8.猫又さんと美しい話
猫又さんが自分を知っているのは、吉原という街にいた時から。
当時吉原の花街で働いていた遊女の人たちは、冬でもはだしが粋とされていたの。だから私たち猫は、靴下とかカイロの代わりになっていたのよ。
まだあどけない女の子だったわ。
たしか12歳くらいだったかしら。猫又さんのいたお店では露花と呼ばれていたわね。
その子に会ったときはもう猫又さんはそこのお店に居ついて一年は経っていたから、こんな、言ってしまえば田舎っぺの子が、どうしてこんなところへ来たんだろう。身売りだろうか。そう思ってしまったこともあったわ。
結論から言ってしまうと、その子はやはり農村の生まれで、親の借金で吉原にやられたみたい。
可愛そうだったけれど、どんな事情があるにせよ、この街に入ってしまったら簡単には抜けられない。それは幼いあの子でも分かっていたようで、どんな時でも気丈にふるまっていた。とても強い子だったわ。
露花の涙を見たのは一回だけ、あの子が初めてお客さんを受けた時。
お客さんが出ていった座敷で、乱れた着物と布団の上で、声を潜めて泣いていたの。おっとさん、おっかさん、ごめん、ごめんって。
私はその時から、ああ、私はこの子を支えよう、一緒にいてやろうって思ったのよね。まあその時の私はただの猫だったから、気持ちがどれだけあの子に伝わっていたかなんてわからなかったけれど。
それから、露花はどんどん出世していったの。
彼女の思いとは裏腹に、彼女にはなんというか、男の人を引き付ける魅力があったみたいだった。
読売では「昇竜」なんて字名がつくくらい、あの子は美しかった。
でもなんでだったんでしょうね。その時の私にはどうしても、吉原に来たばかりのころの、あのあどけない露花の方がきれいだった気がしてならなかったわ。
そんな中、一人のお客さんがあの子のところにやってきた。
彼は何となく恥ずかしそうで、物腰がとても上品だったわ。だって武家の人が遊女の廊に入るのに「あい失礼いたします。」なんて、普通言わないもの。
彼は、やんちゃな兄貴に誘われて来たのだが、自分は女遊びには滅法疎い。だから、なにもしなくともいいから、兄貴がおわるまでここで待たせてはくれないか。そう言ったの。
露花はとても困惑していたわね。だって彼女のところに来るのは、みんな彼女の体目当てか、金が目当てだったから。
「うん?どうした。そんな素っ頓狂な顔をして。」
「い、いや…」
「ああなるほど、ただ待たせるのも申し訳ないと。気を使わんでもよいものを。」
「…」
「では、そうだな…お前は、生まれはどこだい?」
「む、武蔵国でありんす。」
「なるほど、江戸からは離れているのか、では兄貴を待っている間…」
「お前が見た、一番美しいものの話をしてはくれないか。」
女の子は、ちょっと迷って、ぽつりぽつりと話し始めたの。自分の故郷の山の上で、家族みんなと見た朝焼けの空のことを。朝露に濡れた紫色の花のことを。満月の晩、海にふわふわと浮いていた海月のことを。
それを話していたのは、露花ではなかった。1人の、ひたむきで、純粋で、強くて、弱くて。
そして、とても、
「美しいな。」
「え?」
「自分の見てきた、感じてきたものの話をするときのお前は、本当に美しい。」
お客さんはそう言った後で、恥ずかしいような、照れたようなはにかんだ顔で、女の子を見ていたわ。
女の子も我に返って、同じようにはにかんで、お客さんを見ていたの。
私はなんだか恥ずかしくなって、廊からちょっと抜け出たの。
そのときの夜桜は、なぜかすごく綺麗に見えていたわ。
ー猫又さんと美しい話、続く