3.朱雀と白虎
朱雀流本部道場、雫道場。ホウは勝負の場としてセイジをここに連れてきた。
全部で7つある朱雀流本部道場の道場の中では一番小さな道場らしいが、それでもそこらの町道場くらいの大きさはある。
「勝負は3回。そのうち1回でも儂から一本とることができればお前さんの勝ちじゃ」
「気前がいいっすね」
「ほほほ、ちょうどいいハンデじゃろうて。お前さんは純粋な剣士ではないのだしの」
確かにセイジは白虎流の剣術を納めてはいるが極めてはいない、あくまでセイジの戦いの本質は転移魔法を活かした高速戦闘にある。だが今回は木刀を使った剣術勝負。実力差が勝敗に直結する。
ホウとセイジの実力差を考えれば、少なすぎるハンデかもしれない。
「では、ゆくぞ。セイジ・アルバム!」
「はい!」
ホウの身体から、一気に剣気が噴き出す。一瞬ホウの身体が大きくなったかのように錯覚するほどの剣気。それはまさしく達人と呼ばれる者のみが纏える覇気。
セイジは無意識に木刀を構え直した。それが、迂闊なことだと気づかずに。
カンッ――!!
「…………え?」
「まずは一回、じゃな」
カン! カランカラン!
弾き飛ばされたセイジの木刀が、セイジの後ろに転がる。いつの間にか距離を詰めていたホウの木刀が斜め上方に振りぬかれていた。
「構えとは、完成された形。それは剣術の心得があればあるほど隙のない攻防一体のものとなる。その構えを直すということは完成した形に綻びがでるということじゃ」
「その一瞬を……」
つかれた。ということだろう。
あの剣気に気圧されてつい無駄な動きをしてしまったセイジの負けだ。
「次じゃ、構えろ小僧」
「…………はい」
木刀を拾うと、セイジはすぐさま構えをとる。
ホウはそれを合図に再び剣気を炸裂させる。そして
「っ!?」
ホウの間合いに、セイジは踏み込んでいた。正確には、ホウに一瞬で接近されていた。腰だめに木刀を構えたそれはまさしく抜刀術。引き絞られた弓の弦のごとく、放たれたホウの神速の刃がセイジに迫る。
「だけど!」
鞘から抜き放たない分、抜刀術は不完全だ。これなら反応できる。
木刀と木刀がぶつかる鈍い音が道場に響く。抜刀術は片手で振る性質上、威力は落ちる。受け……きった。
「安心するのはまだ早いのぉ?」
スッとホウの木刀がずれる。攻撃を受け止めていたセイジの木刀が受け流された。
さらに逆側からの攻撃がセイジを襲う。綺麗に叩き落とされたセイジの木刀が床に転がった。
「これが、朱雀流の連撃……」
攻撃を受け流すならわかるが、防御を受け流すなど聞いたことが無い。おそらく抜刀術は初めから囮で、受け流されたというよりは限界ギリギリまで引きつけてから剣を躱したと言ったほうが近いかもしれない。朱雀流は隙の少ない連続攻撃と素早い立ち回りを得意とする流派。その最高峰が、あの見えない接近とこの連撃だ。
「どうじゃ? 朱雀の真髄は」
「悔しいですけど、見えませんでした」
「ほほほ、正直じゃの。だがその目は諦めてはいないようじゃな、生意気な小僧じゃわい」
ホウは落ちたセイジの木刀を爪先だけで蹴り上げて空中に弾くと、それを取ってセイジと距離をとった。
ホウに投げよこされた木刀を掴み取り、セイジは三度木刀を構える。
「さて最後の勝負じゃの。ゆくぞ小僧!」
「はい!」
今度は、こっちから……!
