夜10時の電話
初回のプレゼンは手応えがあった。
用意したペンライトやアクリルスタンドのサンプルを見せながら提案した内容。葉山さんはひとつひとつ、しっかりと聞いてくれた。質問の多さも関心がある証拠と解釈した。
一方、当事者のケイタは、終始ニコニコと話を聞いていたが、関心があるのかないのかは疑問だった。
来週、また最終プレゼンをし、受け入れられたら正式な受注だ。デザイナー魂に火がともる。
給料日前にも関わらず、和泉さんの真似をして、5000円の栄養ドリンクを買ってみた。飲んですぐ、鼻血を出してオフィスが大騒ぎになるという失態もあったが、それはそれで、今年の忘年会のネタになればいい。
「杏菜さん、まだ帰らないんですか?」
外出先から戻って来た小山君に声をかけられた。
「ペンライトの3D画像だけ仕上げたら、かな」
「じゃあ、終わるまで待つんで、たまには飲みに行きませんか?離婚されたなら、僕と2人で飲んでも大丈夫ですよね」
「その時間があったら、寝るか資料作るかをしたい」
「ですよね」
「それに、結婚も離婚も関係なく、私と小山君が2人で飲んでも、どうにもならないから」
「そんなハッキリと」
小山君が肩を落とす。ちょっとかわいそうかな。
「この仕事が決まったら、ね」
「はい!」
「みんなでね」
「じゃ、お先に失礼しまーーす」
新卒で入社した小山君の教育担当は私だ。鳥の刷り込みかと思うほど、最初から懐いてくれたのは嬉しい。かわいい後輩ではある。
でも、離婚間もないアラサーに、社会人3年目の青年は眩しくて。今はとてもじゃないけど、恋愛なんて考えられない。
未来ある青年には、他に目を向けてもらいましょう。
時間は22時を過ぎている。いつもはまだ数人がいる時間だけど、金曜日のせいか今夜は私が最後だ。
「そろそろ帰るかな」
煮詰まってもろくなアイデアは出ないし、家でシャワーを浴びてからまたやるか。
浮気をされたその週末、すぐに離婚届を提出した。
元夫は最低限の荷物を持って出て行った。
慰謝料の代わりに、向こう半年分の家賃を支払わせることで同意した。1年に満たない結婚生活、子供もいない夫婦の離婚なんて、揉めるだけ損だと思った。
気ままなひとり暮しは好きだけど、ひとりでは広く寂しく感じる部屋は、居心地が良いとはいえない。
仕事中は脱いでいるパンプスを履いて、ジャケットを羽織る。
パソコンをシャットダウンする。戸締まり、エアコン、指差し確認。あとは、電気を消してセキュリティを入れるだけ。
さぁ、帰ろう。そのとき、会社の代表電話が鳴った。
普段は夜7時で留守電に切り替わるのだが、総務が設定を間違えたのか。もっとも、社用携帯を持つ営業部は、夜も土日も関係は無いようだが。
「えーー、しつこいな」
こんな夜の電話なんて、トラブルの予感しかしない。
例えば、中国の生産工場で問題発生だったらどうしよう。電話に出たところで、私で対処できるのか?
さぁ、どうする?
「お電話ありがとうございます。ゲンキライブ企画です」
根が真面目なもので、なり続ける電話を無視はできなかった。損する性格なのは分かっている。
「もしもし?」
電話の向こうは賑やかで、声があまり聞こえない。間違いかイタズラか?どっちにしても迷惑以外の何物でもない。
『杏菜ちゃん?』
受話器から名前を呼ばれる。社内の人間の声ではない。
『杏菜ちゃんだよね?良かった、電話に出てもらえて』
「あの、どちら様でしょうか」
『えーー、さみしいな、分からないなんて』
甘ったるい、媚びるような演技がかった声だ。そう、最近聞いたばかり。どこで、聞いたんだっけ。
電話の横に高々と積まれた資料。その上に置かれた、アイドル雑誌の最新号。
『dulcis〈ドゥルキス〉のケイタ、初主演映画!とびきりの胸キュンであなたを悩殺♡』
表紙には、上半身が裸、金髪の男性が潤んだ瞳でこちらを見ている。
あ、これか。
「もしかして、ケイタさん?」
『ピンポン、大正解』
「どうされましたか?」
『会いたくなって、電話しちゃった』
「え?」
あの胸キュン映画のワンシーン。CMでも流れたセリフを思い出す。
『ねぇ、僕に会いに来て」
◆◆◆
電話で指示されたお店は、六本木にある会員制のbarだった。
店名をネットで検索したけど、あまり情報が無かった。
見るからに高級そうな、セレブ感たっぷりな店の前。やっぱり引き返そうとしたときに、中から怖そうな黒服が出てきた。入口にカメラが付いてるのだろう。
「加賀様ですね。伺っております。こちらへどうぞ」
ケイタに言われた通り、黒服に会社の名刺を見せて名乗ると、すぐに中へ入るよう促された。
仕方ない、覚悟を決めるか。
ガラス張りの暗い廊下を進む。
バーテンダーがシェイカーを振っているカウンターを横目に奥に入っていく。
やばい店だったらどうしよう。嫌なニュースばかりが頭を過る。
セキュリティカードで開くドアの先は、個室なのかいくつかのドアが並んでいる。
「こちらです」
1番奥のドアの前、黒服がノックをする。
ドアが開くと同時に、流行りの曲が大音量で流れてくる。廊下には静かなジャズが流れていたので、部屋の遮音性は抜群らしい。
黒を基調とした室内は薄暗く、毛足の長い絨毯が敷かれている。
ベッドみたいな大きなカウチソファが2組。そこに座っていた数名の男女が一斉にこちらを見ている。
カラオケを楽しんでいたらしい。dulcis〈ドゥルキス〉の最新曲のイントロが流れはじめた。
「やっほーー。待ってたよ、杏奈ちゃん」
ケイタはリモコンで音を止めると、笑顔で駆け寄って来た。
その笑顔だけ見れば、まるで仔犬がしっぽを振っているように見えなくもない。犬種に例えるなら、ゴールデンレトリバーか、いや、ポメラニアンでもいい。
「ごめんね、夜遅くに急に呼び出して。でも来てくれて嬉しいよ」
腰に手を回されて、部屋の中へと促された。
「悪いけど、みんなさっさと帰って。今夜の主役が来てくれたから」
手をひらひらとさせる。声のトーンは低くはないのに、なんだか冷たく聞こえる。
男性たちはケイタに軽く声をかけながら部屋を出ていくが、女性たちはハッキリと私に敵意を向け、顔面に「邪魔者め」と書いている。
その1人、どこかで見たことのある顔だと思ったら、この前見た「胸キュン」ケイタ初主演の映画のヒロインだ。キレイな子だと思ったけど、すごい、キツそう。
プライベートでもケイタと仲良いんだな。そういえば、共演者キラーとか週刊誌に書かれてたような?
