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2.アリス

 豪華絢爛という言葉を体現したかのような、金色と赤色に彩られた大階段の上。大人2人分位の高さの背もたれがあるこれまた豪華な椅子から女王様が立ち上がる。

 火の精霊の国、リフィール王国の女王アリリシア四世は、一歩、二歩、儀礼に則った歩き方でセイジの前に歩み寄ると王家に伝わるという杖を掲げた。


「囚人、セイジ・アルバムよ。そなたに勇者の称号の返還と、英雄救済の任を授ける」


「はい!」


 リフィール王国、玉座の間。そこで、英雄アスタリスク・リベリオンと勇者セイジ・アルバムは女王の前に並んで立っていた。

 旅立ちの儀。この国では、そう呼ばれてる儀式らしい。王宮の勅命を受けた人、勇者となった人、など国のためや国の依頼による旅に出る人を送り出すための儀式だとか。


「英雄、アスタリスク・リベリオン」


「はい」


「勇者、セイジ・アルバム」


「はい」


「そなたらの旅に、精霊の加護を」


 

 新しい、旅が始まる。

 元囚人で勇者の青年と英雄の少女の、奇妙な組み合わせの旅が。




 * * *




 アスタリスクを救うことに成功したセイジは、マドレーの約束通りに釈放された。

 しかし、セイジを待っていたのは自由とは程遠い、王宮の勅命という断ることの許されない任務だった。


「精霊との契約解除の旅?」


「ええ」


 王宮からの勅命とはいえ、内容自体は魔導士団からの依頼だということでセイジに任務内容の説明をしに来たのはマドレーだった。マドレーがいうには今回アスタリスクが暴走したそもそもの原因である強すぎる力も、封印式への拒絶反応も、全てはアスタリスクがした5つの精霊との契約が関係しているらしい。


「つまり、その5つの契約を破棄すればアスタリスクはもう術式で力を封印しなくてもいいわけか」


「はい。今回の術式緩和で暴走はしなくなりましたが、当然封印力は落ちますからねぇ。再び過ぎた力が英雄様を蝕みはじめるのも時間の問題なのですよ」


「勝手なことだな」


「耳が痛いですねぇ、ですが仕方ないことなのですよ」


「わかってる」


 世の中ってのは、どうにも理不尽だ。世界を救おうと死に物狂いでつけた力に自分の身を蝕まれて、その力を手放すことを強要されるなんて。

 セイジは、アスタリスクの傷だらけの身体を思い出していた。あんな小さな少女の背中に、あの傷の数だけの痛みと苦しみと責任をこの世界の人々は押しつけてきたんだ。牢獄にいたとはいえ、セイジも元勇者だ。彼女に魔王討伐という運命を強いたことに無関係ではない。


「それでは、受けていただけますかねぇ?」


「断れっこないだろ」


「そうですねぇ、勅命ですから」


 王宮からの勅命は女王から個人に下される命令としては最上級のものであり、断れば王国への反逆とみなされ処刑もありえる。そうそう出されるものではないが、出されればその命は絶対だ。