セイジは木刀を水平に構え駆けだした。この老剣士に小細工は通用しない。真っ向勝負で、でも考えなしに突っ込んでも駄目だ。
セイジの放った水平斬り、はホウに受け流される。受け流した勢いを殺さず、反撃が来る。が、その反撃をセイジは読んでいた。ホウの斬撃を迎え撃つ。
「せいやぁあああああっ!!」
白虎流剣術、迎撃虎爪――。
白虎流は、一撃必殺の流派だ。相手を一撃で倒す、相手に確実な一撃を与える、それが白虎流の戦い方だ。そのため白虎流には、相手の急所を突くような技が多い。そして、その技に繋げるための相手の隙を作るための技がそれ以上に存在する。
迎撃虎爪は後者の技だ。相手の攻撃を打ち落とすことでこちらの攻撃の機を作る。
「やるの、見事な白虎流じゃ」
「っ!」
白虎流には、迎撃虎爪から繋がる技がいくつもある。その技と迎撃虎爪の間に割り込む隙も躱す暇もないはずだ。それは先ほどのホウの言葉を借りれば、完成された形であり白虎流の形だ。
「(なのに、なんで背後に回り込まれてんだよ……!)」
「朱雀流、鳳凰流歩。相手の攻撃に合わせて移動する歩法じゃ」
鳳凰流歩――。
知っている。朱雀流では基本にして最も重要な技だ。攻撃とはなんであれ打ち出す方向がある。その方向と逆側に動くことで実際に動いた距離よりも長く動いたように見える歩行技。
だが、セイジがかつて戦った敵が使っていた鳳凰流歩は相手の背後に回り込めるような技ではなかった。これが、極められた朱雀流の歩行術……。
「でも、これくらいは、してくるって思ってました!」
「……なに?」
ガンッ!!
木刀を弾く音が道場に響く。弾かれたのは、ホウの木刀だ。
「白虎流剣術、虎牙錐!!」
白虎流剣術、急所突きの一つ虎牙錐。迎撃虎爪から派生する突き技だ。迎撃虎爪の振りぬいた勢いを殺さず一回転して相手のみぞおちを正確に突く。
セイジの虎牙錐は、確実にホウをとらえていた。
「……ふむ、こりゃあ一本とられたわい」
二度目の迎撃虎爪で木刀を弾かれた姿勢のまま、ホウはみぞおちに突き込まれた木刀を見て呟いた。骨が砕けんばかりの全力で打ったはずなのに、ホウは無傷だった。どうやら僅かに後ろに下がってセイジの虎牙錐のダメージを殺したらしい。恐ろしい爺さんだ。
「はぁっ……はぁっ……」
「迎撃虎爪からすぐに攻撃技につなげずに迎撃虎爪につなげたということじゃな」
「はぁ……駄目、でしたかね」
「いや、悪くなかったぞい。部屋は貸してやろう」
「ありがとう、ございます」
やった……一本とれた。
朱雀流の師範から、この老剣士から、一本……とれた!
「ま、一番小さい部屋じゃがの」
コロン――。
何かが落ちる音がした。気づけば、セイジの握っている木刀の柄から先が無い。
「……へ?」
「ほほほ、まだまだつめが甘いのう」
いつの間に、切られたのだろう。というか、木刀で切れるものなのだろうか?
かっかっかっと笑いながら去っていくホウを見ながら、セイジは思った。この老剣士は、次元が違う。それは畏怖の念にも似た、思いだった。
「はっくしょい!!」
まだ季節の変わり目だからか、まだまだ朝と夜は冷え込んでしまう。
つまりは、寒い。とにかく寒い。ホウに貸してもらえた部屋は想像以上に狭い……というかボロい部屋だった。ホウの話では、近々改築する予定の古い宿舎なのだとか。当然寝具もボロボロだ。
「まだ地下牢のが寝やすかったかもなぁ……」
とりあえず、セイジは水を飲もうと起き上がった。マントを羽織れば、この寝床より暖かいくらいだ。というか、どんだけ防寒性ないんだよこの布団。
セイジは外に出ると、手洗い場に向かい、両手で水を掬って一口飲んだ。
「いくら寒くても冷たい水ってのは美味しいな」
「そうね」
「……え?」
いつの間にか、後ろにアリスが立っていた。毛布を羽織って、手にはマグカップが握られている。
月光に当てられた白銀の髪と白い肌に、その儚い雰囲気に、セイジは吸い込まれそうだった。なんとか平静を装い、話しかける。
「アリスも、水を飲みに?」
「うん。眠れなくて」
アリスはカップに水を酌むとコクコクと、小さく喉を鳴らして水を飲む。白い喉が水を飲み下すその様子に、セイジは思わず見とれてしまった。
「どうか、した?」
「い、いや、なんでもないよ」
「そう?」
アリスは、カップの中身を飲み干すと廊下を歩き出す。
帰るのかと、思ったらくるっと振り返ったアリスが、再びカップに水を注いだ。そして、突然セイジの手を握った。
「少し、話そ……?」
「あ、ああうん。いい……よ」
いきなり手を握られれば、人見知りのセイジにはちょっとどころではなく動揺してしまう。
そういえば昼間も手を握ってきたし。癖、なのだろうか?
