わんわん
「わおーーーん!(どこーーーー!!)」
犬の遠吠えと同時に副音声らしき声が聞こえる。二重に重なった音なのにどっちも声として理解出来る。しかし、それ以上に気になったのは聞こえた犬の声である。なぜかそれがぶさの声だと確信がある。
すぐさま振り返って、声が聞こえた方に向かって走る。全力疾走だ。心臓がバクバクとうるさい。柄にもなく必死になっている。恥も外聞もない。そんなものはいつでも捨ててやる。それより何より大事で優先すべき家族があるんだ。
「ぶさー! ……っ、ぶさ!!」
「わんわん!(いたー!)」
アキとぶさの感動の再開である。アキが両手を広げて、ぶさがその胸に飛びつく。ガバッと抱き締めてアキはその場に座り込む。勢いがあったせいで膝と床とが擦れてチリッと痛みが走るがそんなことは些細なことだった。
「ぶさ、ぶさっ……会いたかった。元気にしていたか? ごめんな独りにして。ごめんな。もう大丈夫だぞ。ずっと一緒にいるからな」
目頭が熱くなる。おかしいな。しばらく泣いた記憶はないのに。ぶさを抱きしめた瞬間、勝手に涙が溢れてくる。温かくて、愛おしい。
「へっへっへっわぅ(会いたかったぁ)」
「はは、何だ……お前も泣いてんのか」
体を離して顔を見たら変わらずブサイクな顔だ。顔には深いしわがあって、臭くて、舌は出しっぱで、間抜け顔で。でも、大好きな家族だ。いつもみたいに尻尾をブンブンと左右に振っている。
ぶさは体を上に起こしてアキの濡れた頬を舐める。顔舐めが臭くてこそばゆい。嬉しそうに笑ってアキもぶさの涙を拭ってやる。
「そ、そんな……きゃあああああーーーー!!!」
突然の大音量が耳をつんざく。女みたいな甲高い悲鳴だ。なんだ死体でも発見したのか。それとも好きなアイドルにでもあったのか。それぐらい全力の黄色い声だった。耳が痛い。
ぶさがびくりと驚いて頭をアキの腹に押し付ける。くぅーんと怖がっているぶさを慰めるように撫でてやる。
そして、一度視線を向けてすぐに目を逸らしてしまったそれを再び視界に入れる。叫んだのは『襟巻小僧』だった。さっきのニコニコ好少年はここには居ない。彼は目をかっぴらき、大口開けて、硬直していた。それはもう食い入るようにこちらを見ている。ああ、目を逸らしていいかな。いいよね。
困惑していると目にも止まらぬ速さで近づいてきた。さっきよりも速い。全っ然見えなかった。
『襟巻小僧』はアキの前で跪く。そしてアキの片手を取って両手で握る。アキを見つめる目は真剣そのもので、ともすれば少し緊張しているのか表情が硬い。
「ボクと結婚してください」
「……はぁ?」
「あなたはボクの運命です。このワンダ=ランドの王になってください」
「あ゛?」
とてつもなく熱い想いを投げられたアキは渋い顔をした。話の内容が全く理解出来ない。
いや言っている言葉の意味は分からなくもない。求婚された。これは問題ない。いや問題大ありだが一旦置いていこう。問題は次だ。求婚の理由? が運命だとか王だとか意味不明なだけ。思考回路イカれてる奴か。
「…………ふ、ふざ、ふざけるなぁーー!!!」
ドデカ声量再び。今度は『クソ野郎』の声である。そしてまたしてもぶさが怯えた。よしよしと空いている手で撫で宥める。もう片方の手は未だに掴まれたままだ。アキに聞こえている声が、音の発生源がアキより近い『襟巻小僧』に聞こえていないはずがない。しかし、無視しているのか視線はアキに向けられたままである。もはや反応すらしていない。
「救世主は我が国の物だ。そして魔王は救世主によって滅ぼされるんだ」
「魔王?」
「昔の名前だよ。ああでも、あなたがボクが魔王であることを望むのならいくらでも魔王になるよ。でもボクは争いを望んでいない。あなたがワンダ=ランドの王になってくれたら嬉しいけど無理矢理やらせるつもりはないから、そこは履き違えないで欲しい」
「オレを無視するなァあああ!!」
「さっきからその、ワンダーランド? ってなんだ?」
「ああ、そうだったね! あなたに会えたことが嬉しくて気持ちが先走っていたよ。ごめんね。案内するよ。ついてきて!」
手を引かれて立ち上がる。そのまま強く握った手を離さないで引っ張られる。けれども強引ではなくて、いや強引ではあるけれど、こう、無理矢理ではない。痛くないし、アキの負担にならない速度に調整している。器用だなぁと思いながらも断る選択肢がないっぽいので大人しくついていく。拒否する理由もないし。
後ろで『クソ野郎』が叫ぶ声が聞こえた。
「紹介するね! ここはかつて魔王城と呼ばれ、今はボクが作り上げたワンダ=ランドだよ! まあ、まだ未完成だけどね」
両手を広げて『襟巻小僧』は嬉々として言う。案内された部屋はとても広く、それはそれは広かった。学校の体育館ぐらいありそうな広さで正面の壁が一面ガラス張りで芝生が見える。けれどそれ以上に気になったのは部屋の中にいた犬たちだった。その数は十や二十じゃない。一体何匹いるんだと唖然とする。
「うわっ何だこれ!?」
「犬の誘拐って本当に魔王の仕業だったのか……」
ちゃっかりしっかりと二人の後をついてきた四人。部屋の内情を見て『クソ野郎』は嫌悪を顕にし、『ローブ野郎』はなんとも言えない顔をする。
