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第三話「魔法は万能ではない、という話」

どうも、作者です。

今回はちょっと静かな回です。

戦闘もあります。依頼もあります。でもこの話で一番大事なのはそこじゃなくて、アルティアが「初めて言語化できないものに直面する」場面です。

完璧なお嬢様というのは、何でも言語化できるんですよ。感情でさえ「これは論理的な違和感です」「これは適切でない評価への異議です」って整理できる。それがアルティアの強さであり、鎧でもある。

今回、その鎧に初めてひびが入ります。

小さなひびです。でもひびというのは、小さいうちが一番大事なんですよね。

では第三話、どうぞ。


 王都に来て三日目の朝、アルティアは宿屋の窓から外を見ていました。

 泊まっているのは王都の中程にある、可もなく不可もない宿屋です。部屋は清潔で、鍵はきちんとかかり、夜中に妙な物音もしません。値段は一泊銀貨一枚。屋敷のベッドと比べれば硬く、枕と比べれば薄いですが、眠れないほどではありません。

 初日の夜は少し眠りが浅かったです。

 それは硬さのせいではなく、静かすぎるせいかもしれません。屋敷では廊下を行き来する使用人の足音が夜中も続いていて、それが当たり前の環境音でした。この宿屋は静かすぎて、逆に何度か目が覚めました。

 三日目になると、静かさにも慣れてきました。

 窓の外は朝の王都です。大通りに面した窓ではないため、馬車の音は遠く、代わりに隣の家の屋根に雀が来ているのが見えます。アルティアは手帳を開いて、昨日の実績を確認しました。

 依頼完了数:累計八件。Eランク昇格まで、あと二件。

 今日中に片づけられます。

 手帳をしまって、着替えました。今日もクリーム色の旅装ドレスです。腰のベルトを締め、剣を佩いて、鏡を確認します。

 問題ありません。

 宿を出る前に、帳場の主人から声をかけられました。

「お嬢さん、今日もギルドかい」

「はい」

「昨日もバルドさんたちと一緒だったそうじゃないか。あの人たち、腕はいいんだが気難しいって評判でね。うまくやれてるみたいで何より」

「気難しいとは思いませんでしたが」

 主人が少し驚いた顔をしました。

「そうかい。お嬢さんが変わってるのかもしれないな」

 アルティアはその言葉を一度考えてから「そうかもしれません」と答えて、宿を出ました。


 ギルドに着くと、バルドはまだ来ていませんでした。

 掲示板を確認します。今日付けで新しい依頼書が何枚か追加されていました。Fランクのものを二枚取れば昇格条件が揃います。内容を確認して、効率的に両方こなせるルートを考えます。

 一枚目:王都東部の廃倉庫に出た魔物の駆除。種類不明。

 二枚目:街道沿いの薬草採取、五種各五束。

 廃倉庫が東部、薬草の採取場所も東門外。同じ方向です。廃倉庫を先に片づけてから薬草を採取すれば、移動の無駄がありません。

 依頼書を二枚取ってカウンターに向かうと、今日は別の職員が受付に立っていました。二十代の男性で、昨日の職員からアルティアの話を聞いていたのか、登録証を見た瞬間に顔が少し変わりました。

「全属性の方ですか」

「はい」

「……昨日は五件こなされたとか」

「はい」

「今日はこの二件を」

「はい。午前中には戻ります」

 職員が何か言いかけて、止めました。

 アルティアはすでに扉に向かっていました。


 廃倉庫は、東部の路地を入った先にありました。

 かつては商人の物置として使われていたらしく、木造の建物が半分崩れかけています。扉は蝶番が外れて斜めに倒れており、中から低い唸り声が聞こえました。

 アルティアは扉の前で立ち止まって、中の気配を確認しました。

 声は一つではありません。複数います。暗くて中が見えないため、光の属性で薄く照らします。

 倉庫の中に、黒い犬ほどの大きさの魔物が五体いました。ゴブリンドッグと呼ばれる種で、単体では大した脅威ではないが集団で動く習性があります。

 アルティアは倉庫に足を踏み入れました。

 五体が一斉にこちらを向きました。

 先手を取ります。風の属性で壁際に二体を押し込み、動きを封じます。残り三体が跳びかかってくる直前に、土の属性で足元に壁を作って進路を塞ぎます。

 ここまでは想定通りです。

 ただし一体が壁を迂回してきたのは、想定より早い動きでした。アルティアは半歩退いて回避し、水の属性で床を凍らせて足を滑らせます。一体目がひっくり返る。すかさず残り四体を纏めて火の属性で制圧。

