表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/10

9話 オレンジ色の空

先日と同じように、入り口で強面の黒服に出迎えられたが、案内されたのは、個室ではなくバーカウンターだった。


薄暗い店内は、カウンターやボトルを照らす間接照明が、艶めかしく光を放っている。壁際には革張りのソファ席が並び、時折、笑い声が聞こえる。



薄暗くて人の顔も認識しずらい。ケイタはどこだろう。



カウンターの端に座っていた男女が1組いた。女性が私に気づくと、にっこりと微笑み手招きした。



「ケイちゃん、いらしたわよ」



その声に振り向いたのは、ケイタだった。



「大変ね、子供のわがままで付き合わされて」



胸元の開いたロングドレスに、夜会巻きと言われるヘアスタイル。夜の蝶であることはすぐにわかった。


同性でもドキッとするような色気がある女性だ。



「うるさいなぁ、もう帰ってよ」


「言われなくても帰るわよ。でも、今度はうちの店にも来てよね。みんな喜ぶから」



ゆっくり余裕たっぷりな様子で椅子から立ち上がると、



「ふふ、あとはよろしくね。杏ちゃん」



むせるような華やかな香りを残し、ヒールの音をさせて去っていく。



「座りなよ」


「うん」



突っ立っているのも間抜けだしね。大人しく従う。



「何を飲む?」



ケイタが軽く手をあげると、バーテンダーがやって来る。


その横顔は、普段のきらびやかなアイドルではなく、夜の世界に染まった影のあるものだった。



「テキーラ・サンライズをお願いします」


「いいね。ボクも同じのを作ってくれる?」


「かしこまりました」



バーテンダーが手際よくカクテルを作る。シェイカーを振る音が響く。



「キレイなオレンジ色」



ガラス張りのテーブル、下からの照明に照らされている。


グラスの中、氷とオレンジ色のリキュールが混ざり、夕陽のようにキラキラと美しい。



「杏ちゃんの色だ」


「あんず色ってこと?」


「空がオレンジ色になると、杏ちゃんが学校から帰って来るからね」



公園で会うと、いつも笑顔で かけ寄ってきた少年は、大人になり、目の前で寂しそうに微笑んでいる。



「オレンジ色は、嬉しい時間が近づくサイン」


「それなら、テキーラ・サンライズじゃなくて、トワイライトだね」



私の言葉に、ケイタが頷く。



「乾杯」



静かにグラスを重ねた。



そして、ケイタは過去を振り返りながら、少しずつ話し始めた。




◆◆◆





ケイタは夜間保育園に行っていた。


普通の子供がおやつを食べている時間が朝ごはん。そのあと、夕方に母親が出勤するまでは公園で遊んでた。


保育園には色々な子供がいたが、みんな共通していたのは、母親が夜の仕事だということ。


深夜、もしくは明け方になると子供を迎えに来る。そんな生活に不満はなかった。



「あの男さえいなければ、人からどう思われても、ボクはそんなに不幸じゃなかった」



男が来ると、母が自分を見なくなることを、幼いながらに感じていた。


耳と目を塞ぎたくなるような光景が度々あった。



ケイタは淡々と語るが、その言葉の裏にある深い闇と痛みで胸がギュッと苦しくなる。あんなに近くにいたのに。



「死ねばいいのにって、毎日、神様にお願いしていたな」



あの日、私が襲われた日をケイタは振り返った。



「杏ちゃんが、殺されたらどうしよう。それだけ怖くて、必死に走ったよ。本気で走ったのは、あのときだけかもね」



圭太君は私の家のドアを何度も叩いた。声が枯れるまで『助けて』と叫んだ。家には母と弟がいた。母はすぐに事態を察して駆けつけ、弟が警察に連絡をした。



「杏ちゃんが無事で良かった。もしものことがあったら、ボクは今は生きてなかったはずだよ」



それから、しばらくは養護施設で暮らした。

その間、母親とは 数えるほどしか会えなかった。会いに来なかったという方が正しい。



中学時代は祖母と暮らしていた。高校には行かなかった。お金の問題より、気がなかったためだ。定職にもつかずにブラブラしていた。



