『なら、あたし達があんたを助けてあげる』by空
それは――そう。俺が一年の春頃の話。
* * *
入学したての頃の俺は、正直言って、自分でも人間とはあまり思えなった。
周りの人が信じられずに、親からも離れて一人暮らしを勝ち取って。
それで、我儘を通してこの街に戻って来たんだから。
――あの場所では息が詰まる。だから、群青橋へ来れば、改善されるかもしれない。
そんな、淡い期待を持って。
でも、現実はそう簡単にはいかなかったんだ。
他県からやってきた余所者。自分達の日常を変えてしまう危険因子……。
入学したてだと言うのに、まるで敵の様な扱いを受けてしまった。淡い期待はどこへやら。俺の視界はあっという間に白くて綺麗なものではない、赤黒く汚らしいものへと一気に変わってしまったのだ。
――こうして俺は、入学当初から最低最悪な《学園の敵》というレッテルを貼られてしまい、希望もクソもない三年間が始まる。
教師からは無視され、入学して一週間も経たないうちに、悪い噂は蜂の様に沸き始めた。
……お陰で、事実無根な噂に翻弄された生徒指導を担当している教師は、俺を朝から放課後まで指導室へ閉じ込める事なんかは何度もあった。
ほかにも、生徒同士の喧嘩や万引きなど、犯罪まがいな事をした生徒を罰するのではなく、変わり身として総ての原因が俺にあるとして仕立て上げられる始末。生徒だけではない、この学園の教師にも、である。
それ以前にどん底を経験した事のある俺は、そんな事はあまり気にならなかったが。
それでも、救いって言うのは少しはあると信じられる出来事が起こったんだ。
†
場所は通学路。
いつもながら俺は反省室に収容され、無駄な一日を過ごした、その帰り。
さわさわと降る雨の中、一匹の犬……犬種はチワワか……が、道路に轢かれたまま放置されていた。
内臓は飛び出て、顔も見るに堪えないほどにグチャグチャになっているその遺体。
俺は本能的に、制服姿のまま傘を放り出してその犬を抱き上げていた。
「……お前の家は、どこだ?」
慈しむ様に、俺はそのチワワへ微笑みかけるが、――やはりといってか返答はない。
「――悪いな。その辺に、埋めさせてもらうぞ」
家族と一緒の墓へ入れると、よくないことが起こるという言葉を祖母から聞いた事がある。――であれば、その辺に埋めてやった方がこの犬のためだと思ったのだ。
俺はまともに取っていないノートをビリビリと裂き、そのチワワの身体を包み、近くにある河原へと移動して、手で地面を掘り起こす。
すると――。
『ねえ、あの人……』
『あれだろ、音無大地……』
『アレなに……?』
『何かの死骸でしょ……気持ち悪い……』
いつの間にか土手の上で固まっていた学園の生徒達が、俺と紙にまとめられていたチワワを見ていた。
「――黙れ」
自分でも驚くほどに、低い声が漏れた。
こんな雨の中でも声が聞き取れたのか、それとも俺の姿と視線に恐怖を覚えたのか……
彼らは悲鳴を上げながら、逃げ出して行く。
「……悪いな、お前を埋めるのが俺で」
返事が来ないのはもとより承知の上で、俺はその子犬の墓を掘り続ける。
すると――暫くして。
俺と、その犬に打たれる雨が止んだ。
いや……遮られたのだ。
見上げれば、中学生ほどの背丈をした、赤い髪が特徴的の女の子が、俺の横へ立っていた。
服装は私服。ピンク色のシャツに群青色のデニムパンツといった格好。どうやら家で着替えて来た様だ。
『……何を埋めているの?』
「………犬だよ」
顔は見える事はなかった。なぜなら、彼女が顔を俯かせていたから。
「その子……チワワでしょ」
「ああ。金色の毛並みだった」
「首輪は?」
「してあったよ。緑色のやつ」
「……そっか」
女の子は腰を折り、傘を俺の隣へと立てると、紙にくるまれた犬の遺体をそっと撫でる。
「……あたしの家の犬さ、さっき脱走したの」
「………」
「三十分くらい探した。それでもいなくって、戻ってるんじゃないかと思って一度家へ帰ろうとしたの」
「言うなよ、そういう事。他人に」
「……聞いてくれないの?」
「ああ」
その女の子の声は、とても悲しげだった。喪失感に襲われている……そんな雰囲気を持った女の子。
俺は最初の一言で察しては居たんだ。――おそらく、この犬の飼い主であると。
「この犬、名前は」
「………レノン」
