【第一局】拾われし者 ──その手は、未来の記憶をなぞっていた。
寒霧の朝、山中を歩いていた老翁・寛蓮は、ふと岩陰から微かな泣き声を聞いた。
「……この声は?」
藪をかき分け、見つけたのは古びた籠。中には、血の気の薄い、不思議な目をした赤子。
周囲に人影はなく、籠の底には見慣れぬ黒い石のペンダントが添えられていた。
「拾い子……いや、天の差配か……」
寛蓮は、かつて一国に仕えた名棋士。戦場と盤上の両方で名を馳せたが、今は山中に庵を構える身。
彼は少女に「雫」と名をつけ、静かに育てることにした。
幼き頃より雫は静かで、感情をあまり表に出さなかった。
まるで“誰かの記憶”を夢のように抱えているようだった。
月日は流れた。雫は早熟で、囲碁の石を打たせると、まるで過去をなぞるような手つきで打った。
それは、寛蓮の知る記憶(打ち筋)とは違い、未来から持ち込まれた「戦術」そのものだった。
不自然なまでに正確で、美しい手順。
彼女は時折、空を見つめた。何かを探すように、目の奥だけが、大人びて揺れていた。
寛蓮はあえて問いたださず、ただ一度だけ、稽古のあとにこう語りかけた。
「おまえの手は、盤上だけでなく……やがて“国”を動かす手になるやもしれぬ」
その夜、雫が庵の裏庭で静かに空を仰ぐと、一陣の風が木々の葉を揺らした。
「……あの風、どこか懐かしい……」
記憶にないはずの感覚。だが、それは何か大切なものを呼び覚ますような、優しい風だった。