幼い頃から可愛い顔だったが、 成長とともに磨きがかかる。助けてくれる女性がたくさんいた。衣食住にお小遣い。彼女たちは、ケイタが機嫌よく笑顔でいることを望んだ。


「可愛いだけのペットじゃ、夜の相手まではできないからね」



ヒモのような生活が何年か続いた。先ほどいた女性は、その頃に知り合ったという。



「つまらない毎日でも、夕焼け空を見ると杏ちゃんのことを思い出して、少し気持ちが温かくなったんだ」



18才の頃、渋谷の街で葉山さんに会った。アイドルにならないか?そうスカウトされた。



「その時、思い出したんだ。 杏ちゃんが、ボクにアイドルになればって言ったこと」


「お金持ちになる方法の話をした時のことね」



やってみようと思ったが、入所には親の同意が必要だった。母親に会うことも、何かを頼むことも煩わしく、縁が無かったと断った。


光るダイヤの原石だと確信していた葉山さんは、成人まで待つと言った。



20才の誕生日、事務所に入所した。

すぐにdulcis〈ドゥルキス〉 のメンバーに入れられ、デビューが決まった。そこからはあっという間だった。



気がつけば、信じられないお金を手にしていたが、幸せだとは思えなかった。



「軽蔑するかもしれないけど、半年前かな、興信所で杏ちゃんの居場所を調べたよ。人の情報なんて、簡単に手に入ること、知らなかったな」


「じゃあ、私が結婚したことも?」


「ショックだった。ボクが結婚するはずだったのに!って、子供の時の約束だよ?笑っちゃうよね」



調べられたことに対して、怒りよりも理解不能な衝撃が全身を駆け巡る。なぜ、そこまで?



「杏ちゃんが離婚したのは僕のせいだ」


「どういうこと?」



元夫の浮気相手は、会社に新しく入った派遣社員だった。


仕事の相談をされている内に彼女と親しくなった。そう聞いた。あのときは、夫と浮気相手の馴れ初めなんて、まるで興味がなかった。



「世の中には、色々なコネを使って、芸能人や著名人と繋がろとする人がいるんだよ。こんな店でやる飲み会なんて、ろくな集まりじゃない」



ケイタのファンだという女性は、偶然にも私の元夫の会社に入ったばかりだった。


いたずら心に火が着いた。上手くいくわけがない。それでも構わない。気づいたら、口から出ていた。



『財務部の田中って男を落とせたら、1度だけ寝てあげるよ』



仕掛けたケイタが驚くほど、とても簡単に話は進んだ。



元夫の言い訳が甦る。



『杏菜は楽しそうに仕事をするから、オレの気持ちなんて分からないよ。あの子は違うんだ。守ってあげたい。そう思わせるタイプの女性なんだ』



ケイタに抱かれたいがために、既婚者にハニートラップをしかけるような女だったのに、何をのぼせたことを言ったのだろうか。



「その女性は女優さん?」


「いや、違うよ。芸能人でもその関係者でもない」



かわそうな元夫。素人の演技にコロッと騙されたなんて。それとも、嘘を見抜けないほどに、癒しを求めていたのだろうか。



「ごめんなさい。杏ちゃんを、傷つけたかったわけじゃないんだ」



バーカウンターには重い沈黙が降りた。グラスの中で氷が溶ける音だけが、やけに大きく響いた。



バッグから電子タバコを取り出した。淡い光とともに、僅かに甘い水蒸気がゆらりと漂った。



「怒らないよ」


「え?」



これまで伏せていた目線を上げ、驚いた顔で私を見た。



「私が離婚した理由は、ケイタのせいじゃない」



どうせ結婚生活は長くは続かなかった。


理由は簡単。私は彼をそれほど愛していなかった。そして多分、元夫も同じだったと思う。



今は、それよりも気になっていることがある。



「ねぇ、絶対に嘘はつかないで答えて」


「なんでも答えるよ」


「約束よ」



電子タバコをカチッと音を立ててオフにした。


そして、まっすぐにケイタを捉えて尋ねる。



「今回の仕事、ゲンキライブ企画に決まったのも、あなたの計画通りなの?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