 所要時間、三分。

 倉庫の中を一周して、他に個体がいないことを確認しました。いません。

 アルティアは倉庫を出て、次の目的地に向かいながら、先ほどの戦闘を振り返りました。

 一体だけ、想定より動きが速かった。

 それだけです。対処はできました。でも屋敷の鍛練場では一度も経験したことのない「想定のズレ」が、現実の戦闘では当たり前のように起きる。それがこの三日間で少しずつわかってきていることでした。

 手帳に書きました。

 想定は常に正確ではない。余白を持つこと。


 薬草の採取は、東門外の草原で行いました。

 五種の薬草のうち、三種はすぐに見つかりました。残りの二種は群生している場所が違うため、少し奥に入る必要があります。

 アルティアは草原を歩きながら、薬草の形状を記憶と照合します。書物で読んだ知識はありますが、実物を採取するのは初めてです。

 一種目、見つかりました。葉の裏に細かい毛がある草で、日当たりの悪い場所に多い。五束分採取します。

 二種目を探しながら、少し草原の奥に入ったとき——

 遠くで、声がしました。

 人の声です。叫び声ではなく、ただの会話の声。でも何かが引っかかりました。

 アルティアは立ち止まりました。

 声の方向に視線を向けます。草原の向こうに、人影が二つ。冒険者風の格好をした男性が二人、何かを話しながら歩いています。問題はない、と判断しようとして——

 その足元に、小さな影があることに気づきました。

 子どもです。

 五歳か六歳くらいの、小さな子どもが、二人の男性の間で引っ張られています。泣いているようでした。声が小さいので叫び声には聞こえなかったのです。

 アルティアは状況を判断しました。

 子どもが二人の大人に連れられている。泣いている。東門の外、王都から離れた方向に進んでいる。

 これは、普通の状況ではありません。

 アルティアは薬草を持ったまま、二人の方向に歩き出しました。


 「少し、よろしいですか」

 声をかけると、二人が振り返りました。

 三十代前後の男性が二人。体格はそれなりで、腰に武器を持っています。子どもはアルティアを見て、泣いたまま動かなくなりました。

「なんだ、お嬢ちゃん」

 一人が言いました。声に警戒の色があります。

「その子は、あなた方のお知り合いですか」

「俺たちの連れだ。なんか文句あるか」

 文句があるかと問われれば、あります。ただし今の段階では確証がありません。

「その子に聞かせていただけますか」

「必要ねえだろ」

「その子が了承すれば必要ありませんね。了承しますか」

 アルティアは子どもに向かって聞きました。子どもがアルティアを見ました。泣き腫れた顔で、でも何かを訴えるような目でした。

 子どもが、頭を横に振りました。

 アルティアは二人の男性を見ました。

「お聞きの通りです」

「ガキが何わかんねえこと言ってやがる。行くぞ」

 男性が子どもの腕を掴んだ瞬間、アルティアは右手を上げました。

 土の属性。

 二人の足元の地面が盛り上がり、足首まで埋まりました。二人が動けなくなります。子どもが転びそうになったのを、アルティアが一歩進んで抱きとめました。

「な——」

「王都の衛兵に引き渡します」

 アルティアはそれだけ言いました。


 衛兵への引き渡しは、思ったより時間がかかりました。

 二人は王都で指名手配されていた人身売買の組の末端だったことが、後で判明しました。子どもは三日前に王都の市場で行方不明になっていた子で、近くに住む商人の家の子どもでした。