「じゃあ、こっち」
昼間と同じように、セイジはアリスに手を引かれて歩き出した。
アリスは、セイジを道場の庭にある池に連れてきた。そこはちょっとした休憩所になっていて、座れる場所がある。アリスのお気に入りの場所なのだそうだ。
木でできた長椅子に並んで座ると、アリスはカップの水を一口飲んだ。
「さすがに……寒い」
「外だしなぁ。俺のマント貸そうか?」
「いい、セイジが凍えちゃう」
「さすがに凍えはしないけど……あ、それならちょっとカップ貸して」
セイジはアリスのカップを受け取ると、両手でカップを包んで魔法を詠唱した。
「……リーメイス」
バチッ!
セイジの掌から光がほとばしり、カップの中の水が湯気を立て始める。返されたカップの水を一口飲んだアリスは、驚きに目を丸くした。
「温かい……」
「雷の魔法の応用だよ。雷系統ならちょっと使えるからさ」
セイジにも、原理はよくわからないが、雷魔法をある一定の出力とリズムで照射すると水分を含んだものなら温められるのだ。セイジは勇者時代、この魔法で雪山攻略に貢献したものである。
「ありがと、セイジ。あったまる」
「どういたしまして」
「セイジも飲む?」
アリスがカップを差し出されたセイジは大げさに手と首を振った。
「いやいや、大丈夫だよ大丈夫だから!」
「なんで、慌ててるの? 私、気にしないよ?」
そ、そんなこと言われても意識しちゃうって……。
人見知りのセイジには、アリスのようなかわいい女の子と回し飲みは厳しいのだ。というか、セイジは基本的に他人と一定以上の距離をおきたいと考えている。アリスは仲間で、これから仲良く旅していかなくてはいけない。それはわかっているが、性格なんて急に変えることはできない。要はヘタレだということだが。
「そ、それはそうと、なにか話があったんじゃないか?」
「むぅ……セイジ、話そらした」
「いいから!」
明らかに不自然な逸らし方にアリスは不満げだったが、もう一口カップに口をつけるとカップを置いてセイジを真っ直ぐに見つめた。
「ありがとう、セイジ」
なぜ急にお礼を言われたのか、セイジには分からなかった。
水を温めたことのならさっき言ってもらったし、こんなに真剣な瞳で改まっていわれるほどのことではないはずだ。一体、何のことだろう。
「えっと……なんの、お礼?」
こういうとき、うまい返しが思いつかない自分が嫌になる。相手が真摯に礼を言ってくれているというのに、その理由を聞き返すのはとても失礼ではないだろうか?
だが、アリスはそこまで気にした様子もなく話を続けてくれた。
「封印の、こと。まだちゃんとお礼言ってなかったから」
封印……暴走してしまったアリスを助けたあの地下牢での事だろう。
でも、あれは別にアリスに頼まれてやったことではないし、セイジはセイジで釈放という餌に釣られただけだ。感謝されるようなことじゃない。
それを伝えると、アリス首を横に振った。
「セイジは自分の利益だけ考えて人助けするような人じゃない、私、わかる」
「ははは、まだ出会って数日なのにそこまで信頼してもらうほど俺はできた人間じゃないよ」
「…………」
パン、と音がした。
アリスに両頬を叩かれたのだ。そして、セイジの両頬はそのままアリスの両手に包まれた。
「セイジは、自分を卑下、しすぎ」
「そんなこと……」
「ある」
……どうして、そんなことを言ってくれるのだろう?
