7話 師匠
(午後からは一般教養の授業か。興味がないわけではないが、それよりも早く魔法の師を紹介して欲しいものじゃ)
ドラヴェルトは自室の真新しい革張りの長椅子をなんとなく眺める。
昨日は眠りにつくまで瞑想をしていた。
その結果、身体の中に感じるエナジーに似た何かがエーテルと呼ばれるものなのだろう。
そうはっきりと確信出来る段階までは進むことが出来た。
しかしそこからが難しかった。
前世の感覚が邪魔をして、エーテルをマナに変換する工程が上手く出来なかった。正確に言えば出来るには出来たが何かマナ以外の不純物も発生してそれが変換を妨害。
せっかく変換出来そうだった物が霧散してしまったと言った方が正しいか。
今日の午前にも瞑想が出来たらもう少し進んだかもしれない。
だが今日から午前中の訓練、午後は今から行う授業と決まったので、また試すのは残念ながらそれらすべてが終わってからになってしまう。
こういったちょっとした空き時間にパッと出来るような事でもないからだ。
「む……。誰ですか?」
部屋のドアを叩く音が聞こえ、ドラヴェルトは思考を貴族の坊ちゃんモードに切り替える。
「本日よりドラヴェルト様の教育を担当させていただきますマグノリア・ルイミ・フィルムネントと申します。お部屋に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
ドアの向こう側から聞こえたのは、落ち着いた印象の女性の声。
「どうぞ、お待ちしておりました」
「失礼いたします」
軽く会釈をして入ってきたのは、金髪の美しい女性だった。
艶やかで透明感ある髪に海のような深い藍色の瞳が印象的で、布の質の良さを感じる灰色のローブがよく彼女を引き立てている。
ドラヴェルトが前世で参加した祝勝会の時に、遠目に見た聖女や王女のような品のある雰囲気だ。一方で目の下に薄っすらと隈があるせいか、どこか影のような物も感じる。
「先生、今日からよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
そこで会話がピタリと止まり、場に沈黙が訪れる。
(理由はわからんが、どうやら緊張しているようじゃな)
教えを乞う立場だ。
こちらから話しかけるのが筋というものか。
「一般教養の授業をしてもらえると母から聞きましたが、どんなことを教えてくれるんですか?」
「はい、フォルノスパーダ公爵夫人様からドラヴェルト様には歴史や算術、国やその文化。それに加えて治癒術をお教えするように申し使っております」
「なんと治癒術を! ささ、こちらに座ってくだされ! それと出来れば、出来ればでよいのですが、今すぐに何か簡単な治癒術をお見せいただけませんか!」
しまった。興奮して言葉遣いが。
ドラヴェルトは失敗を自覚するも欲を止めることが出来ず、ペコペコと何度も頭を下げてお願いする。
「え、ええ。承知いたしました」
マグノリアが目を泳がせる様を見て、彼女が戸惑っていることに気づく。
だがそれでもこれだけは言っておかなければとマグノリアに詰め寄る。
「あの、出来ればですね。授業では治癒術を優先的に教えてもらいたいのですが。いやっ、もちろん他の勉学も真面目に取り組みたいと思っています。ですがやはり気になる事から教えてもらった方が、より勉学に励むことが出来ると僕は思うんです」
「え、ええ、問題ございませんよ。ドラヴェルト様」
マグノリアが苦笑いしながら頷いた。
「おお、ありがとうございます。これからは師と弟子の関係になるのですから、そんなドラヴェルトなどとかしこまらず、気軽にヴェルとお呼びくださいお師匠様」
「え、ええ……。承知いたしました、ヴェル様。ですかその代わりに少し落ち着いていただけますでしょうか。それと師と仰がれるのは少々恥ずかしいので、よろしければマグノリアとお呼び下さい」
「わかりましたマグノリア様!」
一仕事終えたドラヴェルトは、軽く顔を振ってから大きく深呼吸し、自分の膝に頭がつくくらい深々と頭を下げる。
「改めてこれからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します。それで簡単な治癒術でしたね。何をお見せ致しましょうか……」
マグノリアは少し目線を下げて、何か考え込んでいる様子だ。
どんな術を使うか考えているのか、それとも単に急な展開に戸惑っているだけなのか。
どちらかはわからないが、今の自分の見た目に影響されて子供だましの術を使われるわけにはいかない。
「治癒術の効力が一目でわかるようなものだとありがたいのですが」
「わかりました。部屋に花は……。ございませんわね」
「これは申し訳ありません。すぐにマグノリア様に相応しい花を持ってまいります!」
「あ、いえ。そういう意味ではありませんから。私の手でやりますね。ヴェル様、血を見るのは平気ですか?」
「はい。問題ありませんが、一体何をされるんですか?」
「見ていただければわかります」
ドラヴェルトは疑問に思い首を傾げる。
その間にマグノリアは持ってきた鞄を開け、その中から二本爪のフォークと厚めの大きい白い布を取り出す。布をテーブルの上に敷くと、手に付けていた黒い手袋を取った。
中から傷一つない綺麗な手が露となる。
そして何の躊躇もなく手にフォークを突き刺した。
(フォークの先が手を完全に……。これは…治るのか?)
