第一部(1)
「プッシュー」っと間抜けな音を出して、電車の扉が開く。今時珍しい旧型の赤い列車が目の前に停車した。
五十嵐明は重そうに膨らんだ赤いドラム缶バッグを右肩に掛け、開いてる扉に吸い込まれるように電車の中に入って行った。電車の中は閑散として、可動音だけが聞こえてくる。明は、車内を見渡した。
車両の一番後ろに白髪と黒髪が入り混じって鼠色の髪の四十代半ばくらいの初老の男性が乗っていた。その男を避けて、車両の一番前の窓際の席に座り、隣の席にバッグを置く。
「ふう」と小さくため息にも似た息を吐き、静かに目を閉じる。新たな場所への期待と不安を募らせた表情は緊張感に満ちていた。
移動の疲れのためか、いつしか明は眠りについた。
明が目を覚ました時にはもう外は真っ暗になっていた。閑散としていた車内はたくさんの人がいて、全ての座席がうまっていた。人がたくさんいるのに話し声はなく、みんな疲れきった表情をしていた。
冷めた目で携帯電話をいじる女子高生、缶ビールを飲みながら天井を見るサラリーマン、寄り添いながら眠るカップル、でかいいびきをかいて眠るハゲたおじさん。みんな世の中に疲れているようだった。
明は思い出したかのように慌てて窓から外を見て、見覚えのある景色に安堵した。
良かった。まだ江別駅じゃない。
明はバックからおにぎりを取り出す。電車に乗る前に駅の売店で購入したものだった。
機械的な味のするおにぎりは空腹の明の食欲を奪い、半分ほど食べたところで、手を止め、少しの間をおいて残りを口に押し込み、お茶で胃袋へと流し込む。
「次は高砂〜高砂に止まります。」おにぎりを食べ終わるとちょうど目的地のひとつ前の駅を告げるアナウンスが流れた。
明は、荷物をまとめ席をたち、電車のデッキの窓から外をのぞく明の瞳にはたくさんの星が映っていた。
江別駅に着いた明は、改札を出て叔父の姿を探す。
黒く日焼けをしたタンクトップにスウェットに角刈りの男性が目に飛び込んできた。それは間違いなく明の叔父五十嵐勉だった。
勉の姿を見つけた明は重いバッグを持っていることを忘れ駆け出した。どうやら勉はまだ明に気付いていないようだ。
「おじさん」我慢しきれずに叫んでみた。
「おう」勉は声のする方を向き、右手を振る。勉に目が行ってたせいで話しながら歩いている女子高生にぶつかりそうになる。それを明は体格に似合わない機敏さでかわし、ようやく勉のところにたどり着く。実際は十メートルくらいに距離だったが、一人旅の孤独感を朝から味わってた明にとっては本当にやっとの距離だった。
「お疲れさん」勉は明のバッグを持ってやる。
「別に疲れてないよ」見栄を張ってみる明。
「本当か?何か疲れた顔してるぞ?」勉には全てお見通しのようだ。いつも悩んでたり、隠し事をしてもおじさんは俺の心を見透かしてるかのように確信をついてくる。もしかしたら母さんよりも俺の変化に敏感かもしれない。
隠しても無駄だから「正直チョット疲れた」という。
「そっかぁ。やっぱ疲れたか。したら早く帰って寝ような」
「うん」勉は明の頭をなでる。
「姉貴が晩御飯、お前の好きなから揚げを作って待ってるぞ。」勉は車まで歩き出す。
「ホント?なら早く帰らなきゃだね」
「俺もお邪魔するな」
「良いけどお酒は出さないよ」
「バカ。教師が酒飲んで運転できるかよ」
「教師関係ないからね」
「だよな」
「そうだ。おじさん、車出してくれてありがとね」
「姉貴の息子の頼みを断れるかよ」勉は、優しく微笑み、後ろを歩く明のほうを向く。
「本当にありがとね」
「お前の頼みなら車くらい出してやるよ。頼まれても金はやれないけどな」
「叔父さんの少ないこ使い奪わないから安心して」
