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4.師範代

 辻斬り事件から一夜。

 朝早くにホウに呼び出されたセイジとアリスは昨日の客間に来ていた。


「朱雀流の門下生を、闇討ち?」


「そうじゃ」


 茶を啜ったホウは、苦々しい顔で頷いた。茶が苦かったというわけでもあるまい。最初の闇討ちから、一週間で計3回あった門下生の闇討ちのすべてを防げなかったのだ。この怪物のような爺さんもさぞ屈辱的な気分なのだろう。

 アリスも、無表情な中に静かな闘志を燃やしている。同じ流派のしかも出身道場の仲間を傷つけられたのだ。内心穏やかではいられないはずだ。


「先生、犯人の目星は?」


「襲われた門下生は全員、襲われた時のことを覚えておらん。目撃者もおらず手がかりはほとんどないのだが……ひとつだけ、わかっておる。犯人は朱雀流の使い手じゃ」


「朱雀流の!?」


「……やっぱり」


「そうじゃ、忌々しいことにの。混乱を防ぐために門下生には伏せておるが」


 同士討ち……。セイジの脳裏にそんな最悪の事態が浮かぶ。それは、アリスもホウも思っていた……いや、おそらく犯人の流派を特定したのは傷口から、それならアリスはセイジよりも早くその可能性に気づいていたことになる。


 朱雀流を良く知るからこそ犯人の流派に気づき、よく知るほどに朱雀の一員だからこそ、その可能性は信じがたいものであったはずだ。


「だけど、ホウさんが襲撃に気づかないなんて……」


「情けないことにの。襲撃はすべて道場の近くだったのじゃが、気配も感じ取れなんだ」


 それなら、外部者の襲撃の線は限りなく低くなったといってもいい。

 だが、内部に裏切者がいるとして、それをホウが見逃すだろうか? そのほうがホウの警戒を掻い潜って道場付近での襲撃に及ぶよりもよっぽど難しい気がする。


「道場の雰囲気が怖かったのも、そのせい?」


「そうじゃ。昨日、小僧が入ってきたときに過剰反応してしまったのもな」


「え? あれは俺の訪ね方が悪かったんじゃ……」


「ううん。うちは去る者は追わず来る者は拒まずだから。道場破りなんて私がいたころには大歓迎してた」


「そうじゃのう。アリスも最初は小僧のような訪ね方をしたしの」


「そうなのか?」


 セイジの問いに、アリスはムッと頬を膨らませた。


「……先生、酷い」


「おお、すまんすまん。許してくれアリス」


 孫のご機嫌をとるおじいちゃんとは、やはりこんな感じなのだろう。

 なんて、セイジは場違いなことを考えてしまった。といっても話を脱線させたのはホウとアリスなのだからセイジが気にすることでもないのだが。


「それで、ホウさん。俺たちをここに呼んだのには何か理由があるんですよね?」


「ふむ、そうじゃったな」


 コホンと、咳払いを一つしたホウは茶を啜った。


「実はの、祭壇の精霊が現れるまでのあと二日間、2人に道場を手伝ってほしいのじゃよ」


「……稽古に参加するってこと?」


 アリスが首をかしげる。

 愛弟子の問いかけに、老剣士は悪だくみをする子供のように微笑んだ。


「そうじゃ。もちろん……闇討ちの件も含めて、の」


 なるほど。犯人探しを手伝って欲しいというわけか。

 負傷者が出ている以上、もはや見過ごせる状況ではない。セイジの答えは……もちろんアリスの答えも決まっていた。セイジとアリスは頷き合うと、ホウにも頷きを返す。


「ほほ、感謝するぞ」


 それでは早速、朝の稽古から参加してもらおうかの。

 ホウはそう言って、ニヤリと笑った。









 セーイ!! ヤぁー!!

 気合いの入った掛け声とともに、道着の門下生たちが竹刀を振るっている。


「……懐かしい」


 いつもの軽装の鎧とは違う、道着姿のアリスが隣で呟く。ちなみに、セイジも道着を着ている。


「そうだな。俺も白虎流の道場で修行してたころを思い出すよ」


「セイジは、白虎流だったの?」


「ん、ああ」


 そう言えば、アリスにはまだ話してなかったな。

 セイジは、自分が白虎流の剣術を収めていること、そのために水の精霊を崇める人々によって興ったとされるミネルバという国の道場で三年間修行したことを話した。


「……ちょっと残念」


「え……?」


「セイジも朱雀流だったら、お揃い、なのに」


 深い意味はない。アリスのことだから深い意味はないのだ!