英雄にまでなった少女が、こんな、どこの馬の骨ともわからないような自分に優しくする義理なんかない。助けたのだって偶然だ。だから、こんなことを言ってもらう資格なんて自分にはない。
「アリスのほうが、いい人だよ」
「……?」
「俺、元は囚人だし、勇者も辞めてるしさ。はっきり言って、まっとうな人間じゃないだろ?」
「……そうだね」
「それなのに、信じてくれるなんて……」
むぎゅっと両頬を挟むアリスの手に力が込められた。アリスは少し、怒ったような、悲しい顔をしてた。
「私、まだ訊かない」
「……へ?」
「セイジがいいって言うまで、セイジがどうして捕まったのかも、勇者時代になにがあったのかも、訊かない」
「…………」
「だけど、信じてる。セイジはいい人」
涙が出そうだった。
もう、この世界にはいなかったから。セイジを信じてくれる人たちも、セイジが信じている人たちも。いなかったから、独りだったから。
でも、アリスが、信じてくれている。いい人だって、言ってくれる。
セイジは、また間違うところだった。昼間、この娘を仲間だと決めた時、次は絶対に守ろうと誓った。でもそんな誓いなんかいらなかったんだ。セイジとかつての仲間たちはそんな関係じゃなかったじゃないか。
ただ、自分を信じてくれる人がいる。そしてその人のことを自分も信じている。
仲間なんて、それでいいじゃないか。それだけで充分じゃないか。
「……ありがとう。俺も、アリスのこと、信じる」
「うん」
「俺たちは……仲間だ」
「うん」
さぁっ――と風が吹いた。その風になびくアリスの髪に隠れて見えないほどに、それは一瞬の出来事で。でも、きっとセイジにとっては一生忘れられない瞬間だった。
「ほら、やっぱりセイジは、いい人」
月光に照らされたアリスの微笑みは、セイジの心に染みていった。
「…………」
「……セイジ?」
アリスが、言葉を失って硬直するセイジを心配して首をかしげたその時。
女性の悲鳴が、2人の耳に届いた。
「……っ!?」
悲鳴がしたのは、道場のすぐ近くだ。おそらく道場を囲う塀の向こう側。
「アリス!」
セイジが手を差し出すと、アリスは頷いてその手をとった。転移魔法の転移に他人連れていくには身体に触れていなければならない。そして、転移する場所を明確に頭の中に思い描かなければ失敗してしまう。
セイジはアリスと共に、まず塀の上に転移した。
「セイジ、あそこ!」
アリスが指さした先には、男が2人重なって倒れていた。すぐそばには、先ほどの悲鳴の主と思われる女性がうずくまって顔を手で覆っている。
すぐにそこに転移する。アリスがうずくまる女性に駆け寄っていった。セイジは男たちの様子を確認する。体中についた切り傷と打撲の痣……パッと見でわかるほど酷い状態だった。
「……親愛なる精霊よ、我が呼び声に答えしものよ、契約者セイジ・アルバムが告ぐ、その姿をここに現したまえ……来い、ウィズ!!」
「ピィ!!」
ポン! と音を立てて、青いキツネが現れる。
「ウィズ、治癒を頼む」
「ピィ!」
ウィズが倒れている男たちの上に乗り、治癒魔法を行使し始める。ウィズの全身と、下の男たちの身体が青白い光に包まれた。
だが、ウィズの治癒魔法そこまで強い治癒能力はない。擦り傷くらいなら一瞬だが、全身に傷を負った彼らには応急処置程度の効果しかないだろう。
「……いったい、誰がこんな……」
「辻斬りじゃよ」
「!?」
いつの間にか、ホウが隣に立っていた。ホウは、沈痛な面持ちで倒れた2人を見ている。
「この2人は、うちの道場の門下生じゃ。これで、3件目になるかの」
「まさか……」
「ああ、そうじゃ」
ホウは、門下生をやられた悔しさを怒りを隠そうともせず、手にした刀を強く握りしめた。
「朱雀流が、うちの道場の弟子たちが狙われておるのだ!」