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そんな一幕もありつつ、シェリーは大体において順調に使用人としての日々をこなしていた。
城のあちこちに危険が潜んでいることを公爵から聞かされて以来、よりいっそう注意を払うようにしている。ローグの助けも借りながら、近付かない方がいい場所をはっきりと認識し、簡単な地図も作った。掃除のついでに歩幅で距離を測り、何回か手直しも加えた自信作だ。
「取り込み中か? 少し話があるのだが……」
「いえ、中断して問題ありません。どんなお話でしょうか?」
地図に手を加えていたシェリーに、通りがかった公爵が声をかけた。シェリーは手を止めて応じた。その流れで、公爵が地図を覗き込むような格好になる。
(!?)
これも使用人として円滑に動くためのものだから、決してさぼっていたわけではない。それなのになぜか、心臓が跳ねた。
「この城の地図か。よくできているな。簡明だが要点を押さえている」
「恐れ入ります」
かしこまるシェリーに、公爵は少し何かを思案していたようだったが、決めた、というふうに顔を上げた。
「本格的に雪が積もる前に、森に行こうと思っているのだが、一緒に来るか? よく使う道を教えておくだけでもためになると思う」
「森って、お城の周りの森ですよね? でしたら、ぜひご一緒させてください。ローグも伴ってよろしいでしょうか?」
ここは森に囲まれた城だ。いざという時のためにも、土地勘を持っておきたい。シェリーのそうした内心などもちろん知る由もなく、公爵は頷いて言った。
「あなたはよくやってくれているが、城に閉じこもりきりというのもよくないだろう。たまには外に出た方がいい。もちろんローグを連れて行くといい。地図を作れるなら、簡単に作っておくのもいいかもしれないな」
(……もしかして閣下、気分転換に誘ってくださったの……!?)
それは正直、意外だった。一般的な貴族の家では、週の終わりの日――教会に行く日――を休日としている。
だが、この城においては、そんなもの知ったものかとばかりに無視されていた。教会に受け入れられない、公爵の言葉を借りて言うなら「聖典に記されていない異形の生き物」が自由気ままに闊歩する城だから、それも当然ではある。
これまた当然のこととして、世間一般の休日がこの城には存在しない。シェリーは給金についてははっきり交渉したが、休みについてはあまり考えていなかった。出来ることをがむしゃらに進めていると、休みたいとあまり思わなかったのだ。夜に安全な場所で安心してぐっすり眠れるというだけでありがたいので、まとまった休みが欲しいなどという気持ちは押し込めて鍵をかけて忘れていた。
「今でも雪が舞うことがあるが、もうじき積もって根雪になる。その前に採っておきたい草や茸があるのだ。買ってもいいが、鮮度が落ちてしまう。だから見回りもかねて毎年自分の足で確かめているのだ」
そこに同行してもいい、と言ってくれているのだ。城に来たばかりのシェリーではたぶん、こうした誘いの言葉は貰えなかった。少しは信頼関係が出来てきたようで嬉しい。
「もしかして、お話というのはそのことでしょうか?」
「そうだ。城を空けることを知らせたかったのだが、一緒に来るなら必要ないな」
「確かにそうですね」
「…………」
応じるシェリーに、じ、とローグがシェリーの顔を見上げてくる。沈黙が雄弁だ。なんだか呆れた表情をされている気がするが、気のせいだ。
「急ぐ仕事がないなら、今からではどうだ? この季節には時雨が降りがちだから、晴れているときに、行けるなら行った方が良い」
シェリーは思わず吹き出した。やはり公爵は週のことなど何も考えていなかった。日曜日だから休むのではなく、思い立ったから休む。その自由さは悪くない。
「上着を取ってまいります」
「分かった。支度が済んだら玄関ホールに来てくれ」
公爵の言葉に頷きを返し、足早に自室に戻って上着を洋服掛けから外す。使用人としてもともと動きやすい服装をしているので、厚手の外套を羽織れば外出支度は完了だ。
玄関ホールに向かうと、いつものシルクハットにステッキ、それにかっちりとしたコートを羽織った公爵がすでに待っていた。とても森に行くとは思えない正装だ。
公爵はこういった服を相変わらず使い捨てにしているが、シェリーは捨てる代わりに服を貰い受け、どのように洗ってどのように乾かせば繰り返し使えるかなどと試行錯誤している。いずれ自分の手で洗濯できるようになればいいのだが。
公爵がシェリーの半歩先に立ち、先導して城を出る。と、どこからか幻獣たちが集まってきた。見送りというふうでもなく、ついてくるらしい。
この城に来てからシェリーも幻獣関係の知識を身につけつつあるが、まだ名前がすぐに出てこない幻獣も多い。
公爵の後をついてきた幻獣たちの中にも名前を知らない種類があったが、天馬は分かる。何かを運ぼうと思ったら、馬の要素を持つ幻獣が楽だ。草や茸を運ばせるのだろう。




