婚約破棄された『沈黙の悪女』ですが、心の声がダダ漏れなのを王太子殿下だけが知っているようです
シャンデリアの煌めきが、冷え切った私の心をあざ笑うように降り注いでいる。
学園の卒業パーティー。華やかな喧噪は、たった一人の男の大声によって引き裂かれた。
「リリアナ・ベルンシュタイン! 貴様のような陰気な女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
会場の視線が一斉に私に突き刺さる。
目の前に立つのは、私の婚約者である男爵令息、カイル。
彼は私の義妹であるミシェルの腰を抱き寄せ、勝ち誇ったような顔で私を見下ろしていた。
「……」
私は何も言わない。いや、言えない。
ただ静かに、扇で口元を隠し、無表情を貫く。
その態度が火に油を注いだようだ。
「見ろ、この態度を! 妹のミシェルを虐げ、私の金を横領し、あまつさえ他の男に色目を使っていたことへの反省が微塵もない!」
(……全部、ミシェルがやったことでしょうに)
心の中でだけ、私は深くため息をつく。
ミシェルはカイルの腕の中で、あざとらしく震えてみせた。
「ご、ごめんなさいお姉様……! でも私、カイル様と愛し合ってしまって……もう嘘はつけなくて……!」
嘘をついているのは貴女よ、ミシェル。
私のドレスを切り刻んだのも、カイルに嘘の告げ口をしたのも、家の金を使い込んだのを私になすりつけたのも。
けれど、私は反論しない。
私の右手首にはめられた、古びた銀の腕輪。これが私の声を封じているからだ。
亡き母が遺した『魔力譲渡の腕輪』。声を代償に膨大な魔力を生成し、それを家に捧げる契約。
父と継母に強制されたこの契約のせいで、私は十年間、一言も言葉を発していない。
「沈黙は肯定と見なす! 衛兵、この悪女を捕らえろ!」
カイルが叫ぶ。
私はゆっくりとカーテシーをした。
いいわ。どうせこの婚約は、父が借金まみれのカイルの実家を救済するために結んだだけのもの。
悪女として追放されるなら、それもまた自由への切符だ。
(さようなら、カイル。精々、ミシェルと泥沼の借金生活を楽しんでね)
私が踵を返そうとした、その時だった。
「――待て」
凛とした、よく通る声が会場の空気を凍らせた。
雑踏が波が引くように静まり返る。
人垣が割れ、一人の青年が歩み出てくる。
黄金の髪に、夜空のような深い蒼の瞳。
この国の王太子、アレクセイ殿下だ。
「で、殿下……?」
カイルが間の抜けた声を出す。
アレクセイ殿下は私の隣に立ち、カイルとミシェルを氷点下の瞳で見据えた。
「騒がしいと思えば、茶番か。卒業の祝いの席で、随分と面白い余興をしてくれる」
「よ、余興などでは! 私はこの悪女を断罪し、正しき愛を……」
「悪女、か。リリアナ嬢が一言も弁明しないのをいいことに、随分な言い草だな」
殿下が私を見る。
その瞳と目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
美しい。いつ見ても、この方は神々しいほどに美しい。
学園生活の三年間、遠くから眺めることしかできなかった憧れの人。
最後に近くで拝見できて眼福だわ、なんて思っていると、殿下が口角を上げた。
「リリアナ嬢。君は、本当に何も言わなくていいのか?」
私は首を横に振る。
声は出ない。それに、腕輪のことは家の恥だ。私が黙って消えれば済む。
「……そうか。君は昔からそうだ。自分さえ我慢すればいいと思っている」
殿下が、そっと私の右手を取り、銀の腕輪に指を這わせた。
ビクリ、と体が震える。
冷たい金属の感触と、殿下の温かい指先。
「だが、俺は我慢ならなくてね」
殿下の瞳が、妖しく輝いた。
魔力が奔流となって溢れ出す。
「我が王家に伝わる秘奥義『真実の拡声』。これを使わせてもらおう」
「は……? 何を……?」
カイルが狼狽える中、殿下は私の手首を強く握りしめた。
次の瞬間。
『うわぁぁぁ! 殿下の手、大きい! 温かい! 無理無理、心臓止まる! こんな近くでお顔を見たら死んでしまう!』
――私の絶叫(心の声)が、講堂のマイクを通したかのように大音量で響き渡った。
「……は?」
「え?」
会場中がポカンとする。
私も固まった。
今、私の心の声が……漏れた?