「杏奈ちゃん、何飲む?今さっきシャンパン開けたばっかりなんだ」
ケイタは私をソファーに座らせると、ガラス棚から、フルートグラスを取り出した。テーブルに置かれたワインクーラーの中に高そうなボトルが冷えている。
「電話でも伺いましたが、仕事のお話ってなんでしょうか?」
「まぁ、いいじゃん。とりあえず飲もうよ」
ケイタは片手でボトルを持つと、シャンパンをグラスに注ぐ。黄金色に小さな泡が美しく輝いた。
その慣れた手つきに違和感を感じる。ボトルの持ち方、注ぎ方は、付き合いで何度か行ったホストクラブで見たものとよく似ている。
「ケイタさん、ホストの経験でもありますか?」
「よくわかるね。事務所に入る前だから、まだ10代の頃に少しだけね。でも、あんまり言わないでね。未成年で飲酒したとかなんとか、言われちゃうからさ。事実かどうかなんて関係ないから」
「ホスト時代は、かなり売れっ子だったんでしょうね」
「まぁ、それなりかな。はい、どうぞ」
グラスを受けとる。
ケイタは私の隣に座ったが、肩が触れるくらいの近さのため、少しだけお尻を動かし位置をずらすよう移動させる。
「大丈夫だよ、変な薬は入ってないから」
「この状況でそれは、冗談でも笑えませんね」
「そうだね、じゃあ、乾杯」
「はぁ」
多少のお酒には負けない自信がある。仕事のための接待や飲み会は散々経験してきたから。
とりあえず、一杯だけはいただこう。
ゴクリ。
「……おいしい」
最近は仕事が忙しく、お酒を楽しむ余裕もなかった。
「よかった。何か食べる?お腹空いてるんじゃない?遅くまでおつかれさま」
確かにお腹は空いた。お昼もコンビニのサンドイッチだけだった。
「この前、会った時より疲れた顔してるね。仕事忙しいの?」
「おかげさまで。クライアントの前で言うのもなんですが、この仕事が決まるかどうかでみんな必死ですから」
「それは大変だ」
「他人事みたいに言いますね。ケイタさんにとっても大事なライブグッズですよね。この前はあまり発言されなかったので、メンバーの方から直接ご意見や要望を聞けると思って来ました」
せっかく本人を目の前にしているのだから、情報ゲットをして会社に持ち帰らないと。
「うーーん。特にないかな」
「ない?」
「うん。なんでもいいよ、杏菜ちゃんに任せる」
「でも、ケイタさんが今回のグッズをメイン考えるって、葉山さんがおっしゃってましたよね」
ライブの演出や構成、衣装、グッズは、できる限りメンバーが考えていると聞いた。今までは年長組のアラタやコウキが主導で行っていたが、今回はケイタにやらせたいと。
「僕はみんなと違って、途中からグループに加入したからね。下積みの経験もないまま、パッと出てデビューしたから、古参のファンには好かれていないんだよね。だから、そういうファンへの好感度アップのために、形式上はそういうことにしたいの、事務所の方針で」
事前情報としては確認済みだ。ダンス経験もなく、渋谷でスカウトされてすぐデビューが決まったらしい。
「僕にとっては、正直なんでもいいんだけど」
ふいにグラスを奪われる。グラスを2つ並べてテーブルに置くと、
「この後、お相手してくれるなら、僕からゲンキライブさんに決定するって、葉山のお姉さんに伝えてあげるよ」
「え、ちょっと!」
ソファに押し倒されたと気付いたのは、鏡張りの天井に、自分の姿が映ったからだ。
「あーーあ。よりによってジーンズ、それもスキニーか。杏菜ちゃん、足が細いから似合うけど、脱がしづらいから、次はスカートで来てね。さっとできて楽だから」
なにが、さっとできるって?
「期待して来たんじゃないの?」
「何のお話ですか?冗談でも笑えません」
「笑わせようなんて思ってないよ」
私の両手首をしっかりとつかみ、ケイタは言った。
「大人しく抱かれたら、お仕事が決まるなんて簡単でいいしょう」