「そうか」
今にも泣きだしそうな女の子の声。
俺は穴を掘る手を止めて、血だらけになったその手で……犬の遺体へ触れる。
「良かったな、レノン。……飼い主が来てくれたぞ」
「っ……ああ……っ……」
「……今、穴を掘ってる」
「手伝う……」
「駄目だ。ここら辺はガラスの破片とかも土に埋まってる。女の子が素手でしちゃあいけないよ」
「でも、あんた……血だらけじゃない」
「……どうしてもって言うなら、シャベルとか持っておいで」
「分かった――」
それから、女の子は十分ほどでシャベルを持ってきた。
そのシャベルには――ウチの学園の名前がシールで貼られている。
「持ってきた」
「……え?」
俺はその女の子に見覚えはなかった。でも、彼女がウチの学園のシャベルを持っているということは……。
「君……高校生なのか?」
「なにそれ、失礼しちゃう。あたしこれでも高一だよ」
「……そりゃすまん。同級生とは思わなかったんだ」
「あんた、名前は」
「俺の名前なんて聞かない方がいい。君の耳が腐っちゃうよ」
「……分かんないよそんなの。聞いてみないと」
俺はぐしょ濡れになった前髪を腕で掻きあげると、その場にかがんで再び穴を掘る。
「終わったら聞かせる。……まずはこの子を埋めてやる事だ」
「分かった」
「シャベル寄こせ」
「っ、ちょっと、あたしが掘るためのものじゃないの!?」
「お前より俺がやった方が早いってんだよ」
「……~っ! いきなり口悪くなったわね……あんたはぁ……っ!」
はい! とキレ気味に手渡されたシャベルを、俺は血と泥だらけになった手で受け取った。
「――音無大地だ」
「え?」
今度は素手ではなく、シャベルで。
ザクッ! と地面へ突き立った音と共に、俺は名乗った。
あるいは、雨とその音でかき消えたかもしれない俺の名前。
大地へ突き立てたシャベルの音によって消される、聞こえる事の無い、俺の名前。
ダジャレかよ。
女の子に聞き返されたために、俺は今度こそ彼女の方へ向いて、名乗る。
「音無大地。俺の名前だ」
顔を含めた全身が血と泥だらけ。あまりにも不格好な自己紹介。
そんな俺の表情を見た女の子は、その翡翠色の瞳を見開いて――声を上げる。
「……《奇妙な男》……」
と。
「だから言いたくなかったんだ」
それから少しの間沈黙が続き……。
ほどよい深さまで掘った穴へ、俺は犬を入れる。
「ほら。――何か言ってやれよ」
「……いいの?」
「なんなら離れてやるけど」
「いいよ、そこに居て」
女の子はそのチワワ――いや、レノンへ、ゆっくりと腰を折り、まじまじと見てから……そっと一度触れると、「またね」と小さくつぶやいた。
そして立ち上がる。
「ありがと、もういい」
「……おう」
俺はレノンの遺体を、足の方から埋めて行く。
そして顔が完全に埋まる前に……。
「……またな」
彼女と同じことを呟いて、犬を埋めきった。
シャベルをその場に放り、俺は合掌する。
すると、彼女が俺の隣へ来る気配がした。
目を開けば、その女の子も、俺と同じように合掌して目を閉じている。
その顔には……綺麗な涙が流れていた。
「………――」
「……なに?」
いつの間にか目を開いて俺を見上げていた女の子は、ジト目で俺を眺めていた。
「わりい、なんでもない」
俺はシャベルを取り上げ、自分の荷物と傘を肩に掛けると、学園の方へと足を向ける。
「ちょっ、その格好で行くつもり!?」
「行くつもりも何も、今日は体育とかないしな。着替えられたらとっくに着替えてる」
「……本当、変な人。どうかしてる」
「うるせえ」
土手を登り、分かれるかと思えば――どうしてか、女の子は俺の後を追ってきた。
「なんで付いてくるんだよ?」
「そのシャベル、借りたのあたしだから」
「……好きにしろよ、ったく」
俺は後ろ頭を掻き毟った。
「ねえ、大地」
「早速呼び捨てか……なんだよ」
「雨宮空。あたし、あんたのクラスメイトだよ」
「………お前みたいなクラスメイトいたっけ?」
「なにそれ、喧嘩売ってんの?」
「売ってない。てか、教室にも顔出せてないから顔なんか知らねえよ」
「……あのさぁ」
「なんだよ?」
俺はもう会話が面倒臭くなって、唸るように聞き返す。
「あんたの噂ってさ、全部ウソなんじゃないの? 責任押し付けられてるだけなんじゃないの?」
