わんわんわん
「ちょっとまったぁああああ!!!!!」
『クソ野郎』が叫び声を上げながらにアキと『襟巻小僧』の間に割り込む。繋いでいた手を強引に引き剥がす。
「王子であるオレを無視するな! 救世主はオレの物だ。魔王ごときが勝手に取らないでもらおう」
「あ゛? 誰が、誰の、モノだって?」
『クソ野郎』の発言にアキの堪忍袋の緒が切れた。地を這うような低くて重い声。青筋を立てて目がキマっている。底冷えするような冷気を纏い、敵を鋭く睨みつける。
遠くで小さな悲鳴と歓声が聞こえた。
「誰がテメェのモノだって? 巫山戯んのはその顔面だけにしろ。寝言は死んでから言え。テメェらの言いなりになんてなるかクソがっ!」
「ああん、素敵♡ わたしはどこまでも救世主様について行きますわぁ!」
「いらねぇ!」
アキは腕に抱きついてきやがった『バラ女』をすぐさま振り払った。それは虫を振り払うように容赦なく、触れたと同時に行動を起こしていた。アキは『バラ女』に対して遠慮のえの字すらなくなった。いや、あったら食われる。本能的な危険を感じていた。
「ぼ、ボク……そんなつもりは……っ」
『襟巻小僧』がうるっと瞳に涙を滲ませる。それにアキはギョッとして慌てる。これでは自分が子供を泣かせたみたいではないか。やめろよ面倒くさい。
「あーいや、結婚が嫌ってだけでそれ以外は別に……」
「ホント……?」
「う、ぐぅ……」
あざとく小首を傾げる。大きな瞳をきゅるんと上目遣いで見上げてくる。垂れ下がった犬耳の幻覚が見える。やっぱ疲れてるわ。
アキはやんちゃ期がありながらも比較的ちゃんとした一般常識は持っている。そのため子供は嫌いだが、泣かせるのは多方面で諸々厄介だと認識している。決して涙に弱いわけではない。他人の目は気にしないが面倒事は避けたい。子供相手じゃ何があっても大人が加害者にされるのだ。
呻き声を漏らしながら頭を搔く。やっぱり子供は嫌いだ。自分勝手でメンドクセェ。
しかしだからと言って大人なら、というわけでもない。大人は大人でまた面倒くさいのである。言い訳やら屁理屈やら金だ地位だなんたらかんたら。
結局のところ、アキは他人が嫌いなだけだ。まあ、これまで関わりがあった他人が軒並み変なヤツだったのもある。変態変人変質者。育った環境超最悪。そんな中でも強く生きた。一番に頼れるのは自分自身だった。力こそパワー。強いヤツが強者。拳で黙らせれば万事解決。
「お前が言ったこと、嘘じゃないんだよな?」
「誓って、ボクは絶対に嘘はつかない。あなたの意思に反することはしない。あなたの望みはボクが持てる最大限の力で叶えるし、ボクの望みはあなたとイッヌ様の幸福だ。関わらないでほしい、けれども生活は保証してほしいと願えばその通りにする。これでもボクは魔王で、ワンダ=ランドを作るぐらいには我儘だからね」
「……ふっ、なんだそれ」
威張るように胸を張る『襟巻小僧』。その姿がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。和んだ空気が流れ、しかしすぐに掻き消された。
「〜〜っ、だから! オレを無視するなとっ!」
「へっへっへっわん!(ねえねえ遊んで遊んで!)」
「黙れこの駄犬! またオレの邪魔をする気かァっ!!」
今まで大人しくしていたぶさだったが、とうとう飽きてしまったらしくアキに遊んでと催促し始めた。しかし『クソ野郎』はぶさがどうしても気に入らないようだ。思えば最初にぶさを引き離してくれたのもコイツだったな。思い出したらまた怒りが湧いてきた。
顔を赤くしてアキの腕の中にいるぶさに突っかかろうとする。手を伸ばし、しかしその手は宙を切る。アキが下がって避けたからだ。
おっとぉこれは恥ずかしい。さらに顔を赤くしてぶさを睨めつける。そこはアキじゃないんだとツッコミすることなかれ。視野の狭い奴なんだ。残念頭なんだお察ししてあげろ。
「こんのっ……ぶへぁっ!!」
再び手を伸ばしたところでアキが『クソ野郎』の顔面にストレートパンチ。吹き飛ぶ。壁に激突する。めり込む。意識を失う。
さてさてアキの拳を食らった『クソ野郎』だが、息はしているし、原形も留めている。顔が変形しているのはご愛嬌だ。逆に良い顔になって良かったじゃないかとアキは嘲笑う。
「つ、次は、わたしにィ」
ハアハアと息を荒くして『バラ女』がアキに迫る。ぞわりと悪寒が走る。出ましたマッドマゾヒスト。略してマドマゾ!
アキにとっては最悪の敵である。なぜかって? 殴っても喜ぶ、ほっといても喜ぶ、喋っても喜ぶ。何をしても喜ぶ相手だ、アキに勝ち目はない。え、キモっ。顰めっ面で青ざめているアキの表情すら『バラ女』にとっては興奮材料でしかないようだ。打つ手なし。
アキは怖いもの知らずだった。ホラーだって平気だし心霊だって信じていない。暗所も高所も虫も雷も平気だ。幼少期は無敵だった。なまじ喧嘩も強いから向かうところ敵無しだった。
しかし、そんなアキにも怖いものが出来た。人間である。なぜかマッド気質な輩に好かれる嫌いがある。ダメ男ホイホイならぬ狂人間ホイホイだ。嬉しくない。
製造機だって? それだけは止めてくれ!
