第一部(2)
明が遥に起こされたのは朝8時半過ぎの事だった。
久しぶりの実家のベッドで明はなかなか寝られず結局午前4時にようやく眠りに着いた。
そのせいで明はまだ眠むかったが、遥は明のそんな事情なんてお構いなしに明をたたき起こした。
「母さんまだ眠いんだけど」肉で埋まった目を寝不足でさらにはらしながら明は遥に哀願するかのようにごねる。明のこもった声のせいか、遥には聞こえてないようだ。拡声器を使ったような声量で遥は
「馬鹿!!ゴールデンウイーク終わったら学校なのよ。準備しなきゃでしょ?」と言う。遥の甲高い蝙蝠のような声が明の部屋中に響き渡る。遥はその太った体格からは想像出来ない機敏な動きで明をベッドから出し、明のベッドの布団をベランダに干す。自分のテリトリーを奪われた明はスイカ一個全てが入ってるかのようなお腹をかきながら開いてるか閉じてるかわからない目をして居間に向かう。
「おはよう」明が居間のドアを開けた瞬間聞き覚えのある声が聞こえる。
「おじさん、おはよう」勉が眠気なんて微塵も感じさせない笑顔で明を出迎えた。
確かおじさんが帰宅したのは4時くらいだったよな?。
「昨日広島逆転したって。前田が阪神の藤川からサヨナラ満塁ホームラン打ったみたいだぞ」唐突に野球の話をされて寝起きの悪い明にははじめは理解できなかったが、しばらく考える間をおいて明が答える。
「本当?良かったね。おじさん」まだ目の覚めてない明の顔は軽く引き攣っていた。明はのそのそと勉の隣に座る。
「そうそう、今日はお前の制服買いに行くみたいだぞ。ゴールデンウイーク明けから学校だよな?」
「そうらしいね。めんどくせぇ〜」明は立ち上がり台所の冷蔵庫を物色する。
「まぁ〜そういうな。お前は頭良いんだからとりあえず高校だけは卒業しろよ。」チャンネルをまわしながら昨日の広島の試合結果のハイラアトを探す。
麦茶を右手に持ってまた勉の隣に座り
「うん」と中身のない返事を返す。
「ご飯食べましょ?」居間に遥の声がひろがる。
「今日は何?」
「トーストと目玉焼きで良いかしら?」台所に向かう遥。
「朝、あんまり食べれないからそれで良いよ。おじさんもそれで良いよね?」
「あぁ」広島カープの試合のハイライトに集中しているためあまり明の声は聞こえてない様子で勉は答える。
「おじさんもそれで良いって」明も試合のハイライトに釘づけになっているようで気のない返事を遥に返す。
「男ってどうして野球なんて好きなのかしらね」トースターをテーブルに置きながら遥がぼやいた。
「姉貴!!野球なんかとはなんだよ!!」勉が噛み付く。
「野球はなぁ〜男のロマンだぞ!!筋書きのないドラマだぞ」
「はいはい」遥は丸々太った体型と同じく太い神経の持ち主らしい遥は全く勉を相手にしていない。遥は着々と朝ご飯の準備をしている。
「姉さん聞いてるの?野球を馬鹿にするやつは野球に泣くんだぞ!!」
「それは一円を笑うやつは一円に泣くじゃないのかしら?それとも野球が一円の価値しかない事の例えかしら?あら?それなら筋書きのないドラマってたいした事ないのね?」
「あっ!!いや…」言葉に詰まってしまい助けを求め辺りを見渡す勉だったが、目の前にはトースターにトーストを入れる丸々と太った甥っ子しかいなかった。
叔父の悲痛な視線に気付いた明は
「おじさんの負けだよ」と叔父を皮肉る。
「はい…」勉は気のない小さな返事を返した。昨日、明の家で酒を飲んだ勉は結局、明の家に車を置いて帰る事にした。
勉が車を減速し、ギアをセカンドに変え、左折しようとした時に
「勉、本当に助かるわ」と後部座席から遥が話し掛ける。