『えっ、嘘? 何これ? 私の声? いやいや、そんなことより殿下の横顔の美しさが国宝級すぎて直視できないんですけど! まつ毛長っ!』
また響いた。
殿下が、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「……だ、そうだ。光栄だよ、リリアナ」
「な、なんですかこれは!?」
カイルが叫ぶ。
殿下は涼しい顔で答えた。
「彼女の『心の声』を具現化した。彼女は契約により肉声を封じられているからな。私が代弁してやっている」
「こ、心の声だと!? ハッ、どうせならその腹黒い本性を……」
「ああ、聞こうか」
殿下が私を見つめる。
私はパニック状態だ。
『やめてぇぇ! 恥ずかしい! これなら悪女として罵られる方がマシよ! カイルなんてどうでもいいの! あんな借金まみれの男爵家のことなんか、どうでもいいから!』
「……借金?」
会場の誰かが呟いた。
カイルの顔色がサッと青ざめる。
『お父様に言われて仕方なく婚約してあげたのに、私の持参金で借金を返済しようとしてたの、知らないとでも思ったの? 毎月ミシェルに貢いでたお金も、私が夜なべして作った魔道具の売上じゃない! 返してよ私の睡眠時間!』
「ぶっ……」
誰かが吹き出した。
カイルはパクパクと口を開閉している。
「ち、違う! それは……!」
ミシェルが金切り声を上げた。
「嘘よ! これはお姉様の嘘です! お姉様は腹黒いから、心の中でこんな酷い捏造を……」
『捏造? あー、ミシェル。今日着てるそのドレス、先週私が仕立てたやつだよね? 「サイズが合わないから直せ」って私に投げつけたくせに、よく似合ってるわよ。私の涙と血の結晶が』
「ひっ……」
ミシェルが自分のドレスを押さえる。
『大体、私を階段から突き落としたり、教科書破ったり、散々やってくれたわよね。証拠なら全部、日記と一緒に金庫に入れてあるけど? 暗証番号はミシェルの誕生日の逆。単純で助かるわー』
「な……なんでそれを……!」
ミシェルが自爆した。
会場の空気が一変する。
蔑みの視線は、私ではなく、壇上の二人へと向けられた。
「これが『沈黙の悪女』の本性だ」
アレクセイ殿下が、静かに、しかし絶対的な重みを持って告げる。
「彼女は誰の悪口も言わず、ただ理不尽に耐え、家のために尽くしてきた。……その心を、俺はずっと聴いていた」
え……?
私は驚いて殿下を見上げる。
殿下は、とても優しい目で私を見下ろしていた。
「リリアナ。君が図書室の隅で、いつも俺を見ては『今日も素敵』と呟いていたことも。花壇の花に水をやりながら『殿下が笑ってくれますように』と祈っていたことも。……全部、俺には届いていたよ」
『う、嘘……全部……?』
顔から火が出る。
今まで心の中で叫んでいた愛の言葉が、全部筒抜けだった!?
「全部だ。……そして、俺も同じ気持ちだ」
殿下の手が、私の腰に回る。
会場から悲鳴のような歓声が上がった。
「カイル・男爵令息。並びにミシェル嬢」
殿下の声が、氷点下に戻る。
「未来の王太子妃への不敬、並びに虚偽申告による王家への詐欺未遂。……覚悟はできているな?」
「ひ、ひぃぃっ!」
「お、お待ちください殿下! 私は騙されて……!」
カイルがミシェルを突き飛ばして逃げようとするが、すでに待機していた近衛騎士たちに取り押さえられた。
二人は無様に喚きながら、会場から引きずり出されていく。
まさに、自業自得。
けれど、今の私には彼らのことなどどうでもよかった。
目の前に、アレクセイ殿下がいる。
彼が私の手首の腕輪に指をかけると、パキリ、と乾いた音がして、銀の輪が砕け散った。
王族の解呪魔法。
喉の奥にあったつかえが、すうっと消えていく。
「リリアナ」
殿下が甘く囁く。
「もう、心の中じゃなくていい。……君の声で、聞かせてくれないか?」
私は震える唇を開いた。
十年ぶりの、私の声。
掠れて、拙いけれど。
「……す、きです。アレクセイ様……ずっと、お慕いしておりました」
殿下は満足そうに微笑むと、大勢の貴族たちが見守る中で、私の唇を塞いだ。
『んんっ!? ちょ、殿下! みんな見てる! 恥ずかしいけど……幸せぇぇ!』
「……ふ。心の声は、まだ相変わらず元気だな」
唇を離した殿下が悪戯っぽく笑う。
私は真っ赤になって、殿下の胸に顔を埋めた。
これからは、この声も、心の声も、全部あなただけに捧げます。
私の大好きな、意地悪で優しい王子様へ。
お読みいただきありがとうございます!
沈黙を貫くしかなかった主人公が、溺愛王太子の力で一発逆転するお話でした。
カイルとミシェルはこの後、莫大な慰謝料と借金返済のために鉱山送りとなりましたのでご安心ください。
リリアナは王太子妃として、毎日心の声をダダ漏れにしながら幸せに暮らします。
もし「スカッとした!」「心の声かわいい」「殿下ナイス!」と思っていただけましたら、
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