」
「魔王は世界に必要な存在なのかもしれないよ。魔王を世界の常識でしか見たことないでしょ? それって魔王のこと一つの偏った見方でしか見たことがないってことだよ」
「魔王が世界を壊すことに、理由でもあるってのか?」
「そういう可能性もあるよ。そもそも、魔王が世界を壊すのはどうしてなのかって考えたことある? ただ世界を壊すだけの存在なんてそんなの信じてるの?」
「それは…………」
「本当に、一度も疑ったことがない? セイジは元勇者でしょ。それに、人間の醜い部分も、この世界への絶望も、セイジは知ってるはずだよ。二年前にね」
「っ!?」
セイジの脳裏に、二年前のことが蘇る。
冷たい雨、ぬるい血、砕けた剣、淀んだ酒場、野太い声、拳に残る……肉の感触。そして、暗い絶望。
「この世界のほうが、信じられないよ」
セイジの心の隙間に、するりと悪魔の声が入り込む。
「僕たちと、一緒に来ない? 世界に絶望した、元勇者さん。……この世界を作り直そうよ」
そう……なのだろうか。
間違ってるのは……魔王じゃなくて……今の世界……なのだろうか。
そうだ。知ってる。セイジは一度見限ったじゃないか。こんな……世界なんて……
「ダメ、惑わされないで」
キン――!
イブリースの身体を、斜めの剣閃が走る。
流れる白銀の髪と振り切られた細身の銀と赤の聖剣、それは暗闇に光をもたらす英雄の姿。
「あ……りす」
最強の勇者、英雄アスタリスク・リベリオン。
アリスは、光の精霊の力を使った転移魔法なみの瞬間移動でイブリースに接近すると、その身体をあっさり斬ってみせた。
イブリースは煙となって四散し、少し離れた位置で再構成する。煙になって上手く逃げたようにも見えたが、完全には避けきれなかったのか胸に小さな傷を負っていた。
「セイジ!」
「っ!」
アリスの呼びかけで、セイジはようやく自分がイブリース言葉に呑まれかけていたのに気づく。
「……ごめん。アリス助かった」
「ん」
セイジは、アリスの隣に並ぶと剣を構える。アリスも聖剣を構えた。
「アハハ、英雄様は酷いなあ。いきなり斬りかかるなんて」
「問答、無用」
アリスは再び光の精霊の力でイブリースに肉薄すると、その手に持つ聖剣を煌めかせた。隙の少ない鋭い斬撃と次の攻撃や回避を見据えた踏み込み……やはりホウの弟子だ。
「おっと」
イブリースがまたも身体を黒煙と化して躱す。もう、あの速度に対応できるのか……。だが、距離をとった位置にセイジが先回りする。これも朱雀流の稽古の成果だろうか。
しかし、振り下ろされたセイジの剣はイブリースがかざした右手から展開された魔法障壁に阻まれる。アリスもすかさず追撃を行うが、黒煙となって逃れられた。
「……ハハハ、凶悪だなぁ……君たちの連携は。さすがに分が悪いよ」
そう言いつつも、楽しそうな……本当に楽しそうな笑みを浮かべるイブリース。
「ああ、ワクワクする。本当にワクワクするよ!!」
子供のような楽し気な笑みは一転、狂喜の笑みに変わった。
イブリースの身体から黒煙が一気に噴き出す。あの黒煙は、イブリースそのものなのだろう。イブリースの身体が数倍にも膨れ上がったかのようなに感じる。
イブリースの笑顔がより凶悪に歪んだ途端、数十個の魔法陣が一斉にイブリースの周りに現れた。
「魔法陣平行展開……一斉射撃ィイ!」
無数の魔法陣から放たれた魔弾が、一斉にアリスとセイジに襲いかかる。左右に別れて素早く避けるが、きっちりと半分に別れた魔弾が鋭角に曲がり、アリスとセイジそれぞれを追尾する。
「ァハハハッ、無駄だよ! あんたらがいくら速くても、その魔弾は永遠にあんたたちを追いかけるからねぇ!!」
「なるほどね……!」
「なら、こうする」
セイジとアリスは足を止めると、セイジは剣を持ってない左手をかざし、アリスは左手の聖剣を構えた。
「複数同時転移障壁!」
「朱雀流剣術……八叉燕」
アリスの聖剣が迫る魔弾を全て叩き落す。
セイジの左手に接近した魔弾がすべて消え、イブリースの周りの地面に一斉に着弾した。
「嘘……あれを全部……」
アリスは聖剣で全て迎撃。セイジは転移魔法を応用した魔法障壁で、魔弾すべてを地面すれすれに転移させたのだ。
「覚悟……」
「っ!」
着弾した魔弾の起こした爆炎と煙に紛れて、距離を詰めていたアリスの聖剣がイブリースを纏っている煙ごと切り裂く。初めて、イブリースの顔から笑みが消えた。大きく後ろに跳んで間合いをとる。