「少ないはよけいだ」勉は日焼けした顔をほころばせて笑い、明もそれにつられて笑った。
勉の車は日産のブルーバードシィルフィーで白いボディーが眩しいほど磨き上げられている。
勉は右ポケットから鍵を取り出し、後部座席の扉を開け、明のバッグを放り投げる。
勉はへビィースモーカーなのにもかかわらず、車は禁煙車でしかも土足禁止だった。
「明、ちゃんと靴脱げよ。」
「叔父さん今時土足禁止の車なんてないよ」車が走り出してすぐに明が言った。
「お前はアメリカに毒されてるな。室内では靴を脱ぐのが日本の文化なんだよ」
「結局車が汚れるのが嫌いなんでしょ?」
「正直な」勉がまた人の良さそうな笑顔をルームミラーに映す。
二ヶ月ぶりに帰ってきた自分の家は他人の家のようで、なんだかひんやりした感覚を明は覚えた。
「ただ今」出迎えてくれた母、遥に明は笑顔で言う。
「お帰り、何だか少し大きくなったね」明は自分の体を少し眺めてから「そうかな?」と言う。
「やっぱりそうだよな?」明の隣でまじまじと明を見て勉が言う。
「それより早く二人とも家に入って入って」
2LDKの明の家は母子家庭にもかかわらずあまり生活感のなく綺麗に片付けられている。
玄関を入りすぐ左側に明の部屋があり、玄関のすぐ目の前の扉が居間に繋がっている。
玄関から居間に入ってすぐ左に遥の寝室がある。
居間には50インチの液晶テレビがあり、もちろん地上デジタル放送に対応している。
このテレビは昔からくじ運の良い遥が懸賞で当てたものだった。
そのせいもあってテレビはどこかこの家の雰囲気から異質していた。明はすぐに居間に行かず、まず自分の部屋に向かった。
重いバッグを置きたかったし、しばらく離れて、自分のテリトリーを忘れているこの部屋に自分を思い出させたかった。
贈り先で、荷造りをしてる時はすごい量に思えた荷物も自分の部屋で眺めてみるとたいした多くは感じなかった。
ベッドで横になってみた。久しぶりの自分のベッドはホテルのベッドのようになんの感情のない人間のようだった。
ベッドでこうして横になってるとたった二ヶ月が途方もなく長い歳月に思えた。
思い出したくない過去がよみがえってきそうだったので頭を振った。
こんな事で消えてくれるなら何回でも頭を振るのに。
「ガチャ」明の頭上で扉が開く音が聞こえた。
「ご飯出来たわよ」遥が顔をのぞかせる。
「良い匂い」明は上半身を起こし鼻でニ、三回息を吸い込む。
「今日のから揚げは特別に上手くいったわよ」
「それ、いつも言ってるよね?」
「今日はホントにホント」
「了解。信じますよ。」
「まだ信じてないでしょ?」
「しつこいなぁ。信じてるから早く食べましょ、食べましょ」明はせかすように遥の背中を押して居間に向かった。
居間では既に勉が出来上がっていた。
「おぉ。明」ビールの入ったグラスを左手に持ちながら明の方を振り向く。
「おじさん、もう出来上がってるね」
「は?これっぽっちで酔うわけないだろ?」
「顔赤いよ。」
「元からだ。お前も飲むか?」
「まだ、十六だから酒飲めないからね」
「年上からの誘いは断っちゃダメなんだぞ」
「勉!あんた教師でしょ?何未成年に酒勧めてるの?」
「教師は十七時までだよ」
「昔から口だけは達者ね」遥は呆れ顔で台所に行った。
明は、勉の隣に座り、テレビに目を向ける。「また広島負けてるね」「あぁ」勉は悲しそうな顔をする。
台所からから揚げとサラダを持って遥が姿を見せる。
「さぁ、食べましょう」遥はご飯をテーブルにのせて、明たちの前の席に座る。
「いただきます」三人、手を合わせて言う。
「てか、おじさん車どうすんの?」
「あ!忘れてた。」三人はいっせいに笑った。