 セイジがこの任を受ける理由はどちらかといえばアスタリスクの助けになりたいと思う気持ちが強かったからだが、王宮の勅命であることも無視できないものであった。


「それでは、明日の10時に王宮におこしください」


「了解」


「ああ、それと……」


 マドレーは去りぎわ、一本の剣をセイジに渡した。

 派手な装飾のない、実用的な一本だった。ズシリと手に伝わる重みに、柄と刀身に小さく刻まれた文字から、かなりの業物であることがうかがえる。

 魔力を少し込めてみる。返ってくる手応えは……悪くない。どうやらセイジの適正にある程度合わせてあるようだ。


「餞別です。剣くらいないと英雄様を守れないですからねぇ」


 封印に使った聖剣は砕けてしまったし、勇者時代に使っていた剣ももうない。セイジとしては武器は今日にも買っておこうと思っていたのでありがたかった。


「……もらっとくよ、ありがとさん」





 * * *





 というわけで、セイジはアスタリスクの契約破棄の旅に同行することになった。

 セイジの役割は、アスタリスクの契約破棄の手伝いと護衛、有事に転移魔法で王宮に帰還すること、そして暴走時の迅速かつ恒久的な対応。


「くそ、結局利用しようってか」


 最後の暴走時の対応とは聞こえはいいが、ようは暴走したら被害がでる前に始末しろということだ。この場合には、セイジに全ての罪がなすりつけられて、処刑されるのだろう。


「……はあ」


「ため息? なにかあった?」


 鈴の音のような心地の良い声がして、セイジはハッとした。

 この声を聴くのは三度目だ。三回目は今、二回目はさっき王宮で、一回目は彼女と初めて会った地下牢で蹴ったことを謝られた時。

 しまった、今はこの娘と二人だった。というか、これからはしばらくこの娘と一緒に旅するんだ。アスタリスク・リベリオンという、この英雄の少女と。


「ああ、ちょっとね」


 まさか、君を殺すかもしれないから憂鬱になってたなんて言えるわけがないので適当に誤魔化す。


「そう。なにかあったら言って、私にできることならするから」


「あ、ありがとう」


「うん」


「…………」


「…………」


 か、会話が続かない……。

 セイジは、人と話すのが得意ではない。それが異性でしかも可愛くて英雄ともなればなおさらだ。だが、これから一緒に旅をする以上は多少交流を深めておかなければなるまい。


「えっと、アスタリスクさんは……」


「アリス、でいいよ。呼びづらいからって皆そう呼んでたから」


 アリス……アスタリスクを縮めてアリスか。


「じゃあ、アリス」


「うん」


 こくんと、頷くアリスはとても可愛らしいけど、基本的に無表情なので考えていることがわかりづらい。ずっとこんな感じなんだろうか、それともアリスも緊張しているのだろうか?


「あなたは、セイジさん……であってる?」


「あ、俺のこともセイジでいいよ」


「じゃあ、セイジ」


「あ、うん」


「…………」


「…………」


 か、会話が続かない……。

 どうしよう。セイジは嘆いた。元々の人見知りに加えて二年間の牢獄暮らしでさらに会話が苦手になっている。そもそも、こいう時にはいつもミリアが――。


「…………」


 馬鹿か、俺は。

 セイジは二年たっても全く変わらない自分を叱咤した。こんなんでは駄目なのだ。あいつらのためにも、セイジは頑張らなくてはならない。せっかく釈放が早まったのだ。生きて、胸を張れるような人間にならなければならない。


「あ、そうだ!」


「……?」


「アリス、動物は好き?」


「うん」


「よかった!」


 そうだ、牢を出れた今なら呼べる。

 セイジは指先を少し噛み切って、その血で掌に召喚のための魔法陣を描いた。


「親愛なる精霊よ、我が呼び声に答えしものよ、契約者セイジ・アルバムが告ぐ、その姿をここに現したまえ……!」


 詠唱が終わると掌の魔法陣が輝き、やがて「ポンッ!」という音とともに何かが現れた。


「ピイ!」


「青い小さな……キツネさん?」


「召喚精霊のウィズだ」


 精霊――この世界にはマナと呼ばれる魔力の元が存在しており、精霊とはマナが集まってできた意思を持った生命体だとされている。精霊はこの世界に古くから存在していて、火・水・風・土の4大精霊のどれかを信仰する精霊信仰が今も残っている。国もそれぞれの信仰者が集まってできたものだと言われており、ここリフィール王国も火の精霊信仰者が集まってできたとされているのだ。


 そんな精霊たちは、様々な形で人に協力してくれる。

 その協力関係を契約と呼び、アリスのように力の一部を貸してもらえたり、ウィズのように召喚すればいつでもきてくれたりもする。そして契約によって召喚に応じてくれる精霊のことを召喚精霊と呼ぶのだ。


「ピイピイピイィ!」


「ああ、久しぶりだなウィズ」


「ピィイ!」


 セイジの腕にじゃれつくウィズはセイジが勇者として活動していたころの仲間だ。こう見えて治癒魔法が使えたり、人ひとりくらいなら飛んで運べる頼りになる奴である。


「セイジ」


「ん?」


 気づくと、アリスが心なしかキラキラした目でウィズを見ている。


「触っても、いい?」


「あ、ああ……」


 アリスは恐る恐るウィズに手を伸ばすと、ウィズを手でそっと撫で始めた。


「ピィ!」


 気持ちいいのかウィズはごきげんな様子で一声鳴いて、アリスの手にすり寄る。そんなウィズの様子にアリスは無表情だけど少しだけ、ふにゃふにゃと柔らかい顔になっていく。


「だ、抱っこ……しても、いい?」


「ああ、いいよ」


 アリスは両手でウィズを抱き上げると、ためらいがちに頬ずりをした。ウィズもアリスが気に入ったようで、アリスの頬をペロペロとなめるとそのままじゃれつき始める。

 ウィズは人懐っこい精霊だが、それにしてもあっという間になじんだものだ。アリスは精霊に好かれやすい体質なのだろうか。


「……くすぐったい」


「(あ、笑った……)」


 ほんのちょっぴりだけど、アリスがみせてくれた笑顔。それを見れただけで、セイジはこの旅がうまくいきそうな、そんな気がした。

 この笑顔を守らないといけない。この笑顔を枯らしちゃいけない。そんな使命感が沸々と心のなかに湧き上がる。そうだ、この娘はもう俺の仲間なんだ。今度こそ守り抜く、なにがあっても――。