「ハハハ……さっきといい、今といい魔弾といい……忌々しい聖剣だね……」
実体のないものを実体として捉えて切り裂くことのできる剣――それが聖剣クラウ・ソラス。
とりついた木刀をセイジの剣で貫いた時には無傷だったことから、恐らくイブリースが黒煙となっているときは普通の攻撃は効かないのだろう。それだけではなく、魔法も本来は魔法か精霊の攻撃でしか迎撃できないはず。魔法を斬ることができるのは、アリスの持つあの聖剣だけだ。
アリスは魔法が使えないとのことだったし、クラウ・ソラスはもともと光の精霊が作った聖剣、光の精霊の力を多用するアリスには相性が良かったのだろう。
「さて、お前には色々と聞かせてもらわんとな」
いつの間にかイブリースの背後に立っていたホウが、首筋に刃先を当てる。一体いつからいたんだ。
「剣聖ミリアホウ・ルーゼイド……!」
驚愕に目を見開くイブリース。
「ふむ、その名を知っておるとはの」
「…………」
「お前さん、人間じゃないの」
ホウが刀を閃かせる。その斬撃はすぐに神速の域に達し、目で追うことすら叶わない。
一息で、10回は切り刻まれたイブリースは無数の煙の塊となっていく。少年の姿からは想像できないほどの絶叫が響き渡った。
さすがのイブリースも、あのホウの剣技の前では無事では済むまい。
セイジもアリスも、事態の終息を確信した。その時だった。
「まったく、すぐに熱くなるからですわ」
その声は、スルリと全員の耳に入り込んできた。
セイジとアリス、そしてホウすら、その声の主に今まで気づかなかった。
その声の主は、プカプカと空中に浮かんでいた。真っ白いフリルのドレスと手袋に傘をさした。どこかのお嬢様のような姿の女性。それはこの戦場にあって、イブリースよりも異質な存在だった。
殺気どころか、気配すら感じられない……。
そこにいることすら、見ているのにわからなくなる。
女性は、優雅ないでたちに似合う上品な仕草でお辞儀をした。
「初めまして皆様、わたくしは魔王教幹部司祭が1人、マーラと申しますわ」
また、魔王教……!
「セイジ、あれ」
アリスが指さした先、マーラの手に下げたバスケットに黒い煙が吸い込まれていく。あれは、イブリースをあのバスケットに逃がしているのか……!
ホウは刀を鞘に収めると、マーラのところまで跳躍する。神速の抜刀術が、マーラを真っ二つに切り裂く。
「うふふ、いやですわ。せっかちな男は嫌われますわよ」
その声は、反対側から聞こえた。またも、空中に浮かんでいる。
切り裂かれたマーラ、背後に現れたマーラ。いや、初めから背後にいたのか。切り裂かれたマーラは最初からいなかったのか。どこにいるのか、どこからきたのか、どこにいこうとしてるのか?
わからない。
マーラの存在を、正確に認識できない!
「これが、わたくしの能力ですわ。わたくしは周囲の皆様の認識を阻害することができますの。わたくしでは戦っても皆様には敵いませんけれど、皆様にわたくしを捕えることもできませんわ。それではごきげんよう皆様。……帰りますわよ、イブリース」
「待て!」
「逃がさない」
光の精霊の力と転移魔法で、瞬時にマーラの両側に接近したセイジとアリスの剣が振りぬかれる。……が、どちらの斬撃もマーラの身体をすり抜けた。いや……最初からそこにマーラはいなかったのだ。
すり抜けたマーラの虚像が消えた途端、なんの気配も感じ取れなくなってしまう。
「……逃げられた、ようじゃの」
地面に降りたセイジとアリスのもとに、ホウが駆けつける。ホウにも、あのマーラの気配は追えなかった
ようだった。
翌日。
昨夜の大立ち回り明けにも関わらず一日中稽古でこってり絞られたセイジは、たらふく夕飯を食べたあと一昨日の夜と同じようにアリスと道場の庭の休憩所に並んで座っていた。
「それじゃあ、アリスは最初から竹刀に乗り移ってる奴がいるって気づいてたのか」
「うん」
アリスの瞳の色が、空色から朱色に一瞬だけ変わる。アリスが生まれつき持っている『天眼』というものらしい。
「この眼は、よくないものを、見透かす力があるから」
そう、アリスは最初からグーリーではなくグーリーの持っていた竹刀を見ていたのだ。その辺は勘違いしてしまったセイジが迂闊だった。