 そうは分かっていても、セイジの心はいちいち動揺してしまう。これも男の性なのだろうか。それとも、昨日の夜の事でアリスを変に意識してしまっているのだろうか。


「私は、10歳から15歳までこの道場で暮らしながら修行してた」


「へ?」


「朱雀流は、基本の鳳凰流歩の他、いくつかの型は免許皆伝」


 どうしたのだろう。なぜ、いきなりそんなことを話してくれたのだろうか? というか、あの朱雀流のいくつかの型を免許皆伝とは恐ろしい少女だ。さすが英雄である。


「……えっと、すごいんだな」


「そんなことない。私、魔法は使えないから」


「魔法が……、だから精霊といくつも契約を?」


「……うん」


 そっか、英雄でも苦手なことがあるんだ。……て、駄目だな俺は。セイジは己を咎めた。英雄とは言っても、アリスは普通の女の子だ。英雄だと線引きしてしまうことは絶対にやっちゃいけないことだ。

 俯くセイジの袖がクン――と引かれる。顔を上げると、アリスが少し不安気な顔でこちらを覗き込んでいた。


「セイジ、提案があるの。こういう風に、交換しよ?」


「……交換?」


「うん。私の知らないセイジの事を教えてくれたら、私もセイジが知らない私の事を教える。だから、その逆も、約束、して欲しい」


「アリス…………」


 そっか、だからアリスはこの道場での修行の事を教えてくれたのか。こうして、少しずつお互いを知っていこうということなのだろう。


 ――――私、まだ訊かない


 アリスは、そう言ってくれた。だが、セイジもアリスの過去をまだ訊けないでいる。だから、これはいつかお互いの過去も、傷も、受け止められるようになった時、お互いに訊きやすくするための配慮だ。

 なら、セイジがこの少女のやさしさに応える術は一つ。


「……俺も、転移魔法以外はほとんど使えないんだ。昨日使った雷魔法は水魔法から派生する魔法なんだけどさ、水魔法のほうはさっぱりなんだよ」


「そうなんだ、変なの」


 ふふっ……と、アリスが微笑む。

 きっと、セイジの魔法の特性のおかしさに笑った、というだけではない。これで、セイジも自分の魔法の事を話したから、それは秘密の交換をセイジが了承したということだから。


「これで、いい? 交換条件」


「ダメ」


「へ?」


「子供の頃の、恥ずかしい話も」


 ……なにそれ?

 訳が分からない、というのが顔に出ていたのか、アリスはちょっと不機嫌になる。


「先生から、私が最初にこの道場に来た時の話、聞いた、でしょ」


「え、あ、ああ……ってあれはアリスが話してくれたわけじゃないだろ?」


「それでも、ダメ」


「う……わかったよ。昔道場で晩飯つまみ食いして、道場中の雑巾がけさせられました!」


「うん、合格」


 ふふっ……とまたアリスが笑って、へへ、とセイジも笑った。アリスとまた一歩近づけたのだ、恥ずかしい思いをした甲斐があったものだ。

 と、その時、セイジの背中に悪寒と呼ばれる類の何かが走った。


「いい雰囲気……じゃのう小僧」


「あ、あはは……ホウさん、いつから……?」


「交換しよっ? のあたりからじゃ」


 アリスはそんなに嬉々とした声では言っていない。というか、爺さんの裏声で言われてもアリスの鈴の音のような声には到底及ばないのだが。

 そんなセイジの考えていることがばれたのだろうか?

 ホウはセイジの道着の襟を掴むと、道場の空いたスペースに引きずっていった。


「ちょ……ホウさん!」


「いいから来んか! その府抜けた根性を叩きなおしてくれるわ」


 ホウはセイジに木刀を投げ渡すと、自らも木刀を構えた。といっても、昨日のように勝負ではなく稽古なので真剣なのは真剣だが殺気のような刺々しさはない。


「稽古の前に一つ問おう。小僧、お前さんはどうして白虎流を選んだ?」


「……転移魔法との相性を考えてです」


「なるほどの。転移魔法で敵を翻弄し、白虎流を叩き込む。急所を突いたり、確実な一撃を与えることに特化した白虎流は確かに転移魔法を使うお前さんの戦い方と相性が良いの」


 じゃが……もう一つ相性の良い流派があるの?