 セイジは決意を新たに、気合いを入れなおした。


「よし、それじゃあ最初はどこに行く? 確か、契約を破棄しなきゃいけない精霊は5体いるんだよな」


 頭の上に乗ったウィズを眺めていたアリスは、セイジの問いにコクリと頷いた。


「うん。この国にも一体いる」


「そっか、じゃあまずはその精霊を探さないとな」


「居場所は、わかってるの。ついてきて」


 その瞬間、セイジの右手が小さな柔らかいものに包まれた。

 見れば、アリスの白い手が自分のとつながれている。そのままアリスはセイジの手を引いて歩き出した。


「あの、ありす……さん?」


「なに?」


「その、手……」


 アリスは繋がれた自分とセイジの手をじっーと見て、それからセイジに向かって首をかしげた。


「だめ?」


「い、いやいやいやいやいやいや! 駄目じゃない! 全然駄目じゃない!!」


「ん、じゃあ行こ」


 あ、あの首傾げるの……反則。

 バクバクとやかましい心臓を押さながら、セイジはおとなしく連れていかれるのだった。










 アリスに手を引かれ、歩くこと一時間。

 着いたのは、街中から少し外れた場所にある大きな道場だった。


「ここは……?」


「朱雀流本部道場。武術流派、朱雀流の総本山」


「ここが、朱雀流の……」


 朱雀流とは、この世界で最も有名な武術の流派だ。この世界の武術で四大流派と言われる朱雀流・玄武流・白虎流・青龍拳武の中でももっとも門下生が多く、素早い動きと隙のない攻撃で相手を翻弄する戦い方を得意とする。


「この中に、アリスが契約した精霊がいるのか?」


「ううん。いるのは道場の隣にある祭壇。でも祭壇も道場が管理してるから」


「そっか、なら挨拶しなきゃな」


 セイジはコンコンと控えめに門を叩いた。


「大きな道場だから、それじゃあ中まで聞こえないよ?」


「う、そうだよね……」


 朱雀流とは別の白虎流の剣術を収めているセイジにとっては、ここはなかなか入りづらいのだ。

 しかし、精霊と会うためには必要なことだ。セイジは観念して巨大な門に両手を添えると、思い切り門を開いた。


「たのもーーーーー!!!」


 …………。

 ………………。


「セイジ、それちょっと違う」


「だよ、ね……?」


 門の中に居た門下生らしき道着の若者が一斉に木刀を構えたのを見て、セイジは己の失敗を悟る。いきなり門を、しかも全開にするとか明らかに失礼だ。


 というか、掛け声からしてもはや道場破りである。


「ち、ちが、これは……」


 セイジが弁明しよとするが、知らない人に囲まれたせいでセイジの人見知りが発動してしまった。しどろもどろになって何かを訴える姿は不審でしかない。セイジの腰に剣がぶら下がっていたことも手伝って、門下生たちの警戒は強まるばかりだ。


「ピィ……」


 心なしか、アリスの頭に乗ったままのウィズの鳴き声もため息のようだ。というか、本当にアリスに懐いているな。自分のほうが付き合いが長いのに……。


「何事だ」


 奥から、明らかに只者ではない雰囲気を纏った老人と青年が現れる。

 あれは絶対、師範とかそういう感じの人だ。これは、戦うしかないのだろうか……? ここを通りたくば私を倒していけとういうやつなのか……!? 


「セイジ、落ち着いて」


「ピィ!」


 ウィズの頭突きがセイジの頭に直撃する。

 衝撃で正気に戻ったセイジは剣の柄に伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。あ、ありがとうウィズ、助かった。


