32マモ 新たなる夜明け
「なんであんな子を引き取ったのよ」
「仕方ないだろう。兄さんも奥さんも亡くなって引き取り手が俺しかいなかったんだよ」
どこかの夫婦が言い争いをしているのが聞こえる。リビングルームで話し合いをしているのだ。壁紙が古くからの染みで汚れており、ガタのきたテーブルと椅子、薄汚れて曇った蛍光灯の下で自分たちの境遇に合わせたような内装。金銭に困っていると一目で分かる夫婦は、大声で言い争いをしている。
━━あぁ、これは夢だ。前世の夢。時折見る悪夢。
なぜ言い争いをしているのかは、その二言だけで他者でも理解できる。兄夫婦が事故で亡くなったために、その息子を引き取ることとなったからだ。突然の悲報に哀しみもあるが、その息子を引き取ると言われれば哀しみも吹き飛ぶ。
「うちにも同じ歳の息子がいるのよ? まだ9歳なのに、成人まで面倒を見なくちゃならないなんてどれだけ大変か分かってるの?」
「分かってる、分かってるよ。だけど、仕方ないだろう? うちは引き取らないから施設にでも放り込むなんて言ってみろ。兄さんが亡くなったのは親戚たちだけじゃない、会社も知ってるんだ。俺の評判は地に落ちるぞ? お前だって、近所になんて噂されるか想像できるだろう?」
苛立たしく言う妻に、夫も面倒くさそうにテーブルを指で叩くことで答える。そのとおりだ。彼らには評判というものがある。
「それに……兄さんたちの生命保険と遺産は合わせて7000万円はあるんだ。それだけあれば充分だと思わないか? とりあえずパートはしなくても良いと思うぞ?」
「そんなにあるの!? あんたは仕事仕事言っていればいいけどね、私は子供の世話をしないといけないのよ? ……でも、パートを辞められるのは良いわね。大変だけど、仕方ないわ」
残された兄夫婦の息子の遺産を聞いて、妻はトーンを下げると、その顔が僅かに緩む。
「あぁ~、仕方ないわね。金があるから育てて上げるけど、態度が悪かったら、私はバシバシ殴るからね? 私の教育は厳しいですから、孤児となる寸前の可哀想な子供を引き取る私たちの気持ちを考えておとなしくしてほしいわ」
二人での話し合いにしてはやけに大きな声で話す夫婦。彼らは知っているのだ、俺が廊下の影で話を聞いているのを。
要は忠告である。お前を世話するのはお前への愛だからではない、両親の遺産があるからだと。だからおとなしくしてろと。
彼らはこの後も、俺がこっそりと聞いていると分かる時は、声高に同じ言い争いをしている。
『いつでも捨てることができるんだ。だからおとなしく金を出せと』
遺産目当てのクズだ。よくある話で、ドラマなどでは使い回しのテンプレと飽きられている展開。俺もアニメとかでよく知っていた。
兄夫婦の息子の金をむしり取り贅沢三昧、ブランド物を買い漁り、自分の子供は贅沢をさせて、兄夫婦の子供は放置。ヨレヨレの服を着させて、自分たちは旅行や外食を頻繁にして、兄夫婦の息子はカップラーメンを食べさせて留守番。頻繁に殴っては、小間使いのようにこき使う。
ここまでがテンプレ展開だろう。
━━だが、現実は違った。ことあるごとに嫌みを言うが、食事も同じものだし、服とかも買ってくれる。なんなら普通に小遣いをくれて、ゲームなどを買っても何も言わない。普通に育ててくれた。ただ、そこに愛情はない。成績が悪くても怒られることもなかったが、良い成績を出しても褒められもしなかった。自分の子供には怒っていたので、子供にはなんであいつは怒られないのと、だいぶ恨まれたものだ。
それはそこに愛情は一切なかったからである。テンプレ展開は存在しなかった。なぜならば彼らには生活があったからだ。いい意味でも悪い意味でも、彼らは普通の人間であった。テンプレ展開などをすれば近所の噂になるし、児童福祉について役人も来る。会社にも血も涙もない奴らだと噂が流れればおしまいだ。
苦労して係長になり、課長へと昇進を狙う叔父は、極めて神経質にその点を考慮していた。叔母もパートを辞めたのは遺産を盗んだからだと言われないように、子供の世話に惜しみはしなかった。だからこそ、俺は普通に大学まで進学できた。
要は現実ではテンプレの悪役夫婦になるには、それこそギャンブルにハマり大酒を飲んで、日雇いの仕事で暮らすような環境でもなければ社会という目が許してくれないわけだ。
これが数億円の遺産で、働かなくても良い程の大金であれば、テンプレ展開もあったかもしれない。だが7000万円は大金ではあるが、贅沢に使えばすぐになくなる微妙な金額。彼らは仕事を捨てることなどできなかったし、だからこそ俺を普通に育ててくれた。
代償は、全ての生活費に多めに払うこと。子どもを育てるだけにしてはかなり多めの金額は彼らの生活を少しだけ豊かにした。築数十年のボロい借家から、住宅ローンを組んで新築の家を買ったり、旅行も少し良い所に行けた。毎日の食事も高い肉がでたし、新しい服も少し高いものが買えた。小市民にとってはだいぶ助かったのだろう。
そして、常に俺に感謝するようにと、金があるからお前を育ててるんだと、俺に聞こえるように陰口を叩いていた。そして、俺は言われるがままに遺産から生活費を多く支払い、大学卒業の頃にはほとんどの遺産を使っていた。一人暮らしをするための、敷金礼金を支払えば、ちょうどなくなるくらいに。