 そう言ったホウが右足を一歩踏み出した。と、セイジが認識した次の瞬間、セイジはホウに背後に回り込まれていた。相変わらず、見えない。セイジの背に冷や汗が伝う。


「朱雀流……」


「そうじゃ。といっても、相性がよいのは朱雀の攻撃ではなく朱雀の歩法や距離の取り方、詰め方だがの」


「稽古を……つけてくれるんですか?」


「アリスの旅のお供が弱くては困るからのぉ。それに、儂もお前さんのことは気にいっておる。あと2日間で基礎の鳳凰流歩は覚えていってもらうぞい」


「ふ、2日で…………!?」


 いくら基礎とはいっても、武道の基礎なんてものは一朝一夕で身につくものではない。それを2日でなんて、おそろしく厳しい稽古になるのは目に見えている。

 これからの過酷な2日間を思って思わず後ずさると、神速で迫るホウの木刀がセイジの眼前でピタリと止まった。


「ほら、気合を入れんか。今日はとにかく儂の動きを見ろ。鳳凰流歩は敵の動きを読み、それと逆に動く技。儂の鳳凰流歩を見ながら技を盗みつつ、儂の動きを先読みする練習をせい」


「そんな無茶苦茶な!」


「問答無用! いくぞ小僧!!」


「ああもう! わかりましたよ!!」


 木刀を構え、猛然と襲いかかってくるホウの足を注視しつつ、セイジはホウの動きから一つでも多くの技術を盗むために老剣士と対峙するのだった。











 荒い息を吐きつつ、道場の壁にもたれかかるセイジは一目でわかるほど死にかけだった。


「だい……じょうぶ?」


「はぁっ……はぁっ……はっ、だいっ……だいじょっ……ふう、はぁっ……」


「大丈夫……じゃなさそう」


 アリスは心配そうに、道場で使っているのであろう竹の水筒を渡してくれた。奪い取るように、それを掴むとセイジはゴクゴクと中身を一気に飲み干す。


「ふぅ……ありがとう。アリス」


「どういたしまして」


 アリスがセイジのすぐ隣にストンと座った。本当にすぐ隣……というか肩が触れそうなほど近くだったので、セイジはそそくさと少し距離をとる。

 アリスは少し責めるような視線を送ってきたが、やがて持ってきていたもう一つの水筒の水をちびちびと飲み始めた。頼む、そんなに拗ねないでくれ……セイジにはこの距離はまだ恥ずかしいのだ。


 正面に視線を戻すと、昨日会った師範代のグーリーという男が稽古をつけていた。


「……あの人、すごいな」


「うん。私がいたころは、いなかったけど……」


 実力は、アリスも認めるほど……なのだろう。だが、師範代にまでなっている男をなぜアリスが知らないんだ? 聞いた話じゃアリスが道場を出たのは2年前のはず。師範代になる実力者なら2年前から道場内でそれなりに認められていてもいいはずだ。


 なら、あのグーリーは怪しいのではないか?


 いや、それはないだろう。

 師範代ともなれば、ホウとも接点が多いはずだ。仮にグーリーが闇討ちの犯人だとして、ホウがそれをみすみす見逃すとは思えない。それに、先ほどから行われている稽古では門下生全員に慕われている様子が見て取れる。闇討ちが始まって以来、門下生ひとりひとりに実践的な特別稽古をつけているようだ。


「……アリス?」


 気づけば、アリスはグーリーを見ていた。グーリーの剣を、目で追っている。


「気になるのか?」


「うん」


「そうか」


 てことは……グーリーが怪しいとアリスは疑っているのだろうか? それとも、ただ気になるだけなのか?