ルームミラーで姉に目をやり
「あぁ良いよ。」と返事をし、また運転に集中する。
明の家は市営の団地で築30年くらいは経過している。
トイレは遥の意向で和式だったのを勝手に洋式の水洗に変えた。内装も、知り合いの大工に頼んで格安で工事してもらった。
ただ、外装は変えられるはずもなく築30年を余裕で過ぎてる風格さえ漂っている。
本来車も駐車禁止なのだが、市の職員が団地を訪問する事も滅多にないので勉はいつも勝手に駐車していた。
久々の地元を車の窓から穴があくくらい黙って見ていた明が口を開いたのはちょうど勉が国道12号線にさしかかるカーブを左折した時だった。
「ねぇ〜ところでどこに制服買いに行くの?」
「姉貴どこに制服買いに行くんだ?」勉も解っていなかったらしい。
「え?制服って普通の服屋さんに売ってるんじゃないの?」遥も解ってなかったらしい。
なんとか遥の言ってた
「普通の服屋」に制服があることが携帯電話で確認がとれ三人は安堵した。
「まずは、スリーサイズ計りますね」さえない女芸人みたいな男性店員が明のバストと思しき場所を計る。
明の驚異的とも言えるスリーサイズを計り終えた店員は
「制服特注になりますね…。」と明を殺すのには十分な言葉を発する。
「いつもの事なんで予想は出来てましたよ。何日くらいかかりますか?」
「一週間くらいで出来上がると思います。」
「あら?学校には間に合いそうにないわね。仕方ないわ。」遥はそういうとお金を先払いして店を出た。
明と勉もその後に続く。
「特注になってごめんね。」自分の体格を悔やむかのように遥に謝り俯く明に遥が
「気にしなくて良いのよ。男の子は後で身長にくるんだから」と良い。ブルーバードシルフィーの後部座席に乗り込む。
勉ももう運転席に乗り込んでいる。
「あ!!なんかサッカーくじ買いたくなったから宝くじ売り場寄って」
「はいはい」遥の気分に振り回されるのに慣れている勉は帰宅なら本来左折の道を右折した。
買い物等をして結局家に着いたのは20時くらいだった。
明は寝ていないせいもあって風呂に入らずに倒れ込むように自分の部屋のベッドで寝てしまった。
勉はこの日は酒も飲まずに明達を置いてすぐ帰宅した。
公立南雲高校は創立1957年。総生徒数1987名。現校長、南原直樹。東京ドーム4個分の広さがある、マンモス校である。制服はあるのだが行事の時しか着なくて良いという変わった学校である。明が南雲高校に初めて登校する時に選んだ服はダボダボのジーンズと大きい真っ赤のパーカーだった。頭にはパーカーと同じ色のバンダナを巻いてジーンズはトランクスが見えそうなくらい下に下げてはいていた。眉毛は1ミリくらいの細さまで剃った。
自分が思う不良に出来るだけ近づけるように努力した。
「おい!!転校生入れ!!」転入生だろ?アホ教師。
明は自分の中の精一杯の不良歩きで教室内に入る。一瞬教室内の空気が冷え切ったのを確かに明は感じた。
よし!!出だし上々。
「私立厚海高校から転校してきた五十嵐明君だ!!みんな仲良くしてあげてな!!」この時初めてマジマジと教師の顔を見た明は空気が冷え切った本当の理由を知った。
明を紹介したこの教師の顔は顔面凶器としか言えないような顔をして、タンクトップから出ている素肌が筋肉で覆われ、胸板はゴリラくらいある。1年B組の生徒はこの教師の圧力で無反応で良いはずの
「仲良くしてな!!」という社交辞令にも反応している始末だった。空気が一瞬冷たくなるのではなく、この教師のせいで冷めきっているのだった。
ただ一部だけを除いては…。