 衛兵の事情聴取に応じ、子どもを親元に返す手続きを見届けて、ギルドに戻ったのは昼を過ぎた頃でした。

 薬草の採取は完了していましたが、想定より二時間以上遅れていました。

 カウンターに依頼の完了報告をしながら、アルティアは今日の行動を振り返りました。

 薬草の採取は完了。廃倉庫の駆除も完了。どちらも問題ありません。

 ただ、子どもの件は依頼ではありません。報酬もありません。実績にもなりません。二時間以上の時間を使いました。

 効率的ではありませんでした。

 でも——

「お嬢さん」

 振り返ると、オルダム支部長が廊下から出てきていました。

「衛兵から連絡が来た。今日の件」

「ご迷惑をおかけしました。依頼外の行動でした」

「迷惑じゃない」

 オルダムが少し笑いました。

「よくやった、という話をしたかっただけだ」

 アルティアは何も言いませんでした。

 よくやった、という評価の受け方を、アルティアはあまりよく知りません。師匠から「お嬢様は素晴らしい」と言われることはありました。でもそれは「完璧にこなしたから」という評価でした。

 今日の件は、完璧ではありませんでした。時間がかかりすぎました。事前に察知できていれば防げたかもしれません。

 それでも「よくやった」と言われることが、どういうことなのか、アルティアにはうまく言語化できませんでした。

「……ありがとうございます」

 それだけ言って、アルティアは報告書の受け取りにカウンターに向かいました。


 その日の夕方、Eランクへの昇格条件が揃いました。

 明日、昇格試験を受けられます。

 宿屋に戻り、夕食を食べて、部屋に戻ってから手帳を開きました。今日の依頼の記録を書いて、時間の配分を書いて、改善点を書きました。

 最後のページに、今日一日を振り返る一行を書こうとして——

 止まりました。

 言葉が出てきませんでした。

 今日の子どもの件を、なんと書けばいいのかわかりませんでした。効率的でなかった、と書くことはできます。依頼外の行動だった、と書くことはできます。でもそれだけを書くのは、何か違う気がしました。

 かといって、「よかった」と書くのも違うと思いました。よかったとはどういう意味なのか、自分でも整理できていないからです。

 アルティアはしばらく、手帳と向き合っていました。

 屋敷にいたころ、すべての経験は言語化できると思っていました。起きたことを整理して、評価して、改善点を洗い出して、次に活かす。それが正しい方法だと教わっていました。

 でも今日の一行が、書けませんでした。

 最終的にアルティアはそのページを空欄のままにして、手帳を閉じました。

 窓の外は夜になっていました。王都の夜は意外と明るく、遠くの通りから人の声が聞こえてきます。

 アルティアはしばらく、その声を聞いていました。

 何も考えていませんでした。

 ただ、聞いていました。

 それが何なのかは、この夜には言葉になりませんでした。

 言葉になるのは、もう少し後のことです。


 翌朝、東門を出るときに串焼きの屋台が開いていました。

 アルティアは立ち止まって、一本買いました。

 昨日の夜、言葉にならなかったものが、まだ胸の中にありました。でも今は特に整理しようとは思いませんでした。

 串焼きを一口かじって、歩き出しました。

 今日は昇格試験があります。

 やることは明確です。

 それだけで十分でした。

読んでくださってありがとうございます!

今回、戦闘より子どもの件の方が長いじゃないか、と思った方、正解です。意図的にそうしました。

アルティアって本当に言語化が得意な子なんですよ。どんなことでも「これはこういうことだ」って整理できる。それが彼女の強さで、同時に「感情と距離を置く方法」でもある。

今回の手帳の空欄、これが実はこの話で一番大事な場面です。

言語化できなかった、ということ。それだけです。でもアルティアにとってそれは、初めての経験なんですよね。完璧なお嬢様が、初めて「書けない一行」に出会った日。

コーマスの話と対になってるのが見えましたか。コーマスのときは「守れなかった」という感情があった。今回は「守れた」けど言葉にならない。どちらも同じ場所から来てるものなんですよ、アルティアの中で。

それがわかるのは、もう少し後の話になります。

さて、次回。

昇格試験です。アルティアが全力を出します。でも全力を出した後に、試験官がある一言を言います。

その一言が、アルティアの想定を、初めて根本から揺さぶります。

強さって、なんですか?

次回・第四話「Eランク昇格試験——なぜあなたはひとりなのですか」

気になりますよね?絶対読んでください!!

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