 どちらにせよ、アリスがグーリーに対して思うところがあるというのは気に留めておいたほうがよさそうだ。アリスは英雄になった少女、その観察眼がホウとは違う真実を見ているかもしれない。


 それから、休憩時間の間中ずっとグーリーを観察していたが、セイジには特にグーリーを怪しい気配は感じられなかった。むしろ見れば見るほど好青年という印象が強くなっていく。


 やはり、グーリーを疑うのは間違っているのだろうか。


「てい」


「ぐはっ!!」


 セイジの頭上に、星が散った。

 頭頂部にホウの竹刀が振り下ろされたようだ。手加減はしてくれたみたいだが、それでもクラクラする。


「心、ここにあらずじゃな?」


 ため息をついて、トントンとホウは竹刀で自らの肩を叩く。


「すいません」


「なにか、気になることでもあるのか?」


「少し……グーリーさんのことで」


「ふむ」


「アリスがグーリーさんを知らないとのことだったので、そんなに短期間で師範代になったんですか?」


「ああ、なるほどの」


 とりあえずは、セイジの疑問を解消するのが先決だと判断したのだろう。

 ホウは構えを解いて、木刀を下げた。


「グーリー君はアリスがここに来る前に居た門下生でな、10年前に修行に出てついこの間戻ってきたばかりなのじゃよ」


「…………」


 出来過ぎている。

 修行から戻ってきた時期と、襲撃が起きた時期が被る。それに、この道場にいたことのある人なら襲撃は有利になる。ホウのこともそうだ。なにかセイジの把握していない事を知っているのかもしれない。それが、犯行を可能にしている。そうは、考えられないだろうか?


 憶測でしかない……な。


「すいませんホウさん。続き、お願いします」


「そうか。では府抜けていた分は厳しくいくぞい?」


「お、お手柔らかに……お願いします……」


 その後の昼飯までの稽古の間、休憩時間前の二割増しの剣気がセイジを襲ったのだった。










 大きな道場の食堂ならでの、異常にデカい御釜からよそったご飯をセイジはかきこんだ。大量の栄養素とエネルギー源を取り込んでしっかりと休まなければ、1時間後に再開される稽古でホウに殺されてしまう。


「だけど……ちょっと食べすぎたな」


 このままゆっくりと身体を休ませているだけでは消化が進まないかもしれないと思ったセイジは、身体に負担がかからない程度に軽く腹ごなしをしようと道場にやってきた。

 しかし、ひとつ誤算があった。無人のはずの道場には人がいたのだ。


「おや、あなたは……」


「ど、どうも」


 道場にいた人物……グーリーは振っていた竹刀を下ろして袖で汗を拭うと、白い歯を見せて爽やかに笑った。


「セイジさん、でしたね。どうしました? まだ午後の稽古には早いですよ」


「いや、ちょっと食べすぎまして……腹ごなしを」


「そうですか。うちの道場のご飯は美味しいですからね」


「ええ、昔いた道場の食事とは大違いですよ」


 はは……と愛想笑いを浮かべるセイジ。うう、そろそろ人見知りが発動して話すの辛い。どうしよう、少し身体を動かしたいし、このまま世間話は続けるのも上手く切りあげるのも難しいし……。

 そうだ、とセイジは思いつく。


「あの、よければ少し付き合ってもらえませんか?」


「付き合う? 腹ごなしに、ですか」


「そうです。軽く手合わせを……一本でいいので」


「なるほど、いいですよ。私もあなたの剣術には興味があります」


 グーリーの目に闘志が宿る。やはり武闘家としての血が騒ぐのだろうか。

 セイジが持ってきていた竹刀を構えると、グーリーも竹刀を構えた。見慣れた朱雀流の構え……ホウの教え子だというのは本当のようだ。


「それでは、いきますよ!」


 グーリーが何の前触れもなく床を蹴り、一息で距離を詰める。朱雀流の接近技の一つで、跳び烏という技だ。午前の稽古でホウに山ほど見せられた。ホウほどではないがグーリーのそれもかなりのものである。


 相手の動きに合わせて、セイジは一歩足を引き間合いを調節。上段から振り下ろされたグーリーの竹刀を右薙ぎの迎撃虎爪で弾く。無理矢理つくった隙に、有効打を叩き込もうとするが……。