避けたい存在はこうした狂人間から植え付けられている。イケメン嫌いもこれに起因している。それどころか軽く人間不信になっている。だからこそ結婚に対して大きな抵抗があるし、ぶさにのめり込みもしている。活発少女だったアキが今や家ごもりですよ。少しでも他人との接触を減らそうとしているのだ。それでもちゃんと会社員しているアキ、立派。
ヒュっと息が詰まる。震えだした手が腕の中にいるぶさに縋っているように抱き締める力が籠る。『バラ女』がジリジリと迫って来て――
「ワンっ!」
「……ぁ、ぶさっ」
勇敢なる愛犬が飛び出した。アキの腕を踏み台に飛び上がったぶさは『バラ女』の顔に張り付いた。くぐもった悲鳴を漏らした彼女はそのまま後ろに倒れ、頭を打って気絶した。
「…………」
シーンと静まり返った空間にぶさの声だけが落ちる。遊んで遊んでと目を輝かせながらアキを見つめ、尻尾を左右に振る。それどころか『バラ女』の腹の上で飛び跳ねて死体蹴りまでしている。
「……ッ、サイッッコーじゃねぇーかぶさぁー!!」
嬉々としてアキはぶさを抱きしめる。よく分からないけど大好きなアキに褒められてぶさはご満悦である。
「さて、と。君はどうする?」
キャッキャウフフな王(仮)から視線を外して『襟巻小僧』は『ローブ野郎』を見やる。ビクゥと大袈裟なほど肩が跳ねる。ダラダラと冷や汗を流す彼は――
「国に帰らせてください!」
迷いなく頭を下げた。それはもうきれいに直角である。『ローブ野郎』は無謀者ではないし狂人でもない。この中では一番まともな人間だろう。ただちょっと、天狗になっていただけだ。伸びた鼻はポッキリ折れてる。
「うん、いいよ。それじゃあ、バイバイ」
あっさりと承諾した『襟巻小僧』は気絶している二人を『ローブ野郎』に押し付けると三人の姿が消えた。魔法で国王城まで飛ばしたのだ。
「魔王様ー……ってなにこれ!? え、何?!」
入れ替わるように廊下から走ってきた一人の男性が驚いて声を上げる。
「どうかしたの?」
「あ、はい。愛の巣の準備が整いました」
驚きながらも報連相を優先する。体は報告相手に向いているが視線はその限りでは無い。しかし口はしっかりと働いている。器用である。
「ありがとう。あ、旅人が見つかったって他の住人にも伝えておいてくれる? 彼女がイッヌ様の飼い主でワンダ=ランドの人の王様になるお方だよ。それからこの子は新しい住人。色々教えてあげてね」
「え、ちょっ……魔王様!?」
「門とここはあとで直しておくからよろしくね。さあ、これからあなたが使う家に案内するね。行こう!」
一方的に言って『襟巻小僧』はアキの手を取って走り出す。そして彼の中ではアキは王確定だそうです。あれおかしいな。アキは了承してないぞ。
残された男は急展開についていけない。混乱している最中に『鉄人間』が丁寧に彼によろしく頭を下げた。待ったもタンマも通じない。何これと頭を抱える男。大丈夫、さっきはもっとヤバかったから。
「ここが愛の巣だよ。一通り設備は整えたけど必要な物があれば言ってね。気に入らないところもあれば言って。すぐに変えるから。食事はボクが用意する予定だけど問題ない?」
「お、おう……」
「庭は囲いがあるし、他のイッヌはここには近づけないから安心してね。あ、これワンダ=ランドの地図ね。ボクの部屋はここだからいつでも来ていいよ。それと、この鈴を鳴らしてたらボクが転移で駆けつけるから困ったことがあったらすぐに使って。早朝深夜問わずいつでも大歓迎だよ」
「お、おう……?」
色々気になる言葉があったけれど取り敢えずこれだけは言える。超至れり尽くせりだ。
「それじゃあボクはもう行くね。イッヌ様お待たせしてごめんなさい」
ぶさに頭を下げると『襟巻小僧』は足早に出ていった。玄関のドアが閉じた後、アキはなんとはなしに視線を下げた。キラキラした表情のぶさがアキを見つめている。
遊ぶ? 遊べる? と期待している雰囲気ダダ漏れだ。平常運転で安心する。
「……よし、遊ぶか!」
「わん!(わーい!)」
アキは考えるのを止めてぶさと一緒に庭に出た。そして一人と一匹は仲良く沢山、それこそ疲れ果てて眠るまで遊んだのでした。
* * *
「お昼ご飯持ってきたよ。…………あらら」
昼になって『襟巻小僧』が食事を持って家に入る。
え、鍵? ……えへ☆
応えがないのでひとまずテーブルに置いてアキとぶさを探す。まあ、探すと言っても場所は分かっている。魔王の名も伊達ではない、ということだ。
庭に出て、とある一角まで進むと大の字で寝転がるアキとぶさの姿。安心しきった、幸せそうな寝顔だった。その様子に『襟巻小僧』は目を細めてにこやかと微笑む。
「おやすみなさい。愛しい人」