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【第二局】封じ手の少女 ──その手は誰の記憶か

山で暮らし始めて十数年、雫は十三になっていた。 寛蓮の庵では、毎夜のように囲碁の鍛錬が続いた。 雫の眼差しは日に日に研ぎ澄まされ、盤に向かえば空気すら変わった。 まるで、彼女の周囲だけが“戦場”になるかのようだった。


老いた寛蓮は、ある日ぽつりと呟いた。 「そろそろ、“外”に出るときかもしれんな」

連れて行かれたのは、山を越えた小さな城下町・瑞陽ずいよう。春祭りとともに開かれる子どもたちの戦棋演武祭。 盤上の技を披露する者もいれば、単に遊戯として楽しむ者もいた。


「出なくてはならぬものですか?」 雫の声は冷静だった。

「勝ち負けではない。──おまえが何者であるか、それを風に問うのだ」


祭りの喧噪の中でも、囲碁会場だけは空気が違った。静寂。息遣い。打つ音だけが響く空間。 雫は、そこに立ったとたん、まるでそこが本来の居場所で“帰ってきた”かのように落ち着いていた。

初戦、相手の少年は天才と評される村の名士の息子だったが、わずか十手で追い詰められた。

雫が五手目に打った一石を見て、観戦者たちの表情が凍りついた。

「……封じ手、か……!」


その一手は、戦場で言えば「地形と補給線」を同時に奪うようなものだった。 表面上はただの布石に見えても、それによって相手の未来図はすべて崩れる。 構想を封じ、思考を奪う──それが、雫の“封じ手”だった。

盤上に石が一つ打たれるたび、少年の手元の碁石がわずかに震えた。 その異変に気づいた者は少なかったが、寛蓮だけは悟っていた。


──発動している。


この世界には、古より継承されている“術”がある。 “封じ手”は、対局の中断おける作法とは別の戦気せんきの一つ。囲碁において意志力・集中力・構想力が極限に達したとき、 棋士の身体には異変が起こる。


──身体能力の一時的な上昇、視覚の鋭敏化、そして気のような圧。 それは、“戦気せんき”と呼ばれ、戦場においては武力に変換される力でもあった。

寛蓮は静かに呟いた。

「……まだ未熟だが、あれは確かに、“戦棋士”の器だ」


高段者が誰にともなく言った。「……この手筋、“東境の鬼手”に似ているな」

名が挙がったのは、「玄凛げんりん」という若き戦棋士。 わずか十六にして、“月下の大戦”で一国の将棋団を盤上で制圧したと噂される少年。 彼の打ち方には、冷徹と猛毒が同居すると言われていた。


寛蓮が問いかける。

「雫、その石の打ち方……どこで学んだ?」

雫は首を横に振り、静かに言った。

「……知りません。ただ、“思い出す”のです。打つべき場所を」


それは、記憶なのか。それとも宿命か。 彼女自身にも、それはまだわからなかった。

その夜、祭のざわめきの中、雫はふとペンダントを握った。 掌に伝わる冷たさが、なぜか懐かしくて、胸の奥が締めつけられた。

少女の名は、小さく世に知られ始める。 「山より現れし封じ手の少女」──

それが、戦局の扉を叩く狼煙になるとは、まだ誰も知らなかった。


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