「なるほど、白虎流ですか」


 迎撃虎爪をうったのと反対側、セイジの左側にグーリーは回り込んでいた。


「鳳凰流歩……」


 自然な動き。ホウのような異次元な動きではないが、それでも師範代を務める男、見事に回り込まれた。

 グーリーがセイジの無防備な横っ腹に竹刀を叩き込む……寸前で、セイジの竹刀がグーリーのを受け止める。


「反応が……早いですね……!」


「もともと迎撃虎爪は次につなげる技ですからっ!」


 流派の特色から、打ち込みの強さは朱雀流より白虎流の方が勝る。相手の攻撃を受け止めた不利な体制からだが、それでもセイジの竹刀はグーリーの竹刀を弾いた。

 が、弾かれる事を初めから想定していたのだろう。弾かれたグーリーの竹刀は急上昇する燕のように鋭い弧を描いて斜め下段からセイジに襲いかかる。かろうじて躱すが、勢いを殺さずにまたも鋭い弧を描いてグーリーの竹刀が今度は上段からセイジに迫る。


「攻防すべての勢いを殺さずに行う最短距離での連撃……これが朱雀流剣術、八叉燕(やしゃつばめ)です」


「くっ……」


 鋭く、反撃をはさむ余地のない高速連撃。

 ホウに朱雀流の極致を散々見せられていて、朱雀流の恐ろしさは知っているつもりだった。だが、それはホウの人間離れした実力に驚いていたのであって、朱雀流そのものの手強さを実感したのはこれが初めてかもしれない。この八叉燕という技は、まさに朱雀流らしい連撃技だ。


 だが、それを破る術を、セイジは思いついていた。


「白虎流剣術、迎撃虎爪!!」


 八叉燕が下に振り切られた時、そこから最短距離で再び襲いかかる際に描く弧のような軌道には本人の癖でいくつか好む軌道がある。そこにあらかじめ迎撃虎爪を置いておいて、その名の通り迎撃する。

 追撃のために跳ね上がったグーリーの竹刀はセイジの迎撃虎爪で止められる。セイジは力を絶妙に調節し、一瞬お互いの力を均衡させることでグーリーの剣を硬直させた。


「……!?」


 迎撃虎爪は相手の攻撃を弾き、隙を作る技。相手を硬直させたのなら、迎撃虎爪は完璧に決まったようなものだ。セイジは迎撃虎爪から攻撃につなげて、思い切りグーリーの頭に目掛け竹刀を振り下す。


「………参りました。さすがですね」


 寸止めされた眼前の竹刀を見つめながら、グーリーは竹刀を床に落として両手をあげた。


「いえ、ギリギリです」


「ご謙遜を。最後の迎撃虎爪という技、あれを八叉燕の連撃に合わせられるとは思いませんでした。いくらホウ師範の師事とはいえ、半日ですでに朱雀の基礎を身につけ始めているとは恐ろしい人です」


「……朱雀の……基礎ですか?」


「ええ、相手の行動を先読みしてそこに自らの動きを合わせる。それこそ朱雀の基礎、鳳凰流歩の考え方です。あなたはそれを身につけ、自らの技に活かした。……見事でしたよ」


 そうか、鳳凰流歩が朱雀流の基礎なのはそういうことか。

 朱雀流とは素早い動きと隙の無い攻撃で相手を翻弄する流派、その真髄とは相手の動きを読むことにあったのだ。つまり、動きで相手の先をいくためには思考の上でも相手の先を取れということなのだろう。


 それに迎撃虎爪は相手の攻撃を撃ち落とす(・・・・・)ことで隙を作る技。敵の攻撃に合わせて(・・・・)動きを硬直させるなどといった使い方は本来なら無い。セイジが朱雀流を取り入れたからこそ生まれた迎撃虎爪の新たな形だったのだ。


「さて、それでは私はそろそろ午後の稽古の準備をしますので。これで」


「そうですか、忙しいなか手合わせありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ。また、機会があればぜひ手合わせをお願いしますよ」


 グーリーは床に置いておいた手拭いを拾うと汗を拭きながら道場を後にした。最後に、セイジにお辞儀をしていったその姿は好青年で礼儀正しい剣士だった。

 今回の手合わせで、セイジは確信した。グーリーは白だ。ホウの弟子であるという確証も得たし、手合わせの最中に不審な素振りもなかった。何しろ手合わせの最中に手心を加えている様子もなかったのに一度も殺気を感じなかった。それは、彼は実戦よりも道場での稽古の経験の方が多いからだ。道場での稽古には生死のやりとりはない。グーリーは完全に道場上がりの男だ。実力は確かだが、実戦での経験は少ないはず。闇討ちをするような暗殺者の類の者にそれはありえない。

