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それから四昼夜を経て、公爵と幻獣の一行は領地に帰還を果たした。
シェリーがどのくらい足を引っ張って時間を使わせ、どのくらい役立って時間を節約したかは分からない。うち半日はシェリーの服などの必需品を購入したり配送を依頼したりするために使わせてしまったので、それは間違いなくシェリーのせいだったが。
公爵の領地は王国の北東部の一帯に広がっている。三つの地域に分かれるが、そのすべてを守るようにラーディア山脈が国境をなし、とくに高い峰には万年雪を戴く。
公爵の城は山脈の麓近く――とはいっても、低い山くらいの標高はあったが――に鎮座していた。
上空から見ると分かりやすいのだが――基本的に移動は夜間だったが、夕方や明け方も飛んだので――、北上するにつれて秋がどんどんと深まっていく。とくに昨夜は空気が一気に冷え込み、辺りには取り残されたような霧が出ていた。
霧のなかに朧に聳え立つ城は荘厳で近寄りがたく、シェリーの目にひどく現実離れして見えた。
城は高い城壁と立派な門とを備えていたが、公爵はそれらを無視し、天馬に騎乗したまま城の中庭に降り立った。
長時間の騎乗で体が強ばっているが、この五日間でだいぶ慣れた。シェリーもなんとか自分の足で立ち、辺りを見回す。
(ここが、幻獣公爵の居城……)
使用人がおらず、行った者は戻ってこないという噂の。
だが、噂は噂だ。この五日間、公爵は驚くほどシェリーに対して紳士的だった。人の存在そのものを疎んじるような様子を見せることはあったが、暴力をふるうこともなければ、足手まといのシェリーを見捨てることもしなかった。それでも、シェリーに対する扱いよりも、幻獣に対するそれの方が格段に丁重で手厚かったのだが。
(ことあるごとに、私には溜息をついておられたしね……)
きっとシェリーの存在が気に入らないのだろう。足の怪我は治ったが、幻獣に関する経験や知識の不足はいかんともしがたい。足を引っ張ってしまったりもしたし、ほかにも気づかないで失敗してしまっていることもありそうだ。
でも、とシェリーは前を向いた。
「ここに居続けるためには幻獣のことを学ばないとね。閣下に重宝されるくらいの存在になって、居場所とお給金を確保しないと」
前途多難だが、やるしかない。ほかに行く当てはないのだ。
公爵はシェリーを、というよりも人間を疎ましく思っているのかもしれないが、そのマイナスを覆すくらいに良く思ってもらわなければならない。使用人として有能なところを見せつけて、追い出すよりも居させた方が得だと思わせたらこちらのものだ。
働きぶりを見せたら、賃金の交渉もしっかりしたい。公爵はお金に困っていないだろうが、いくら資産があっても足りないとばかりに吝嗇に節約する者もいる。
(でも閣下は、そうではなさそう……。鷹揚で、生まれながらの大貴族という感じがするもの)
お金に頓着しなさそうだし、もっと言えば、お金をはじめ人間に関するものにあまり意識を向けていなさそうな感もする。
浮世離れしている。城も公爵も。
うぉん、とローグがシェリーを力づけるように太く吠えた。シェリーはローグを撫でた。
「頑張るわ。一緒に暮らしていくために。……でも」
ふさふさとした銀灰の毛並を撫でながらシェリーは思案する。
「当たり前だけど、ここってたくさんの幻獣がいるのよね。ローグは大丈夫そう? 新入りいじめとかあるのかしら……」
「そのようなことは私が許さない。相性が悪そうな個体同士は極力一緒にさせないようにもしている」
「それなら安心できます」
反応が返ってきたことに少し驚きながらシェリーは応じた。公爵は庭につくなり、長旅を終えた幻獣たちを労うために餌を運び、汗を拭きとってやりつつブラッシングをし、幻獣の寝床を確認し、休もうともせず動き回っていたのだ。もちろんシェリーに対してわざわざ説明することはなかったので、シェリーは公爵のしていることをなるべく記憶に焼き付けつつ辺りを見て回り、ローグとこうして喋っていたのだ。
(それにしても公爵、断言なさったわね……。幻獣って気位が高いし扱いが難しいし、言うことを聞かせるのって相当大変だと思うのだけど……。さすが幻獣公爵、自信がおありなのね……)
許さない、で済まないのが幻獣だ。人間の都合などお構いなしに他の幻獣を攻撃したり、もちろん人間をも攻撃したり、やりたい放題だ。教えれば人の言葉は通じるが、犬よりはだいぶましだが人間の幼児ほどではない、そんな感じだ。そして当然、言葉が通じるのと命令を聞くのとは別問題だ。
「道中で少し見た感じ、その翼狼は他の幻獣を挑発することもなければ委縮することもなく、うまくやっていたようだったな。ストレスもそれほどかかっていなさそうだと見るのだが、いかがだろうか」
気持ちよさそうに撫でられているローグは、確かに、無理をしていたり弱っていたりする様子がない。シェリーとともにラグロフ邸から逃げ出して、幻獣公爵や幻獣たちと共に過ごす慣れない日々を送ったのに、まったく堪えていなさそうだ。
「大丈夫そうです。もともとラグロフ伯爵の邸宅で飼育されていた子なので多頭飼いにも慣れていますし、人間を攻撃したこともありません」
むしろ人間の方がローグを無遠慮に眺めたり品定めしたり、よほど攻撃的だった。
シェリーの答えに満足したように頷き、公爵はシェリーをいざなった。
「では、中に入ろう」