余程力強く突き刺したのか、反対側からフォークの先の部分が飛び出ている。
ドラヴェルトの心配をよそに、マグノリアは躊躇なく突き刺したフォークを引き抜く。
瞬間、マグノリアの手から血が噴き出す。
すぐに勢いが収まったが、その後もじくじくと血が流れ続け、あっという間に手を赤色に染め上げる。
ローブや金色の髪にも血が飛び散り、見る者が見れば卒倒しそうな光景であるが、当の本人は驚くほど平然とした表情をしている。
「我が傷を癒しなさいヒーリア」
彼女の身体を中心に、光の線で描かれたシンプルな円形の陣のようなものが一瞬浮かび上がる。そして陣が消えた後に傷口を中心に光の粒子が集まり包まれていく。
数秒ほど粒子が穴の周りで円を描くように回転して動いた後、体に吸い込まれるようにして消える。
残ったのは傷跡一つない手とまだ乾ききっていない血のみ。
「すみません。思ったよりも血が飛び散ってしまいましたね。とにかくこれが一番初歩的な治癒術になります。どうでしたかヴェル様?」
「実に、実に素晴らしいと思います。一度治した手を見せてもらってもいいですか?」
「構いませんよ。どうぞ」
マグノリアは血をふき取ってからドラヴェルトに手を差し出した。
ドラヴェルトは差し出された手を軽く握る。
それから身を乗り出し、細かな違和感も逃してなるものかと目を大きく見開いて観察する。
最初に注目したのはフォークで穴が開けられた箇所。
ドラヴェルトが知っている初歩的な治癒魔法であれば、穴が開いた手を癒すというのは到底不可能。
よくて出血していた血が止まる程度だ。
だがやはりマグノリアの手は綺麗に穴が塞がっており、治ったような跡すらない。手のひらの方も穴の跡どころかまるで貫かれたことなどなかったというかのように、手相の線が綺麗に繋がっている。
試しに軽く指でマグノリアの手を指で軽くなぞるが、治った部分だけ皮が厚くなっているということもない。
「不思議に思われますか? 時間を置けばヒーリア程度の治癒力ではこう綺麗に治りませんが、使い方次第ではごく初歩の治癒術でもこのような回復力が得られるんですよ。……あのヴェル様? そろそろ手の方をよろしいでしょうか」
「え? ああ、ありがとうございます」
マグノリアの頬が少し紅くなっている。
もしかすると治癒の過程で血流が良くなる効果でもあるのだろうか。
「マグノリア様、最後に少し指を動かしてもらってもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
ドラヴェルトは見本として指を順番に何度も折りたたんだり、手を閉じて開く動作を繰り返す。
それを真似てマグノリアが手を動かすが、手本となったドラヴェルトよりも滑らかな動きをしている。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
動きの方もまったく問題無しか。
(完全に治っている。これは儂が知っている上級魔法以上の回復力じゃな)
ドラヴェルトは、己の中でこの世界の魔術や魔法に対しての期待度が跳ねあがっていくのを感じる。
初歩の治癒術で身体に空いた穴が問題なく治癒出来るのだから、中級や上級の術ならば身体の大きな欠損。もしくは前の世界ではありえないとされた蘇生魔法ですらも可能になるかもしれない。
時間が経つとその限りではないようだが、それでも十分すぎる効果だ。
(これは治癒術にも真面目に取り組む必要があるようじゃな)
ドラヴェルトは頭の中で、今後の計画で修正を加えてから深く頷いた。