その言葉に、俺はハァ、と深いため息をついた。
「知らねえよそんなもん」
「ふーん、知らないんだ」
お互いそれで意味は分かった様だった。雨宮はくすりと笑うと、
「今日のお礼なんだけど」
と、そんな事を言いだした。
「礼なんか要らない。礼っていうくらいならこれ以上俺に絡むな付いてくるな話しかけるな」
「――あたし達が、あんたを助けてあげる」
「……は?」
その言葉に、俺は素っ頓狂な声をあげて振り返った。
できるのか、そんなこと――
俺は不意に出かけたその言葉を飲み込む。
「もう決めた。あんたが嫌がっても、あたしがそうする。そうしてあげる」
「おいおい……」
それから俺は、彼女と共に学園の用務員室へ行った後。
一度家へもどり、着替えて――
†
――おい。地の分吹っ飛ばすな。
とまあ、着替えて行こうとしたら、雨宮は俺のマンションの前でスタンバっていたんだ。
「……なんでお前いんの? お前の家行くって言ったよな?」
「その罠に引っ掛かりそうになったからここに居たんじゃないの……」
はあ、とため息をつく雨宮。
「あたし、あんたに家の場所教えてない」
「……ああ」
そういえばそうだったな。
俺はシャワーを浴びてすっきりした頭を、手当てをした右手で掻いた。
「……まったく。――ほら、行くよ」
「なあ、こっからお前の家どのくらいかかるんだよ?」
「十分くらいかも」
「なんだ。結構近場なんだな」
「でないと雨の中こんなところに居ない」
「確かにそうだな」
そんなこんなで雨宮の家へ到着。
高そうな一軒家だ。斜め後ろにある豪邸ほどではないが、かなりの金持ちなんじゃなかろうか。
「雨宮って、どっかのお嬢様だったりする?」
「しないけど。お父さんが会社やってるくらい」
それを世間一般ではお嬢様ってんだよ馬鹿。
「……なんか恐れ多くて入りにくいんだが」
「はあ?」
何を言っているのかわからない、といった様子で雨宮は呆れがちに俺を見上げる。
「あんたね、男なんだからもうちょっとシャキッとしなよ。この後もっと大変なんだから」
「大変って、何をする気だお前は……」
「後で話す。――だから早く入って」
「はぁ……お邪魔します」
俺は半眼で唸りながらも玄関へ入ると、花、だろうか。いい匂いが鼻腔をくすぐった。
「……なに、その顔?」
「考えてみたら、女の子の家へ入るのは人生初だった」
「………」
「おい、おい! そのかわいそうな奴を見る目をやめろ! みじめになる!!」
「かわいそう……」
「だからって言うなー!」
『もう、うるさいわよ空――って」
「あ、星亜。お待たせ」
「音無くん……!?」
「……誰?」
白髪に青い瞳を備えた美少女が目を見開いて、俺の名前を呼んでいた。
俺はやや訝しげに彼女を指差して雨宮へと訊ねる。
「谷原星亜。あたしの幼馴染」
「へえ」
「ねえ空。音無くん、よね?」
「うん。これが音無大地」
「人をモノみたく言うな」
俺達の方まで歩み寄った谷原星亜と呼ばれた白髪の美少女は、俺の手を取った。
「谷原星亜です。あなたとは同学年になるわね。よろしく」
「音無大地だ。まあ、自己紹介しなくとも悪名は轟いてると思うが」
自嘲気味に言った俺に、谷原は驚いたように目を丸くする。
「名前だけしか聞いたことはなかったけれど、意外と普通の人、よね?」
「………」
俺は谷原の手を軽く払いながら、雨宮家のリビングへとずかずか入っていく。
「あっ、ちょっと!」
雨宮があわてて俺の後を追う。もちろん、谷原も。
「こんにちは。お邪魔します」
リビングのキッチンに居た雨宮の母親かと思われる、黒髪に翡翠色の瞳をした女性へと一礼する。
「あら、いらっしゃい。あなたが音無くんね?」
「はい」
「……レノンのこと、本当にありがとう」
「………いえ。お悔やみ申し上げます」
俺は再度一礼すると、廊下から雨宮と谷原の腕が伸び、俺の背中を思い切り引っ張った。
そうして俺は廊下へと戻される。
「「………」」
「……なんだよ?」
完全にジト目だった。
「……あたし、やっぱあんたの思考回路読めない」
「だろうな」
俺だって何も考えちゃいないんだから。
「とにかく、あたしの部屋に来なさい。みんな待ってる」
「ああ、そうかい」
そう言って雨宮と谷原が先導して、階段を上っていく。
三階まで登ったところで、雨宮の部屋へと通された。