俺は両親を失ったにしては、そこそこ幸運な子供時代を過ごせたのだろう。
そこに愛情はなくても。ただただ金のためだと言われれた子供時代。
ある意味残酷な子供時代とも言えるのではなかろうか。これがテンプレ通りに悪役夫婦で、全ての遺産を奪われれば、後々に復讐するストーリーに入っていたかもしれない。反対に遺産には手を付けずに、貧乏であるが愛情たっぷりに育てられれば、将来金持ちになって恩返しをしようと頑張るストーリーになったかもしれない。
だが、俺は遺産は食い潰されたが、しっかりと育てられたし、社会的に見ても問題はない暮らしだった。呪いのように金があるから貴方を育ててるのよと言われ、一切愛情を注がれることがなかった以外は。
だから俺は宙ぶらりんの状態で大人となった。叔父夫婦を憎むには、良い生活をさせて貰って無理だ。なんなら感謝の気持ちもある。俺だっていきなり子どもを育てろと言われれば面食らうだろうし、人を育てるのは大変なのだ。だけど愛情を望むには、子供の頃の記憶がトラウマとなって、裏があるんだろうなと考えてしまい、まったく信じられない。
風船のようにフラフラと俺の思考は漂い、なんとも中途半端な男が完成したのだ。
人を憎むことも、愛することもできない人間。社会の歯車としてしか存在しない人間。ただお金を稼ぎ、老後の暮らしのために貯めて、少し株に投資をして、アニメやゲームを楽しむ孤独な人間だ。自分は幸福なのか不幸なのかも分からない人間だ。
夢の中で俺はふらふらと暗闇を飛ぶ。どこを目指すわけでもない。将来の夢もない。なにもないのが俺だった。
だからこそ、マーモットが好きだった。何を考えているのか分からない虚無の瞳。2本足で立ち、前脚をまるで手のように使い、やけに人間くさい行動は微笑ましいし、餌を食べる姿やギュイーンをしている姿に癒される。
マーモットたちが身体を擦り合わせて寝ている姿に、彼らの仲間意識の強さを見て羨ましい。
俺もマーモットになりたい。マーモットカフェの常連となった俺は、可愛いマーモットたちを見て思う。
「なに言ってるの? まーくんはマーモットだよぅ?」
「そうだぜ。俺のギュイーンのライバルだろ?」
「天才たる僕の仲間ですよ」
「隅っこは私に任せなさい」
暗闇の中に聞き慣れた声が聞こえる。振り向くと、いつの間にか4人の仲間が立っていた。
「そうだ、そうだった。今の俺はマーモットだった。誰よりも大切な仲間たちと暮らすマーモットだった」
そうだ。今の俺は愛する仲間たちがいる。常に愛情で返してくれる仲間たちが。
いつの間にか俺の姿はマーモットに変わっていた。背丈が数十センチの小さな身体。毛皮に覆われて、短い爪がちゃっちゃと鳴る。2本足で器用に立って、やけに人間くさい行動をとるマーモットだ。
「今の俺はマーモット。幸せなマーモットだった。仲間の命を守り、裏切ることのない思いやりのあるマーモットだ」
ぽかぽかと胸が温かくなり、自然と笑みが浮かぶ。マーモットになれてよかった。キャベツを食べながら、虚無の瞳を空に向けて思う。
暗闇に光が降り注ぎ、世界が移り変わる。
「そのキャベツは俺様のだろ」
「ねーねー、そのキャベツちょうだい?」
「天才たる僕に一口ください」
「隅っこで食べるから寄越しなさいな」
俺の食べているキャベツを奪わんと、隙を狙って齧りついてくる仲間を手で押しのけながら、俺は微笑むのであった。
夢の中でもキャベツを奪いに来るなよ!
◇
目が覚める。眩しい光が入り込み、俺ことマーリンは起き上がる。皆で体を寄せ合って寝てたのだ。幼女が毛布と枕を持ってきて一緒に寝てるので、また母親に怒られるだろうね。
「陛下、おはようございます。こちらは洗面水をお持ちしました」
くぁぁ、とあくびをして起きると、素早く洗面桶を部下となった下級マーモット族が床に置いてくれる。
「うん、おはようございます。いつもありがとうね」
━━あらから1週間が経過していた。下級マーモット族は召喚事故で空間の狭間に封印されていたのだろうと、ヴェア男爵は勝手に納得して、拠点に一緒に暮らすこととなった。
彼らは異世界人といざこざを起こすことなく、おとなしく順応した。そしてシフトを作って俺たちのお世話をしてくれている。
「洗面桶を持ってきてくれるなんて贅沢だよね。なんかファンタジーの貴族になった感じ」
「喉が渇いてたからちょうど良いよねぇ、ペロペロ」
もちろん、マーモットは顔を洗うのではなく、水を飲みます。
「だめだよ、ミカ。これは飲むんじゃなくて、顔を洗うためにあるの、こうやって使うんだよ」
バシャーン
洗面桶に突撃! バシャバシャと身体を洗っちゃった。手足をブンブン振り回して、水をパシャパシャと撒き散らす。
「楽しそう! ミカもやるぅ」
ミカも同じように洗面桶に飛び込むとパシャパシャと水を撒き散らしてピギーとはしゃぐ。
うんうん、俺たちマーモットも進化して文明的な生活を送るようになってきたね!
はしゃぐ声に釣られたガブたちも洗面桶に入ってきて、応接室はあっという間に水だらけとなるのであった。もちろん騒ぎに気づいて起きたニニーヴも加わったよ。
だから、ニニーが怒られたけどごめんね?
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