 グーリーが背信している可能性はあるが、それこそ弟子の変心にホウが気づかないはずはないだろう。だが……


「なら、アリスはどうしてグーリーが怪しいと思ったんだ……?」


 それだけが、引っかかる。

 セイジの中では結論は出ている。しかし、アリスの疑惑の眼差しは本物だった。アリスとはまだ会って数日だが、それでもセイジは自分のことを信じると言ってくれたアリスの事を信じている。そこに英雄の肩書きなんかは関係はない。セイジにとって、アリスが疑いを持っているということはもはや無視できない事だ。


「そもそも、そのアリスはどこにいる?」


 昼の時もさっさと食べてどっかに行ってしまったし。グーリーの事を怪しんでいるなら、グーリーの近くにいると思っていたのだが……。


「いるよ?」


「うへぇぇぇい!?」


 突然、肩を叩かれて変な声が出てしまう。

 振り返るとアリスが口の端にごはん粒をつけたままの間抜けな顔で立っていた。……本当に英雄なのだろうか?


「セイジ、変な声」


「いやいや、ごはん付けたままのアリスに言われたくないから」


 なにを言われているかわからないらしいアリスにセイジが自分の頬を指差すと、アリスは頬をぺたぺた触って、付いていたごはん粒に気づく。

 そして、指先でつまんだごはん粒をセイジに向けて突き出してきた。


「……食べる?」


「食べない!」


 な、なんてことを言いだしやがりますかこの英雄様は!?

 ついさっきまで唇の近くに……あ、ありすのくちのちかくについていたごはんを食べろと……!?


「でも、セイジ、お腹すいてるみたいだった」


「そのあとたらふく食べたの!」


 確かに昼飯前は疲労で体中が栄養を求めていたが、今は栄養たっぷりだ。


「ところで、アリス……あれ?」


 恥ずかしさに目をそらした一瞬の隙に、アリスの姿はどこかに消えていた。それと入れ替わるように、見習いの門下生たちが師範代や先輩門下生たちの竹刀や手ぬぐい、水筒を準備し始める。

 アリスにグーリー疑いの真意を聞こうと思っていたのに。どこいったんだ。


 気になるが、考えてる時間はあまりなさそうだ。すでにやる気溢れる門下生たちは盛んに竹刀を打ち合わせている。あと30分ほどで稽古が始まり、そうなればまたホウとの打ち合いが始まってしまう。あの爺さんとやりあいながら考え事なんてことはセイジには無理だ。


「……ぐァっ!」


 ん?

 バチンと竹刀が肉を叩く音と、短い悲鳴が聞こた。勝手に稽古を始めていた門下生の誰かが誤って稽古相手を怪我させてしまったようだ。


「親愛なる精霊よ、我が呼び声に答えしものよ、契約者セイジ・アルバムが告ぐ、その姿をここに現したまえ……ウィズ!」


「ピイ!」


 元気よく飛び出してきたウィズを手のひらに乗せる。


「何度も呼び出して悪いな」


「ピィ」


「気にしてないってか。ありがとな……それと、頼む」


 ウィズはもう一度ピイと鳴いて、怪我をした門下生のもとに飛び立つ。ウィズが行けば、あの程度の打撲は数秒で完治するだろう。昨夜、少し無理をさせてしまったのでできればもっと休ませてやりたかったのだが……まあ、できるだけすぐに聖地に帰してやろう。


「すまない、大丈夫か?」


「ああ、大丈夫だよステファン。この精霊が治してくれたし……」


「だが」


「いいって、稽古なんだから、お互いに了承の上の傷だろ?」


「……はは、ありがとな」


 がっしりと握手する暑苦しい門下生ふたり。美しい友情がまぶしすぎて直視できないなぁ……。

 そんな感傷と同時に、セイジのなかで何かがつながった。アリスやグーリーとは別の問題。いや、違うか。これはそもそもの根本的な問題。その、真実の欠片。


 もしかしたら、いや、もしかしなくてもセイジは大きな勘違いをしていたのだ。


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