アリスが言うには、イブリースは乗り移った剣がつけた傷を媒体にして門下生たちを操っていたらしい。お互い了承のうえでつけられた傷は『親愛傷』と呼ばれ高度な契約や呪術を可能にする。剣術の稽古という『親愛傷』が自然に生まれてしまう状況にうまく潜り込まれたのだ。
アリスはその「よくないもの」が、稽古中の門下生の竹刀……主にグーリーのものについていることを気づいた。その後、転々と色々な竹刀や刀に乗り移っていく気配をずっと見張っていたのだそうだ。
「……それで、夜までよくない気配を追っていたら、セイジが先にいた」
「そっか。俺は襲撃が操られた門下生の同士討ちだって気づいたから、見回りをしてる門下生を見張ってたんだけど……」
ウィズに手伝ってもらったから、なんとか間に合った。
ウィズは空を飛べるし、契約者のセイジとは意思疎通ができる。ウィズに上空から道場全体を見張ってもらい、異常があったところに即転移できるようにしておいたのだ。
そして、おそらくだがウィズに見張ってもらわなければ異常に気づくことはできなかっただろう。
「……認識を阻害する能力、か」
セイジの推理は核心は合っていたが「襲撃者がいないから目撃者もおらずホウも気づかなかった」という部分は間違っていた。それらの隠蔽工作に関しては、あのマーラという女性がやったのだろう。あのホウですら、本格的に戦いが始まるまでイブリースに気づかなかったのだ。精霊や、アリスの持つ『天眼』のような特殊な能力を持つ人間でなければマーラに認識を阻害されて何が起きてるのかわからない。
イブリースとマーラ。あの二人組は明らかに普通じゃなかった。あんな異常な奴のいる組織……
「魔王教……セイジも、知らない?」
「てことは、アリスも知らないのか」
コクンと、アリスが頷く。
魔王教……。語感と昨日のイブリース言動からして、魔王を信仰する宗教なのは間違いない。だが、だとしたら目的は? 規模は? いつから、どんな活動をしてるのか? など不明なことが多すぎる。
「うん。気をつけて、おかないと」
「そうだな。魔王がいなくなったとはいっても、世界がすぐ平和になるわけじゃないんだな……」
魔王教が、魔王と関係がないとは言い切れないが。
ともかく気をつけておかなければならない。この旅にも悪い影響があるかもしれないし。
ふいに冷たい風が吹く、セイジもアリスも一昨日よりも厚着はしているがアリスは寒そうにぶるっと小さな身体を震わせた。
「……戻って寝よっか」
セイジは立ち上がると、うんと背伸びした。寒いのもあるが、二日間の稽古とイブリースとの戦いでくたくたなのもあり少し眠かった。二年間の牢獄暮らしで体力落ちちゃってるなぁ。
落胆と共に歩き出そうとしたセイジの手を、突然アリスの手が掴んだ。
「……あ、アリス?」
「違うよ」
「え?」
「違うから」
「なにが?」
「違う、んだよ?」
「だから何が!」
「その……セイジのこと信じてるのは、この眼で見たから、じゃないから」
いつも淡々としているアリスにしては、珍しく歯切れの悪い言葉。
『天眼』は、よくないものを見透かす。ということは良い人かどうかもわかるってこと。つまり、一昨日ここでセイジに言ってくれた言葉の根拠は、『天眼』の能力だってことも考えられる。
ずっと、そのことを気にしていたのだろうか。
アリスが、セイジのことを信じるって言ったのは『天眼』で判断したからだって。そうセイジに思われたら、セイジが気を悪くするんじゃないかって。そんなことを、ずっと気にしていたのだろうか。
「……わかってるって」
自然と、アリスの頭の上に手を置いていた。
アリスが、空色の大きな瞳で見上げてくる。
「本当?」
「本当だ」
「嘘じゃ、ない?」
「嘘じゃない」
「ほんとのほんとに、嘘じゃない?」
「ほんとのほんとに嘘じゃない。それに、もし『天眼』で俺のことを判断したんだったとしても気にしないから」
「……そうなの?」
「だって、今アリスが俺を信じてくれてるのには変わりない……でしょ?」
「…………うん!」
次の日、道場の祭壇に現れる火の精霊との契約の破棄は無事に終わった。
火の精霊はアリスが最初に契約した精霊で、アリスは幼い頃からその精霊と親交があったのだとか。最後にその精霊はアリスのことを心配していた。あの火の精霊は、契約することでアリスに力を貸してくれていたのだろう。それは、ただの協力関係とかではなくて、親子のような信頼関係で。
なにはともあれ、これで一つ目の契約の破棄が完了したのだった。