「ホウ先生、私です」


 混乱しているセイジに代わって、アリスが老人の前に出る。

 ホウと呼ばれた老人はアリスの姿を見た途端、達人の顔から一変、孫を見るおじいちゃんのような柔らかい顔で微笑んだ。


「おお、アリスではないか! グーリー君、アリスが帰ってきてくれたぞ!」


「ホウ師範、私はアスタリスクさんとは初対面ですよ」


「ふむ、そうであったな」


 ホウはコホンと咳払いした。


「アリス、こちら師範代のグーリー・ヘズマン君だ。しばらく武者修行していたんだが、ついこないだ帰ってきてなぁ。グーリー君、こちらは……」


「アスタリスク・リベリオンさん、ですよね? 英雄の」


「ほほほ、紹介の必要はないか、アリスも有名になったのぉ」


 ほほほ、と嬉しそうなホウはやっぱり孫の成長を喜ぶおじいちゃんにしか見えない。

 微笑ましい気持ちでいたセイジを、突如ホウの鋭い眼光が射抜いた。


「……っ!」


 背筋を冷や汗が伝う。

 この圧力、まさしく達人の剣気。わかる。かじった程度とはいえ、一人の剣士であるからこそ。


「さて、それでお前さんは何者じゃ?」


「…………」


 ごくり。

 つばを飲み込む。間違いないセイジは確信した、この人と剣でやりあえば10秒ともたない。ばけものだ。いや、怪物と呼ぶべきか。人智を超えた実力者にしか纏うことの許されない覇気が、確かにその老人から発せられていた。


「ホウ師範、今回の勅命は世界中に公開されているはずです」


 グーリーと呼ばれた師範代が、ため息交じりに告げると、ホウの眼光はみるみる小さくなり、しわくちゃの笑顔がその顔に浮かべられる。


「ほほ、すまんすまん。ちと試してみたくなっての。なんせ可愛い愛弟子の大事な旅の仲間じゃからな」


 スッ――と嘘のようにセイジの身体を押さえつけていた剣気と殺気が消えた。

 安心してひと息をつく。どうやら、セイジのことはもう広まっていたらしい。まったく、本気でビビったぞ。


「……ホウさん、俺はセイジ・アルバムです。勅命の通り、アスタリスクさんの旅の連れをさせていただいてます」


「ふむ、礼儀正しくできるではないか」


 あー、やっぱりさっきの道場破りもどきはまずかったよな。


「儂はホウ。この朱雀流の17代目当主じゃ。みなはホウ師範と呼ぶがのう」


「それから、私の剣術の師匠」


 なるほど、つまりこの爺さんは英雄のお師匠様ってわけか、とんでもない人だ。

 今思えば、『ばけもの』と化したアリスの連撃。光の精霊の加護があったとは言え、あの転移魔法でも反撃に移れない隙の無さは見事な朱雀流の剣術だった。あれを教えた人……か。


「さて、いつまでもここで立ち話もなんじゃな。ついてこいアリス、セイジ。歓迎するぞい」


 ホウ師範は、老人とは思えない白いままの歯で二カッと笑って見せた。









「ふむ、だいたい事情はわかったわい」


 道場の奥にある客間にセイジたちを通したあと、話を一通り聞いたホウはふむふむと頷いた。

 どうやら公開された勅命の内容はアリスの封印や精霊との契約のことなどは伏せられているらしく、ホウには詳しいことを話すことにした。そういえば、特に口止めとかされなかったがその辺は大丈夫なのだろうか?


「しかしアリスよ、お前さんも知ってる通りあの祭壇の精霊は火曜日にしか現れん。今日は金曜じゃから後3日は会えんぞ?」


「そうなんですか」


 一周間に一度しか人間の前に姿を現さないということは、かなり高位の精霊なんだろう。

 しかし、困ったな。ここに来たのはその精霊と会うためだ。3日間、近くの宿にでも泊まらせてもらうか。一応、セイジは旅費として少なくない額を王宮からもらっている。それでもこれから先のことを考えるとなるべく節約しておきたいが、3日では他の場所にいく余裕はない。


「仕方ない、アリス、どこかで宿でもとって……」


「まて、そういうことならうちの道場の宿舎を使うとよい。ちょうど空きもあるしの」


「いいんですか、そうしていただけるとこちらとしては助かりますが」


「ええんじゃよ、それに……」


 そこで何故かセイジはホウのその鋭い目で睨まれた。


「うちのアリスを男と二人っきりで宿に泊まらせるなどできんしのぉ?」


 ぶっ、とセイジは噴き出した。

 英雄に不埒なことをしようなんてなんて畏れおおい。というか、セイジに出会って数日の女の子に手を出すような甲斐性も度胸もあるわけがない。


「なにもしませんよ!」


「本当かね?」


「本当です! 絶対、するわけないですよ!!」


 ちょいちょい、と隣から腕をつつかれる。見れば、隣のアリスが少し頬を膨らませていた。


「セイジ、それはそれで失礼……」


「小僧! 貴様アリスでは興奮せぬと申すか!!」


「もうどうしろと!」


 どっちに転がってもホウには怒られるし。理不尽だ!


