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「作ると言ったのは飲み物のことだったのか」
公爵は呑気にそんなことを言う。
シェリーは慌てた。この状況で「作る」と言ったらすぐに用意できる軽食か飲み物のことでしかないと思うのだが、公爵のずれた思考回路に突っ込んでいる場合ではない。
「あの、火吹鳥が! 作ったホットワインを飲んでしまったのですが……!」
「? 鍋にまだたくさん残っているようだが? 良い匂いがするな」
どうやら匂いに釣られて厨房にやって来たらしい。それは嬉しいのだが、どうも反応がずれ過ぎている。
「そうではなくて! 幻獣って、人の飲み物を飲んでも大丈夫なのですか!?」
しかも、お酒だ。人間であっても体質的に受け付けない人もいるし、子供に与えるのはよくない。そういう成分を含むものを、人間とは全く異なる生き物である幻獣が飲んでも大丈夫なのだろうか。
心配なのは幻獣のことだけではない。もしもこのせいで幻獣に何かがあったら、それはシェリーの責任だ。
(まだここに来て間もないというのに! 使用人生活が始まる前に終わってしまう……!)
ラグロフ伯爵邸では、幻獣は動物と同じものを食べていた。翼狼のローグなら肉だし、双頭蛇なら蛇と同じく卵や肉などだ。共通の要素を持つ動物と同じものを食べさせていたし、シェリーもそれを疑問に思うこともなかった。
(何かあったら、どう責任を取ったらいいの……!? この子にも申し訳ないし、私やローグも伯爵邸に連れ戻される羽目になってしまう……!)
もちろん戻るつもりなど欠片もないが、公爵の庇護を失ったら早晩そうなってしまうだろう。執念深いヒルドリスがシェリーのことを簡単に諦めてくれるとは思えないし、ローグは貴重で高貴な翼狼だ。ヒルドリスだけでなく公爵家の面々にとって、ぜひとも連れ戻したい幻獣のはずだ。
いろいろと想像して顔を青くするシェリーに、公爵は平静な表情で答えた。
「火吹鳥は大丈夫だ。アルコールを好む幻獣だし、もっと言えば熱いものを喜ぶ。ホットワインは大好物だろう」
「え……?」
シェリーはぽかんとした。何事もないならありがたいことこの上ないのだが、アルコールを好む鳥なんているのか。いや、鳥ではなく幻獣か。
「幻獣が、人間の飲み物を……?」
「……。……幻獣には、人間に近いところもある。人間以外の動物に近いように思われてそのような扱いをされることもあるのだが、厳然と区別されるものだ。あなたの翼狼は、人間の肉料理を食べたりしなかったのか?」
「いえ……」
シェリーは首を振った。食べるものは人間と幻獣とで、というよりも人間と人間以外で分けられていた。ローグは猟犬たちと一緒に生肉を食べていたし、料理を欲しがったりはしなかった。
そう答えると、さもありなん、と公爵は頷いた。
「幻獣は誇り高い生き物だからな。人間に食べ物をねだるなど、心を許していなければしない行為だ。あなたの翼狼は元いた場所でそれなりに大切にされてきたようだが、それでも家畜や愛玩動物のように扱われてきたらしいな」
確かに、伯爵家の人々の認識はそのようなものだった。それにしても、
「私、ローグに食べ物をねだられたことなんて無いわ。心を許してくれていないということかしら……」
「いや、そんなことはないと思うが。あなたの翼狼はあなたを主と定めているし、絆もあるだろう。だが、それ以前の問題だ。食べ物を子供にねだったり、子供から奪ったり、そういうことはしないだろうよ」
独り言のようなシェリーの言葉に、公爵は律義に返事をくれた。
「子供……」
「成長が止まっていないうちは子供だろう。成長の途中にある大事な人間から食べ物を奪おうだなんて、あの忠実で誇り高いローグはしないだろうな」
そこまで説明を聞いて、ようやくシェリーは安堵した。火吹鳥は何ともなかったし、自分がローグから信頼されていないわけでもなかったし、本当に良かった。
改めて火吹鳥に目を向けると、満足そうな物足りなそうな……味には満足したけど量には物足りない、そんな表情で鍋の方をじっと見ている。
「……もう少しだけね? また作ってあげるから」
無言の圧力に負け、シェリーはカップにホットワインを注ぎ足した。喜ぶ火吹鳥を横目に、公爵と、ついでに自分の分もマグカップに注ぎ分ける。
どうぞ、と差し出すと、公爵は素直にお礼を言って受け取った。積まれた木箱の上に座り、温かさを確かめるかのようにゆっくりと飲む。シェリーも真似して木箱の上に座り、ホットワインを味わって飲んだ。自覚する以上に体が冷えていたらしく、酒精が体の中でかっと燃えるような感覚がする。喉を焼くように滑り落ちていく感覚も、寒くなるといっそう鋭敏に感じられる気がする。果物と香辛料の香りも味わいを深めて、あり合わせのもので作ったにしては良い出来だ。
どうやらローグはふらりと外に行ってしまったらしくここにはいないが、今度機会を見つけて肉料理を作ってあげよう。量がたっぷりあればシェリーから奪うことにもならないし、食べたがってくれるだろうか。
幻獣たちの住まう城の厨房でこんなふうにホットワインを飲んでいるだなんて、なんだか現実味がない。火吹鳥は大満足の様子だし、公爵もおかわりを要求した。さっそく役に立てたと好感触に気を良くするシェリーに、公爵が言った。
「どうやら、あなたの仕事はたくさんありそうだな」
「…………過重労働にならない程度でお願いします……」
この城に住んでいるだろう幻獣の数を推測するのを諦め、シェリーはひきつった笑顔を返した。