そこには、ピンクブロンドの美少女と、茶髪のイケメン男子が寛いでいた。
「おっ。ご苦労さん」
「空、ご苦労さま」
「ううん、そういうのいいよ」
雨宮は素直に、二人の言葉を甘んじて受けていた。
……誰だろう。
「この子が、音無大地君?」
ピンクブロンドの美少女が訊ねる。
「ああ、はい。音無大地です。よろしくしてくれなくてもいいです」
「おー、こりゃまた尖ってるやつ連れて来たな」
茶髪イケメンは苦笑いを浮かべていた。
「二年の大須賀銀一郎だ。よろしくな」
「同じく二年の橘天音よん。よろしくね~」
気にするでもなく、二人は俺に名乗る。
「さってっと。今回空に音無君を連れて来て貰ったのはほかでもないわ。あなた自身についての事を、ちょちょーっと聞きたくってね」
橘先輩はボイスレコーダーと筆記用具を取り出して、おいでおいでと雨宮の部屋の中へ招かれる。
部屋は……なんというか、シックな感じだ。
窓際に勉強机があって、その後ろにピンク色のシーツがかけられたベッド。反対側には箪笥とテレビ、あとはギターセットが置かれている。……バンドかなんかしてんのかな。
その中央に鎮座した木製のテーブルの前へ案内されると、俺は橘先輩と対面する形で床へ座った。
「さてー、それじゃあ例の噂とかについて聞かせてもらってもいいかしらん?」
「……は?」
「あー、心配するこたねえぞ。別に口外するワケじゃねーしな」
「はぁ……」
大須賀先輩の補足を受けて、俺は微妙な頷きで返す。
俺は、その噂の殆どが事実無根であると証明するため、ボイスレコーダーで録音機能をオンにした橘先輩へ向かって、口を開いた――。
†
その場の、俺以外の四人全員が怒っていた。
視線は当てられないものの、雰囲気は重く、チリチリと体中が炙られているかのような痛みと辛味、そして酸味や苦味の混じった三種類の味が、俺の口内に広がっている。
俺はそれを悟られない様に口を一文字につぐんでいると、やがて大須賀先輩が口を開いた。
「……とんでもねえな」
「そうねー。流石に教師陣からもそんな仕打ちを受けているなら、教育委員会にでも訴えればよかったんじゃないの?」
「いや、それは無理です。あくまで群青橋東学園は私立。教育委員会に訴えたとして、処分する権を持つのは学園の方です。上層部まで俺をそういう人物だと認識しているんだったら……おそらく、俺を退学にする事を考えるでしょうね」
『………』
その否定に、全員が息をのんだ。
そして――。
「……なら、教師と生徒、両方の意識を改善させてしまえばいいのよね?」
「は?」
唐突な谷原の言葉に、俺は耳を疑った。
「悪い噂が流れないほど、音無くんの印象を好くすれば解決するんじゃないかしら?」
「………」
谷原、俺だってそうしたさ。
けどな、人間単体ってのは、集団からの固定観念によって縛られ続ける生き物なんだよ。
自分が変われば周りも変わる。そんなのは夢物語だ。
まるで都合の悪いものを忘れ去ろうとするかの様に、その人物の変化は環境によって押し潰され、やがて身動きの取れないままに消えていく……。
真実というものは容易く隠蔽され、人は信じたい現実のみを受け入れる。
それが人の弱さであり――限界なんだ。
――俺は彼女の顔を見て、それを横に振った。
「……駄目、ってこと……?」
「俺達人間――それも若い世代にそれを指導する大人達は、あまりに脆弱過ぎる。一人の敵を仕立て上げて、それに対抗心を燃やすことでやり甲斐を感じる人物がほとんどだろ。自身の歪み切った正義を通すために、平然とそんな事が出来るこの学園を、俺は信じない。谷原もそうじゃないか? あんな奴に負けてたまるか、って気持ちがあるだろ。それと同じだ」
「……っ……」
「その感情と考え方は間違ってない。俺の場合は、たまたまその対象が自分に集中してるってだけの事さ」
それきり、谷原は黙ってしまった。
「それじゃあ、音無はこのままでいいのか?」
「いいワケないでしょう」
大須賀先輩の質問に、俺は苦笑いを浮かべる。彼は「そうだよな」と困った様に眉根を寄せて苦笑した。
と、そんなところで。
パチンッ、と。
橘先輩が何か閃いた様に指を鳴らしていた。
「――いいこと思いついた」
『は?』
その時の俺は、まだ知らなかった。
この後、彼女の案によって、この学園が一度、崩壊することになるだなんて――。