「まあ、それはともかく好きなだけ泊まっていくといい」


「あ……ありがとうございます」


「先生、ありがと」


「ほほほ、いいってことよ。グーリー君、道場のほうを頼むぞい」


「はい。それではセイジさん、アスタリスクさんまた後程」


 黙ってホウの後ろについていたグーリーはセイジ達に一礼すると、道場へと去っていった。


「さて、こっちじゃ」


 ホウに連れられて、客間からでたセイジたちが廊下を少し歩くとすぐに宿舎の看板がかかった平屋についた。客間と近いのは、今回のようなことが珍しくないからかもしれない。

 しかし、本当に広い道場だ。門を開けて正面にある本道場の他に小さな道場がいくつもあり、今向かっている宿舎など道場以外の建物も多い。そしてそれらが渡り廊下でつながっている。さすが、世界最大武術流派の総本山である。


「アリスはここを使うとええ。この道場はお前さんの家じゃ、ゆっくりしなさい」


 やがて、一つの部屋のまえで、ホウが立ち止まった。扉には『ありす』と書かれている。


「うん、ありがとう」


 アリスはぺこりと頭を下げると、セイジに「またね」と手を振って部屋の中に入っていった。ウィズも一緒に……。セイジから契約を移すべきかもしれない。

 セイジとホウは手を振り返す。ホウに促され、セイジは再び歩き出した。どうやらセイジの部屋はもう少し先らしい。


「あの部屋は……」


「アリスが使っておった部屋じゃよ。あの子はここに寝泊まりしておったからの」


「そっか、アリスはホウさんに剣術を教わってたんですもんね」


「…………」


「ホウさん?」


「いや、なんでもない」


 どうしたんだろうか?

 セイジには、ホウ師範が一瞬だが悲しげな表情をしたような気がした。


「それでは、セイジよ、お前さんも部屋に案内するぞい」


「はい」


「と、いきたいところじゃがな。そうはいかん」


「はい……え?」


 ホウは腰に差していた刀を握ると、抜き放つと同時にセイジの身体を一閃した。


「……っ!?」


 抜きざまの一撃。抜刀術と呼ばれる刀特有の技は、確実にセイジの身体を真っ二つにした。いや、そうなるはずだった。事実、よほどの実力者でないかぎり今の攻防は見ることさえ叶わなかっただろう。

 掻き消えた残像の先、ホウの間合いから外れた位置に瞬間転移したセイジが腰の剣に手をかけて立っていた。


「思った通りじゃな」


「なにが……ですか」


「お前さん、門のところで儂の剣気に当てられてから実力でかなわないと悟りながらもずっと考えておったじゃろう?『どうすればこの老人に勝てるのか』を。そうして考え、警戒しておったからこそ今の一撃を避けることができた。転移魔法とは驚きじゃったがのう」


 図星、だった。

 セイジは頭のどこかでずっと考えていた。最悪の状況、ホウを相手にしなければならなくなったらどうするかを。


「…………」


「そう警戒するでない、褒めておるのじゃよ。儂の剣気に当てられて戦意を喪失せず必死に頭を働かせる若者なぞそうはおらん。儂はお前さんが気に入った」


 かっかっかっ。と先ほどとは違う、武に生きる者の良い獲物を見つけた時に見せる子供のような笑いをあげるホウ。

 余裕がある。セイジは先の抜刀術を避けるので精一杯だったというのに。


「さて、セイジよ。一つ勝負せんか?」


「勝負……?」


「そうじゃ」


 ホウは刀を鞘に収めると、何かをセイジに向かって投げた。

 空中を回転しながら飛んできたそれを掴む。それは一本の木刀だった。気づけば、ホウの手にももう一本の木刀が握られている。


「そいつで一本取れたら勝ち、取れなければお前さんには物置で寝てもらおうかの」


「……拒否権は」


「あると思うか?」


「ですよね」


 セイジは観念して、木刀を振って感覚を確かめる。

 ホウがニヤリと不敵に笑った。その笑顔にゾクリとセイジの身体が震える。それは、もしかしたら武者震いというものなのかもしれない。セイジは、自分の中に、確かな闘志が湧き上がるのを感じていた。


「俺が勝ったら、良い部屋にしてもらいますよ」


「よかろう。この宿舎で一番でかい部屋を貸してやるわい」


 朱雀流代表と白虎流の剣士。

 仁義なき部屋取り合戦の開幕である。

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