確かに国では犬の行方不明が多発していた。もちろんそんな報告を真に受けていなかったし、アキに話した筋書きだって思い付きの適当に言ったに過ぎない。しかし、それは奇しくも真実でもあったようだ。当たっても嬉しくない。
「イッヌが百匹集まると旅人が現れるんだ。それが犬の王様と人の王様。二王によって人とイッヌは共存することが出来るんだ」
「はあ……?」
「旅人なる人物がボクの運命の人なんだ。こんな御伽噺に憧れて、ボクはワンダ=ランドの土台を作った。そして101匹目のイッヌ様が見つかって、運命の人が現れた」
「馬鹿じゃないのかっ!?」
アキが困惑していると後ろから『クソ野郎』が嘲る。しかし『襟巻小僧』はそれに怒るわけでもなく子供扱いするような哀れみを含んだ視線を向ける。どっちが大人なんだか分からないな。
「ボクは冷静だよ。夢を見ているけど現実だってちゃんと見ている。君たちみたいな外道な行いはしていないし、誰にも迷惑をかけていない。それに、現にこうして旅人は現れてくれた。それが君たちの蛮行故ってのは腑に落ちないけどね。そうじゃなくてもボクは単純にイッヌのことが好きだから、ワンダ=ランドはボクにとって幸せ空間でしかない。君たち国のイッヌに対する不当な扱いから保護するためでもあるし、イッヌが安心して穏やかな生活を送れるように環境を整えてる。そのために意思疎通の手段も作った」
「それが、救世主様にかけた魔法、ですか……?」
「そうだよ。……ああ、勘違いしないでほしいけどワンダ=ランドの王になったからってあなたに何かを強要するつもりはないよ。ただここに居てくれるだけでいいんだ。食事も住居も望むものなんでも叶えれる力がボクにはある。苦労させないしさせるつもりもない。イッヌ様と四六時中居てくれも全然構わない。むしろ本望だよ」
最後はアキに向かって一息に告げる。肺活量すごいな。
しかし……なんだろう? とても都合のいい話過ぎて逆に怪しさ満点だ。うまい話には裏がある。あと何か怖い。
訝しい眼差しを向けると『襟巻小僧』はニコリとも笑わずに強く頷く。その表情は真剣そのもので、嘘や冗談を言っているようには見えない。
その証拠に百匹いるらしい犬たちの嬉しそうな声が聞こえる。楽しそうに思い思い遊んでいるし、傍目に見てものびのびと過ごしているのが分かる。臆病な犬用の個室も用意しているらしい。至れり尽くせりだな。
ただなぁ……結婚か〜。チラリと『襟巻小僧』を見やる。小学生くらいの見た目である。一回り以上も年下相手に結婚っていうのは抵抗がある。まあ、年齢云々に限らず結婚自体に割と結構大分抵抗があるけども。
アキはとても魅力的な環境と、その交換条件とも言える結婚話で天秤が揺れている。生まれて今日二八年、枯れてはいるが結婚は好き同士がするものという印象を持っている。夢じゃない、印象だ。そればかりじゃないことは知ってるけどそれがほとんどだろ? だからこそ、自分には縁のない話だと思っている。
だって、今まで誰かを好きになったことがないのだ。それどころか色々苦手意識を持っているし、自分が面倒くさい性格であることは自覚している。客観的に考えてもこんな性格の奴が相手とかないな、と思えてしまう。別に悲しくはない。プライドとか負け惜しみとかではなく普通に結婚はしなくていいと思ってるから。縛られるのも他人に合わせるのも嫌だし四六時中誰かと一緒にいるとか考えられない。
うーんと悩んでると前を『鉄人間』が横切った。ふらふらとおぼつかない足取りで犬がいる部屋の中に入っていった。中央で止まって震えているのかカチカチと鉄がぶつかる音が聞こえる。そして……両手を上げる。
声はない。が、とても喜んでいるのが伝わってくる。…………うん、だって踊っているから。クルクルと回って全身で喜びを表現している。頭を覆って視界が悪そうなのに犬に気遣ってかオーバーな動きでありながらその場から少しも動いていない。器用だなオイ。
満足したのか動きを止めた『鉄人間』はぐるんと音がするほどの速さで振り返る。勢いについていけなかったらしい被り物がズレたのか手で直している。
まず『襟巻小僧』の手を取ってブンブンと縦に振る。次にアキの手を取って同じようにブンブン……とはいかず控えめに、でも縦に振る。遠慮がちなのはぶさを抱えているからだろう。そして二人の手を繋ぎ合わせて親指を立てる。両手で。
「応援、してくれるの? ありがとう。……あ、君もイッヌ好きなの? そっか、それならここに住む? うん、いいよ。ああ、魔法? もちろんいいよ。頭の防具を……後で? 分かった」
『鉄人間』、国を出てワンダ=ランドの住人になるってよ。いやなんで一言も喋ってないのに意思疎通出来てるのかね。そりゃちょっと身振り手振りはあったけど。いや『襟巻小僧』の察する能力高過ぎな。読心術ぐらい習得しててもおかしくないレベルである。
と、そこへ『襟巻小僧』が右手でアキを指差す。次に自分を指差して、親指と人差し指の指先をくっつける。そして第一関節部分で交差させる。
これはアキにも理解出来た。
「決闘で決めようってことか……あ?」
「そんな、お似合いだなんて……え?」
同時に言葉を発して、顔を見合わせる。解釈不一致。どちらが正しいって正確に『右腕』の意思を汲み取れる『襟巻小僧』に決まってるだろ。